二 ブルーシートはかく語りき①
「起きろ、少し歩くぞ。」
肩を揺り動かされて意識が戻った視界には、見知らぬ風景がぼんやりと広がっていた。
僕は楊の車に乗り込んだ所から記憶が無いのである。
楊の愛車は廃盤の中古のスポーツカーであるが、その道の方には人気車で、なんと日本一保険料が高いという白のシルビアのS13である。
僕は良純さんのトラックの助手席が慣れているので、車体が低くコンパクトなスポーツカーの助手席は少し怖い。
そしてそんな彼の自家用車は、金虫梨々子と婚約して以来、世田谷の警察署の駐車場に勝手に停めても誰も何も言わないばかりか、専用スペースまで用意されているとの噂だ。
実際は警察署直ぐ近くのコインパーキングでしかないが、彼がそこに車を停めれば金虫家に連絡が行き楊が金虫家詣でを余儀なくせざるえなくなるというトラップ付きである。
そこに楊も律義に止めなければ良いのにと思うが、大事な大事な愛車が絶対に十円パンチ洗礼を受けることが無いと安心できるのだから仕方が無いそうだ。
これは絶対に金虫家の楊ホイホイというトラップに違いない。
嵌る楊こそ情けないのである。
「おい、ちょっと、ちび。」
呼びかけられてから僕の頭は楊批判に動いているが、体の方は現在も爆睡中である。
返事も返さずにぼーとしている僕に楊は舌打ちをすると、彼は僕を置いて車を降りてしまった。
置いて行かれたことに感謝しながら瞼が再び下がった所で、ばたんと助手席のドアが開き、楊はシートベルトの解除をするやいなや、僕をシートから乱暴に引っ張りあげたのである。
「はう!」
体がバランスを崩したがために落ちると脳が認識し、危険を察した僕は一瞬で目が覚めた。そして楊に掴まったまま、自分で車から降りようと体を動かした。
やることが乱暴だよ!
「起きたか?」
「起きました。でも、すみません、心臓が変な鼓動を打っています。」
寝起きの老人のトイレが心臓の発作での死亡率が高いのだっけ?
今の僕そんな感じよ。
「早く行くぞ。ただでさえ皆を一時間近く待たせているのだからな。」
皆って、彼の部下達の事か。
「何があったのですか?」
「一般人には教えない。」
朝の七時に叩き起こされ、事件現場に無理やり連れて来られた一般人の僕って何だろう。
歩くのも早い楊に、心臓の鼓動が変なまま、僕は走るように早足で追いかけた。
風景はどこにでもある商業地と住宅地が重なってしまった、ちょっと土地の価値が近隣より低く、ごちゃっとして古い小さめの家屋が立ち並ぶ、そんな場所だ。
細い路地には吐寫物があったり、不法投棄の粗大ゴミがあったりの…………。
どくん。
胸の痛みにぎゅっと服をつかみ立ち止まる。
見回すと自分が立つ道の反対側に小路地があり、その暗い細い道の中程に大きなドラム式業務用洗濯機が放置されていた。
コインランドリーに時々見かける、布団専用の巨大なヤツだ。
僕が立ち止まったまま間抜けのように洗濯機を眺めていたので、楊に不信感を抱かせてしまったようだ。
「何やってんの?あれがどうかした?」
楊は洗濯機の方へ踵を返し、僕は慌てて彼の腕を掴んで引き留めた。
「先に、かわちゃんの用事を済ませたいです。皆さんを待たせていますよね。」
楊は目を細めて僕を一瞥すると元々の方向へズカズカと歩いて行き、僕は再び走るように楊を追いかけた。
すると、一、二分もしないで僕達は大通りに出た。
大通りの歩道の左方向に歩道橋があり、歩道橋の下にいつもの見慣れてしまったブルーシートの目隠しが設置されている。
そして見慣れた黒い靄。
「あー。」
僕はいつもの諦め混じった脱力の声をあげていた。