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地獄百景 宝石の短針 無きと言えど淡い色した宝物

作者: える

おとぎ話はここのつまでしか許されない

 __side → Alice

 子供のころの夢というのは、なぜかほどに甘く優しいのか。

 アリスはまどろんでる。あまい実のなる林檎の木の下で。

 幸せだった子供時代。なにもしらずに、ただ毎日を愛されて過ごせばよかったのに。

 もう12歳を越えて、周囲からは一人前のレディとしての立ち振る舞いを求められる。どう考えても、まだそんな年齢ではない、と思う。

 待っていてもチェックのベストを着たウサギはいつまでたってもやってこない。

 やってこないとわかっているのに、やってこないかと思ってしまう。期待してしまう。そのたび裏切られる。

 ()()()()()()()()()()()と、平々凡々な女の子のアリスは、比較対象にはならないと思う。

 静かに目を閉じる。

 その瞬間、こつん、と額に衝撃を感じて目を開いた。

「なに、これ」

 それは蓋つきの古い懐中時計だった。

 なぜか上からふってきたそれは、にぶい銀色を放っていて、精緻な細工がほどこされている。ひとには好奇心なんていうものがあるわけで、なんとはなしに蓋を開けるためのつまみをパチンを押した。

 中には、くすんだ白色の文字盤に、黒いラテン数字。いってしまえば、「懐中時計」というものを描け、と言われたときに誰もが描くような、そんなイメージをもつそれがあった。

 中でもひときわ目を引いたのは、よくわからない曲線を組み合わせたような短針と長針だった。

 アリスはそれに手を触れた。

 とたん、ぐるぐる針は回転した。なにこれ? アリスが疑問に感じる前に、それはアリスを飲み込んでしまった。


 目を開けた。

 自分を見る。まるっきり「不思議の国のアリス」のアリスみたいな、ファンシーなエプロン・ドレスを身にまとい、まるっきり「不思議の国のアリス」みたいな綺麗な金髪が腰まで伸びている。なにこれ? アリスは今度こそ疑問に感じるだけの時間を与えられた。

 次に、ぐるぐる、あたりを見渡した。古風な部屋で、赤と茶色でまとめられている。何世紀前よ、これ? と思うぐらい。

 次の瞬間、扉が開いて、中に入ってくる二人の少女と目があった。何故だかわからないけど名前付きで。

 手前にいる、金髪緑眼の美人が、アリシア・キテラ。未亡人。奥の、天然パーマのかかった茶髪の少女が、トロイ・ウットホーン。

 なんだか、どちらにも見覚えがあるような気がする。

 ふと、自分が、まだあの懐中時計を持っていることに気付いた。

 それは確かな質量を持ってそこに存在している。アリスはちょっと混乱して、懐中時計の蓋をしめた。

 とたんに、世界は戻ってくる。おかえり、とアリスを歓迎するように、リンゴの木が歌った。

 もう一度、おそるおそる蓋を開けると、そこにはあるべき文字盤はなく、かわりにさきほどの少女たちが映っていた。

 なに、これ。

 なにかはわからないけれど。

 それは自分だけが持っている、夢の世界への切符に見えた。チョッキのウサギはやってこないけれど、かわりにこの時計が、自分をどこか別のところにつれていってくれる。

 そう思うとこの時計が宝物のように見えて、アリスはそっとそれを撫でた。


 そう、これは物語。

 たった一時間もかからない間だけ見える夢。

 アリスは外側からそれを見ている。本でも読むみたいに。

 時計はくるくる時間を刻む。アリスをおきざりにして。


 __side → Alicia

 何年たってもちっとも姿が変わりやしない不思議な隣人に、埋めてあげましょうか、と言われたから首を横に振った。

 それ以来、不思議な隣人は、私と夫の家にいりたびるようになった。

 白くてつるつるしたマグカップに色はない。無地で、飾りすらない。ぽってりした形の、横から見れば長方形、上から見れば円形。大きいだけのそれは、正真正銘の安物だ。雑貨屋でトロイが購入したもので、三個セットで銅貨10枚が、さらに半額。言ってしまえば、売れ残り。彼はきまって、その中に熱い飲み物を淹れる。トロイは決まって砂糖たっぷりのコーヒーで、私はココアか紅茶。トロイは私のマグをのぞき込んで、お子様ですねと笑うが知ったことではない。砂糖をスプーンに山盛り五杯もいれるのなら、最初から甘い飲み物を飲めばいいのに、この少女は大人ぶりたがる。見た目と背格好だけなら、同じぐらいだというのに。

