グッバイ、ベルギカ院長
こちらに向かって迫るベルギカを眺め、私は手を顔の前に上げた。
殴り掛かるか、首を絞めにくるか、隠し持った刃物か何かで斬りつけにくるか。
どちらにせよ、一撃で死ななければ良い。私の腕一本と、ベルギカの社会的地位の失墜。まぁ、トントンくらいだろう。
こちらはやられたとしても治る傷で終わる可能性の方が高いのだ。リスクはベルギカの方が遥かに高い。
私がそんなことを思いながらベルギカの動向を窺っていると、小さな人影が私の前に割り込んで来た。
ベルギカの両腕を掴み、一瞬でベルギカを地面に捩じ伏せたその人物はルシールだった。
ルシールは見事な手際でベルギカを取り押さえると、エドウィーナに視線を向ける。
エドウィーナは一連の流れに狼狽しながらベルギカとルシール、そして私を順繰りに見た。
「あ、こ、これは……」
エドウィーナは何とかこの場を騒ぎにしたくないのか、困ったような顔で私を見つめてくる。
しかし、私は自身の信じる道を遮る障害に情けは掛ける気も無い。
「……これは、この男が疑惑を肯定したのと同義でしょう。エドウィーナ王女には申し訳ありませんが、この男に孤児院は任せておけません。また、子供達の状況が気になります。至急人を派遣し、この男の私邸を調査しましょう。恐らく、子供達の働かされている場所が分かる筈です」
「わ、分かりましたわ」
私の指示を聞いたエドウィーナは表情を引き締めてルシールや他の兵士達を見た。
「皆さん、ベルギカ様の邸宅を調べます。手の空いてる兵を十名派遣してください。後、孤児院に入っていた王国からの補助の行方もお願いします」
「はっ!」
エドウィーナの命令を聞いた兵士達の半数が慌ただしく外へと走って行き、ベルギカが怒りの咆哮を上げる。
獣のようなその怒号にエドウィーナは哀しそうに顔を顰め、ルシールは唯々ジッと私の表情を観察するように見ていた。
半ば予想していたことだが、ベルギカを兵士達が連行していく間に子供達は孤児院へと帰ってきた。
ベルギカが王女が訪ねて来たというのに二時間しか話をする時間が無いと言った段階で、子供達の帰宅時間の可能性を考えてはいた。
だが、この機会にベルギカの家を徹底的に調べたかった私は素早くエドウィーナに指示を出したのだ。
結果はやはり黒である。
ベルギカの家からは大量の横領品があり、随時それを売って金銭に変えていた。そして、子供達の働かされていた場所だが、男は炭鉱、女は娼館であった。
私は想定の範囲内だったが、エドウィーナには強烈過ぎる事実だったらしい。泣きながら子供達に謝罪をし、エドウィーナは孤児院を徹底的に監視すると誓った。
そこで、私はエドウィーナに一言お願いをする。
「私に、この孤児院を管理させてもらえませんか? 必要最低限の生活費を頂ければ後は何もいりません。勿論、監視に誰かを付けて頂いても問題ありませんから」
私がそう言うと、エドウィーナは感極まったように、そしてルシールは胡散臭そうに私を見ていた。
こうして、私は一先ず孤児院の管理人という肩書きを得た。更に今後私を信奉する可能性が極めて高い子供達も一緒にである。
たった一度の視察でこれだけの成果を得たのは、やはり謎の声の主が言っていた【力】というもののお陰なのだろうか。
【孤児院】
孤児院に来て、私が最初に行ったことは子供達との会話である。
なにしろ、孤児院の運営費に関しては然程問題はなかったからである。
孤児院には国からの補助として月に金貨十枚が届けられていた。金貨十枚はルシールに聞く限りおよそ百万円近い価値であった。施設に税金は掛かっておらず、井戸もある為に水の費用は掛からない。夜はそのまま寝かせていたらしくランプなどに使う油代なども掛からない。
つまり、最低限の衣服と食事代だけなのだ。そして、子供達の人数は百三十人。日本と違い、この国ではパン程度ならば品質に拘らなければかなり安く仕入れられる。
そして、何よりエドウィーナの計らいにより、ベルギカが溜め込んでいた金銭の内およそ十分の一を孤児院に回して貰った。
十分の一と侮るなかれ、その量はなんと金貨二百枚。あの男が子供達をどれだけ酷使していたか知れる金額となった。
私はその金を使い、孤児院の子供達の衣服を買い換えて人数分の毛布を揃えた。更に、食料の備蓄なども行い、生活環境を多少はマシにした。
ただ、子供達との会話は中々大変だった。心を閉ざしてしまった子供も多く、私は辛抱強く心のケアに努める。
それ以外の子供は温かい料理に素直に喜んでくれた。
私が夕方食事にかかった費用を計算していると、十三、四歳の女の子が私を訪ね、こう言った。
「レイジ先生……その、ありがとう、ございます……」
消え入りそうな声で言われたその言葉に、私は笑顔で頷く。
「うん。これからは楽しい日々が始まるぞ。さぁ、神に祈りなさい。眠る前に、皆で私が教えた通りに祈るんだよ?」
私がそう言うと、少女は少し表情を明るくして頷いた。
「はい、お祈りをしてきます」
少女はそう言って頭を下げ、自分の寝る部屋へと戻っていく。これで順調に信仰は育まれるだろう。やはり、幼少期からの教育が最も効果が高いのだ。
私はそう頷くとまた帳簿に向き直る。
「さて、次は農業か……子供達が孤児院から出らずに働ける環境を作らねば……」
私はそう独り言を呟くと、残った資金から出来る農地の規模を計算した。
「……後は当初の予定通り、相談所を開設したいが……エドウィーナ王女に頼むしか無いか」
伝手の無い私には、相談所を開設しても宣伝することが出来ない。そうすると最初の数人の顧客を得るまでが随分と長引いてしまう。
私を信じ切った顧客さえ捕まえれば、後は勝手に口コミで広がるのだが。
私はさらなる飛躍の為に今日も院長室で頭を悩ませる。




