四 内緒ごと①
「玄人君から害者の身元は洗えそうですか?」
「うーん。高齢の男性としかわかんない。ちびが見たことあるような気がするって言い出したから、よっしゃあって喜んだけど、ぬか喜び。あの子が現場までの道すがらに凶器を発見していたなんてわかるわけないじゃん。それで、山口はどこ行ったの?」
「近くのトイレで吐いています。」
「あいつが?」
「珍しいですよね。あなたが玄人君を車に乗せて消えた途端に、奴もトイレに駆け込みました。もっと残虐な現場を見ていたでしょうに、これは違うんでしょうかね。」
「どう違うのだろうね?俺は違っていて欲しいと思うよ。生きたまま洗濯機で回されて殺されるって辛いでしょう。窒息と絶望だ。ちびがプールに沈められて殺されかけた時の恐怖と似ているかもね。大勢によってたかって殺される。だから久々の症状が出ちゃったのかな。復学もできるほど回復していたのに。俺は百目鬼に殺されるよ。」
経験が浅いにも関わらず的確に事件を見れる楊に、髙は時々驚かされると感じていた。
洗濯機内に残された血の量で生きていたかは測れないだろう。
鑑識の話では洗濯機の安全装置は外されており、そのために遺体を投げ込んでも遺体がかなりの損傷を受けるぐらいの稼働はしていただろうということだ。
死んでいても脱水していれば遺体から血は抜き取れる、かもしれない。
よって被害者が洗濯機に投げ込まれた時点で生きているか死んでいるかを今の時点で測れるものではないのだが、楊は生きていたと断じた。
髙は検証などしてみたくはないが、楊の言葉をすんなり信じている自分にも驚いている。
このような事が今までにも何回かあったからだろう。
この遺体現場に来る前に髙は別の現場の処理を葉山としていたのだが、昨夜遅くの通報で楊と髙がその現場に駆け付けた時の事を思い出していた。
二人が交番の制服警官の案内で入った現場は、この時代には珍しい桐の箪笥と三面鏡の鏡台が並ぶ四畳半の和装の着替え室であり、箪笥を赤く染めて倒れている遺体のそばには、年齢にふさわしいであろうあずき色や鶯色など様々な渋い色柄の訪問着や小紋が引き出されて重なっていた。
これだけ見れば単純な独居老人宅で起きた強盗殺人事件である。
そして楊は現場を一目見て踵を返した。
「かわさん?」
「うん?娘さんに言ってあげて、お母さんは自分で部屋を荒らしている最中に転んで頭を打ったんだろうって。強盗じゃないよって。最近認知症の症状が出て、あなたも悩まされていたでしょうって。お母さんは一人で転んで死んだんだよって。」
髙も現場を一目見て、これは強盗殺人ではなく、被害者が八二歳という高齢からよくある介護殺人であろうと当りをつけていた。
物取られ妄想などの認知症状は激しい。
自己の崩壊に脅えている反動なのか、「取られた」という怒りの感情は収まることなく、家人どころかその場にいた人間に向かい、「消えたもの」を取り返そうと激しい糾弾を浴びせ続けるのである。
時には暴力までも伴い。
人と言わず生物は、暴力に対して反射的に抵抗する。
腕を掴まれれば振り払う。
髙の目には被害者が娘に振り払われ、その拍子に頭を箪笥の角にぶつけたようにしか見えず、楊の持っていきたい「事故死」をも仮定することはできた。
「なかなかの財産家、ですね。故人を認知症と決めつけるのは尚早では?」
認知症など起きていない独居老人への虐待も、実に多いことを髙は知っているのである。
その場合の加害者も常に身内が多くを占める。
「そうだね。でもね、彼女は確実に認知症。箪笥の中が混乱している。」
「転倒の事故死で処理しておきます。」
楊は検死の為の医者を連れてきた葉山と交代するようにして退勤し、翌日、いわゆる本日の早朝から鑑識を連れて現場検証に訪れた髙と葉山は、事件現場を検証するにつれて楊の正しさを検証しているような気にもなったのである。
桐の箪笥の中は汚物でまみれた下着と袱紗に包まれた帯留めが並べて入れてあったり、畳んでもいない丸めた帯や着物が押し込められていたりもしたのだ。
葉山も髙も年を重ねた自分の先を考えてしまったか、普段以上に無口になり、淡々と仕事を処理していた時、被害者宅の固定電話が大きくがなり立てた。
「今どき黒電ですか。この家もそうですが、なかなか風情がありますね。」
発見者で被害者の娘で、そして母親殺しであろう女性が、葉山の言葉に暗い顔をあげ、調書を取っている髙の方をチラリと見上げた。
「どうされました?いいですよ、お出になって下さい。」
「いえ、あの。出たくないです。」
「どうされましたか?」
「あの、あの電話は母のみーちゃんが見つかったという連絡かもしれないと思ったら怖くて。ひと月前から行方不明なんです。私はご近所にビラを貼って、探して、それでも見つからなくて。でも、それで、それでお母さんが私があの子を殺して埋めたと。どこに隠したんだと毎晩のように責め立てられて。」
「そうですか。辛かったですね。では、僕が電話に出ましょう。」
髙は立ち上がり、娘が伝えた電話台へと暗く長い廊下を歩いたのだが、辿り着いた電話台には一昔前の型の携帯電話が設置されているだけであった。
その携帯電話がひっきりなしに黒電話の呼び出し音を奏でている。
「結局慣れ親しんだものから人は逃れられないのかな。」
「ねぇ、あの犬はどうしたの?」
楊の声が髙を回想から引き戻した。




