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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第三章 『花弔封影(かちょうふうえい)』 黄坂千鶴(こうさか ちづる)編
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第三章 花弔封影 PART5

  5. 


「そうだよね」千鶴はサラダを口に運びながら話題を考えた。「今日の料理はどう? 美味しい?」


「うん。とっても」


 彼女が手を付けるということは好みの味だということだ。千鶴はほっとしながら湯のみに入っているお茶を啜った。


「何だか妙に楽しそうね。何かいいことでもあったの?」ゆかりは千鶴の顔をまじまじと見つめてきた。


「ちょっとね」千鶴は二本指を細めて程度が低いことを強調した。「高校の時の先生に会ったんだ。部活動の顧問でもあってね。久しぶりに積もる話もあってたくさん話しちゃった」


「千鶴ちゃん、その人のこと好きだったんでしょ」


「えっどうして?」


「顔にそう書いてある」


 特別感情を表に出したつもりはないのだが。ゆかりの観察眼にはやはり頭が上がらない。


「やっぱりゆかりさんにはわかっちゃうのね」千鶴は唇を舐めて続けた。「うん、正直にいえば大好きだったな。いつも能天気な感じなのにいざっていう時には頼りがいがあってさ。それに……」


「それに?」


「なんていえばいいのかな。難しいなぁ」


千鶴は頭を抱え2、3回首を捻った。


「感情を教えてくれた人ってことになるのかな。私ね、高校の時にいじめられてたの。それを助けてくれたのがその先生だったんだ。思ったことは口にしろっていってくれてさ、我慢していた気持ちを全部吐き出させてくれたの」


「いい先生だったのね」ゆかりは嬉しそうに微笑んだ。だがその表情からは千月を感じさせない。彼女の微笑は氷のように冷たく、また儚い感じを受ける。


「それでね、あまりにも先生に気持ちが行き過ぎて自分を止められなくなったの。自分の気持ちをストレートに出し過ぎて迷惑掛けちゃったんだ」


「何をしたの?」


「先生に私だけを見て欲しくて体育倉庫に連れ込んだことがあったの」千鶴は思い返しながら噴き出した。「部活の顧問だったから、先生が連れ込んだって疑われて大変だったのよ。奥さんになる人まで出てきちゃってね」


「……へぇ」ゆかりは穏やかに目を細めた。しかし表情は変わらない。「それでどうなったの?」


「私が正直に全部話して謝ったの」千鶴は思い出すようにして答えた。「じゃないと、先生の仕事がなくなっちゃいそうだったから。正直に話して許して貰ったの」


「千鶴ちゃんも昔は無茶をやってたのね。そんな風には見えないけど」


「まあね。ゆかりさんはどうなの? 昔の記憶とか残ってない?」


「うーん、おぼろげにだけどあることはあるわ」彼女は視線を外して顎に手をやった。「そんなに大した記憶はないんだけどね。でも機械を扱うことは得意だったみたい」


 彼女の視線の先には左腕の時計がある。その時計はゆかりが修理したものだ。きちんと整備がされており美しい輝きを取り戻している。


「そうだろうね」千鶴は首を縦に振った。「そうじゃないと時計の修理なんてできないよ。いくらお姉ちゃんの体の中にいるからっていってもさ」


 ゆかりと再会したのは二年前のある夜のこと。千月と思っていた人物と夕食を食べていた時のことだ。


 初めて出会ったのは自分が高校一年生の時、母親の千尋が亡くなった時だ。その時はゆかりだとは気づかずに話していたが、今思えばあの時の彼女は少し変わっていた。


「コツさえ掴めば誰にだってできるわ。もっとも千月さんの方が上手くできるでしょうけど」


「そうかもね。お姉ちゃん、時計に関しては凄い情熱を持っていたから」


 2年前の2月29日。千月は事故に巻き込まれ意識を失った。幸い特別悪い箇所は見つからなかったので東京の病院で様子を見ることになった。


 しかし千月の意識は一向に戻らなかった。そのため千鶴は彼女を地元で看病するため、自分が働いている病院の個室を確保したのだ。


「やっぱり違う人の体だと動きにくいの?」


「うん。たまにね。中々思うように動かせない時もあるわ」


 9ヶ月の時を得て、千月は目を覚ました。その後彼女は何事もなかったように生活を始めていたが、そこには千月の特徴はなかった。


 ある日、思い切って聞いてみると彼女は千月本人ではなく別の人格だと言い切った。その人格こそがゆかりだ。


 つまり黄坂千月は二重人格となっていたのだ。


「それにしても不思議だよね。お姉ちゃんの体の中にいるのに食べ物の好みは違うし利き腕だって違う。ゆかりさんには本当の体が合ったんだろうね」


「そうだろうね」彼女はなんとなく相槌を打つ。千月とは対照的におぼろげにだ。「昔の記憶があるってことはどこかで生きていたのかもしれないわね」


「元の体に戻りたいとか思わない?」


「うーん、それはないわね」


「どうして?」


「過去は振り返らない主義だから」


 千鶴は意表をつかれて噴き出した。今の状況でそんなことをいわれたら誰だって笑ってしまうだろう。


「もしお姉ちゃんが表に出るようになったらゆかりさんは消えてしまうのかな?」


「そうなるわね」


「寂しいなぁ。私ね、こうやってゆかりさんと過ごすのも好きなの。お姉ちゃんのことは好きだし、早く元に戻って欲しいなっていう気持ちもある。私にとっては二人ともお姉ちゃんなの」


