閑話 『悲劇の周辺』
20170410公開
河合澄子はコタツの向かいに座ってコロッケを頬張っている孫を見た。
家出同然で飛び出した1人娘が流れ流れて見知らぬ街で産んだ子だった。2年前、音信不通だった娘が交通事故で内縁の夫と共に死んで、唯一の肉親だった澄子が預かる事になった。
児童相談所から電話が掛かって来た時は混乱していて、相手が何を言っているのか理解し難かったのだが、自分が言った言葉は何故か鮮明に覚えている。
『あのー、新しいオレオレ詐欺ですか?』
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その部屋は電気による照明が当たり前だった日本と違って薄暗かった。
外はやっと夜明けを迎えた時刻だ。
部屋の中では、1人の少女が腰を下ろして土と煉瓦で造られたかまどに薪を差し込んでじっと見ていた。
揺らめく火の照り返しで赤く見える顔は真剣な表情をしている。
かまどの火が安定するまで待ってから、やっと腰を上げた。
そして、かまどの横に造られたキッチンと呼ぶには原始的な流し台に置いたまな板の上で、配給された食パンを1センチほどの幅で切った。日本で食べていた食パンと違って堅い。残った食パンを布で包んで、流し台の下の棚に直す。
かまどの上に置いた鍋を覗いて、沸いたかどうかを確認してからパンにバターを塗り始めた。
塗り終った後で、また鍋を覗く。
水が入った鍋の底に小さな気泡が出来ていた。まだ沸くのは先の様だった・・・・・
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コロッケを美味しそうに頬張っていた少女が笑顔を見せた。
「おばあちゃん、やっぱりこのコロッケ、美味しいね」
知らない内に死んでしまった1人娘の幼い頃にそっくりな笑顔を浮かべている。
娘の幼い頃の方がもっと表情が豊かだったが、この少女の笑顔の方が心が揺さぶられる。
多分、ここまで来るのに苦労したからだろう。
最初は笑顔どころか、喜怒哀楽の全てを失ったかのように無表情だった彼女だが、最近は感情を見せてくれるようになった。
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やっとお湯が沸きそうだ。
少女はインスタントコーヒーをスプーンですくって、マグカップに入れた。
日本に居た頃は3杯入れていたが、こちらの世界では貴重な為に2杯だけにした。
年齢の割にコーヒーが好きなんて、と、おばあちゃんに呆れられていたけど、こればっかりは仕方が無い。母親の思い出が絡んでいるからだ。コーヒー党の母親の真似をして飲んでいる内に母親と同じくらいに好きになっていた。
スーパーに在った商品は店員さんが管理していて、要望に応じて配給されるから日本の時の様に好きなだけ飲む事は無理だ。
少女はみんながお菓子やカップ麺を貰う分を全てインスタントコーヒーで貰っていた。
砂糖はこちらの砂糖だ。溶けにくいし、あまり甘くないが、それでも構わなかった。
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「そうでしょ? おばあちゃんは昔からこのコロッケが大好きだったの。佳澄も気に入ってくれて嬉しいわ」
「うん、かすみも大好き」
最近では感情を表す言葉も増えた。
それにつれて、澄子の心の中に、この子と一緒に暮らせる幸せが沁みる様になって来た。
夫を5年前に亡くしてから、ゆっくりと確実に死に近付くだけの日々が続く筈だったのが、今ではこの子を残して死ぬのが心惜しく思える様になっていた。
だから、心の中でそっと言葉を思い浮かべた。
『今度こそいつまでも一緒に居たい。この幸せがいつまでも続いたらいいのに』 と・・・・・
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河合佳澄はコーヒーを一口飲んでから、パンを齧った。
もう堅いパンには慣れた。
それは、ここでの生活にも慣れたという事だった。
ただ、時々、日本に残して来た人を思い出す時が有り、その時はもう一度会いたいという気持ちが抑えられなくなる。
そういえば、昨日、勉強に使う様にと、鉛筆と紙を貰っていた。
だんだんと気持ちが膨らんで来た。
大事に取ってある便箋を小物入れから取り出して、じっと見た。
しばらく悩んでから、彼女はおばあちゃんに手紙を書く事にした。
書いても届く事の無い手紙だけど、それでも書く事にした。
もちろん、河合佳澄が自分の感情も隠さずに書いた手紙は河合澄子に届く事は無かった・・・・・
お読み頂き誠に有難う御座います m(_ _)m




