第二章 月運花馮 PART8
8.
「よし、文字の間違いはないわね」
千月は名札の確認を終えた後、凪を見た。
「順番は子供一同、孫一同、後は会社関係の順によろしく」
「おう、了解だ」
生花を並べていると思い出コーナーに目がいった。春紅葉とダリアで秋色にしたためか、そこだけ風変わりな印象を感じる。
……これは仕方がない、彼女のためだ。
思い出コーナーを眺めていると、一枚の写真が目についた。大草原の中でエリカの花が一面に咲き誇っており、その中心には故人と娘と思しき人物で映っていた。どうやら日本ではないらしい。看板の文字が全て英語になっている。
「これはですね、去年父と旅行に行った時の写真なんです」
どうやら故人の娘のようだ。会釈をすると彼女は話を続けた。「父にとっては初めての旅行だったんです。父は仕事でも県外に出たがらない人だったのに、いきなり行こうと言い出して。それにこの時期は体を壊していてとても旅行に行ける雰囲気でもなかったんですよ」
思いを告げる遺族。すでに悲しみを乗り越えているような表情だ。天寿を迎えることができてほっとしているのかもしれない。
「今回の葬儀にしてもそう。遺言状に乗っ取ってこちらで挙げることにしたんです。父の実家が福岡だったなんて知りませんでした」
「なるほど。それで骨葬という形を取ったんですね」
「そうなんです。父は遺骨の半分を地元に残して欲しいみたいで」
凪はもう一度写真に目を通した。
「これはどちらに行かれたんです?」
「イギリスです。何でも小説の舞台になったとかで、一度行ってみたかったと」
――一度見てみたかったんだ、あの風景を。
友人の言葉が頭の中でぼんやりと浮かんでくる。
「その小説『嵐が丘』という名前の小説じゃないですか?」
遺族は大きく頷き続きを催促してきた。
凪はそれにゆっくりと応対する。
「とっても昔の物語だっていうことは覚えています。ええと確かヒースという花が出てくるんです。その花は荒れた地でも逞しく育っていて、それが物語に関係していたと思います。すいません、あまり内容は覚えていなくて」
覚えていないというか内容はそもそも聞いていない。だが敢えてそういってしまうのは野暮だ。彼女は話の内容よりも思い出を語りたいのだから。
「父もそんなことをいっていました」
遺族は思い出すようにしていった。
「人間辛いことがあっても、生き抜いていかなきゃいけないと。生き抜くことで初めて伝えることができるんだぞと熱く語っていました。戦争を経験しているからこそいえる言葉ですよね」
「……その通りですね」
談笑していると、喪家はぞろぞろと控え室に戻り始めた。それでも彼女は話すのを止めなかった。きっと心に熱を帯びてしまっているのだろう。
「ここにある時計は明日の葬儀で燃やしてしまうんです」
それは懐中時計だった。かなりの年代物らしいが錆付いておらず綺麗な状態で保存されてある。
「これも父の宝物らしいです。ですが遺言にこの時計も一緒にいれてくれと書いてあったので、そのまま納める予定なんです」
彼女は大事そうに時計を手に取った。しかし瞳の色は冷たい。嫌なものを見ているかのようだ。
凪はその視線に恐怖した。
「なるほど……少し見させて貰っていいですか?」
「……どうぞ」
断わりを入れて時計を拝見する。中の数字は干支で示されている。12の所に子が来ており、そこから左回りで漢字が並べられている。
「大分年期が入ってますね」
「ええ、母がいうには私が生まれる前から持っていたみたいなんです」
時計の針は四時二十分くらいを指していた。長針は辰と巳のちょうど間くらいだ。そこで静止している。
「これは時計として使われていたんです?」
「どうなんでしょうね」
彼女は首を捻った。
「母と出会った時にはまだ時計として使っていたらしいのですが、電池式時計が流行ってからは使わなくなったそうです。面倒ですもんね、螺子を巻くのって」
凪は再び時計を眺めた。すると内蓋に何かの突起のようなものがあった。
「すいません。お仕事の邪魔でしたね」
彼女は頭を下げながらいった。
「つい懐かしくて長話になりました。申し訳ありません」
「こちらこそありがとうございます」
凪はうっすらと笑みを浮かべて応対した。
「聞けてよかったです。是非明日は悔いの残らぬよう別れを告げて下さい」
彼女はもう一度振り返りながら頭を下げた。それに続いて凪も頭を下げる。
遺族がホールから出ていくのと同時に、千月は小声で凪に呼びかけてきた。
「ちょっと、あの中に凪のいっていた人はいた?」
きっとホールにいた人物のことだろう。
彼は首を振った。
「いや、いなかったな。なんでだ?」
「あそこにいた人で全部なのよ、親族は」
「じゃあ、親族じゃないんだろう。会社関係でお世話になったんじゃないか?」
「うーん、そうなのかな」
千月は納得がいかないような顔をしながら、司会の席にあるファイルを取り出した。
「ここ見てよ。今日の会社関係の弔い客の中には女性の人なんていない」
「ってことは駆け込みで来るんだろ」