「砂糖はいりますか」

 にっこり笑って、トロイはそう聞く。

「嫌がらせなの」

「失敬。貴方の国には果物の酒があると聞きました故」

「死ねばいいのに」

「お口が悪いですねぇ。何故貴方の夫は貴方の右側に立とうと思ったのだか」

「それはもちろん、顔ではないの」

「本当に、永遠の謎です」

 トロイは肩をすくめる。皮肉とジョークと嫌味の合挽肉をたがいの顔に投げつけるような不毛な会話だとわかっていても、やめることはできない。だって、お互いのマグカップの中身ぐらいしか、話すことがないから。

「飲み終わりましたか」

「とっくに」

「なら片付けますよ、寄越しなさい」

 トロイは私の手からマグカップを奪い取った。


 __side → Alice

 一日一度だけ、ときめた。

 夜寝る前に、寝っ転がって、紅茶を飲みながら、トロイとアリシアを見つめる。

 羽毛布団にくるまって、うとうとしながら彼女たちをみつめている。まるでそれは淡い夢物語のようですらあった。

 現実的じゃない。淡い、作り物。

 優しいおとぎばなしは、ひと時の間だけ、アリスを癒してくれたから。


 __side → Troy

 トロイは、もし、世界のおわり、あるいは天国があるとしたら、こういうところなんだろうな、と思う。

 アリシアはいつもしかめっ面で、にこりとも笑わない。あいそがない。だけど、あるときだけは、本当に優しく笑うのだ。

「開けていいですか」

「いいよ」

 はにかむように、少しだけ頬を赤くして、子猫や幼い娘が向けるような、いたいけ、という言葉が似合うような笑顔。大理石にしてしまったなら、日曜日の昼下がりに似合うような、優しい、優しい置物にしてしまえただろう。

 安物のマグカップはコーヒーのにおいと、甘いココアのにおいを垂れ流している。それすら邪魔に感じる。トロイはそれを開けた。

 金細工のオルゴール。アメジストがはめられている、高価なつくりのもの。長方形のそれは、しかしうえからのぞきこんでも円形ではない。ねこあしをした、可愛らしいつくりのそれは、話を全て信じるなら、夫からの贈り物らしい。たしかに、趣味はいい、と思う。トロイには高等な芸術を解するような教養はないが、素敵だとトロイは感じる。ネジを回すと、どこか物悲しい、静かなメロディ。

 二人は目をつむり、それに耳を傾ける。半回転するぐらいの短い間しか流れて居なくても、一言もしゃべらずに。そう、こういうのが、幸福。幸せ。それがなんという音楽なのかも知らないし、知ろうとも思わない。ただただ、宝石箱から流れる音を聞くだけ、それだけで、幸福。

 このまま時を止めてしまえたら、きっと報われるだろうに、アリシアはオルゴールを通して、別の誰かを見ている。幸せな笑顔は、ねじがくるくるまわっているあいだだけの夢で、幻なのだろうか。

 アリシアが二人。

 ひとりは、宝石箱のアリシア。ネジを回せば歌いだす、幸福なころのアリシアの幻影。もうひとりは、人間のアリシア。過去に囚われて、自由に歌う事すらできない、かわいそうなアリシア。ゆびさし数えて、なるほど、しっくりきた。

