第一章 花弔封月 PART12 (完結)
12.
三月二十九日。
凪の店に行くと、彼が店番をしていた。千月が手を上げると、彼もこちらを見て応えてくれた。
「よう、いらっしゃい」
「御前花をお願い。二つね」
「はいよ。入れて欲しい花はあるか?」
「いつも通りおまかせするわ」
ぼんやりと花を眺めていると懐かしいものがあった。思わず見入ってしまう。
「これ、紫苑でしょ」
千月は紫の小花を指差した。
「珍しいわね、今の季節でもあるんだ。本当は秋の花なんじゃない?」
「いいや、これは違うよ」
凪は大きく首を振った。
「それは春紫苑だ。春に咲く紫苑で春紫苑。花言葉は『追憶の愛』っていう意味があるよ」
……花言葉は、追憶の愛。
何気なく志遠から預かっている懐中時計を取り出してみる。相変わらず動く様子はない。今の彼の技術ではこれを直すことはできないらしい。そのため彼は四年間、スイスに留学することを決意した。
「ついでにこの花も入れてやろうか?」
凪の視線には春紫苑がある。彼の薄ら笑いに悪意を感じるが、ここできっぱり否定するのも彼の思うつぼのようで気にくわない。
「……任せるっていったでしょ。好きにして」
「あいよ」
凪はそういった後、茶化さず紫苑の花を加えた。
「その時計、彼氏の親父の形見なんだろ」
「そうよ。……彼氏じゃないけど」
この時計は機械式時計でありながら装飾の要素の方が強い。数字は全て干支の文字が刻まれており、金縁の裏蓋には『花鳥風月』の文字がある。見ただけでかなりの年代物だとわかる。彼の父親の唯一の形見だそうだ。
さらに特徴的な所がムーンフェイズ機能だ。画面の下に月の形が表示されており、当時の値段では計り知れないものだろう。
現在示されているのは十一時三十分、ムーンフェイズは満月だ。
タイムリミットはもうそこまで来ている――。
「早く直るといいよな、その懐中時計。そいつが直るためには後4年もあるんだよな」
凪の店に飾られているカレンダーを見る。今は2008年三月二十九日を表示してある。紫苑が戻ってくるのは2012年2月29日。
私の正式な誕生日に彼は帰ってくる予定だ。
「ねえ、凪。今日は何月何日の何曜日?」
「……今日は三月二十九日の土曜日だな。どうした、誕生日ならまだ一年近く先だぞ」
「……プレゼントの催促じゃないわよ」
千月は彼の顔を見ていった。
「ねえ、凪にはさ、人にいえない秘密とかある?」
「もちろん、あるよ。俺が好きなのは千鶴ちゃんとかな」
「いってるじゃない」
千月は唇を尖らせていった。
「まあ誰でも持ってるわよね、秘密くらい……」
「何だよ、何の話だよ」
「ヒ・ミ・ツ」
千月が唇に人差し指を添えると、凪は舌打ちをした。
「何だよ。そんなこと聞くから、こっちは急にもやもやするじゃないか。自分だけすっきりしやがって」
「ごめんごめん」
……次に目を覚ました時、またあんたの笑顔が見れるのならそれでいい。
千月は祈りを込めて凪の顔を見た。
私に明日は来ないが、次の日に大きな選択をしなければならない。人生を左右する大きな選択だ。どちらを選んでも犠牲を纏うような二つの道が待っている。
だけど私はその日のために夢を見てきた。現実には起こりえない夢を目を開けて覗き続けてきた。
後は凪と一緒の電車に乗って気持ちを伝えるだけ。
あなたとの未来を約束するために――。