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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第三章 『花弔封影(かちょうふうえい)』 黄坂千鶴(こうさか ちづる)編
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第三章 『花弔封影』 PART11

  11.


「おお、黄坂か」午代は起き上がりながらいった。「綺麗だな。実に涼しい感じだ」


「そうでしょ?」千鶴は花を眺めながら頷く。「それにね、ここに睡蓮の蕾があるの。先生、睡蓮の花言葉って知ってる?」


 午代が花を知るわけがない。千鶴が続けようと息継ぎをすると、口を開く前に彼が言葉を返した。


「睡蓮には『純粋』という意味があるんだろう?」


「……凄い」千鶴は目を丸くした。「どうして知ってるんですか?」


「嫁が好きなんだよ」午代は躊躇いながら答えた。「睡蓮には別名、ひつじ草っていう名前があるらしくてな。彼女の旧姓には未っていう名が入っているんだ。それで気にいってるらしい」


 そういえば彼女の旧姓は未橙だった。納得しつつも溜息が零れる。


「あーあ、面白くないなぁ。せっかく色々考えて来たのに。そういう時はわからない振りをするのが一番ですよ」


「違いない」彼は口角を上げて微笑んだ。「せっかく持って来て貰ったのに悪かったな」


 午代は検査入院で先月来たばかりだったのだが、その検査の結果が芳しくなく入院している。


 胃癌だ。かなり小さな腫瘍だが彼の胃は常人のものよりも小さくなっている。すでに手術ができない状態にあるらしい。


「黄坂、お前は俺の本当の病気を知っているんだろう?」


「いいえ、知りません。いくら知人でも担当じゃなければ知ることはできませんから」


 もちろん嘘だ。検査病棟にいる黒崎から話を聞いている。この分だと持って一ヶ月だとも。


「いいんだ、俺は遣り残したことはないんだから。遠慮するなよ」


「先生、どこも痛い所はないでしょう?」


「ああ、今の所はな」


「じゃあ大丈夫ですよ。胃の所に小さな腫瘍があるだけです。お薬を飲むだけで回復しますから、気にしないでいいんです」


「何だ。やっぱり知ってるじゃないか」午代は笑みを零した。「大人になったな、平気で嘘がつけるようになるなんて立派な看護師じゃないか」


「ええ、先生。看護師は嘘も上手くなくちゃいけないんです」


 急に午代の顔つきがほぐれた。その顔に心を奪われる。


「……なあ、黄坂。昔、俺のことが好きだといっていたよな」


「さあ? そんなこともありましたっけ」


「実はあの時、俺もお前のことが好きだった」


「えっ」


 午代を見ると目つきが真剣になっていた。まっすぐに千鶴の方を向いている。嘘をついているようには見えない。


「生徒だと思って自粛していたんだけど、今なら時効だよな? お前にも好きな人ができたといっていたし、これくらいは告げてもいいだろう」


「でも先生。奥さんが……」


「二人好きな人がいてもいいだろう。なんだ、いけないのか」


 千鶴は肩を竦めた。こんな午代を見るのは初めてだったからだ。どことなく雰囲気まで違う。本当にそう思っていたとしても、こんなことをいう人ではない。


「いけなくはないですけど。今頃いわれても困りますよ」


「困る必要はない。どうせ俺はもうすぐ死ぬんだから」


 どうして?


 千鶴が視線を落として固まっていると、午代は続けた。


「騙す形になって悪いがこの病院が初めてじゃない。俺はお前に看取って欲しくてこの病院に来たんだ」


 やっぱり、そうだったんだ……。


 午代は自分の病状について理解していたから、わざとバリウムを飲んで検査を受けたのだ。全ては最初からわかっていたからこその余裕だった。胃が常人の半分以上もの切り取られていることが何よりの証拠だ。


「いきなり驚かせてしまってすまない。睡蓮の花に触発されたかな……」午代は顔を綻ばせた。その表情はどことなくバツが悪そうだ。「なあ、黄坂。白の睡蓮には純粋という意味がある。だが黒の睡蓮にはどんな花言葉があると思う?」


「黒の睡蓮、ですか?」その花自体も見たことがない。


 千鶴が黙っていると午代はゆっくりと告げた。


「『裏切りの愛』だよ」


午代は肩を竦めていった。


「俺はあの時、お前に意識が傾いていた。ユキ以上にな。それでも理性では駄目だとわかっていた。お前は俺の生徒だったし部活の一員でもあった。でもお前と過ごしている時が一番楽しかった。お前は俺の一語一句逃さず聞いて成長しようとがむしゃらになっていたし、ずっとその姿を追いかけていたいとさえ思っていた。だから体育倉庫に連れ込まれた時、自分を抑えるのに苦労したよ」


 冷え切っていた表情にも私の言葉は届いていたのか。そう思うと千鶴は何といえない感情を覚えた。


「じゃあ先生、もし奥さんがいなかったらどうしていました?」


「そうだな、その時は――」


「……話が盛り上がってるみたいね」


 声のする方を眺めると、大人の女性が立っていた。見覚えのある人だ。彼女は丁寧に頭を下げている。


「お久しぶりです、未橙さん」そういって千鶴は言い直した。「今は未橙さんじゃなかったですね、午代さんとお呼びした方がいいでしょうか」

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