勇者に求婚された私は、とりあえず現実逃避をすることに決めました
きっかけなんて、ほんの些細なことだったと思う。
朝、元気な声で挨拶してくれたことや、ふとした時に視線が合う。
たったそれだけのことだったのに、いつの間にかあの人のことを、すき……になってしまったんだと思う。
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ……
「ん……、朝か」
高校も夏休みに入って2週間目。短期で始めたアルバイトは案外と性に合ったみたいで楽しくやれている。
知り合いの喫茶店で調理補助をしているだけだけど、それなりに時給いいし食事も美味しい。……何よりも、気になる人が出来たのが一番大きいかもしれない。
目覚ましを止めて時間を見ると7時25分。
アルバイトは10時からだから、ゆっくりと準備をしても十分に間に合う。
もそもそとベットから降りると、汗を吸い込んでじっとりとしたパジャマを脱ぐ。このまま着替えをするのは……、ちょっとためらいが入ったので、シャワーを浴びるために一階へ降りることにした。
今はパンツ一枚の状態だけど……、ま、両親は仕事に出てる時間のはずだし、このままでいっか。
「ちょっ、お姉ちゃんっ!? なんて格好してんのよっ。いくら夏休みだからって、だらけ過ぎにもほどがあるよっ!!」
……と思ってリビングに降りたわけだけど?
まだ寝てると思ってた厄介なのに見つかってしまった……。
リビングのソファに座って、頭を抱えながら私を見てため息をついているのは一つ年下の妹。
同じ高校に通ってはいるんだけど、部活やアルバイトもして無いのに、気がつくとどこかへ消えてるという神出鬼没な子なんだよね。今朝だって物音ひとつしないから寝てるかいないかと思ってたのに……。
なにげ小言がうるさいから、このタイミングでは会いたくなかったなぁ……。
「ほらっ、せめてシャツだけでも着なよ。お父さん達が仕事に出てても流石に上半身裸で降りてくるのはどうかと思うし、今はちょっとヤバイ状況なんだからっ」
そう言いつつ、手近にあった洗濯済みのシャツを一枚投げつけてきた。
ちょっと口は悪いんだけど基本的にいい子なんだよね。確かこういうのをツンデレって言ったかな? 学校の中でファンクラブが出来るのも分かる気がするわぁ。
「ん、すぐにシャワー浴びて服着るから勘弁して……」
受け取ったシャツはそのまま放り返し、足早に風呂場へと向かう。
妹がまだ何か言ってるけど、……とりあえず汗が気持ち悪いから後で謝ればいいや。まずは汗を流そ。
リビングを通り抜け、キッチンのすぐ横にあある風呂場へと続く脱衣所の扉を開い……。
ガチャッ
……ガチャ?
…………。
えー……っと、確か父さんと母さんは仕事行ってるはず。で、妹は後ろにいるよね。ってことは何だ?
ギィッ
開いた扉の隙間から覗くのは男性の顔。見たこともないような民族衣装に赤色の髪と同じ赤の瞳。彫りが深いくて映画に出てきそうな整った顔で私より15cmは高そうな身長。
……なるほど。妹の奴ってば、こんなかっこいい彼氏連れこんでいたわけね。私なんか17年間生きてきて、彼氏はおろか男友達すらいないってーのに……、うん、世の中理不尽だ。
なんて観察をしていると、バッチリ目があった。
「……キャーーーーーーー!!」
「って、なんであんたが悲鳴あげとんねんっ!!」
あまりにも理不尽な状況、突然の遭遇には、思わずエセ関西弁で対応しても仕方がないはず。
だってっ!! こともあろうかこの男、豊満な(推定80-A)私の半裸を見て、よりにもよって悲鳴を上げやがったのだからっ!!
なのでっ!! 悲鳴を上げながら両手で目を隠しやがってる目の前の男を、グーで殴っていいよね? 許されるよね? たとえ不幸な事故があったとしても決して私のせいなんかじゃないっ!!