 トロイは、もし、世界のおわり、あるいは天国があるとしたら、こういうところなんだろうな、と思う。

 ぜんまいじかけのメロディが、静かな空間にこだまする、優しい優しい幸せな世界。

 そばにおいてある宝石箱のなかみも、きっと喜んでいることだろうし。


 __side → Alicia

 もうトロイが来るのも当たり前となってしまった。気が付いたら、キッチンの前に立って、乾燥パスタをゆがいている。

「ペペロンチーノですか」

 トロイが来るとき、きまってキャニスターからパスタを少し出す。私は鍋に水を入れ火をかけた。

「ねぇ、またペペロンチーノですか、私もう飽きたんですけど」

「かぶとベーコンもいれる」

「かぶ」

「と、ベーコン。耳がないのかしら」

「聞いてましたよ、せっかくベーコンがあるのに」

 分厚いベーコンを見て、次に銀杏切りにされたかぶと、ざく切りのかぶのはっぱをみて、しょんぼりする。フライパンで一緒に焼いてしまえば、ベーコンの塩気がかぶにうつって、おいしくなると、なぜわからないのか。大きな鉄のフライパンは、私がここに住処をうつしたときからあるベテラン選手である。ぱちぱち、かまどの火が燃えた。

「トロイ、ぼーっとしてるぐらいなら皿持ってきて、あとフォーク」

「はーい」

 おかあさんの手伝いをする子供みたいな顔で、食器棚から、みっつ皿を取り出した。

 ひとつは、まっしろい無地の皿。もうひとつは、あの人が私に勝ってきてくれた、ふちにレース模様がついた皿。さいごのひとつは、薄い曇った緑色の、少し深いつくりの皿。

 無地の皿はトロイ用。見せるようにたっぷりかぶをいれてやると、トロイはやっぱりげんなりした顔をして、「友達減りますよ」と言った。知ったことか。どうせ村に帰ったところで、減る友人などいないし、そもそも付き合いを切っていない知人等トロイぐらいだし。

 レースの皿は自分用。トロイと同じぐらいの量を巻いた。その時点で、フライパンの中のパスタはすっかりなくなってしまっている。

 最後の皿には、なみなみと、ミルクを注いだ。

 トロイはそれに対して、もう何も言わなくなった。ひとくち、フォークでパスタを巻いて、口に運ぶ。「ありがとうございます、とっても美味しいです」と嫌味な笑顔で言いながら。

 私はそれを聞かないふりをして、棺を開ける。中に眠る最愛の人は、今日も目を開けない。もう飲めないとわかっていても、やめられない。無言で、ミルクを注ぎ込んだ。こぼして服を汚してしまわないように、ゆっくり、ゆっくり、傾ける。

 椅子に座って、自分の前に盛られたパスタを、ひとくち自分も食べる。「とっても美味しい」と言われるほどの料理ではない。

 でももうそれもいつものこと。私が鍋でココアを練っている間に、格好つけてトロイがコーヒーを淹れるのも、いつものこと。暖かい日差しがさしこむ、静かな森の奥。雑貨屋で買ったラジオは、明日は雨だと告げていた。


 __side → Alice

 今日も怒られた。

 別に、アリスが何かやらかしたわけではない。ただ、姉に比べてテストのできが悪かった、それだけ。

 別に、赤点というわけではない。78点とでかでかと書かれたそれは、平均点はゆうに越えている。だけど母も父も満足しない。

 90点や100点を簡単にとれた姉に比べられた、それだけ。

 耐えきれなくなって逃げ出せたらどれほど楽だろうか。だけどアリスは知らない。親の傘下という場所以上にやさしくあたたかく甘いところも、その作り方も。

 アリスは時計を開く。

 かちかち針は時計を刻んでいるのに、アリスがそれに手を触れた瞬間、ぐるぐるそれはまわってまわって、いつしかトロイとアリシアの世界を映し出してくれる、優しい優しい玩具。


 __side → Troy

 トロイは村を歩く。よそ者を許さない排他的な雰囲気が漂っている。しかし、いくら目と髪の色が違っても、トロイはもうみなの中では「身内」になっているのだ。るんるん、鼻歌を歌いながら、八百屋にかけこむ。

