表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第一章 花弔封月(かちょうふうげつ) 黄坂千月(こうさか ちづき)編
4/78

第一章 花弔封月 PART4

  4.


 嫌な予感は的中した。千月は心の中で溜息をつきながら応答に入った。声の主は病院の取引先だ。

「ありがとうございます。では、故人のプロフィールを」


 ごほんと咳き込む音が電話越しに伝わる。


「年は19歳。男性。バイクでの交通事故だ。遺族がすでに病院にいる。ちょうど君の斎場をご指名だ。すぐ来れそうかい?」

「はい。今から伺います」


 大きな溜息をつくと近くにいた事務員がすぐさま搬送者に電話を掛けた。いつもながら葬儀の仕事は突発的だ。もう一つ大きな溜息をつきたかったが、代わりに欠伸が出た。


 今日は当直明けだ、できることならこのまま帰りたい。


「千月ちゃん、そんなに溜息ばかりついていると幸せが逃げちゃうよ」


 事務員が彼女の方に視線を送りながら小声を漏らす。


「もうとっくに持ち合わせていませんよ、幸せなんて……」


 事務員に軽口を叩いた後、彼女は愛車のミニクーパーに乗り込み病院に向かうことにした。



 車から降りて空を見上げると、すでにオリオン座が輝いていた。七つの星がそれぞれに光を放ち星座の線を為している。空はもう夜の顔だ。


 霊安室の扉の上には点灯中の文字が薄暗く光っていた。気を引き締めて深呼吸をする。ここから先は営業の顔に変わらなければならない。眠気を覚ますため軽く頬を叩いた後、大きく息を吸い込む。


 さあ、後はどんな文句でも受けて立とうではないか。千月が扉を押すと遺族がすすり泣きを漏らし声を枯らして泣いていた。


 ……神経を尖らせなければ。


 彼女は再度気を引き締めることにした。ここで応対を間違えば仕事を失う所か会社のイメージまで落としかねない。

 ベッドの上には髪が明るく染まった男の体が横たわっていた。頭に包帯が巻かれてあるが特に目立った外傷はない。一番気になるのは故人の身長だろう。かなり大きい、きっと特注のお棺を用意しなくてはならない。


 次に目に入ったのは故人の時計だった。細い腕に巻かれてある白のBABYーGが生気を吸い取るように時を刻んでおり、青白い蛍光色のライトがさらに不気味さを醸し出している。


「この度はお悔やみ申し上げます。明善社の黄坂千月といいます」速やかに名刺を取り出し遺族へ差し出す。「うちの方で葬儀を執り行なわさせて貰いますが、よろしいでしょうか?」


 故人の母親らしき人物がこちらに視線を這わせる。その視線には絶望と狂気が滲んでいた。


「ああ……葬儀屋さんね」


 婦人の声には生気を感じない。おそらく今回の葬儀は式が終わってもこの枯れ果てた焦燥感は残るに違いない。あまりにも若すぎる故人だからだ。


「すいませんね、家内はまだ落ち着いて話せる状態ではないので。外で話させて下さい」


 遺族の父親らしき人物が後ろの扉を指差した。緩んで皺まみれになったネクタイが全てを物語っている。きっと急いで駆けつけたのだろう。千月は黙って従い静かに部屋を後にした。 


 近くにある談話室に腰を掛けると故人の父親は名刺を取り出して机の上に表示してきた。


 名は丑尾雄介うしお ゆうすけ。どうやら近くの運送会社で務めているらしい。その会社名に見覚えがある、全国区で有名な運送会社だ。彼はその八幡地区の部長らしい。


「まさか、社長の葬儀の前に自分の息子の葬儀をすることになるなんてなぁ……」


 丑尾はがっくりと肩を落としながらいった。手にはセブンスターの箱が握られガタガタと震え上がっている。


「うちの会社は代々お宅の葬儀場をお借りしているんです。先日も社長の葬儀の件で伺っていたんですよ。いつ亡くなるかわからない状態にあるのでね。でも、まさかこんなことになるなんて……」


「……御察しします」


 そういえば、この間社葬の打ち合わせをしてきたと担当部長がいっていた。全国区の社長の葬儀をするため、予算も莫大で決め事が多いと嘆いていたのを思い出す。多く見積もって後一年の命だともいっていたはずだ。


「すいません、いきなりですが料金の話をさせて貰ってもいいでしょうか」


「え?」


 千月は目を大きく張った。この場で金の話をする人は多くないからだ。まずは遺体を自宅へ向かわせるか、そのまま直送という形で斎場に向かわせるかを決めなくてはならない。その後、ゆっくりとした場で決めるのが通例だ。


「よろしいのですか? 一応葬儀プランを持ってきてはいますが……」

「はい、是非見させて下さい」


 丑尾の顔に迷いはない。その迷いのなさに千月は目を光らせた。どうやらここに来る前に色々と考えを練ってきていたのだろう。うろたえる様子もなく詳細のプランは次々に決まっていく。


