孤児院に相談所
【孤児院の娘】
レイジ先生が孤児院の院長になって、夢のような時間を過ごした。
気持ちの悪い笑みを浮かべる男達に触られることも無くなったし、殴られることも、蹴られることも無くなった。
嘘のように沢山のご飯が貰えて、暖かい毛布で寝ることも……。
でも、これまでとは真逆の生活に私達は怖くなった。不安になった。夜に布団の中で泣き出す子もいたし、おかしくなってしまった子の中にはレイジ先生を殺そうとする人までいた。
流石にその時は、この生活が終わってしまうという恐怖から皆でその子を止めたが、いつまたそうなるか分からない。
私達は不安で仕方がなかった。
そんなある日、私達全員を集めてくれとレイジ先生が言った。
その言葉を聞いた瞬間、心臓が痛いほど音を立てる。
どうしよう。
なにを言われるのだろうか。集まったら何をされるのだろうか。
私は皆にどう伝えようか悩み、震える指先を抑えながら声を掛けて回る。やはり、泣き出す子や逃げようとする子がいたが、私が止めた。
レイジ先生の優しい笑顔を思い出しながら、私は皆を説得する。
ようやく全員を集めた頃、レイジ先生も現れた。レイジ先生は言いにくそうに難しい顔をしながら、皆を順番に眺めて口を開いた。
「前のような意味では無いが、皆に少し協力してもらいたいことがある」
レイジ先生のその言葉にざわざわと皆がざわめく。私は慌てて立ち上がり、皆を見回して声を出した。
「ま、待って皆。さ、最後まで聞いてよ! 大丈夫だから!」
私がそう言うと、何人かは敵意すら滲む目で私を見ていた。私がレイジ先生と一緒に皆を騙したと思っているのだろう。
でも、私だって不安になる自分自身にも向けてそう言ったのだ。私は胸の前で指を絡め、レイジ先生を見上げた。
レイジ先生は困ったように笑い、皆に対して頷く。
「これは君達にとって悪い話では無いと思うよ。私は、更に皆が沢山のご飯を食べられるように、庭に野菜を植えようと思う。それを皆に育てて欲しいんだ」
私がそう告げると皆は困惑したように目を瞬かせたり、頭を傾げたりしている。
そして、一人の少年が眉根を寄せて口を開いた。
「そ、それだけ……ですか?」
「うん? まぁ、もしかしたら果樹を植える可能性もあるが、今は野菜だけだよ?」
私がそう言って困ったような顔を作ると、子供達は様々な反応を示す。笑い出す子もいれば、安心して泣き出す子もいる。そして、呆れながら私を見る子も。
私はそんな彼らを見て、今日も神の教えを説く。
「私が信奉する神は、人を苦しめたり、人を試すことを嫌います。君達も、周りの人に優しくし、人の為に頑張りましょう。そうすれば、神はいつでも君達の味方ですよ」
私がそう言うと、多くの子供達がしっかりと返事を返した。
後日、一週間に一度か二度のペースで様子を見に来るエドウィーナが孤児院の畑を見て驚いていた。
「いつの間にこのような……」
エドウィーナがそんな声を上げる中、私は至極当然といった口調で返事をする。
「人数がいますからね。これでも足りないくらいです。出来たら近くに余っている土地があれば、他にも畑を作りたいのですが……」
私がそう言うと、エドウィーナは困ったように手を頬に添えた。
「王都の中は土地が足りないくらいですからね……しかし、外に新たに畑を作るというのも子供達には危険ですし……」
エドウィーナが頭を悩ませているのを見て、私は慌てた風に手を上げて首を左右に振る。
「ああ、いえいえ! どうしてもという訳ではありませんから。それでしたら、この孤児院の院長室を使って相談所を始めたいと思いますので、そちらを宣伝してもらえますか?」
「相談所?」
私の言葉を反芻し、エドウィーナが首を傾げた。私は深く頷き、口を開く。
「私は不思議な声の主から、様々な教えを受けました。それは知識であり、思想でもあります。故に、この発展した街であっても何らかの助言が出来るように思います」
私がそう言うと、エドウィーナは輝くような笑顔で私の方へ歩み寄った。
「素晴らしいですわ! レイジ様の教えを受けることが出来るなら、誰もが必ず聴きに来ることでしょう!」
エドウィーナのその言葉に苦笑すると、私は顔を上げてエドウィーナを見る。
「ただ、子供達の生活を豊かにする為に、寄付をお願いしようかと思いまして……」
「寄付を? 決まった金額にはなさらないのですか?」
不思議そうな顔をするエドウィーナに頷き、私は困ったような微笑みを作った。
「私は専門家ではありませんし、それが明確な助言と成り得るかも分かりません。ですので、相談者の判断に委ねたいと思います」
私がそう言うと、エドウィーナは胸を張って口を結ぶ。
「お任せくださいませ! 私が何としても広めて参りますわ!」
「大変心強いことです。それでは、宜しくお願い致します」
そんなやり取りをして、エドウィーナは帰っていった。
相談所の開設に成功した私が安心していると、帰り際にそれまで静かだったルシールが一言忠告をしていった。
「……ベルギカ様の件で、一部貴族から目を付けられているようです。護衛の兵士を増員致しますが、お気を付けください」
ルシールが柄にも無い助言をし、私に背を向ける。それを見て、私は笑いながら声を掛けた。
「ありがとう。気をつけるとしよう」
私がそう告げると、ルシールは一度振り返り、一礼して帰っていった。
そして、院長室に一人になった私は椅子の背もたれに身体を預け、重い息を吐く。
「やはり、あの老人は邪魔者になりそうだな」
エドウィーナ王女が関わっているのだ。リスクを考えれば生半可な理由では私に敵意を向けないだろう。
王家の人間とモメることになっても私を排除したい人間は、ベルギカしかいない。
「頃合いを見計らって、あの老人には死んでもらうとするか……」
私は口の中でだけそう呟き、口の端を上げた。
私を恨む張本人が死ねば、わざわざリスクを冒して私を殺す必要も無くなる。
偶然、ベルギカが死んでしまう。そういう状況を作らないといけない。
だが、困ったことにベルギカは謹慎処分となり、貴族としての地位も剥奪されている。
つまり、ベルギカは私邸に篭ってしまっているのだ。
私は顎のラインを指でなぞりながら、目を細める。
「……誰か協力者が必要だな」