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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第五章 『花纏月千(かてんげっち)』 阿紫花 志遠(あしばな しおん)編
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第五章 『花纏月千』 PART2

  2.


 志遠は大きく伸びをしながら目を覚ました。


 瞼は重いが意識ははっきりとしている。久しぶりに充実した睡眠だったようだ。


 目を擦りながら周りを見渡す。部屋の中は雲の中にいるかのように白くぼやけている。色がついたものが存在しないため全てのものが同化しているようだ。


 体を起こそうとすると何かに行く手を遮られた。まどろんだ目でそれを見ると左腕にはチューブのようなものが刺さっている。どうやらこれで固定されているらしい。


 ……どこだろう、ここは?


 改めて部屋を一瞥する。部屋はワンルームになっておりきちんと窓もついているようだ。やはりこの場所は知らない。見覚えのない所だ。


 視界が徐々に鮮明になっていく。窓しかないと思っていた外側の扉は全てガラス張りだ。そのくせ日本庭園のような庭までついている。いやに豪華な庭だ。


 全てのものが白ではなくはっきりと輪郭を帯びていく。どうやら白く見えたのは雪が積もっているからのようだ。それと共に気持ちが焦りを覚え始めていく。


 ……一体、今はいつだ?


 確か電車に乗ったのは2月29日だ。記憶に残っているのは千月と共に電車に乗った所までしかない。


 ……ここは病室なのか。


 脚を動かそうと意識を働かせてみるが鉛のように重く動かない。左腕からは点滴のパックが持続的にポタポタと細かい音を立てている。


 自由の利く右手で布団を捲り上げてみると、自分の両足が見えた。だが覗く限り拘束するようなものはない。しかもその足は自分のものではないような気がする。


 彼はもう一度吟味するように足の感触を確かめた。思った以上にすべすべしており、柔らかい。自分の足でありながら感触が妙に心地いい。


 ……何だろう、この不思議な感触は。


 彼は違和感を抱いたまま同じ動作を繰り返していた。


「あ……」


 ナース服の女性がドアの前で呆けて立っていた。志遠はその人物を知っている。自分の恋人である黄坂千月の妹・黄坂千鶴だ。


「よかった……。お姉ちゃん、本当によかった……」


 彼女は彼にゆっくりと一歩ずつ近づいてきた。


 志遠は後ろを振り返ってみた。しかし後ろには誰もいない。


「あ、そうだ。先生に早く知らせて来なくちゃ」


 千鶴は自分自身に投げかけるようにして声を上げ、そのままかつかつとヒールの音を立てながら走っていった。


 ……何を急いでいるのだろう、千鶴ちゃんは。


 彼は欠伸を上げながらのびをした。いやに心地がいい。どれだけ眠ったのかわからないが、こんなに快適な眠りをとったのは久しぶりだ。


 のびをした後、自分の体に再び違和感が襲った。体の一部が明らかにおかしい。尿意を催しているのは確かだ。だがそれはいつもの場所とは少し違った部分から感じている。


 彼は祈るようにして下半身に手を伸ばした。


 ……やっぱり。


 彼は愕然としズボンを下げて確認してみた。あるべきものが、ない。


 ……どうして、ないんだ?


 そのまま上半身に右手を伸ばし、自分の体を入念に調べる。小さく両手で納まってしまう顔。すらっとした喉仏のない首。大振りで形のいい胸。そしてすっとくびれた腰の下にはほどよくでっぱっている尻。先ほど確認した足には産毛しか生えておらず、そのまま足首まですっと辿り着いてしまう。


 ……そんな、まさか。


 夢でも見ているだけだ。冷たい感覚が身を襲うが現状を理解できない。


 深呼吸を繰り返して息を整える。吸った息をきちんと残さず吐いていくと気持ちが自然と落ち着いていく。


 ……やっぱりこれは夢だ。目が覚めてから見る夢とは変わっている。これなら誰でも夢とは思うまい。


 おもむろに近くにあるガラス扉を眺めてみる。さきほど確認した日本庭園がある所だ。そこには葉の衣を失った無惨な大木が立っていた。季節は冬で間違いないだろう。


 窓に映っているのは大人の女性だ。しかもよく知っている顔がそこにある。


 ……え? この顔は。


 再び愕然として映っている顔を凝視する。自分の意識で左右に振ってみる。すると都合があうように窓に映っている顔も左右に揺れている。


 血の気はすでに失せていた。先ほど催した尿意など当に消えている。すーっと体の中から冷たい悪寒がぞくぞくと走り出していく。


 彼はもう一度大きく息を吸った。目を閉じて夢であってくれと願いながらガラスを眺める。しかし変わりはない。


 心臓の鼓動がいやに大きくなっていく。これが夢ではないと告げるかのように激しく、体の中から酸素を奪っていく。


 先ほど千鶴は自分の方を見て、はっきりといった。しかもこの部屋には自分しかいない。


 それはつまり……。


 もはや認めるしかない。彼は観念して自分の姿を見つめることにした。そこに映っているのは間違いなく女性だ。


 そして――。


 その顔は彼の婚約者である黄坂千月のものだった――。

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