「以上で私の話は終わりますが……、何かご要望はございますか?」

「……そうですね」


 丑尾は箱から煙草を取り出しながら頷いた。

「祭壇の花は明るくしてくれませんか。菊ばっかりだと暗い葬式になりそうなので。誠一は明るい性格だったので明るく見送りたいんです」


 やはり初めての葬儀ではないのだろう。事故で亡くなっているにも関わらず祭壇の花にまで気を配れるのは落ち着いている証拠だ。


 しかし気が利きすぎる。何かがおかしいと違和感を覚える。


「承知しました」


 千月は胸を張って答えた。

「ご期待に沿えるよう最大限努力します」


「ありがとうございます。それではよろしくお願いします」


 丑尾ははっきりとした声でいった。だが手に持っている煙草は逆を向いていた。


 ……やっぱり自分の息子が死んで自然体でいれるわけがない。


 彼は虚勢を張っているだけなのだ、と千月は思った。きっと現実を受け入れたくなくて放心したいはずなのだ。だがスーツを着ている手前、何も考えずにはいられないのだろう。彼は今、できるだけのことをしようと必死に振舞っているのだ。


 それでも完璧でいられるはずがない。わが子を失って平然としている方がおかしいからだ。


 ……ともかく今日の仕事はこれで終わりだ。


 千月は緊張を解いて業者に連絡を入れた。後は搬送屋が故人の自宅に連れていき次の日に通夜が始まるという流れになる。


 だが母親にも一言挨拶を交わしておくべきだろう。いくら絶望に打ちひしがれていても故人の遺体を運ばなければならない。そのくらいは伝えておかなければ。


 霊安室に戻ると母親は故人に縋りつき顔を埋めていた。ちくりと心臓が痛んでしまう。


「ご主人様にお話を伺いました。明日から私の方でお手伝いさせて頂きます」


「……そう」


 母親は一つの間を空けた後、大きなビニール袋を掴みこちらに向かって投げた。

「……それ、持って帰ってくれない? ここにあったら邪魔なの」


 何だろう? 中身を開けてみると中から女性ものの衣類が出てきた。


「こちらは?」


「……誠一の近くに落ちていたらしいの」


 母親は溜息をつきながら呟いた。

「……誠一がこんなもの持っているわけないでしょ。だから捨ててきて」


「おい、綾子あやこ。何をいってるんだ」


 父親は彼女に向かって声を飛ばす。

「そんなこと、葬儀屋さんには関係ないだろ」


「こんなもの、見たくないっ」


 母親はヒステリックに叫んだ。

「どうせ、この袋を持った女と一緒にいたんでしょ。この女が悪いのよ。だから処分するの。ここにあったんじゃ気分が悪いわ」


「いい加減にしないかっ」


「いえ、いいんです。こちらで処分しておきます」


 千月はそのまま袋を受け取った。

「お気持ちはわかります。お構いなく」


「……ありがとう。もし使えそうだったらあなたが使ってもいいのよ。こんな商売をしているんですもの、お金に困っているんじゃない?」


 母親の罵声は止まらない。彼女は眉間に皺を寄せながらひどく臆病な目で千月を蔑んでいる。


「本当に大変な仕事よねぇ。でも人の死でお金を稼いでるんだもの。これくらいして貰って当然よね」


「失礼にも程があるだろっ」


 父親はこの場が張り裂けそうな声で叫んだ。

「本当にすいません、置いといて下さい。こちらで処分しますから」


 父親が力づくで袋を取り戻そうとする。だが千月は力を緩めなかった。


「いえ、構いません。では明日からよろしくお願いします」


 彼女は足早に出口に向かった。そのまま病院から出ようとすると、電話の主・神山が煙草を咥えて立っていた。


「お疲れさん。どうやら一悶着あったようだね」


「……ええ。でもいつものことです。葬儀を挙げてくれるだけまだマシです」


「大分プロの顔になってきたなぁ」


 神山は煙を吐きながらその行方を目で追っている。

「親御さんが今の姿を見たら、きっと喜ぶだろうね」


「どうでしょうね。跡をついで欲しいなんて一度も聞いてないですから。私がしたいからしてるだけです」

「そうか。それもそうかもね。私が葬儀屋だったら子供についで欲しいとは思わないかもしれない」


 人によっては嫌味に聞こえる言葉だろう。だが彼の発言にはそれを感じさせない。


「そうでしょう? 兼ね合いが難しい仕事なんです。それでは失礼します」


 挨拶を済ませた後、千月はそのまま自宅に向かった。


 部屋の鍵を開けようとすると、内側から鍵が開く音がした。どうやら千鶴が先に帰って来ているらしい。


「お帰りなさい、お姉ちゃん」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