「駆け込みで来る人がわざわざ喪服を着てる?」
「ないな」
千月は一呼吸置いて続けた。
「親族でもない、会社関係でもない、でも喪服を着てる。これってどういう人?」
ぽつんと、頭の中に浮かんだ言葉を述べた。
「古い友人とか?」
「友人っていう年だった? それに友人なら遺族の人に挨拶くらいして帰るんじゃない?」
「友人じゃなかったら、何だよ。友情じゃなかったら愛情か?」
そういうと千月は深い溜息をついた。
「やっぱりそうなるわね……」
「別にいいじゃないか、愛人だったとしても」
彼は組んでいた腕を戻してからいった。
「それが葬儀に何の関係があるんだよ」
「……大有りなの」
彼女の瞳に力が宿る。
「前にこういったケースがあったの。通夜が終わってから遺族と口論している人がいたのよ。なんでも遺族の知らない所で愛人がいて、その愛人に子供がいて。証明書まで持ち込んで遺産の分け前を貰う権利があるって乗り込んで来たのよ」
遺産。その言葉を想像しただけで、何となくイメージが纏まった。
「それは……悲惨な葬式になっただろうな」
「悲惨なんてもんじゃないわよ」
彼女は思い返すように肩をすくめる。
「次の日の式が始まるまでその論争は続いたの。式が終わっても、初七日が終わっても、遺骨を家に置いても止まなかった。遺族は疲れ果てて満足に故人との別れを終えることができなかったのよ。結局、最後に悪いのは葬儀屋っていうことになったの」
「えっ、何でそうなるんだよ」
「通夜にそういった人を入れた責任があるとかいってね。こういった商売だから、どんな小さなことでも不安材料を打ち消していかないといけないのよ」
「うへぇ。それは本当に大変だったんだろうなぁ」
改めてあの人物のことを考えてみる。謙虚な姿勢を見せて置きながらいいたいことははっきりという性格だった。もし彼女が愛人なら遺産の話もするかもしれない。
「で、どうだったの? そんな感じはあった?」
「……可能性はある」
千月の頭を抱える姿が目に入った。それでも彼は続けた。
「故人のことをよく知っているようだったし、神式の葬儀でありながら家に仏壇があることも知っていた。相当親密な仲だったと思う」
それに女性は故人のことをあの人と呼んでいた。普通の関係ならそんな言い方はしないだろう。
「そっか。じゃあ来る確率は高いわね」
「ああ、多分な。何か作戦はあるのか?」
「ないわ」
千月はきっぱりと言い切った。
「その人が仮に愛人だったとしても、手のうちようがないもの。遺族に愛人が来るかもしれないから、気をつけて下さいといって何かいいことがある? 隠し子にここで遺産の争いはしないで下さいと注意して引き下がると思う?」
千月のいうことは最もだった。愛人という立場にある人はこういった場面であるからこそ、使える切り札なのだ。安心して葬儀を終えた後では遅すぎる。遺族の隙を見て切り出すものなのだろう。
「なるほど、こっちから仕掛けることはできないわけか」
遺族にしても同じだ。故人が亡くなって動揺している間に、愛人と渡り合おうなどと考えられるはずがない。葬儀と同様に、相手からの一方的な提案を受け入れることで精一杯だろう。
「私にできることは黙って見届けるだけ。遺族の人がこちらに助けを求めた時に初めて動くことができるの。だからその人物が来ないことを望むしかないわね」
「故人の奥さんは亡くなっているんだよな」
「ええ。二年前にね」
「じゃあ、今回の葬儀は子供が取り仕切ってるんだな」
「そうよ」
奥さんがいなければ相続は全て子供にいく。その中に愛人の子として潜り込むことができれば遺産は相当な額になるだろう。もし女性の近くにいた子供が故人の子だったとすれば――。
「大変だろうけど、頑張れよ。まだ来ると決まったわけじゃない」
「わかってる」
千月は気を引き締めて頷いた。
「凪も早く帰った方がいいんじゃない? 嵐さんが見に来てたわよ」
……ああ、そうだった。
彼はがっくりと肩を落とした。嵐は直接見たことで説教の材料を増やしに来たのだろう。また帰れば地獄の説教タイムが始まる。うんざりする他ない。
突然、凪の携帯電話が鳴った。嵐からかと思ったが楓からだった。
「ん、俺だけど」
「あ、凪? 今店にね、サンライズの社長さんが来ているの。こちらに務めている若い三代目さんはいますかっていわれたけど、凪のことだよね?」
「え? サンライズの社長さん?」
「うん。明善社に入っている湯灌会社の社長さんよ」
サンライズ。そういえば聞いたことがある。サンライズの社長は女一つで事業を起こした一代目だと。
湯灌の仕事は故人の体を洗ったりするので基本女性が多い。サンライズは女性視点での目線で仕事が行き届いていると評判だという噂もある。
しかし身に覚えがない。そもそも面識すらないのだ。どうして湯灌会社の社長がわざわざ店に来て自分を訪ねるのだろう。
「スタンド花を頼みたいんだって。でも色々と入れて欲しい花があるみたいだから、直接頼みに来たそうよ」
――そういえばおたくの花屋、若松区だったわね。
凪の脳裏に今日交わした言葉がよぎった。