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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第四章 『風花紲月(ふうかせつげつ』 未橙 雪奈(みだい ゆきな)編
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第四章 『風花雪月』 PART7

  7.


「それじゃあ解散します。後は各自で好きに行動してちょうだい」


 チーフの一言で歓迎会は終わりを迎える。これで今日の残業は終わりだ。


 さて、家に帰って一杯やることにしよう。雪奈は帰りの駅に向かおうとしたが桃瀬に腕を引っ張られた。


「さあ、先輩、もう一件行きましょう」


 歓迎会の途中に桃瀬から誘いを受けたことを思い出す。二人で飲みに行こうといわれたのだ。


「ああ、そうだったな。だがまた今度にしよう。明日も仕事が入っている」


 帰り際にチーフの携帯が鳴った。どうやら明善社には明日も仕事が入っているらしい。これが何件目かは知らないが、一件は確定したことになる。


「えー。約束したじゃないですかー。一杯だけでもいいんです」桃瀬は唇を尖らせて必死に抗議をしている。先ほどまで顔が赤くなっていたが元に戻っている。


「それに先輩、お酒を飲むときは煙草が吸えないといやだといってたじゃないですか。一杯くらい美味しいお酒を飲んで帰りましょうよー」


「どうした、桃瀬も煙草が吸いたいのか」


 今まで桃瀬が煙草を吸っている姿は見ていない。もしかすると仕事の時は遠慮しているのかもしれない。


「ええ、そうです」彼女は手に息を吐きつけながらいった。バックから彼女の煙草が見える、雪奈と同じセブンスターだ。「せっかくですから先輩と語り合いたいんですよ。先輩の行きつけでもいいです。だから……」


「仕方ないな。一杯だけだぞ」


 これ以上ここで話し合っても体が冷えてしまうだけだ。それならば一杯飲んで解散した方がいい。雪奈はそれとなく足を進めた。


 桃瀬にいわれるがままに次の店を探す。何気ない通りに入ると見覚えのある店があった。雪奈は何もいわずに厚い木で出来た扉を開けた。


「お、久しぶりだね。いらっしゃい」

「まだ時間大丈夫ですか?」

「ああ、いいよ」


 マスターはおしぼりを掴み手渡してきた。熱い感触にほっと吐息が零れる。


「渋いお店ですね。さすが未橙先輩」


 桃瀬はきょろきょろと辺りを見渡している。バーカウンターの椅子は彼女にとって高いらしく足をぶらぶらとさせている。


「何にしようか」マスターはグラスを拭きながら視線を寄越した。

「スコッチをダブルで」

「はいよ。隣のお嬢さんは?」


「うーん」桃瀬は腕を組み眉間に皺を寄せている。「何がいいですかね? 先輩、選んで下さいよ」


「お子様にはカルアミルクでいいんじゃないか」雪奈はメニューも見ずにいった。


「思いっきり馬鹿にしてますね。しゃくですけどそれでいいです」


「はいよ。スコッチとカルアミルクね」


 氷を削るマスターを眺めながらセブンスターに火を点ける。一息吐く度に満足感が胸を覆う。ようやく落ち着ける時間になった。


「先輩、あそこで誰か演奏するんですか?」


 桃瀬がバーの奥にあるドラムを指差した。その隣にはグランドピアノが置いてある。


「ああ、そうだよ」


「今日はいないんですね」


「ごめんね、演奏者が急遽キャンセルしたんだ」マスターは苦笑いを浮かべ応対した。「当分生演奏はできそうにない状態にあるみたいでね。申し訳ないがBGMはこれで勘弁してくれ」


「そうだったんですね、残念だなぁ」


 桃瀬は小さく呟きピアノを眺めた。


「私、小さい頃ピアノをやってたんです。全然長続きしませんでしたけど。今思うと、やっておけばよかったなぁと思います」


「どうして?」


「だって、楽器が弾けたら格好いいじゃないですか」桃瀬は雪奈を眺めながらいった。「雪奈さんみたいに長くて綺麗な指だったら似合うんだろうなぁ」


「……似合わないよ」


「いいや、雪奈さんがピアニストだったらばっちりです」桃瀬はきっぱりと告げる。「もし演奏ができたらどんな曲がいいです? 明るい曲ですか、それともしんみりとした曲?」


「そうだなぁ……」雪奈は首を傾げてマスターの方を向いた。こちらの声は届いているだろうが聞こえていない振りをしてくれているようだ。「演奏ができるのなら、ドヴィッシーの『月の光』が演奏したいなぁ」


「あ、聞いたことがあります。とっても綺麗な曲ですよね」


「ああ。演奏はできないけど、聴くのは好きなんだ」


 雪奈は思い出すように語り始めた。思い出を除きながら淡々と曲の構成、メロディラインの美しさ、作曲者の思いを述べていく。


 他に客がいないからなのか、マスターがCDを変えてくれた。曲はもちろん『月の光』だ。


 優しい音符が夜の闇に一筋の光を入れていく。淡い光が固まった心をほぐしてくれる。

 ああ、この曲が自由に弾けた頃が懐かしい。曲のテンポを気分のままに変えて、思うままに強弱をつけて演奏していたあの頃に戻りたい。


 この曲があったから花織に出会えた、そしてあの人と繋がることができた。


 静かに酒を飲んでいる桃瀬を眺めながら、彼女は再び音に耳を傾けた。

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