「お、トロイ、またきたのかい」

「えぇ」

 トロイはおつかいするこどもがそうするのとまるっきり同じようにこっくりうなずいて、くしゃくしゃのメモを読み上げる。林檎とオレンジ、それからまるまる太ったかぶをひとつ。店主はトロイがかぶが嫌いだとしらないし、その野菜が森の奥に住む少女に届けるためのものだとも知らないから、内緒でひとつおまけをいれる。

「なぁ知ってるか、かぶにも花言葉があるんだよ」

「へぇ、そうなんですか」

「『慈愛』または『晴れ晴れと』だと」

「おぉ、こんな野菜にもそんな意味があったとは! ロマンティックですね! それではついでにそこのチーズもいただきましょう」

「おっとだめだ、これは今日女房がつくる最高のカルボナーラの材料になるもんでな」

「あら、そうですか、残念です」

 微塵も残念とは思っていなさそうな顔でトロイは笑った。

 店主は忘れているけれど、トロイは彼がまだ若かったころに、三回も恋の相談を受けている。

 店主は忘れてしまったけど、トロイは失恋のなぐさめに、もう六本も、チョコレートバーをおごってやった。

 店主は覚えていない。このかぶの話が、もう五回目だということ。

「えぇ本当に、残念です」


 __side → Alicia

 マグカップの中には、あまーいココアと、あまーいコーヒー。やっぱりそれは、前と変わらない。やすっぽいつくりのマグは、新品同然の輝きを見せている。

「えぇ本当に、変わらない事、お子様ですね」

「かわらないのはどっちなの」

 私はため息をついた。

 あったかいものを飲みながら、嫌味のミンチをなげつけあう意味のない会話は、やっぱり続いている。考えながら、トロイの頬を撫でた。つやつや、すべらかで、しっとりしている。ガラス玉みたいにくもりがない目と、柔らかいままの肌。まるで時間が止まっているみたいだ、と思った。聞いてみると、東の国の人はみなこうらしい。東洋の人種は魔術師だと聞いたことがあるが、それはどうやら本当だったようだ。

 少し深い皿に、ミルクは入っていない。もう、必要ないからだ。

 トロイはコーヒーをすする。やっぱり砂糖はスプーンに山盛り五杯入れて。


 __side → Troy

 腕時計が壊れたので、修理屋にもっていくことにした。

 どうせむこうはアリシアの顔など覚えていない。地味だけど上質なコートを羽織った。トロイはそれを見ながら、つまらなさそうに伸びてきた髪をいじる。

「今は何時」

「私は時計を持っていないのですが?」

「ここからだと掛け時計が見えないのそれぐらい気付いてあんたなら見えるでしょ」

「老眼ですねぇ……12時です、おなかすきました」

 あんまりにも真面目な顔で言うから、アリシアはため息をついた。仕方ないと、帽子のかわりにペンをとる。『かぶとベーコンのパスタ』とかきつけたメモをくれてやると、嬉しそうにトロイは笑う。難しい料理ではない。犬猫畜生には無理だろうが、一応人型をしているトロイになら作れるだろう、と嫌味な笑みを忘れずに。

「なくさないでよ」

「わかりました」

 パンを切るための、ギザギザの包丁で、バゲットを切って、ハムとチーズでレタスをはさむ。横目で見かけた時計によると、まだ10時にもなっていなかった。

 マグカップに、コーヒーと、砂糖をスプーンで山盛り五杯。いつも通り。トロイは椅子に座って、お行儀よくしている。アリシアが玄関のドアを閉めて、鍵をかけて、扉一枚へだてた向こう側で、「壊すなよ」とだけ言うのを聞いても、座ったまま。

 アリシアの足音が聞こえなくなってから、ようやくサンドウィッチを口にした。もともとはおいしかったのだろうけど、時間がたっているせいで、パサパサしていて、口の中の水分が奪われていくだけ。さめたコーヒーをスプーンでぐるぐるかき混ぜて、それで嚥下する。

