表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第五章 『花纏月千(かてんげっち)』 阿紫花 志遠(あしばな しおん)編
64/78

第五章 『花纏月千』 PART12

  10.


 2008年12月29日。


「あーあ世間はもう仕事納めだっていうのに、俺らはどうしてまだ仕事しているんだろうなぁ」


 凪はうんざりした顔で水盤を並べている。


「悪いな。僕は今日で仕事納めだ」志遠は微笑みながらいった。「亥狩さんの担当が昨日で終わったんでね。今日の見学会までになる」


「……何だよ、お前まで仕事納めかよ。ほんと、大学生の時が懐かしいぜ。休みなんかいくらでもあったのによ。今となっちゃ、月に二日あればいい方だ」


「いいじゃないか。その分、技術は上達するんだから」


「腕が上がる前に俺の体が干上がっちまうよ」凪は大きく溜息をついた。「年末が終わればすぐに正月が来るだろう? 店は閉めるけど葬儀は元旦からあるしな。ほんと苦労が耐えないよ」


 今日は友引前。友を引くから演技が悪いとされこの日に通夜をする人は少ない。そのため催し物が定期的にされる。大抵は顧客獲得のための説明会がほとんどだ。


 そして今日は今年最後の説明会ということもあり、プロのピアノ演奏が行なわれる予定になっている。


「……まあまあ。今日は楽しみにしていた生演奏が聴けるじゃないか」


「ふん。俺は別に興味ないよ。お前が聴きたがってただけじゃないか」


 斎場には特大のグランドピアノが設置されてある。何でも日本を代表するピアニストが来るらしい。そのためわざわざ特注のピアノまで用意されている。


 斎場の周りにはポスターが張られており、そこには神経質そうな女性が映っていた。綺麗な顔立ちだが物憂げな表情が非常に似合っている。


「こういう所にはきちんと金を掛けるよな。プロを呼ぶんだからそれなりの金額を支払うんじゃないか?」


「いや、無料でしてくれるらしい」


「えっ、どうして?」凪の眼が丸くなる。


「何でも、旦那さんが僕達と同じ車両に乗っていたみたいだ」志遠はポスターをなぞった。「未橙六貴みだい むつたかって名前、聞いたことないか?」


「ああ、聞いたことがある。指揮者だろ、確か。そういえば事故に巻き込まれたといっていたな」


「うん。彼女はその奥さんだ」


 ポスターの写真の下に未橙雪奈と書かれてある。その上には悲劇のピアニスト、思いを奏でると太線でなぞられてある。


「なるほどな。だけど、どうしてうちの斎場で演奏してくれるんだ? 旦那の葬儀は東京でやったんだろう?」


「お互いの実家がこっちにあるらしい。それで彼女が実家に戻って来るついでに演奏してくれるようだ」


 志遠がきっぱりと答えると凪は訝しげにこっちを見た。


「ふうん。それで今日は何を演奏するんだ?」


「ドヴィッシーの『月の光』だ。千月のお気に入りの一つでもあってね、彼女に何度か演奏して貰ったこともある」


「もちろん知ってるよ。あいつの家には動かなくなったオルゴールがある。あれは千尋さんから誕生日に貰ったものでな、曲は同じ『月の光』だ。俺だって耳にタコができる程聴かされてる」


 ……なにを偉そうに。


 志遠は意味もわからず熱を帯びていった。凪から千月の話を聞くとなぜか無性に腹が立ってしまう。しかもそれが自分の知らない話だと余計にだ。


「だから何だ。僕だって何百回と演奏して貰っているんだ。それくらいで自慢しないで貰いたい」


「おい、回数が増えすぎだろ」凪は鋭い視線でこちらを見た。「俺だって何千回と演奏を聴かされたよ。あいつの家に行く度に聴かされたんだから。それに手料理だってたくさん作って貰った。あいつの不味い菓子を食わされるのは本当に拷問だった」


「……なんだと」志遠は睨みをきかせながらいった。「僕だって彼女のくそ不味い飯を何度も食わされた

さ。それこそ毎日下痢になるくらいに」


「俺だって毎年あいつに甘ったるいチョコレートを貰った。どろっどろに溶けていて何を食べているのかもわからなかった」


「ふん、どうせ義理チョコだろ。僕は本命だ」


「本命とか関係あるかっ。どうせ貰ったとしても2、3個だろ。俺は毎年だ。数が違う」


「量より質だっ」


「質より量だろっ」


「なんだ、ただの幼馴染のくせに」


「お前こそなんだ、ただの死人のくせに」


「……すいません」


 我に返ると後ろに細身の女性が黒装束を纏って立っていた。ポニーテールにしている髪の色は若干赤みを帯びているほどに染まっている。


 ポスターの女性だ。


「すいません、遅れました。未橙雪奈と申します。今日の会場はこちらでよろしかったでしょうか」

「ええ、ここで間違いありません」志遠は慌てて彼女に近寄った。「今回、説明会を担当させて頂く黄坂千月といいます。よろしくお願いします」


「……こちらこそ。まだ時間はありますよね」未橙は辺りを見回していった。「少し練習してもいいでしょうか」


「もちろんです、本番まではまだ時間がありますから。どうぞ使って下さい」


「では遠慮なく」


 未橙はそういって椅子に座り鍵盤を鳴らし始めた。


「写真に違わず、かなりの美人だな」隣で凪が小声で呟いている。


「ああ、そうだな」


「いいよなぁ、あんな人に毎日演奏して貰ったら幸せだろうなぁ」


「……ああ」


「やっぱり上手いなぁ。なあ、別の曲もちょっとリクエストしてみないか?」


「……」


「志遠?」


「……ん?」


「どうした、大丈夫か?」


 凪に視線を寄せるが、どこにいるかわからない。意識が朦朧としている。焦点が定まらない。


「眠いのか? 昨日も徹夜で作業をしていたんだろう」


「いや……違う、これは眠気なんかじゃない」


 目を閉じればそのまま意識が飛びそうだ。味わったことがない感覚に緊張が走る。


 もしかして千月が起きようとしているのだろうか? それとも自分の意識が消えかけているのか?


「……すまない、凪。もしものことがあれば、よろしく頼む」


「おい、どういうことだ。どうしたいきなり」


凪に返答する間もなく自分の意識はゆっくりと崩れていく。耳から強烈な電波のようなものを感じる。音から電気を感じ取っているかのように頭が痺れていく。このきついヘルメットを被ったような締め付けの原因は聴覚にありそうだ。


 彼は音のする方向を眺めた。そしてそのまま意識の線がぷつりと切れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