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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第二章 『月運花馮(げつうんかふう)』 緑纏 凪(ろくまと なぎ)編
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第二章 『月運花馮』 PART11

  11.


「母が?」


 翼は動揺を隠し切れずにいった。

「母がこの写真を撮ってあの人に送ったというの?」


「ええ、そうとしか考えられません」

 凪は首を縦に振った。

「あなたはきっと母親に撮られた記憶がないだけです。それに写真に映っているこの花も龍三さんに対するメッセージが込められているんでしょう」


 凪は店に飾ってある竜胆の鉢を取り出した。そこには花言葉が書いたプラカードがある。


「病室に三個の小さな鉢がありました。あれは和巳さんが選んだのですか?」

「そうですよ。それが何か?」

「何度も手入れをして中身を入れ替えた後がありました。竜胆、ヒヤシンス、エリカの花にこだわりがあるのではないかと思ったのですが」

「ええ、だからそういっているじゃない。それがどうしたの?」


「竜胆の花言葉には貞節、『夫への誓い』という意味があるんです」


 凪ははっきりといった。

「写真の竜胆はこの九州地方にしか存在しないんです。和巳さんはあなたの知らない所で龍三さんと連絡を取り合っていたのではないでしょうか」


「何をいってるの、あなたは……」


 翼は笑いとも怯えともいえないような表情を作っている。

「母があの人に連絡を取るわけがないでしょう? 私達を裏切ったんだから」


「裏切ったとなぜいい切れるんです? 裏切ってないという可能性だってあるでしょう」

「裏切ってない? どういうことですか?」


 凪はもう一枚の写真を取り出した。

「この写真は龍三さんがイギリスに行った時の写真です。生涯初めての旅行だったそうです。何でも小説に出て来た舞台を見たかったそうですよ」

「それが私の話と何の関係があるんですか?」

「ここを見て下さい」


 彼は写真の花を指差した。

「この花は荒れた土地でも咲くくらい生命力が強いんです。その名を蛇の目エリカ。花言葉は『裏切り』という意味があります」

「『裏切り』……」

「龍三さんは最期まで悔やんでいたのではないでしょうか。だからこそ体を壊していてもイギリスに旅立ったんです。きっとこの風景を和巳さんに見せたくて行ったんじゃないでしょうか?」


「でもこの写真の日付は去年になってる」


 翼は冷たい視線を写真に投げかけた。

「仕事を引退してただの気まぐれでいったんじゃないかしら。体を壊していても時間はたっぷりあるわけだし」


「きっと奥さんを気遣ったんだと思います。運星さんの奥さんは一昨年亡くなっています。それはきっと彼女に義理立てていたからじゃないでしょうか」

「……」


 もちろん全て推測だ。確証はない。けど和巳の花に対する思いはわかったつもりだ。あの鉢を眺めている彼女の姿に自分は暖かいものを感じた。


 あれは決して負の感情じゃない。


「それにエリカには『裏切り』の他にもう一つ、『博愛』という意味があります」


 凪は思いを込めるように優しく述べた。

「特定の人だけを愛するのではなく、その人物が愛した人物までも愛するという意味です。二人は遠く離れていてもお互いを愛し合うことを決めていたんじゃないでしょうか」


「……つまり母が父を逃がしたと? そんなこと、ありえない。絶対にありえない。母は泣き言を漏らしたことはありませんでした。でもだからといって……」

「確かに今の段階では推測でしかありません。和巳さんの部屋にある鉢は全部で三鉢でした。竜胆、エリカの間にあった残りの一つは――」



「……ヒヤシンス」



 ――ここに置けばヒヤシンスの香りが風によって運ばれてくるの。だからこの花には風信子ふうしんしという漢字が当てられているのよ。


「……なんだ、そういうことだったの……」


 翼は大きく吐息を漏らした。


 彼の会社、スタードライバーのロゴにはヒヤシンスがある。その間を囲っているのは二頭の龍ではなく、龍と蛇だった。それは花を守るために存在していたのだ。


 東雲翼は紛れもなく、龍三と和巳の子供だ。


 たつみは辰と巳の中心であり、風を運ぶ翼となっているのだから――。


「二人は別々の道を歩むことを想定して陰ながらやりとりを行なっていたんだと思います。当時は一緒に生きることだけが幸せな道ではなかったのかもしれません」


 凪は目を閉じて想像した。

 生き別れても、たとえ一緒に暮らすことができなくても、相手が生きている、それだけでも幸せだと感じることはできる。


 いうのは簡単だ。実際にそれを実行するのは至難の業だろう。

 だが愚直なまでにまっすぐな気持ちを持った人物なら実行できるはず。


 あいつのように純粋に相手のことを思うことさえできれば――。


「……なるほどね」


 東雲翼は深々と頷いた。

「それであの人の会社ロゴにはヒヤシンスの花が入っていたのね」

「ええ、龍と蛇の間にです」


 凪は顔色を伺うように尋ねた。

「あの……。生花はどうします?」


 結局の所、故人の血を引いているのだから彼女にも遺産の相続権はある。戸籍上の繋がりはないが血の繋がりで検査すれば間違いないだろう。仮に茶の間にいる子供が彼女の子だとすれば、簡単にクリアできる。


 後は彼女がどういった対応を取るかということにある。


「……もちろん送ります」


 彼女は微笑みながらいった。

「けど名札は会社のOBということで変更して置いて下さい」


 とりあえずは引き下がってくれるようだ。凪はほっと吐息を漏らした。


「その方が助かります。うちとしても明善社にとっても」


「そうね。やっぱり斎場に入っている業者が揉め事を起こすのは不味いわね」


 彼女は小さく嘆息をついた。

「最悪社員の首を切らなければならなかったかもしれない。感謝します」

「いえ、とんでもないです」


 そういいながらも心の波は収まった。これで千月も安心するだろう。

 だがまだ解決していないことがある。


「もしよかったら一緒に行きませんか」


 凪は真剣な眼差しを送った。


「最後のお見送りです。骨葬ですし、会社のOBということなら遺族にも怪しまれません」


「……行けないわよ」


 翼はうな垂れながらいった。

「行けるわけないじゃない。私はあの人の家族を落としいれようとしたのよ。行けるような立場にはないわ。これでいいの……」


 翼は乾いた笑みを浮かべている。先ほどあった覇気もどこかに飛んでおり影に包まれている。

 もう六時半だ。通夜まで後30分しか時間がない。


「本当にいいのですか、これが最後の……」

「あら、この掛け軸は……」


 翼は店に掛かってある文字を夢中で読んでいる。


「この掛け軸は……何と読むのですか?」

「『月運花馮』と読むみたいです。花を大切にしろという意味らしいのですが」

「そうとも読めますね。でも逆からも読める……」


 翼にいわれ掛け軸を眺めた。凪の頭にはあるピアニストの言葉が呼び起こされた。


 掛け軸を眺めていると、翼が突然頭を下げた。


「……申し訳ありません。私も斎場に連れて行って貰っていいでしょうか?」

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