「……けちんぼ」

 トロイは頬を膨らませる。

 二人とともにチャペルで並ぶことはできなかったのだから、せめて食卓ぐらい、いっしょにかこませてくれればいいのに。

 それとも、人間の世界では、愛する人はひとりだけでないといけないというきまりでもあるの。

 トロイにはわからない。

 いつも食卓にならんでいる棺は、今はどこにも見当たらなかった。


 __side → Alice

 オルゴールを買った。

 毎日必死に溜めたおこづかいで買ったのだ。

 ぐるぐるねじを回してみても、トロイとアリシアが聞いているような、優しいメロディは奏でてくれない。それはそうだ、あれはおとぎ話。ただの空想。

 アリスは静かにため息をついた。

 懐中時計の蓋は閉じたままで。


 __side → Alicia

「ねぇ、ねじをまわしてもいいですよね」

「最近疑問符もつかなくなったよね。……こたえは、わかっているのだろう」

 だろうに、トロイは毎日私に問いかける。もしかして、昨日言った了承の言葉は、今日になるともう取り消されているのだろうか。

 トロイはネジを巻く。昔から変わらない、静かで、優しい音色。じぃっと見ていると、あの時の事を思い出す。結婚祝いなんだ、と言って、はにかむように笑って、それを持ってきた。私をイメージしたものらしい。たしかに、どこか無機質な音色は、きまった音しか出せないオルゴールは、私に似ている。曲の名前なんて知らない。知らなくてもいい。きっちり、ねじを巻いた分だけ歌い切る宝石箱は美しいのだから、なにも問題ない。

 使い込まれたマグカップに、温かい飲み物を淹れて。

 ココアと、コーヒー。トロイは、砂糖を山盛り五杯。

 いつも通り、いつも通り。何も変わらない。不思議なぐらいに。

「アリシア・キテラ」

 トロイは、ねじを半分巻きながら、沈黙をやぶっていった。

「トロイ・ウットホーンという名前、私の本当の名前ではないのです」

「そう」

「むかし、むかぁし、ほんとうに、いつだか忘れてしまったけれど、私にも大切なひとがいた気がしたのです。__気のせいかもしれないけれど。だけど、その名前が、私以外に呼ばれないのは嫌だったから」

「そう」

 私は相づちを打つ。へたに慰められるより、こうした方がいいと、知っている。それに、その気持ちは、わかる気がした。私も、そう思うから。最愛の人の名前は、墓石に刻まれるものじゃなくて、喉から生きた声で呼ぶためのものだと、思うから__。

 ねじを巻く手なんてない。

 トロイはもう目を閉じて、おやすみの体勢をしていたし、私も、ねじを巻く気なんてないから。

 30cmほどの距離が、心地よい。

 宝石箱は物言わずたたずむ。ねじを巻かなければ、彼が歌いだすことはない


 side → Troy

 ココアパウダーもコーヒー豆も、もう茶色をしているところの方が少ない。トロイはそれをマグに全部落として、袋はゴミ箱に捨てた。大量の粉袋が、落ちていた。

 トロイは砂糖を山盛り五杯入れて、コーヒーを飲む。アリシアも変わらず、ココアを飲む。

「本当にあんたはかわらないね」

「貴方の子どもっぽさもですがね」

 二人の間には、いつも通り、嫌味な会話が響いている。

 無地とレース模様の、二枚の皿に、かぶとベーコンのペペロンチーノを盛り付けた。今日は、トロイが作ったもの。トロイの皿の上にのっている量と比べると、アリシアの皿の上にのっている量はとても少ない。それに気付いて、涙が出そうになった。

 アリシアはそれをフォークでひとまき口に運ぶ。とてもおいしかった。あの時自分が作ったものより、ずっと。

「あぁ、最高においしいよ」

「皮肉はよしてくださいね」

 トロイは笑う。アリシアも笑う。

 幸福?