「いっぺん死んでこいやぁーっ!!」
「ぐべらぁっ」
「おねえちゃーんっ!?」
これが私こと、響 茜17歳と、異世界の勇者ヒイロ=ソードティア18歳のファーストコンタクトだった。
――――――
「――と言うわけで、このヒイロさんは異世界で勇者をしてて、私はそのお手伝いをしてるって訳」
怒りの一撃で目を回してしまった男性-ヒイロをソファに寝かせた私は、慌てて追って来た妹からかいつまんで事情を聞くことになった。(もちろんその前にシャワーは浴びて着替え済)
要約するにだ、この世界とは別にもう一つの世界があり、その世界はゲームのような、剣と魔法に彩られた世界なんだっていう。
そこでわが妹-響 碧は、勇者の仲間である召喚士の呼び掛けに応じて(異世界では天候を操る魔術が使えるらしい)、アルバイト感覚で魔王討伐のお手伝いをしてたらしい。
ちなみに家の家系はそういう家系で、本来は私にその役目が来るはずだったんだけど、何故か妹に呼び掛けが流れたという話だ。と親に聞いたらしい。
……そっかあ……、あのときの変な声、その召喚士だったんだね。キャッチと思って無視したけど、そのお鉢が碧に流れた……と。うん、これは言わないでおこう。
その内容に興味も無かったし、時間もそれほどあるわけじゃないので幾分割愛してもらったけど、結論だけをまとめると、半年ほど前に魔王を一歩手前まで追い詰めたけど逃げられたそうだ。
その後半年ほど、魔王の所在を探しながら旅をしたらしいけど、その足取りは全くつかめず、つい先日(というか昨日?)に魔王がこの世界へ逃げ込んだんじゃないかと判断できる証拠が出てきたらしい。
で、世界観間移動は水が必要みたいで、お風呂を使って転移したところに私が半裸で突撃をかました。というのが先ほどの騒動だったらしい。
「そうなんだ? お姉ちゃんちょっと安心したわぁ~。妹に先を越されたと思って少し焦っちゃった」
「あ、付き合ってる人は異世界に居るよ」
「ちょっ!?」
「大丈夫、大丈夫。この世界と違ってプラトニックな価値観だから、お姉ちゃんが想像してるようなことはまだ何にもないよ。うん、全然、まったくもって、これっぽっちもね……」
若干遠い目をしているけど、それでも先を越されたという事実には変わりがないわけで……。
「それでも妹の方が先に彼氏できるとか、お姉ちゃんとしてはショックだわぁ……」
「あはは……、お姉ちゃんも見てくれとスキルは悪くないんだけどね。ちょっと大らかと言うか、ガサツと言うか、そのズボラな部分さえ治せればきっと……。
ほら、お姉ちゃんもよく知らない人からラブレターとか貰うでしょ? 中身を知られると逃げられるけど」
フォローにもなっていないフォローにジト目で返す。
「大きなお世話だ……」
「あー……っ、というか自分で言っててなんだけどさ、よく信じてくれるよね? 私ならまず疑っちゃうよ?」
「だって碧だし?」
「何それっ!?」
「いや、あんた昔からよく分かんないこと平気やってたしさ、それぐらいなら予想の範囲内?」
「お姉ちゃん……、私をなんだと……」
「え? 父さんと母さんからそう言われて育って来てるし、私だけじゃないと思うよ?」
「えぇ~……」
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ
スマホからのアラームが鳴り、今さら頭を抱える碧は無視して画面へ目を落としてみると、時刻は9時35分。そろそろアルバイト先に出ないといけない時間だった。
「っといけない。そろそろ出ないといけないからっ。あとの事はよろしく頼んだっ!!」
「はぁい」
シュタっと手をあげて横に置いた鞄を背中に掛けると、勢いよく立ち上がって玄関へ向かおうとした。……が。
「待ってくれっ!!」
そこに待ったがかかった。
「ん?」
振り向いてみると、先ほど目を回して伸びていたはずのヒイロが、頭を振りながら上半身を起こし、私へと視線を向けていた。
「先ほどはすまなかった。君がミドリの姉のアカネ、でいいんだよね?」
