十九 三月十一日①
「葬祭場じゃなくてホテル会場っていうのも独特ですね。」
二日後に迫った法事の最終確認である。
「このホテルのオーナーだ。ここでやることで従業員にも参加させようって事だろう。」
「従業員にはいい迷惑ですよね。」
こいつは俺よりも辛らつな時がある。
不況で大広間を使う結婚式も減っている昨今だ。
葬式は無理でも法事を会食重視の形に提案して、ホテルを利用させようとの試みなのかもしれない。
山への依頼は要約するとこうだったという。
「資料やホテルのホームページに載せたいので、坊主の写真や映像を撮りたい。それでそちらの良純和尚様にお願いしたいのだが、如何だろうか。」
自分でも言うが、俺は美形だしな。
まぁ、その時はそう考えたが、孝継の話から玄人会いたさで計画された法事なのだと理解した。
大事な子供だからこそ近付きたくても近づけない。
しかしそんな事情を知らない当人は、親族に嫌われているか捨てられた気がするのではないだろうか。
自分に優しい奴には誰でも懐く玄人は、人に好かれようと必死過ぎる。
「今日は最終確認のはずなのに当人のオーナーさんも、良純さんと打ち合わせた支配人さんもいませんでしたね。やる気があるのでしょうか。」
俺は足を止め隣を歩く玄人の頭部を見下ろすと、彼も足を止めて俺の顔を見上げた。
「お前はこのホテルに対して辛辣だな。どうした?黒い靄でも見えたか?」
玄人はぎゅっと鼻に皺を寄せた。
痣はそれほど薄くなってはおらず、その表情が妙に動物めいて俺には見えた。
例えば、仔犬の時は丸顔で顔が黒い柴犬のような、いや、ごまふあざらしか?
俺の思考が逸れかけた時、ごまふあざらしの幼獣が口を開いた。
「ホテルや病院には必ずあるものですから見ないふりです。気にしない、です。」
「気にしないが出来るなら俺の物件でもそうしろよ。」
玄人はしまったという顔をした。
「そ、それよりもこのホテルを売り出すための法事でしょう。それなのにホテル自体が何のコンセプトも持たない箱でしかないっておかしくないですか。」
「このホテルの食器も情けない安物だしな。」
「その食器もトーストにコーヒー程度の朝食専用ならばおかしくないのですよ。このホテルは元々簡単な朝食付きのビジネスホテル程度のものだったのではないでしょうか。こじんまりとした個人経営の。それで上手くいっていたのに余計な事を始めたようで。会食は写真だけで、打ち合わせの今日も現物を用意していないですよね。まぁ、僕達には食べさせずにオーナー達が試食しているのでしょうけど。でも、あれはちょっと、ですよ。」
俺は玄人に驚いたのかもしれない。これが本当の彼か?商売人の顔をしてホテル経営の駄目出しをする武本物産の当主。
「飯を試食したかったのか?」
「違いますよ。あの写真の会食メニューは赤坂の島田ホテルのフレンチじゃないですか。だから、本当の会食メニューは違うのかなって。」
「ここのオーナーが島田の養子だろ。融通してもらえるんじゃないのか?」
「いえ、赤坂のフレンチシェフは気難しいからそれはって。え、どうして良純さんが知っているんですか?それは内緒の内緒でしょう。」
「いや、俺は緑丘という奴が殺されたからと偶然知っただけだ。お前は知っていたのか?」
尋ね替えしながら、俺は玄人の記憶喪失について実態を掴んでいないという事実に思い当たった。
記憶喪失で別人だと彼は嘆くが、覚えていない事はなく、大体の親族の細かな事まで記憶している。
彼が忘れているのは、死んでしまった実の母親の事だけなのか。
「島田のお爺ちゃんが可哀想な子供を養子にしたんです。その子は、でも、島田のお爺ちゃんに馴染めなかったの。橋場の善之助お爺ちゃんって、すごく、すごく優しい人で、だから、善之助お爺ちゃんの子供でいたかったからと聞いています。だから、彼は成人したら島田と養子縁組を解消したと。でも、知りませんでした。彼がこのホテルのオーナーだったなんて。」
「そうか、知らなかったのか。俺は支配人がお前を気にするから、彼の方がお前の親族の一人なのかなって思っていたよ。カバ顔の小太りの男。聞いた話では島田の四男だという話だけどね。」
「保さん?違うでしょう。あの人はパレードが大好きな人ですから、三月のセントパトリックデーを目当てにアイルランドのダブリンにいるはずです。」
「そうか。本当におふざけが好きなんだな、その保って奴は。それじゃあ、今日いなかったのは当たり前か。あの日はお前に会いたくて支配人の振りをしていたんだな。」
玄人は喜ぶどころか、あるいは親しい親族に会う前のいつもの暗い顔ではなく、本気で怪訝そうな貌を俺に向けていた。
「何かおかしいことがあるのか?」
「はい。保さんは人に執着しない人なんですよ。」
「パレードが好きな奴なんだろ。人と集まって騒ぐのが好きじゃないのか?」
「いえ。派手な格好して騒々しく歩き回るのが好きなだけです。だから、世界中のパレードに参加して歩き回っているので、僕は彼に会ったこともありません。」
「会った事が一度も無いのか?」
「はい。僕は人込みが嫌いですから、一生会うことは無い相手でしょうね。」
驚愕している俺を玄人は気付くことなく置いてけぼりにすたすたと歩き去っていき、俺はやはり玄人の親族は訳が分からないと思いながら彼の後を着いていった。
そんな、いつもと違う玄人とホテルを出ようとすると、ホテルエントランスを避けたところに救急車両と警察車両がお出迎えの事態である。
打合せ最中のサイレンは彼等だったのかと見回していると、聞き慣れた声が後ろからかかった。
「お前ら、ここで何してんの?」
楊の声に振り向くと、彼は警察車両の脇でヤンキー座りをしていた。




