第五章 『花纏月千』 PART6
4.
「……本当に凄いんだな、お前は」
凪は溜息を交えていった。
「そんな考えは普通思いつかない。時計職人っていうのは本当に変わってるなぁ」
「ああ、僕は普通じゃない」志遠は表情を崩さずにいった。「なんたって魂だけの存在だからな。こんな現象の中でなら何だって思いつくさ。かの天才ブレゲだって不可能だといわれた時計を作り200年の時を進めたんだ。まして……」
「……その話は長くなりそうだからいい」
凪は話を遮った。
「仮にだ。仮にお前が考えた方法が全て成功したとする。で、その次の日からはどうなるんだ」
「もちろんそれも考えてある」志遠は顔色を変えずにいった。「その時には彼女はすでに4年後を体験しているんだ。つまり次の日は普段通りの日常を過ごすことができる」
2008年2月29日をもう一度体験して貰った後は一気にまた四年後の世界にいく。それまでの過程は今から体験するのだから何の問題もない。
「何もかも考えているわけだな……」途端に凪の顔がどんよりと暗くなる。「でもそうなった時、お前は……」
「それは考えなくていい」志遠は即座に左手で制した。「僕はすでに死んでいるんだ。気を使わなくていい」
うまくいった時の話よりもこれからの対策を話さなければならない。
「道のりは見えたが問題は山ほどある。大きい問題としては3つだ」
そういって志遠は問題点を書き始めた。
1、千月の出現時間のコントロール。
彼女の意識はこちらの任意で決めるようにできなければならない。また彼女の人格から志遠への人格への転移もだ。
2、彼女の意識外の時間をどのように納得させるか。
志遠が出ている時間を彼女に理由をつけて納得させなければならない。
3、千鶴への対応をどうすべきか。
今回の作戦は彼女の助けがなければ実質不可能だ。だが全てを話しても一緒に居る分だけ、千月に違和感を抱かれてしまう恐れがある。
「1については現状ではどうしようもできないが2についてはある程度考えがある」
「よし、聞かせてくれ」
「千月には一日だけの記憶しか所持できないと思わせるようにするんだ。それは事故による後遺症だと意識させる」
彼女の記憶はその日だけ。そう思わせるのは難しいことではない。空白の期間を志遠が日記で補完させるからだ。志遠が千月を演じた日記を毎日書いておけば、彼女はきちんと自分の意識で動いていると認識できる。
「なるほどな。お前が動いている時間はさも千月自身が動いていると錯覚させるんだな」
「そうだ。今まさにそれを実行している所だ」
そういって志遠は葬儀ディレクターの教科書を取り出した。国家資格としては一番高い一級の資格だ。
「彼女が意識を取り戻した時の仕事は葬儀屋だ。日記にも書いてあるが、僕はスイスに留学して彼女は実家に戻ったという設定にしている。まずはこの仕事を覚えなければならない」
「そうか、あいつが目覚める頃にはすでに四年経過しているから難しい資格を取得しとけばいいというわけか」
「ああ。仮に明日、千月の意識が戻ったとしても、葬儀屋で働いているという風には見せられるからな」
「とすると、残る問題は」
「3の千鶴ちゃんだ」志遠は空咳をして続けた。「僕の意識がなくなった時、そばにいるのは君か千鶴ちゃんだろう。だからこそ彼女の助けがいる」
「そうだな、だけど千鶴ちゃんにどう説明するんだ?」
志遠は手を振って眉を寄せた。「それが思いつかない。中々いい案がないんだ」
どう話せば彼女は納得し協力してくれるだろう。もちろんもう一つの人格が志遠だといってしまっても構わない。だがそれは最後の手段だ。彼女が信じる根拠などないし、また信じたとしても姉の中に男がいると聞いて共同生活は難しいだろう。
「今の所、僕だとわかっている様子はないが、やはり危険は多い。一刻も早く対処しておかなければならない」
「……問題は多いなぁ」凪は大きく溜息をついた。「だけどやるしかないな。一蓮托生ってやつだ。最後まで頑張っていこう」
「ああ、すでにさいは投げられている。こちらこそよろしく頼むよ」