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長編小説 4 『花纏月千(かてんげっち)』  作者: くさなぎそうし
第二章 『月運花馮(げつうんかふう)』 緑纏 凪(ろくまと なぎ)編
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第二章 月運花馮 PART10

  10.


 店に戻ると斎場で見かけた女性が椅子に座り、少女はフラワーキーパーに入っている花を楽しそうに眺めていた。


「こんばんは。近くだったから早速お花を頼みに来たのよ。葬儀屋さんで頼むより直接頼んだ方がいいんでしょう?」


 千月の怒った顔が目に浮かぶ。

 もしここで遺族の知らない名が式場に並べば、それだけでも彼らは困惑するだろう。ましてやそれが故人しか知らない間柄だとすれば――。


「失礼ですが、故人とはどういった関係で?」

「それはあなたに申し上げなければならないの?」


 無論、答えて貰う必要はない。


「いいえ、もちろんありません。ではここにお客様の名前を書いて貰っていいでしょうか? フルネームでお願いします」

 凪は恐る恐る伝票を差し出した。


 ここで全てが決まる、と彼は思った。もしここに書かれた文字に何かしらのメッセージがあれば、自分の推測を後押しすることになる。そして式場を乱すようなことには決してならない。


 だが自分の意図したものでなければ、少なからず愛人の可能性はある。彼女の指に目が釘付けになる。


「これでよろしいでしょうか」


女性の名を見て凪は心臓が止まりそうだった。これは偶然なんかじゃない、彼女は故人と縁がある人物だ。


 そこには東雲翼しののめ つばさと丁寧な字で書かれていた。


「お袋、この子にお菓子出して上げて」


 凪は眼で茶の間を差した。


「ああ、そうね」

 楓は空気を察したのか彼のいう通りに動いた。

「こっちにおいで、美味しいケーキがあるの」


 少女は楓の手に委ねられて茶の間に向かった。

「少しお訊きしたいことがあるんですが、いいでしょうか?」

「ええ。答えられることであるならば」


 凪は一呼吸置いて彼女を見た。


「あなたの母親は東雲和巳さんじゃないですか」


 一瞬の沈黙の後、女は頷いた。

「そうです。なぜ母の名を?」


「実は和巳さん宛てに花束を頼まれていたんです。毎年うちがそれを持っていってます」彼は伝票を取り出していった。「今までお金はきちんと振り込まれていたんですが、今年は振り込まれていませんでした。それで不思議に思っていたんですがその謎が今、解けました」


「え?」


 彼女は顔をしかめながらこっちを見た。

「あれは母が自分で頼んでいるといっていましたが。それにその謎、とは何ですか」


「送り主が誰かということですよ」


 凪ははっきりといった。

「きっと運星龍三さんだったんだと思います」


 愛人は東雲和巳の方だ。そして目の前にいる人物は故人の子だろう。愛人、という表現は正しいようではあるが別の意味も含まれるなと彼は思った。


「……あの人がうちの母親と関係しているといいたいわけですか」


 翼は鼻で笑いながら凪に厳しい視線を寄せた。

「何か勘違いしているようですが、私は昔あの会社にお世話になったからただ立ち寄っただけです。そのついでに生花でも送ってみようと思っただけですよ」


「それであなたは遺族を困惑させようとしているんですね」


 凪は負けじと睨み返した。

「遺族はあなたたちの本当の関係を知らない。だからあなたは故人と不倫関係にあるかのように装った。それがあなたの狙いだ」


「狙い? 遺族を困惑させて私に何の得があるというの」


 翼は口元だけを歪めて笑った。

「私があの人の子供とでもいいたげね。でも私の父親はすでに亡くなっているのよ、戦前に。この世には存在していないの」


 ……やはり白をきるつもりか。


 凪は唇を噛んだ、それならそれでこっちにも考えがある。


「僕の予想を一つ訊いて下さい。もし外れたら生花代を無料にさせて頂きます」


 スタンド花は安くはない。嵐が訊いたら血相を変えるだろう。だが何としてでも尋ねたいことがある。


「いいですよ。そこまでの覚悟があるのなら聞きましょう」


「ありがとうございます」

 凪は一呼吸置いていった。

「あなたの父親には辰という字が来ませんか?」


「…………母に聞いたんですか」


 翼の眉間に皺が寄っている。

「それとも花束を頼まれている時点で知ってたんですか」


「いえ、ただの推測です。やっぱり当たっていたんですね」


 凪は片頬を上げた。

「あなたの名前、それに和巳さんの名前を元に考えました。あなたの名前は両親の名前から来ているんでしょう?」


 東雲翼が固まっている間、凪は続けた。


「父親の辰に母親の巳。合わせて巽。巽はつばさとも呼びますから」


 和巳の部屋には竜胆、ヒヤシンス、エリカの花が順序良く並べられていた。その配置の仕方には拘りを感じさせるものがあった。


「……父親の名は辰夫です」


 翼はしぶしぶ答えた。

「それがあの人となんの関係があるんですか? 名前が似ているからといって本人とは限らないでしょう?」


「もちろんそれだけでここまで考えませんよ」


 凪は一枚の写真を差し出した。

「これは故人の遺物の中にありました。懐中時計の中に隠されていたんです。これはあなたですよね」


 遺族の話では、故人はいつも懐中時計を持っていたらしい。それは二重底になっており、その奥には秘密の写真が眠っていた。


「遺族の話では、懐中時計を一緒に燃やして欲しいとのことだったそうです。それはきっと遠い昔の約束だったのでしょう。だけど遺族はそうは思わなかった。写真に写っている女性を愛人だと決め付けてしまった」


