第一章 花弔封月 PART9
9.
「さっき店に直接頼みに来たんだ。全く一緒の漢字じゃないけどな」
凪がいうにはウサキのサキの字が違うらしい。
「うちではツチサキだった。そっちから来たのはヤマサキだ」
凪が受けたのは卯『埼』のようだ。そして千月が流したのは『崎』だった。
「ごめん、私が勘違いしてると思う。確認するのを忘れちゃった」
「……まったく。そうだと思ったよ」
自分は電話の主に何も確認していない。凪はきちんと確認をとったのだから卯埼で間違いないだろう。
……それにしても今回のケースは珍しい。
千月は眉間に皺を寄せた。斎場と生花店で別々にスタンド花を頼む人は珍しい、というかまず有り得ない。斎場の生花部を知っているのであれば、普通はそちらに二本頼む。直接店に頼んだ方がよくして貰えることを知っているからだ。
それに発注者は県外にいるといっていた。直接頼みにいけるはずがない。
「別の人じゃない? わざわざ、二つの場所で頼んだりはしないでしょ」
「俺もそう思った。だから確認させてくれ」
凪と確認し合うと、どちらの電話番号も住所も同じだった。ということは同一人物の可能性が非常に高い。
「どうして別々に頼んだのかしら」
「さあな。だが確認の電話はした方がいいだろう」
「そうね。私がしてみるわ」
凪の電話を切り再び電話を入れた。
「卯埼さんのお電話でしょうか」
「ええ、そうですが」
「卯埼信弘さんという方はいらっしゃいますか」
もちろんいるはずがない。卯埼信弘は出張にいっているはずだ。
「ええ、私ですけど」
千月は声を失った。異様に声が低い。声の主は先ほどの人物とは違う。
「すいません、私の手違いでお名前の方の確認をもう一度させて頂きたいのですが。ウサキのサキはツチサキでよろしいでしょうか」
「ああ、生花店さんね。それで間違いないですよ」
やはり違う人物だと感じる。改めて確認する他ない。
「いえ、明善社という斎場の方から電話を掛けさせて頂いてます。信弘様、ご本人でしょうか?」
「ええ、そうですけど。先ほど生花を頼んだ件についてでしょうか」
やはりこの人物が本人で間違いないといっている。では先ほどの電話は誰なのだろうか?
「先ほど当斎場にお電話を頂きました。その時にも生花の注文を受けたんです。ひょっとすると、それぞれを合わせて対で頼まれたのかなと思い、再び連絡をいれさせて貰いました」
生花を頼む場合、対に置くことが基本となっている。もちろん今回の場合はそうではないと彼女は思っている。何かしらの意図を感じるからだ。
「うーん、斎場の方に頼んだ覚えはないんですけどね……」男性はしばし無言になり、ぽつりと呟いた。「……もしかしたら息子かもしれませんな」
男は内容が足りないと判断したためか話を続けた。
「うちの子が通夜に出席して一本では足りないと思ったのかもしれません。息子の分は届いているので、私の名前を追加したのかもしれませんね」
「えっ……」漏れた声を咄嗟に押さえる。
おかしな話だ。先ほどの電話が卯埼の子供なら、通夜の状況など訊くはずがない。出席した会場の状況などわざわざ聞く必要はないからだ。
それに卯埼のスタンド花は来ていない、これは確実だ。
「どうかされました?」
「いえ、何でもありません」
卯埼の子は親に出席するといっておいて、出席していないのだろうか。そうなれば会場の状況を聞くのは納得できる。後で父親と話を合わせるためにだ。
だがそちらの場合、一本では足りないという状況はわかるはずがない。
「息子さんの生花はどなたが頼まれたんですか?」
「息子自身です」
男は即答した。
「あいつにお金を預けてあったんですよ。だから一本分は届いてると思いますよ。卯埼信二といいます」
卯埼という名の生花はない。千月は斎場の名札を反芻した。伝票を改めて確認するがやはりない。発注ミスではないようだ。
まさか卯埼信二が頼み忘れて後から電話を掛けてきたのだろうか。いや、それでもおかしい。わざわざ父親を装う必要はない。
「実は彼は職場の後輩だったんです」
男は再び低い声でいった。
