第一章 花弔封月 PART3
3.
再び中ホールに戻ると、すでに凪が到着していた。その手には菊200本入りと書かれた大きいダンボールが握られている、祭壇の片付け作業に入ろうとしているらしい。
「時間通りに終わったみたいだな。じゃあ、早速片付けさせて貰うぜ」
「うん、お願い」
千月の合図をかわきりに、凪は目が眩むようなスピードで花を抜き始めた。その花は先ほど広げたダンボールの中に順序よく納まっていく。
彼は花を挿す三倍ほどのスピードで花を抜いていた。まるでビデオの巻き戻しのようだ。飾られていた祭壇の骨格が綺麗に崩れていく。何百の菊の花で作られていた三次元の円は二次元の線となり、いつしか一本の点となっていく。その光景に千月は目を奪われていた。
突然、凪の手が止まった。白菊は全て抜き取られており残すは鮮やかな色花だけがオアシスの上に突き刺さっている。
「確かここの仏様は向日葵が好きだったんだよな」
「そうよ。だから季節外れの祭壇になったんじゃない」
今日の祭壇は向日葵一色だ。まるでここでサマーウェディングが催されるのではないかというくらいに明るい花で敷き詰められている。初夏に咲く空木の白い花も両庭に立ちすくみ、いいアクセントになっている。
「……あいつが見たら危ない祭壇だったな」
「……そうね」
彼女が今回の祭壇を見ていたらどうなっていただろう。ゲッカビジンの花はもしかすると蕾のまま枯れ果ててしまったかもしれない。
「喪家のために向日葵を花束にしてやろうか」
「うん、持っていけば喪家も喜ぶわ」
凪は向日葵を纏め始め一つの花束を作り始めた。
「これくらいかな」
「うんうん、上出来ね」
千月は花束を眺めながらいった。
「ああ、それとこれも足しておいて」
彼女は祭壇からスターチスを抜いて彼に渡した。
「そうだったな、お前はこの花が好きだったな」
「うん、地味だけど花言葉が好きなの。凪は覚えてる? この花言葉」
「もちろん覚えているさ」
スターチスの花言葉は『変わらない思い』。千月がこの業界に入った時に知った言葉だ。今も変わらない思いが胸の内にある。
「それにしても綺麗ね。私が欲しいくらい」
千月はもう一度花束を見た。一瞬で作り上げられた花束にも緻密な計算が施され人の想いが籠もっている。
「どの職業にしても物を作ることには全て通じるものがあるのね」千月は左腕の時計を眺めながらいった。「……この時計にしてもそう、目に見えなくても人の思いは色んな所に詰まってる」
「そうだな。お前のいう通り、どんなものにだって心はあるよ。ま、お前にとってはその時計以上のものはないだろうがな」
千月は改めて腕時計を眺めた。
裏蓋に彫られた『花纏月千』の文字が光を帯びて輝いている。先日オーバーフォールをしたばかりだが、常に秒針には気を使わなければならない。機械式の時計は日毎にずれていくためだ。
心を込めて慎重に扱わなければ全てが狂ってしまう。そうなれば取り返しがつかなくなる――。
「そういえば千月、空木の花言葉、知ってるか?「知ってるわよ、『秘密』でしょ」
「正解」
凪は頷いて肯定した。
「……もうすぐだな」
「……何が?」
「何がってお前の誕生日だよ。はい、誕生日プレゼント」
そういって彼は余りものの花で小さく花束を作ってくれた。ミニヒマワリの鮮やかな色合いと空木の枝ぶりが小さくても豪華に感じられる。
「まあ、ありがとう。一応受け取っておくわ」
千月は今思い出したかのように振舞った。
「でも、まだ来月じゃない。時間はたっぷりあるわ」
「……そうだな。でも……長いようで短かった。俺にとっては全部いい思い出だ、少しだけだが寂しいよ」
「私はせいせいするけどね」
千月は目の端で彼を見ていった。
「やっとこれで凪に開放されると思うと気持ちが晴れるわ」
「うるせえ、俺だって同じ思いだよっ」
彼は唇を尖らした。
「作戦日にお前と同じ部屋のベッドに寝ないといけないなんて、考えただけで寒気がするね」
「それは私も同感よ。……まあ、いいじゃない。最後くらい付き合ってよ」
千月がウインクすると、凪は舌を出して牽制してきた。だが彼女がすました顔で覗くと、ため息をついて頷いた。
「はぁ……しかし本当に変わったよ。お前は。前は気難しそうな顔ばかりだったけど、最近はころころ表情が変わる。花言葉だって興味なかっただろ?」
千月は口を尖らして反論した。
「興味がなかったわけじゃない、知らなかっただけ。それに私自身は何も変わってないわ」
「そうかなぁ。最近、お前と会話する度に花の話題が出るから、俺の方が勉強しなくちゃならないよ」
「いいじゃない、花屋なんだから」
「まあな」
凪は照れくさそうに鼻を擦る。
「一つ答える度にお前の笑顔までついてくるんだから、文句はないさ」
千月は目を細め凪を睨んだ。
「何それ? 口説いているつもり? 気持ち悪いから止めて、寒気がするわ」
「そんなわけないだろう、お前を口説いてどうする。どちらかといえば千鶴ちゃんみたいなのがタイプだ」
「いわなくてもいい、知ってる」
千月は時計を覗きながら彼を手で追い払う仕草をした。
「もうこんな時間よ。早く帰らないとまた嵐さんから催促の電話が掛かってくるわよ」
「確かにこの時間はやばいな。急いで帰らなきゃ、また親父の説教が始まるよ」
凪が非常階段を閉めようとした時、再び戸が開いた。
「暇な時、店に来いよ。葬儀の花しか扱ってないから代わり映えはしないがな。親父も会いたがってる」
「ありがとう。近いうちに寄らせて貰うわ」
凪を見届け事務所に戻り支度を始める。
その時、店の電話が突然鳴った。嫌な予感が辺りを漂い始める。事務員は他の電話に出ている。自分が取るしかない。
「はい、明善社です」
「その声は千月ちゃんかな?」
男の声だった。声には聞き覚えがある、今一番聞きたくない声だ。
「仕事が入ったよ、すぐに来てくれないか」