第三章 『花弔封影』 PART4
4.
「千鶴、お疲れ様」
黒崎が腕を伸ばしながら椅子から立ち上がった。
「やっと終わったね。今日彼氏が夜勤なんだ。どう、これからご飯に行かない?」
「ごめんね、今日は私の当番なの」千鶴は片手を上げて黒崎の前にかざした。「今からスーパーに行かなくちゃいけないんだ。お姉ちゃんがお腹を空かせて待ってるの」
「ってことは家で食べるの?」黒崎は肩の力を抜いて白けた目で千鶴を見た。「何? 好きな人がいるとかいってさあ、結局何の進展もないの?」
「んー。ないことはないんだけどね」
「あるわけないじゃん、仕事終わってから家に帰るだけなんだから」
「まあそうなんだけど」
「ちゃんとメールとかして毎日連絡取るようにしとかないと駄目だよ。大抵の男はそういう女に弱いんだから」
「メールねぇ……。残念ながら、メールはできないなぁ」
「えっ。もしかして携帯持ってないとか? 今時そんな人いるの」
「んーん。持ってることは持ってるみたいなんだけど」
「ってことは電波が届かない所にいるとか?」
「……そうじゃないの。その人、機械オンチなの。だから連絡を取るなら手紙になるわね」
千鶴の言葉を真に受けて黒崎は顔を両手で覆った。
「えー大丈夫なの、その人。今の世の中、そんなんで生きていけるの?」
「うん、なんとかなってるみたい」
黒崎に何度も手を振りながら別れ、最寄のスーパーに向かった。スーパーに入ると一目散に惣菜コーナーへと足を進める。基本的に晩御飯は千鶴の担当だ。最近の惣菜は手が込んでいて中々美味しい。それにトッピングできそうなものを手に取り帰宅する。
家の駐車場には千月の車が止まっていた。どうやら彼女はすでに帰宅しているらしい。
「ただいま、お姉ちゃんいる?」
声を掛けるが何の反応もない。きっと自分の工房に閉じこもっているのだろう。リビングを覗き見るがそこに千月の姿はない。
「お姉ちゃん、いるんでしょ?」
千月の部屋を二回ノックする。だが返事はない。これはいつものことだ。
「ご飯買ってきたけど、食べられる?」
返事はないが椅子が動く音がした。どうやら帰っているようだ。こういう場合あまり話しかけると不機嫌になってしまうのでそっとしておくことにする。
とりあえず適当に作ってしまおう。
着替えた後、早速料理に取り掛かることにした。買ってきたサラダに豆腐を大きめに切り盛り付ける。後はドレッシングを掛ければ豆腐サラダの出来上がりだ。だが今の時点ではドレッシングは決めることはできない。
次の品は、と。千鶴は買い置きしてあるキムチを取り出しその中に刺身用のサーモンをつけた。最近の千鶴のお気に入りだ。刺身に醤油だけだと飽きが来てしまうが、別のたれをかけると新鮮味があって美味しい。
次々に一品料理を片付けていくと、千月がのっそりとリビングに顔を出した。
「ごめんね。返事できなくて」千月はそっとドアを開けてからいった。
千鶴は彼女の左腕に注目した。左腕にはごつごつとした大型の機械式時計が巻かれてある。
「いいよ、気にしないで」
どうやら今日のドレッシングは和風の方でよさそうだ。彼女は冷蔵庫から大根を取り出して軽く摩り下ろした。それを和風ドレッシングと一緒にサラダに掛ける。ご飯を電子ジャーから取り出して二膳分ついだ後、二人で両手を合わせた。
「じゃあ、頂きます」
千鶴は手を合わせた後、箸を手にとった。それに倣って千月も箸を取る。左手でだ。
「ねえ」千鶴はサーモンを掴んでからいった。目は千月の方に向けている。「今日はゆかりさんで間違いない?」
「そうよ」
千月の姿をした者は箸を置いて無表情で答えた。
「昨日千月さんが出て来ていたでしょ。今日は私の番よ」