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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
最終章 『月花美陣(げっかびじん)』 
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最終章 『月花美陣』 PART8

  7.


 時計店に辿り着くと、玄関に見慣れた女性が立っていた。


「千鶴、どうしてここにいるの?」


「……やっぱり。お姉ちゃん来たんだね」千鶴は首を傾げながらこっちを向いた。「そっか、凪さん話しちゃったかぁ……」


「千鶴?」


 千鶴は涙を零しながら嗚咽を繰り返している。


 母親を失ってから、涙を見せてこなかった彼女に動揺する。


「でも凪さんも攻めることはできないなぁ。私も本当はここに来ちゃいけないのに、来ちゃったからね」


「もしかして……千鶴も何か知っているの?」


「……なんとなくね」千鶴は曖昧に頷いた。「でも確証はなかったわ。志遠さんは一緒に住んでいる私にも気づかれないよう気を使ってた。本当に凄い人よ」

 

どうやら千鶴の目にも志遠は私の中に存在していたらしい。彼女の瞳に嘘は見えない。


「この先に彼のお墓があるの。お姉ちゃん、このお花飾ってきてくれない?」


「もしかしてこのお花……」包み紙に見覚えがある。凪の店のものだ。


「うん、凪さんの所のだよ。今朝、凪さんの所で買ったものだから」


 包み紙の中から菊の花が見える。御前花だ。


「そうなんだ……。ということはやっぱり彼は亡くなっているのね……」


 明日スイスに立つといっていた志遠の笑顔が急速に色を失っていく。彼に当たっていた光が消え去り彼の表情はシルエットのように影となり消えていく。


「うん。だけどお姉ちゃんの中で彼は生きていた。お姉ちゃんを守るために毎日頭を抱えながら頑張ってたんだよ」


「どうして私の中にいた人が志遠だと思うの?」


「だって……私も志遠さんのこと、好きだったから……」千鶴は消え去るような小さい声でいった。「別に奪おうとかは考えてなかったよ。ただ彼のことを考えるだけでよかったの。彼のことを好きだと思えるだけでよかったんだ。お姉ちゃんもわかるでしょ、この感覚は言葉ではいえないこと」


 志遠のことを考えるだけで急速に心臓の鼓動が高まる。時計店を目の前にしているせいか、彼との思い出が泡のように膨れ上がり萎んでいく。


 なぜだろう、体験したことのない思い出が頭の中を過ぎっている。


「そんなことよりさ、早く行って上げて。私はここで待ってるからさ」千鶴は背を向けながらいった。


「でもこの花は……」


「私はいいの。お姉ちゃんの代わりに来ただけなんだから」


 千鶴が掴んでいる花を見て千月は確信した。菊の花以外にも別の種類の花がある。その花は彼が嫌っていたものであり、彼が好きになったものでもある。


「……お姉ちゃん、カチョウフウエイって言葉知ってる?」千鶴は千月の右手に巻かれてある時計を擦りながらいった。彼女の熱を帯びた指が自分の心を滾らせていく。


「カチョウフウゲツじゃなくて?」


「うん。カチョウフウエイ」


 花弔封影。そういわれるとどこかで聞いたことがある気がする。頭の中でなぜかドヴィッシーの『月の光』が流れていく。


 あれは確か自分の部屋でラジオを流していて――。


「……お姉ちゃん」千鶴はまっすぐに背を伸ばしている。彼女は両腕を千月の左手に絡め、祈るような体制で言葉を続けた。「死はその人の全てがなくなってしまうの? 彼が死んだら何もかも消えてしまうの?」


「肉体が滅んでも精神は残るわ」


 父の教えだ。彼は頑なに死は恐れるものではないと私達に語っていた。


「精神とは何を指すの?」


「精神とは人生よ。その人が培った経験はどこにもいかない。全て周りの人に受け継がれるもの」


「……うん、その通りだね」千鶴は目を潤ませながら頷いた。「今のお姉ちゃんなら大丈夫。きっと志遠さんの死を乗り越えることができるよ」

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