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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第四章 『風花紲月(ふうかせつげつ』 未橙 雪奈(みだい ゆきな)編
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第四章 『風花雪月』 PART6

  6.


「あ、雪奈さん。お疲れ様です」黄坂千月がこちらに気づいて頭を下げてきた。「もしかして、もう終わりました?」


「ああ、たった今終わった所だ。申塚家の担当者は君だよな?」


「ええそうです」彼女は静かに頷き席を立った。「といっても通夜までですけどね」


 そういって千月は力なく笑った。彼女はこの明善社を立てた先代の娘だ。だが親の教育がよかったのか性格は温厚で態度も大きくない。そのためこの一年で世間話くらいはする仲になっている。


「……桃瀬、先に戻っていてくれ」雪奈は後輩に五百円玉を飛ばした。「ブラックなら何でもいい。ついでに車のエンジンを掛けておいてくれないか」


「これは……」桃瀬は懇願するような目つきで見てくる。まるで飼い猫が餌をせびっているようだ。


「もちろん君の分も入っている。好きなものを買っていい」


「りょ、了解です」


 桃瀬は嬉しそうに微笑みながら事務所を後にし自販機に向かった。その後姿はあどけなく、まるで少女のようだ。


「君が担当する仕事は色々と厄介ごとが多そうだな。中々天寿を全うしていることが少ない。それとも自ら厄介ごとを引き受けているのかな」


「そうかもしれませんね」千月はにやりと微笑んだ。「別に仕事を選んでいるわけではないんですよ。ただ私にはそういった素質があるみたいです。外れくじを引いてしまう傾向にあるみたいです」


「外れくじとはいわないよ。クレームが多そうだとは思うけど」


 嫌味を込めていうと千月は首を振った。


「返ってそうでもないんですよ。葬儀の最中に問題が解決してしまえば後からは何もいわれません。逆に葬儀が終わってからの方が厄介です。解決する場所がありませんから、ただ鬱憤を聞くだけになってしまいます。それだと結局収拾がつきませんから」


「なるほど。大分仕事には慣れたみたいだな」

「ええ、そうみたいです」


 千月が灰皿を勧めてきた。雪奈は手刀を切り煙草に火をつけた。小さく息を吸い込みゆっくりと吐息を漏らす。


「故人はコントラバスをされていたみたいです」千月は雪奈が吸っている煙草を眺めながらいった。「奥さんが語ってくれました。何でも音楽で出会ったと」


「で、奥さんはピアニストか?」


「そうみたいです」千月は首を縦に振って頷いた。「楽器を弾ける人っていうのはいいですよね。私にも一曲だけでいいから教えてくれません? 弾きたい曲があるんです」


「君には仕事が残っているだろう。そんな暇はないはずだ」


「……まあそうなんですけどね」千月は首を傾げて苦笑いした。「でも最近、色んなことに興味を持つようになりました。人生は一回きりなのに一つの職業にしかつけないでしょ? 一日が長ければいいのに、といつも思ってしまいます」


 それについては返答しがたい。雪奈はただ黙って彼女の話に耳を傾けていた。彼女には限られた時間しかない。どのように答えても慰めにしかならないだろう。


 一瞬の間、沈黙が続く。事務員がいなくなった所を見計らって雪奈は再び話を切り出した。


「どうだい、調子の方は。今の所、変わった所はないのか」


「ええ、おかげさまで。今の所は問題ありません」千月は大きく頷いた。「雪奈さんに手伝って貰ったオルゴールを聴いて眠るだけできちんと入れ替わっていますよ。今日も実行しなくちゃいけないんですが、まあ大丈夫でしょう」


「ああ、それでなのか」頭に留まっていた疑問が一つ解決する。「申塚家の祭壇が春仕様になっていたのはそこにあったんだな。春の花は予約しないと取り寄せることができない。だからわざわざこの日を選んだのだろう? あの花屋の息子を頼って」


「さすが雪奈さん、勘が鋭い」千月は感嘆の声を漏らした。「4月と10月が一番開きがありますからね。祭壇を合わせるだけでも彼女の違和感はぐっと減ると思います」


 黄坂千月には人格が二つある。一つは千月本人で、もう一つの人格はゆかりという名だ。今の人格はゆかりで、彼女は千月を表に出すために奮闘しているらしい。


 その一つの鍵がドビュッシーの『月の光』にある。雪奈がたまたま斎場で演奏した時に二人の人格は入れ替わってしまったのだ。なんでも千月の母親の形見のオルゴールが『月の光』が奏でられるものだったらしい。この曲を軸にして二人の意識は反転している。


「まさに幻想という言葉が相応しいな。月の光に導かれて入れ替わるなんて幻以外の何物でもない」


「そうですね。おかげで現実なのか夢なのか、私自身が迷っていますけど」千月は頬を掻きながら答えた。「雪奈さんはこの世界がきちんと現実だと毎日思えますか? 朝起きてから夜寝るまで全てが納得して、繋がっていますか?」


「……どうだろうな。もちろん頭の中ではそう思っているだろう。だが実際にそう訊かれると確信はもてない。日常でそんなことを考えている人の方が少ないからな」


「そうですよね。私もそう思います」


「……ただ」灰を落とし続ける。「私は幻なんかいらない。現実を受け入れようと努力し続けるつもりだ。もしそれを受け入れられなくなった場合は死ぬ覚悟だってある」


「強いんですね」


「……考えが狭いだけだよ。世の中には知らないことがたくさんある。私だって旦那を失わなかったらこんな仕事にはついていないし、毛嫌いしていると思う。もちろん君のことに関してもだ」


「……なるほど」千月は納得のいった顔になった。切れ長の眼がぴんと吊り上がる。


「君のことは素直に凄いと思うよ。私だったらできないし、するつもりもない。結局は考え方の違いだね。まあ何にしたって最後までやり抜かなければわからないけど」


「ええ。その通りですね」千月は肩の力を抜いて微笑んだ。「だから私は最後までやってみようと思ってます。自分の信じた道を突き進んでいこうと思ってます」


「そうか……」雪奈は煙草をすり潰し時計を確認した。そろそろ戻らなければ桃瀬が心配して戻ってきてしまうだろう。「また何かあれば報告をくれ。できることなら手伝おう」


「ありがとうございます。頼りにしてますよ」


 千月が笑顔で頷いた後、雪奈は踵を返しハイエースへと戻った。

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