「……欲張りね」ゆかりは湯のみを啜りながら答えた。「私は本来ならここにいたらいけない身なの。気持ちは嬉しいけど、やっぱり千月さんの人格を立ち直らせなければならないわ」


 彼女の表情を見て、千鶴は軽く吐息をついた。


「誰だって現実逃避したくなるよね……。自分のせいで恋人を失ったと思ったらさ」


 事故当日、千月は婚約者の志遠と共に里帰りを決定していた。それは彼女の父親・あきらに自分達の婚約を発表するためだった。だがそれは叶わなかった。彼女たちが向かう前に彼は亡くなったのだ。


 明は血筋由来の糖尿病で入院していた。そしてそれは直る見込みのないものだった。いつ亡くなってもおかしくない状況で、千月は向かう前にそれを知ってしまうのだ。


 動揺した彼女は予定していた新幹線に乗ることができなかった。二つの便を繰り越してようやく九州行きのものに乗ったのだが、それが運悪く地震に見舞われて脱線事故にあったのだ。


 彼女は彼に身を守られるような状況で倒れていたらしい。同じ車両に乗っていた人物は誰もが怪我を負ったが彼女だけは無事だった。


 千月は再び彼の姿を見て絶望した。動かなくなった志遠を見て自分のせいだと落胆したのだ。予定通りの電車に乗っていればこんなことにはならなかったと自分を責めた結果、自分の人格を封じることとなったのだ。


「彼女の気持ちを考えると、私も心が痛むわ。でもこのままいけばなんとかなりそうよ。千月さんの日記を読む限り」


 ゆかりは千月の意識を取り戻すために計画を立てた。


 その一つが志遠が生きていると思わせる錯覚だ。定期的に彼からの手紙を読ませ、彼はスイスに留学していると思わせている。手紙は時計店に残っていた彼の筆跡を真似してゆかりが書いている。


「昨日のお姉ちゃんも、一ヶ月前のお姉ちゃんも手紙読んで嬉しそうにしてたもん。お姉ちゃんがあんなに喜んでる姿、こっちに住んでる時は見たことがなかったんだよ」


「そうなの? でもそれでいいと思うわ」ゆかりは冷静に告げた。「千月さんに掛けたおまじないが効いている証拠よ。だから千鶴ちゃんは何もいわずに見守って上げてね」


 千月の意識は一ヶ月に一度しかない。彼女はそこでまた違和感を覚えてしまう可能性がある。この対処法は二つの手段が用いられている。


 一つは日記を用いることで全ての日を彼女が担当していると思わせること、もう一つは彼女の記憶力が一日しかないと暗示させることだ。


「ってことはお姉ちゃんは同じ手紙でも毎回、新鮮に感じれるってこと? それはずるいなぁ」


「忘れるってことは悪いことだけじゃないのかもね。忘れるって機能は人を幸せにするためにあるのかもしれない」


 今の所はこれで千月の意識が表に出ても保たれている。このまま彼女が普段通りの生活に戻れれば、ゆかりの仕事は終わりというわけだ。


「ところで……時計の修理は順調?」


「うん、今の所はね」


 ゆかりは千月が首に掛けている懐中時計の修理をしている。なんでもこの時計は事故の衝撃で止まってしまったらしい。これが動くようになれば彼女の意識が少しでも改善されるのではないかと期待しているらしい。


 この懐中時計はフィアンセから貰ったものだからだ。


「一通りの歯車を見た所、かなりの年代物だとわかったわ。今にも壊れそうな部品ばかりよ。ホゾも磨り減ってきているし、よく今まで耐えてこられたなって感じ」


「期日までには終わりそう?」


「うん。終わせるしかないわね」


 ゆかりは彼女の意識を取りすための期間を4年と決めている。事故があった日が2月29日、4年に一度しかないからだ。その日が勝負の鍵となるらしい。


 作戦名はゲッカビジン。彼女の意識を取り戻すことと、月下美人が一年に一度しか花をつけない習性を掛け合わせているらしい。


「あまり無理はしないでね。もちろんお姉ちゃんの体だからとかじゃないよ。ゆかりさんのことを気にかけていってるんだから」


「うん、わかってる。ありがとう」


 千鶴の気遣いが通じたのか、ゆかりは口に手を当てて微笑んだ。


 その表情には微かにだが暖かいものを感じた。

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