表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
最終章 『月花美陣(げっかびじん)』 
70/78

最終章 『月花美陣』 PART4

  4.


「何? どうしたの?」


「まずは電車を出るぞ」


「え? もうすぐ出発するよ」


「……だから出るんだ」


 無理やり彼女を引き摺り下ろし電車から降りる。それと同時に列車は出発した。


「あーあ、いっちゃった。指定席だから次の列車には乗れないんだよ」


「ああ、わかってる」


「どうしたの? 何か忘れ物でもしたの?」


「忘れ物……そうだな、忘れ物になるな」凪は空咳をしながら続けた。「さっきの一言でようやく決心ができた。ありがとう」


「ちょっと待って、凪。その話っていうのは……」


「いや、そういう話じゃない」彼は空咳をして続けた。「確かに俺はお前のことが好きだけど、それとは別の話だ」


「ええ? ちょっと待って。え、もしかして今のってそういう意味の?」


「そういう意味だけど。まあ、その話はいい。それよりも大事な話がある。聞いてくれ」


「ええっ? それよりも大事な話?」


「ああ、お前には本当の彼氏がいたって話だ。だからその話をきちんと訊いて欲しい」


「その彼氏って?」


「志遠だよ」凪はぶっきらぼうにいった。「お前の彼氏は紛れもなく阿紫花志遠だ。そしてお前の四年間の記憶は全て彼が作ったものだ」


 凪は思いの丈をぶつけるように彼女に向かい合った。冷たい雪風がお互いの間をすっと流れていく。


「もしかしてそれがいいたくて電車から降りたの?」


「ああ」


「……まったく。嘘をつくのならもっとマシな嘘をついてよ。で、何を忘れたの?」


 彼女には自分の言葉が届かない。この四年という月日が彼女の記憶を強固にしているのだろう。


 志遠の手の内がわからない以上、正直に全て話すしかない。


「お前の記憶だよ」凪は彼女の眼をしっかりと見ていった。「お前には……別の人格が宿っていた。お前は一日しか記憶が持たないという状況にあった。だから他の日は全て、別の人格がやっていたんだ。その人物の名はゆかりだ」


 千月の表情が曇る。思い当たる節があるのだろうか。


「……いいわ、続けて。どうせ次の新幹線が来るまで時間があるし、聞いてあげる」


 凪は彼女の表情を見て覚悟を決めた。


「お前には辛い過去がある。父親が亡くなって、その日に婚約者である志遠を失った。その悲しみに耐えられなくなってお前は自分の記憶に蓋をしたんだ」


 彼女の表情が徐々に暗くなっていく。いいたくないことだが、もう後には引けない。


「けどお前は一人じゃなかった。婚約者はまだこの世にいたんだよ」


「……どこに、いたの?」


「お前の、中にだ」凪は彼女の手を握っていった。


「お前のもう一つの人格が志遠だったんだよ。お前の意識を取り戻すために動いていたのは全部あいつだ」


「そんな、はず、ない……」


 千月は震える手を握り閉めながらいった。


「だって彼は……スイスに……」


「行ってない、お前と一緒になるため家庭を選んだんだ。だからお前と一緒の電車に乗った」


「嘘よ。彼とは恋仲になるような関係じゃないわ。彼は時計にしか興味がなかったんだから」


「お前と時計店で働くまではそうだったのかもしれないな……」凪は彼のことを思いながらいった。「だけどあいつは自分の夢を捨ててまでお前と一緒になることを選んだんだ。それだけあいつはお前のことを愛してたんだよ」


「そんなわけないっ」千月は大きく叫んだ。「私はあんたのことが好きなんだから、そんなことない。ずっと子供の頃から見てきたんだから。あんたが千鶴のことを好きって知っても私はずっと……」


「俺だって、お前のことがずっと好きだったよ……」


 凪は心を込めていった。


「今でもお前のことが好きだ。だからこそお前に知って欲しい。もし今日ここで真実を告げなければお前は志遠のことを忘れてしまう。あいつはお前を守ろうとした。自分の記憶がお前の中でなくなるとわかっても、お前のために貫いたんだ。あいつの思いは……辛くてもやっぱり忘れちゃいけない」


「どうして……そんなに彼のことを」


「4年間一緒にいたからさ」凪は自然に吐息が漏れた。「お前に聞いていた通りだった、頑固で神経質でそのくせ機械オンチだ。なのに取り組んだ仕事は必ず全うする。あいつの生き方はかっこよかったよ」


「4年間、っていうのは……」


「千月、今日は何月何日の何曜日だと思う?」


 凪はしっかりと拳を握ってからいった。


「……」


 千月の眼が大きく開く。彼女の眼には揺らぎが見える。


「今日はな、千月。本当は12月29日の土曜日なんだよ」


「……どうして」


 彼女は表情を変えずに呟いた。


「どうして……凪は4年前の凪なんじゃないの?」


 どうしての意味がわからない。四年前の設定は彼女自身だ。


 戸惑っていると、彼女は再びぼそりといった。


「じゃあ、凪は……死なないよね?」


 千月が真剣な眼でこちらを睨んでいる。涙が雪風の中にそっと染み込んでいく。


「電車に乗らなくても、大丈夫なのよね?」


 彼女のいっている意味が全くわからない。黙っていると、彼女は呼吸を整えるように深呼吸してから口を開いた。


「はっきりいって今がどういう状況なのか、わかんない。どうしたらいいのかも。でも確認しておきたいの。あんたは死なないのよね?」


「俺が死ぬってどういうことなんだ?」


「私の日記にはね……今日、凪は電車事故に巻き込まれて死ぬってことが書かれてあったの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