 店の時計の針が6時を挿した。それと共に低い音が鳴り始める。


「それだけで……私があの人の子供だといいたいの?」

「もちろんこれだけじゃありません」


 凪は近くにあったメモ用紙に東雲、運星と書いた。

「運星という字はひっくり返せば星運。漢字を変えれば西雲とも書けます。故人はきっと名を変える時に前歴を残したかったんじゃないですか。いつか会えるかもしれない自分の娘のために」

 時計の音が鳴り終わると共に翼は肩を落として呟いた。


「……なるほど、君は頭が柔らかいのね」


 彼女の吐息が漏れる。

「君のいう通り、私はあの人の子供よ」


「やっぱりそうだったんですね」


 翼は微笑みながら腕を組み直した。


「……私ですら随分後になってわかったというのに大したものだわ。逆に考えて見るなんて、普通の人じゃそんなことまで考えない。それもこんな短時間で」


「いえ、偶然なんです」


 凪は大きく首を振った。

「最近逆にものを考える習慣がついていただけで……」


「そう。けど一つだけ間違ってる。あなたの話は綺麗に纏めすぎよ」


 突然、翼の目の色が変わった。


「あの人との関係はそんな格好のいいものではなかったわ。私はね、父のことを憎んでいるの。死んだ今でも……」


「憎む? どうしてですか」

「あの人は戦争からだけじゃなく、私達からも逃げたのよ。その後どうなったと思う? 私達は後ろ指を差されながらこの街で生きることになった。それがどれだけ辛い思いをしたかくらいは想像つくでしょう?」


 戦前の時代で戦争から逃げ出したとなれば、間違いなく非国民のレッテルを貼られるだろう。もちろん国の援助もなく女二人で生きていくには心細いものに違いない。


「私は生きていくために東京に出た。お母さんに仕送りをするためにね。だけどそこで皮肉なことにあの人に出会ってしまったの」


 彼女は唇を噛み締めて続けた。


「再会した時、あの人は社長だった。他の人と結婚して順風満帆な生活をしていたのよ。もちろん顔も変わっていて私は気づかなかったわ。でもあの人は気づいていた」


 東雲翼は名前を変えていない。つまり運星龍三からすれば自分の娘だと確信できたのだろう。


「仕事の面では人の心がわかるいい社長だったと思うわ。社員を何より大事にする風潮で無理のない会社だったから。あの人は憧れの的だった。私もその一人だったの、彼に話しかけられるまではね」


 運星龍三はどんな思いだったのだろう。生き別れた娘と再会して何を考えたのだろう。その答えは本人の口からは聞けない。


「きっかけは私が本社勤務になった時。あの人の近くで仕事をするようになってから、彼に呼び止められたの。あの人は私がこの会社にいることすら最初知らなかったのよ。しかも謝罪する所か、いきなりお金で解決する道を勧めてきたの。きっと私が脅迫してくる前に先手を打とうと思ったのね」


 現実から目を背けた結果、龍三は新たな人生を切り開いた。しかし過去は捨てられない。過去に関わった人達はまだ生きているからだ。その関わりは避けられない。


「もちろんお金などいらないと断わったわ。母と二人で歩んで来た道を踏み躙られた思いがしたから」


 翼は顔をゆがめながら続けた。彼女の憎悪が辺りに漂い始める。


「私はその場で退社して事業を起こすことにした。辛いこともたくさんあったけど、今では一日四万円もする病室に母を預けることができるようになったわ。あの人には絶対に負けたくなかったから、死に物狂いで頑張ったの。結婚しても苗字を変えなかったのはあの人に見せ付けるためよ」


 和巳の寂しそうな笑顔が蘇る。彼女はきっといい生活を望んでいたわけではないのだろう。ただ娘と共に幸せな生活を送りたかっただけなのかもしれない。


「あの人にとって私達は厄介者だっただけ。だから私は今から復讐を果たすの。彼の最期を狂わせたいのよ」

 彼女の顔が狂気に歪む。整っていた端正な横顔に暗い影が潜んでいる。


「……なるほど。確かにあなたの話を聞いている限り、龍三さんに酌量の余地はなさそうだ。でもこの写真、誰が撮ったと思います?」


 写真は白黒ではなく、カラー写真。戦後だということは確実だ。


「誰って、あの人しかいないじゃないですか」

「どうしてそういい切れるんです?」


「だって撮られた記憶なんてないんですよ。それはあの人が隠し撮りしたに決まってます」


「龍三さんは都心から出ていません。それは彼の子供さんが了承しています。仕事にしてもプライベートにしても旅行など一切しなかったそうです」


「じゃあ、あの人の周りが動いたんじゃないですか? 別にあの人じゃなくても命令できる部下は大勢いました」


「どうやって? 龍三さんはあなたが会社に入るまで何も知らなかったんですよ」


「……じゃあ誰なんですか」


 翼の眼が凪に突き刺さる。

「そこまでいうからには誰かわかっているんですか」


「ええ、確信はありませんが推測はできます。龍三さんではないとすると、一人しかいません」


「一人? そんな……まさか」


「はい、あなたが想像した人物で間違いないかと……」


 凪は一呼吸入れた後に続けた。


「あなたの母親の和巳さんだと思います」

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