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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第五章 『花纏月千(かてんげっち)』 阿紫花 志遠(あしばな しおん)編
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第五章 『花纏月千』 PART13

  11.


「お姉ちゃん、気がついた?」


「ん? ここは……?」


「……おうちだけど」


 目を開けると千鶴が立っているのが見える。心配そうな表情で志遠から視線を外さない。


 周りを見渡して確認する。どうやら千月の部屋で間違いないらしい。


「……そう。いつの間にか眠ってしまったみたいね」志遠は軽く伸びをしながら答えた。


「もしかして、ゆかりさん?」


「……そうよ」千鶴のために声色を変えて応対する。


「そっか……」千鶴は落胆の声を出したが、すぐに明るく振舞った。「お姉ちゃんが出て来てたみたい。本当に短い時間だったらしいけど」


「ということは千鶴ちゃんは会ってないのね?」


「うん、凪さんしか会ってないみたい」


 凪の話によると千月が表に出ていたのは15分くらいだったらしい。特に変わりはなくいつも通りの千月だったそうだ。


「ゆかりさん、大丈夫? きつくない?」


「うん、大丈夫みたい。お腹の調子だけはちょっとよくないけど」


 さっきから下腹部が妙に痛い。定期的に締め付けられるような痛みが襲う。この痛みは味わったことがないものだ。


「そうだろうね。あれが来てたみたいだから」そういって千鶴は小さく微笑んだ。


 その微妙な空気に志遠は一瞬で理解した。どうやら生理が来ているらしい。


「……どうして入れ替わったのかな」千鶴は腕を組み小さく吐息をついた。


「多分だけど……ピアノの音だと思う」志遠は空咳をした後ゆっくりと続けた。「斎場でピアノを聴いた後、眠気が来たの。間違いないわ」


「……じゃあゆかりさん。ちょっと弾いてみてもいい?」


 千鶴は志遠の答えを聞く前に楽譜を探り始めた。リビングにあるピアノで実戦するつもりのようだ。


「千鶴ちゃん、ドヴィッシーの『月の光』は弾ける?」


「うん、ちょっと練習するから待ってね」


 志遠はソファーに腰掛けた後、彼女に再び尋ねた。


「そういえば、凪君は他に何かいってなかった?」


 敢えて凪とは呼ばない。彼とは一線を置いている、といった関係の方が千鶴に勘繰られないと考えたからだ。


「……そういえば日付はきちんと伝えたよ、っていってたよ。ゆかりさんにそれだけいえばわかるともいっていた」


「……そう。よかった」


 志遠は安心して吐息をついた。最初の課題はなんとかクリアしたようだ。


 今日は2008年12月29日。後二ヶ月遅ければぴったりと重なっていたが、都合が悪いわけではない。同じ2・29の数字が入っているからだ。


 彼女の意識で、今日は2月29日だと思わせられたらそれだけでいい。


「じゃあ弾いてみるね。最初はどんな曲がいい?」


「千鶴ちゃんの好きな曲でいいよ」


 そういうと彼女はゆっくりと鍵盤を叩いていった。どうやらショパンを選んだらしい。千月も好きだった曲だ。だが体に反応はない。


「どんな感じ?」


「……特に変化はないわね」


 千鶴は2、3曲試した後、ドヴィッシーの楽譜を取り出した。


「じゃあそろそろ『月の光』を弾くね」


「うん。お願い」


 千鶴の右手がゆっくりとメロディラインをつたっていく。その音色が何度も繰り返される度に志遠の意識は緩くなっていく。


「……ストップ」志遠は力まず小さな声で一喝した。「千鶴ちゃん、ありがとう。もういいわ」


「……どうだった?」


「このまま聴いていれば入れ替わっていたかも。我慢はできる感じだったけど」


「ということは……」


「うん、間違いないわね。千月さんの意識は『月の光』を聴くことによって醒めるんだと思う」


 ようやく最後の歯車が揃ったようだ。


 志遠は口元だけで笑ってみせた。一番の難関だった問題が解決したこともあり心の底から余裕が溢れ出る。


「……でもどうして斎場では倒れてしまったんだろう? 私が演奏したものとはちょっと違うのかな」


「きっと未橙さんが演奏したからだと思う」志遠は思い返しながら告げた。「千月さんは未橙さんのピアノが好きだった。彼女の演奏は多少アレンジが入っているから、そっちの方が効果が強いんだと思う」


