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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第五章 『花纏月千(かてんげっち)』 阿紫花 志遠(あしばな しおん)編
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第五章 『花纏月千』 PART10

  8.


「本当にいいお別れができました。ありがとうございます」


 初七日を終えた子角源七は満足したような顔をしていた。


「いいえ、とんでもありません」亥狩は大袈裟にならない程度に頭を下げている。「こちらこそ再び同じ斎場を使って頂いて感謝しています。次回もまたよろしくお願いします」


「……次回は私の番になるかもしれませんね。私も同じように本を描いて欲しいですなぁ。妻と同じように向日葵で埋め尽くして欲しい」


「そうですか。その時には彼女がおりますのでご安心下さい。彼女は先代の娘ですので私よりも頼りになると思います」


「というと?」子角が困惑の顔を浮かべている。


「申し訳ありませんが、私はその時にお手伝いできません。後三ヶ月でこの会社を退職することになっていますので」


「そうでしたか。じゃあ私の時はあなたにお願いしましょう。もちろん社交辞令ではなく、あなたにお願いしたい」


 子角の瞳に真剣さが増す。彼の瞳は志遠を貫いた。


「ご両親の思いは受け継がれたということですな。この先辛いこともあるでしょうが、是非頑張って下さい」


「はい、ありがとうございます。その時は父の名を汚さぬよう精一杯お手伝いさせて頂きます」


 話を終えた後、志遠は頭を下げて子角を見送った。


「上出来だったね」亥狩が後ろから顔を出している。「君は本質を理解している。人が亡くなるということはその人の全てが失われるわけじゃない。精神は受け継がれていくんだ」


「……『花弔封月』ですね」


 目の前には大きく『花弔封月』と書かれた額縁が飾られてある。千月の父親が書いたものだ。


 花で弔い故人と共に過ごした歳月に封をする。肉体がなくなっても故人の思いは受け継がれる。またその思いは他の誰かに繋げることができる。


 精神は決してこの世からなくなることはない。


「ああ、その通りだ」亥狩は大きく頷いた。「だからこれからも頑張っていって欲しい。僕の分まで繋げていって欲しい」


「……どうして亥狩さんは仕事を辞められるんですか? こういってはなんですが、向いてると思います」


「……率直だなぁ。僕もこの仕事が嫌いじゃない。だけどね、僕の秘密が治らない限りこの仕事はできそうにないんだ」


「治らないと……つまり病気ということですか」


「……ああ」亥狩は神妙な顔で頷いた。「そういえば、ひっつき虫は調べたかな?」


「はい。二つの種類がありました。日向猪小槌と日陰猪小槌という種類があって、二つともに意味がありました」


「うん、その通りだ。じゃあ、もうわかってるよね?」


「一応、確認させて貰ってもいいですか」


「うん」


「亥狩さんの中には……もう一人の人格が存在しているということですか?」


「……そういうこと」亥狩は屈託なく微笑んだ。「冗談だって思うだろう? だけど本当なんだ。もう一人の人格が出ている時に僕の記憶はない。まるでその日だけすっぽり抜け落ちてしまっているような感覚なんだ。猪小槌のように光と影によってまるっきり性格が変わってしまう」


「それはいつ入れ替わるんですか?」


「……驚かないんだね」


「驚いています。けどそれが表に出ていないだけです」


「……ふうん。そっか」亥狩は煙草を取り出して続けた。「入れ替わるのは眠ってからさ。それがいつ起こるかわからない。だから当直の時、僕は眠れないんだ」


 なるほど、目の下の隈はそういうことだったのか。亥狩が頑なに睡眠を拒んでいた理由はそこにあったのだ。


「僕の中には小学生くらいの子供が住んでいるらしい。だからスーツのまま、草の中を走り回ったりしてひっつき虫がくっついちゃうわけ」


 彼のシャツの汚れ方は不自然だった。泥のような汚れがこびりついていた。それは子供が無邪気に外で遊んだ後の汚れに近いものだった。


「この病気と向き合うためにしばらく病院にいかなくちゃならない。だから仕事を辞めないといけないんだ」


「もし治ったら戻ってきますか?」


「……どうだろうなぁ」亥狩は顔だけで微笑んだ。「その時になってみないとわからないとしかいいようがない。今の人格が本当に二つかどうかすらわからないからね。統合された時、もしかしたら僕という存在は消えてしまうのかもしれない」


 志遠が黙っていると、亥狩はぽんぽんと肩を叩いてきた。


「……暗い話になっちゃったね」


「いいえ、聞かせて頂いてありがとうございました」


「やあ、なんだか本当に人が変わったみたいだね」亥狩は口元を緩ませた。「千月ちゃんは斎場でも自由に振舞っていたけど、やっぱり大人になってしまったのかな」


「それもあるかもしれません。けど……」志遠は微笑みながらいった。「もしかすると私も二重人格かもしれませんよ。人は誰でも仮面を持っていますから」


「確かに。それは間違いないね」


 ……これでまた一つの歯車が揃ったことになる。


 志遠は千月に思いを馳せながら再び思考に集中した。後は最後の歯車、千月の出現時間のコントロールだ。彼女の意識を支配できれば彼女の意識を取り戻すことにまた一歩繋がる。


 不可能な時計の部品はすでに揃いつつある。今回の時計が完成すれば千月はどのように喜んでくれただろうか? 修理を終えた後に見せる彼女の笑顔が脳裏を霞んでは萎んでいく。


 もちろん千月には見せることができない。彼女自身が時計そのものに組み込まれているからだ。


 そして自分自身も――。

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