 幸せ。


 side → Alice

「ねぇ、開けてもいいですか」

 トロイは宝石箱をもって、アリシアに聞いた。

 アリシアはいつもと違い、少し、ちょっと、結構、だいぶん悩んだあげくにこっくりうなずいた。

「いいよ、ただし、優しく……優しく、開けて頂戴」

 トロイはそっと、宝石箱のつまみを指ではじく。

 特に抵抗はない。ぱかっと箱は開く。中は金地にエメラルドでできていた。きらきら、きらきら。部屋の明かりに負けず劣らず、アリシアの宝物は光を放つ。その煌きは、宝石と同じ。

 トロイは夜空の中に手を触れた。

 中には銀とダイアモンドの指輪がひとつ。あとはすべて人骨だった。

 あの時はまだやわらかそうで、ミルクを受け入れる肉があったけど、今はまっしろだった。

 少女の小指よりずっと細い、指の骨が、砕いた歯の骨が、足の指が、首の欠片が。溢れんばかりに詰まっている。彼の宝石が、ところ狭しと詰め込まれている、しまいこまれている、彼だけの宝石箱。

「……最初は、薔薇やカーネーションばかりいれていたの」

 どこか無機質な視線で、アリシアは言った。

「綺麗だから、ですか?」

「違う。あの人を守るものが必要だと思ったの……あいつは弱いけど、もうあいつを守ってやることはできないから」

 たくさんの黄色い花弁が、彼女の最愛の人を包み込んでいる。優しく、優しく、撫でてやると、ほろほろ、涙を流すみたいに、がくから落ちていく。はなれていく。

「……彼は、私を見捨ててしまったの。食べないとわかっていても、食べなかったら体に悪いだろうと、ミルクを飲ませてやった。毎日石鹸水で体をふいてやった。毎日服は替えてやった。それでも、いつだったか、どろどろの蝋燭みたいに、冷たくなって、硬くなって……」

「それで、貴方が割ったのですか?」

「いや、棺の中で、いつのまにか小さくなって……私は、あいつらが、許せないんだ……もし、病気が治っていたら、今も夫と、幸せな日々を送れていたのかと思うと、憎らしくて仕方がない」

 トロイは黄色い花を撫でる。

「この花は」

「かぶの花……あんたは嫌いだろうけど」

「いえ、こうしておけば美しいのにと」

 白い骨を包み込む優しい黄色い花は、丈夫なドレスは、確かに美しい。

 朝食用のベーコンの塊をずっと握っていると、あぶらがとけてべたべたするのとまるっきりおんなじだ、とトロイは思った。なるほど、そう考えると納得がいく。トロイは棺の中で眠る男__だったもの__の薬指にふれた。