「なるほどね。じゃあ入れ替わるタイミングで彼女のピアノを聴けばいいわけだ」

「うん、それでいいと思う」


 未橙のピアノの音源は手元にない。しかし本人が地元に帰ってきているのであれば接するチャンスもあるだろう。後はどの媒体を使って演奏を聴くかということを考えなければならない。


「残る問題は千月さんの入れ替わりの周期を作るだけね。どのペースで出て貰うかだけど」


「それならいい案があるよ」千鶴は椅子から立って答えた。「今日のような日に出て貰えばいいんじゃないかな? お姉ちゃん的には辛いだろうけど記憶に残ると思うし、何より一ヶ月周期だからわかりやすいよ」


 確かにそれは一理ある。志遠は頷いた。


「いいわね。仮にそうだと過程すると……」


 彼は頭の中で時間を巻き戻すイメージを浮かべた。


 今日が12月で彼女の中では2月。彼女の時間で考えると次に来るのは1月。本当の時間でも1月が来るので、来月は楽ができそうだ。


 次に来るのは12月と2月、11月と3月、10月と4月、9月と5月、8月と6月、7月と7月でまた重なる。二つの時間が本当に交わるのは二年後の2010年7月になるだろう。


 一番大きく離れている4月と10月だ。だが春と秋となれば、気温の変化は少ない。一日くらいなら余裕で惑わすことができそうだ。


 現時点では特に大きな問題はない。


「よさそうね。日記にも生理がきたと書いておけばいいし。その日だけ彼女の記憶が強くなるのはあまりよくないかもしれないけど、時間が巻き戻っているという感覚は働くかもしれないわ」


「じゃあ一ヶ月毎にお姉ちゃんに会えるってこと?」


「……そうなるわね」


「よかったぁ。早くお姉ちゃんに会いたいなぁ」そういって千鶴はすぐにバツが悪そうな表情を作った。

「……もちろんゆかりさんに会いたくないってことじゃないよ。ただ早くお姉ちゃんの顔が見たくなっただけだから」


「ありがとう。千鶴ちゃんはやっぱり優しいね」


「そ、そんなことないよ。ほら、これで拭いて」


「ん?」


「涙、零れてるよ」


 頬に触れると熱い液体が流れていた。泣いている意識などないのに自然と目が熱くなっていく。


「……変ね、全然悲しくないのに涙が出るなんて」


「もしかするとお姉ちゃんが泣いてるのかもしれないよ」


 そういわれるとそんな気がしないこともない。


 千月と今、同じ体を共有している。そう思うだけで不思議と暖かい気持ちになるのはどうしてなんだろう。


 感情が保たれ穏やかに落ち着いていく。まるで彼女と同じ時間を共有しているようだ。


「……そうかもね。千月さんの感情が溢れているのかもしれない」


 そういって志遠は涙を拭おうとした。だが体が拒絶しているのか手を動かすことができない。


「ごめんね、ちょっと部屋に戻るわ」


 千鶴の顔を見ずに扉を閉める。そのまま彼は部屋に戻り両手で顔を覆った。


 ……千月、君は今何を思っているんだ?


 思いの届かぬ彼女に思いを寄せてみる。


 僕はね、やっぱり嬉しいよ。君が生きている。それだけで僕の心は晴れ渡っていく。君のことを思えるだけで幸せな気持ちになれる。こんなにも君のことを思っていたなんて、自分でも知らなかった。


 君が心を閉ざしてしまった本当の理由はわからない。でも僕は君を救いたい。だからこの作戦を決行しようと思う。それが正しいことなのかわからないけど、君の心を守るためにここで誓わせて貰いたい。


 彼は懐中時計を手に取った。ムーンフェイズは新月を示している。事故当時のままなので時は止まったままだ。


 彼はネジを逆に巻き満月へと変えた。


 彼女の時も巻き戻るように祈りを込めながら――。

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