一 三時過ぎに寝て七時起きは嫌です②
「ちび。お前も一緒に出るから支度して。」
「嫌です。」
電話が終わったらしい楊が非常識な言葉を僕に投げたが、お断りを即答できるくらいには僕の欝は改善しているのである。
大学を復学できると良純和尚が踏んだぐらいは。
「早くして。眠かったら車で寝ていればいいから。」
一切僕の拒否を無視して微笑むだけの楊に、僕はノロノロと支度を始めた。
僕が適う筈もないのだ。
梨々子だったら、一も二もなく喜んで彼に従うだろうに。
梨々子とは、楊の婚約者であり関東一の学力だという私立の女子高に通う女子高生で、筋金入りの楊ストーカーである。部屋には隠し撮りした楊の写真で溢れ、娘に檄甘な警察庁の偉い父親――金虫眞澄警視長まで彼の動向を抑えるために利用している。
そしてそれほどまでに彼女を惹きつけるこの男は、今月の十四日に三十一歳になるのだから、普通だったら高校生には年寄りすぎるだろう。
だが彼は、女子高生が年の差など放り投げたくなるほどの、俳優顔負けの美男子なのだ。
短い癖のある髪が所々ツンツンとはねているからか悪戯っ子の雰囲気で、前髪を上げれば、引き込まれそうな印象的な彫の深い二重に出会う事だろう。
そんな彼が人懐こく微笑めば、きっとどんな人も魅了できるはずなのだ。
こんな言い方なのは、今のところ彼が魅了しているのがストーカーばかりという実績によるものだからだ。
「お前達煩いよ。何しているの?」
僕達が寝床にしている居間に良純和尚がやってきた。
楊が整っているといってもまだ人間味があるのに対し、彼は神々を模した彫刻のような完璧さだ。
身長が一八〇を超えれば大柄なだけの人間だろうが、彼は黄金律ともいえるスタイルの持ち主だ。
さらに、高い頬骨と切れ長の奥二重の目を持つ貴族的な容姿とくれば、ただただ茫然と見惚れる存在となる。
しかし、完璧というものは、時には人を恐怖に落とし威圧感さえも与えるのだ。
今がその時だろう。
自称身長一七五の楊と一六〇の僕を、色素が薄い瞳を金色に輝かせて優しい口調ながら、見下すように威圧しているのだ。
つまり、「てめぇら、うるせぇんだよ。殺すぞ。」という文字が見えるオーラを背負っての、寝巻きに丹前を纏っている姿で仁王立ちなのだ。
怖いことこの上ない。
彼は僧侶の割には僕よりも堪え性が無い時があるのだ。
だが、彼の昔なじみで親友の楊に彼の脅しが利く訳がない。
「しょうがないじゃん。僕刑事だもん。ちびを借りていくけどいいよね。」
断って欲しいと願いつつ、良純和尚の仕事の今日の予定が楊のものよりハードだったら嫌だなぁと、どっちが楽だろうかと思いを馳せた。
どっちにしても僕に拒否権も選択権もないのだ。
こんな扱いをこの二人にされていても鬱が改善するなんて、人体って凄いなぁと、僕は韜晦するだけだ。
「十時にお前の担当地域にある物件の手入れをするからさ、それまでに帰して。」
手入れといっても警察用語でなく、不動産屋なのでそのままの意味の手入れである。
リフォームまでいかないちょっとした修繕をするのかな。
壁紙の張替えは嫌だなぁ。
僕の背が低いせいか、高い所が一度に上手くいくことがない。
そこで、イラつくのだ、良純和尚が。
「どこ、そこ?」
二人は僕から離れて密談をし始め、スマートフォンで地図のやりとりを始めた。
彼らは僕に「僕を」連れまわす場所の住所を教えない。
僕の逃亡を阻止するためらしい。
女装してゲームショウに出かけて以来、彼らの束縛や奴隷的連れまわしっぷりが酷くなった。
まぁ、その日に僕と間違われた人が殺されたのだから仕方ないともいえる。
いや、僕から盗んだコートを着こみ、僕と間違われて背中から刺されたと聞くに、それは自業自得のような気もする。
泥棒はいけないのだ。
ただし、その日は僕がパニック障害を克服して電車に乗れた日でもあったので、警察から身元確認の連絡を受けた良純和尚の驚きはいかほど…………ありえないか。
彼は僕が電車に乗って遠ざかる姿を見送った後、僕の親族で警備会社を経営する長柄裕也に急ぎ連絡を取り、僕は会場まで長柄の手の者に監視されエスコートされ、景品迄色々貰い、果てはおやつに夕飯にと裕也に奢って貰っていたのである。
裕也の長柄警備は、なんと、ゲームショウの協賛企業の一つであった。
クローゼットに紛れ込ませてあったドレスとゲームショウのチラシは、疎遠になっていた僕達が再会するための僕を誘い込む罠という奴の仕業だったのだ。
僕は裕也に会えてとても嬉しかったが、裕也にまんまと嵌められたのかと思うと少し情けない。
けれど、さすが警備会社社長と褒めおこう。
そんな心温まる従兄弟同士の邂逅に水を差した殺人事件は、人が死んでいる以上やはり大事件である。
目標が僕だったと聞いても目標の僕はピンと来ないのだが、以降の良純和尚は僕に一層過保護となり、最近では財布もスマートフォンも奪われて、三か所しか電話できない子供用携帯しか持たせてくれない。
違う。
良純和尚が奪ったのは財布だけだ。
楊がスマートフォンこそ危険だと僕から奪ったのである。
なんて非道な人達なのだろう。
そして仲良くスマートフォンを覗きあって当事者の僕をそっちのけであれやこれやと話し合っている二人の姿に、彼らが高校時代に口を一切利かない仲であったと誰が信じるだろうか。