 一瞬の出来事だった。

 トロイの桃色の唇が上下にぱっくりひらいて、薬指にくっついた銀の指輪を、飲み込んだ。

 トロイは口をあけて、どこにも指輪がないことをみせびらかしている。

 アリシアの顔色が瞬く間に変わった。

 サイドチェアの引き出しから、パン切り用の大きなナイフ取り出し、鞘を捨てる。

 目の前の柔らかい袋を裂いて、愛する夫を取り戻すために、まずはこの悪戯な袋の………トロイの首を掴み、ベッドに押し付けた。

 無言のまま、馬乗りになって体重をかけ、ナイフを振り上げる。

 裂いている最中動かれて、最愛の人までナイフで傷付けてはかなわない、だからまずは目玉を狙わなければ。

 眼窩から脳を潰し、それから喉を裂き腹を裂き、何より愛する、何より大事な夫を取り返さなければ。

 取り返さなければ………。

 とりかえ、さな、ければ。

「あ、うあ、うあ、ひ、ぐ、ぅぅぅ……」

 アリシアはナイフを振りおろし、そこで止まってしまった。

 目の前の少女が目をぱちくりさせている様子を見て、吹き出た冷や汗のせいでナイフは少女の目玉の上ではなく、ベッド横の隙間に落ちていった。

 落ちていくナイフをぼんやり見ている少女を愛しいと思ってしまった。

 袋として見れず、首を締め上げるための手から力が抜けてしまった。

 どうしよう、もうアリシアは少女の首を折り、ナイフを拾って裂くことができない。

 トロイは妻を飲み込んでしまったのに、トロイを殺せない。

 鋭い眼光は消えて、幼いこどもと同じように涙に濡れていた。

 酷い裏切り! アリシアはたった今、世界の天地をひっくり返された。平面の世界は、大ダメージ。太陽が落ちて、海も太陽を追って逝く。

 酷い裏切り! アリシアはしゃくりあげ、嗚咽を漏らし、つっかえつっかえに話し出すのは、懺悔とも責め句とも言えない呻き声。

「う、う、う………私は、私は、夫を、あの人だけを、あの人だけを………トロイ、トロイ、あんたは………君は。君は夫ではないのに………私は君を、君にナイフを………」

「………ごめん、ごめんなさいアリシア、ごめんなさい………」

 トロイは舌の裏に隠した指輪をアリシアな手に握らせた。

 指輪は唾液でべとべとで、指輪を握りしめたアリシアの手も濡れた。

「ごめん、ごめんなさい、私、ひどいこと、してしまって、ごめんなさい、ごめんってば………」

「夫だけだ、夫だけだったんだ、私は、私は、私には夫だけでなくては………」

 トロイがアリシアを抱きしめる。

 目にはじっとり涙が浮かんでいる。

「ごめん、ごめんってば、ねえ………」

 ごめん、ごめん、ごめん……………。

 そう言っても過ぎてしまった時間は戻らない。

 地獄。

 そう形容するにふさわしいのだ。

 現実的じゃない、つくりもののようなそれ。

 見て居られなくなって、アリスは時計を閉じてしまった。


 それからまず、父の部屋に忍び込んで、工具いれからハンマーを拝借した。

 振り上げて落としてみても、華奢で精緻なつくりの時計には、ひびひとつ入らなかった。

 上にのっかってみても、ふんずけてみても、壊れやしない。

「どうしたの、なにか悲しい事でもあったの」

 隣の部屋の、よくできた姉がやってきた。姉は、こんなところまでよくできているのだ。

「ううん、ただ」

 ぼろぼろ、いつの間にか両目から涙があふれだしてくる。

「美しいと思ってしまった」

 地獄は確かに今もあり、これからもあり続けるのだろう。

 父も母も正解だった。おとぎ話なんて、子供のころで卒業しておけなんていう文句も。

 アリスはぼろぼろ涙を流して泣いた。

 姉は慰めるように背を撫でてくれるが、そこにあるのはただの心配で、そこに『ふたり』の間にあるような甘さも愛もない。ここは地獄ではない。


 __side →

  トロイの木馬の正体はわからない

 だってわかってしまったら それはばけものではなくなってしまうでしょう

 アリスの

 ()()()()()()()の姉の名前は

 __()()()()()()()()

 以下、本編に入れられなかったキャラ設定(フリーメモより転載)


 アリス・キテラ(Alice)

 金髪青目の女の子。みんなが考えたさいきょうのアリス。

 別に頭が悪いわけでも運動ができないわけでもないしむしろ平均以上だけど、姉の出来がよすぎたために比べられる。

 不思議の国のアリス+懐中時計っていいよね、っていう話から生まれた子。最初は時計からなんか召喚して戦うはずだったのにおっかしいなぁ!


 アリシア・キテラ(Alicia)

 アリスちゃんが12歳ならたぶんアリシアちゃんは19歳ぐらいじゃなかろうか。妹は普通に好き、だが溺愛しているとかそんなのではない。

 時計内のアリシアちゃんはだいたい10年~20年ぐらいの時間を過ごしている。初期時点(最初にアリスが時計を開いた時点)でのアリシアちゃんは丁度今と同じ年齢。


 トロイ・ウットホーン(Troy)

 人外。頭おかしい人第一号。アリシアちゃんを溺愛している。だけどツンデレ(顔にはでない)だからいぢめちゃうのです(違う)


 母、父

 クズ親にしてモンスターペアレンツ


 懐中時計、  

 永遠の謎

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