「息子が紹介してくれたんです。高校を中退して仕事を探しているとね。うちの会社は慢性的に人手が足りてないので助かっていました」
「そうでしたか……」
卯埼信弘が同じ運送業に勤めていたことは事実らしい。
「2、3日県外にいたもので彼が亡くなったことは今日知りました。明日からも出張で式に出れないんですよ。それで斎場を聞いたら緑纏さんが卸している斎場だと知ってお店に直接頼んだんです。前に直接頼んでくれた方がサービスできるよといって貰ってたので」
「なるほど、そういう経緯があったんですね」
千月は電話越しに小さく頷いた。
「お手数お掛けしました。どうしましょう。一本キャンセルしておきますか」
「いえ、結構です。あいつの気持ちを考えると、そちらの方がいいのかもしれません。もし私が運送業に紹介しなかったら、彼はバイクに乗ることはなかったかもしれない。対でお願いします」
卯埼信弘が電話を切った後、凪に対で持ってくるように電話を入れた。どうやらすぐに来るらしい。夜更けに彼は白い息を吐きながら荷物を抱えて登場した。
「よう。追加分を持って来たぜ」
「ありがとう。早かったわね。名札を見せてくれる?」
「ほい。名札はどっちも同じだが、一本は別注のシールをくれ」
その名札には卯埼信弘と書かれてある。結局同じものが二本、届いている。
「あの、ゴシック女は来たのか?」
ゴシック女とは通夜前に来ていた若い女のことだろう。
「いや、来てないわ」
電話の経緯を話してみると、凪は首を傾けた。
「うーん、どういうことなんだろうな」
「一番の疑問点は卯埼さんの息子さんがどうして父親のフリをして電話を掛けてきたかということね」
「自分がいってないからだろ。生花分をくすねようと思ったからじゃないか?」
「私もそう思って、香典を確認したの」
香典を凪に見せる。そこには卯埼信二という名前が書いてあった。
「これは卯埼さんの息子さんで間違いないと思う。誰かが卯埼さんの真似して入って来たというの? そんなことをする必要ないじゃない」
「うーん、確かにそこは引っ掛かるなぁ」
凪は顎を擦り、何かを思いついたかのように声を上げた。
「それよりも寅谷という女だ。化粧が変わってわからなかった、っていうのはどうだ? あれだけ奇抜な服装だったんだ。喪服に変わっていたらわからないかもしれない」
「それはないわ」
千月は断言した。
「化粧が変わっても、あれだけの身長がある人はいなかったから」
彼女はどうみても身長は170cmオーバーだった。厚底ブーツをなくしたとしてだ。注意深く観察したがそんな人物はいなかった。
「なんだろうなぁ、気になるなぁ」
「卯埼信二さんは明日も来ると思うよ。通夜に来たっていうことはさ、きっと式にも来るんじゃない?」
「そうだなぁ。じゃあ俺も早めに来て待機しとくか」凪はこちらの顔色を伺うようにして続けた。「まあ、無茶だけはするなよ。どうせ明日にならないとわからないことだ。根を詰めても意味ないよ」
彼の瞳に気圧される。確かに今の状態じゃ何一つ、解決できる糸口はない。
「……うん、わかってる」
「わかってるならいい。それじゃあ俺は帰るとするかな」
凪を送りながら事務所への階段を下る。それでも自宅に帰る支度をしながら頭の中では無意識に考えてしまう。
卯埼信二は通夜に来ていた。そして父親から生花代を貰っており父親に注文したと告げている。彼の名の生花はきていない。もちろんお金をくすねることが目的ならあそこで電話を掛けてくるはずがない。
父親の名を語り父親の名で注文。信二の父・信弘が生花店に注文したことを知らずにだ。
これらが意図する行動は果たして何なのだろうか――。
当直につく者に挨拶をして家に辿り着くと、欠伸がもれた。最近どうも長い時間起きておけない。いくら寝ても寝たりないくらいだ。
……いけない、きちんと日記だけはつけておかなければ。
いつも通り就寝前に日記を綴る。それと同時に母親の形見であるオルゴールを鳴らした。曲はドヴィッシーの『月の光』だ。
スイッチを押してしばらくすると瞼が重くなり始めた。彼女はそのまま意識の線を切ることにした。