第四章 『風花雪月』 PART13
13.
「先輩、お久しぶりです」
中酉は遺骨を抱えたまま頭を下げた。
「……ああ」
声が微妙に引きつる。何を話せばいいかわからない。
「私はもう先輩に話し掛けてもいいんでしょうか?」
「……ああ、もちろん」雪奈は誠意を表すように頭を下げた。「あの時はすまなかった。私が悪かった。君に感謝していたのに全て八つ当たりしてしまった」
「いえ、私の方こそすいませんでした」花織は雪奈以上に体を屈ませた。「先輩の気持ちも知らないで、押し掛けて……。私が馬鹿でした、先輩になんとか立ち直って貰いたくて……」
「いいんだ。それよりも訊きたいことがある。君の旦那は病死で間違いないのか?」
「どういう意味です?」花織は大きく顔を歪めた。
「本当に病死なのかと訊いている。もしかして君が関与しているんじゃないか」
沈黙が続く。深呼吸をした彼女は千月に視線を寄越している。そのまま数秒間押し黙った後、意を決したのか首を垂らしながら答えた。
「それは……わかりません。私が関与しているのかもしれませんし、関与していないのかもしれません」
まさか、本当に――。
曖昧な表現に雪奈は戸惑った。もし私の件が発端だとすると、それはもう後戻りはできない。絶望が連鎖する様を私は見ているだけで止めることをしなかった。むしろそれを歓迎するかのように振舞ってしまった。
全ては私の責任だ。
「今の私なら先輩の気持ちが痛い程、わかります。だからいわせて下さい。先輩のピアノがなければ彼の供養はできません」
「……俺からもお願いします」後ろから戌飼聡が顔を出してきた。「彼は雪奈さんのピアノが好きだったんです。花織と同じくらい、もしくはそれ以上に憧れていました。あの人にとってはこれが最後なんです。どうかお願いします」
「すまない、私は……本当に臆病者だ」
時計を確認すると、5分どころか15分以上経過していた。急に桃瀬のことが心配になり始めた。
「もう5分以上経ってしまったな。すまないが一旦戻らせて貰う」
「未橙さんっ」千月が後ろから声を上げた。
雪奈はそのまま踵を返したが、途中で立ち止まり千月に返すように言葉を発した。
「……初七日の後でいいのだろう? それまでに自分の仕事を終わらせておくよ」
「……先輩」花織は立ち尽くしたまま声を漏らした。「ありがとうございます」
雪奈は彼女の頭を軽く撫でた後、和室へと歩を進めた。
……これは償いだ。
雪奈は手にぐっと力を入れた。私の絶望が彼女に悲劇をもたらしたのならその罪は私が償うべきだ。
湯灌を終えた後、携帯を開くとチーフからメールが届いていた。どうやら千月が前もって連絡を入れていたようでそのまま演奏に意向できるらしい。桃瀬も斎場で待機させておいていいようだ。
斎場に再び入ると、ピアノの前に千月が立っていた。どうやら初七日は終えたようだ。花織に挨拶を済ませた後、二人掛けの椅子に座った。
「……これは貸しだからな」雪奈は千月の耳元で呟いた。「私のは高いからね。覚えておくといい」
「借りじゃないんですか?」千月は隣に座り不敵に微笑んだ。「それよりもちゃんとついてきてくださいよ。この曲だけはプロのピアニストにも引けは取りませんから」
「ふん、生意気な」
雪奈は眉間に皺を寄せたが内心ではほっとしていた。本当に久しぶりの人前での演奏だ。これも千月、いやゆかりのおかげだ。あいつが気を効かせたのだろう。
……もう迷いはしない、ありったけの気持ちを込めて演奏しよう。
雪奈は鍵盤を眺め今から始まるメロディーを想像した。これが最後の演奏でもいい。贖罪を込めて私のピアノを終わらせよう。
雪奈は鍵盤に指を乗せた後、目を閉じた。そして花織の心に語りかけるように演奏に入った。