「ん? そうだけど」
流暢な日本語に思わず返事を返すと、ヒイロはぱぁっと笑顔になって立ち上がり、両手を広げながら近づいてきた。
「そうか。なら何も問題ないな、さぁ、僕と結婚しようアカネ」
「だが断る」
突然キレた事を言って来た。ので、こちらも遠慮なくバッサリと切り捨てる。
「え?……」
ヒイロは両手を広げた姿勢のまま、呆然と固まっている。
「あー……」
碧が何かに気付いたみたいで困った顔をしているけど、そんなこと私の知ったことではない。今は仕事に向かわなければ遅刻してしまうのだ。
「じゃっ、仕事の時間だからっ」
そのまま再度右手をあげると、またもや待ってくれと追いすがってくるヒイロを完全に無視して、玄関の脇に立てかけてあった自転車にまたがると道路へと飛び出す。
ヒイロが追いすがってこようとしていたけど、碧が引き留めて何か説明をしているみたいだし、特に問題はないだろう。とりあえず今朝はバタバタしてしまったが、仕事……と、ごにょごにょが私を待っている。気合入れていきましょう。
―――――――――
私の家から自転車で10分、徒歩で30分ぐらいの場所に私がアルバイトをしている喫茶店がある。
お店の名前は『pride』、友達のお父さんがこのビルのオーナーで半年ぐらい前にオープンした新しいお店だ。
本格的なコーヒーと紅茶が楽しめ、友達のお父さんが趣味で作ったケーキを出しているんだけど、それがまた凄く美味しい。夏休み前にアルバイトの話を持ち掛けられたときは、ここのケーキ目当てに思わず即答したほどの味だ。
カランコロン
「おはようございまーす」
closeの看板がかかっている扉を開け、中に入ると奥で一人の男性が開店準備をしている。
「おはよう茜ちゃん。今日も元気がいいね」
私の声に気が付いたようで、いったん手を止めると柔らかく微笑みながら返事を返してくれた。
この人がこの店の雇われ店長で、名前はオーキさん。外国出身の人らしく、まばゆいばかりの金髪に紫色にも見える青い瞳、身長は190㎝近いから、さっきのヒイロなんかより大きいと思う。白いシャツに黒いズボンと黒いエプロン、長い髪は後ろで一つに縛っているけど、それがまた様になるぐらい決まっている。
そして何を隠そう、私が気になっている人と言うのはズバリこの人だったりもする。
「それじゃ、早速着替えて手伝いしてもらえるかな?」
「はいっ」
元気に返事を返すと、そのまま奥の部屋に入って着替えを始める。
この店の制服は友人の趣味で本格なメイド服になっている。意外と複雑な作りで、着替えるのも一苦労なため、裏方担当なんでオーキさんと同じような服でいいと言ったこともあるのだが……、友人曰く、もったいない。という一言で強制的にこの服を着なければならなくなってしまった。オーキさんにも相談したことはあるんだけど、オーナーには逆らえないから。と苦笑いされたので、この辺は諦めるしかないのだろう。
ガチャ
「茜もう来てたんだ? 私も着替えるね」
噂をすれば影、と言ったところだろうか。その元凶にてこの店のオーナーでもある友人こと、鳳 浅黄が更衣室へ入ってきた。
すでに着替えはヘッドドレスを付けるだけだったので横にずれ、鏡の前で位置を確認しながらピン止めをする。
「やっぱ茜はかわええのぅ。うんうん、私の見立てに間違いはなかった。
グフフフフ、自給10円上げてあげるからこっちのミニスカート履いてみまへんか?」
「却下、せめて50円上げてくれるなら考えてもいいけど、そんなひらひらした格好はあんま好きじゃないの。碧なら喜んで着るだろうからそっちにお願いして」
「碧ちゃんはやることがあるんでアルバイト出来ないって断られてるのよねぇ、それに嫌がる子に無理やり着せるからそそられるわけでぇ~。茜ってば相変わらず男心を分かってないねぇ」
「あんた女だろ」
「女だからこそ男心に敏感なんだよぉ。
ミニスカートにすればオーキさんもなびくかもよぉ?」
その言葉に若干ピクッとしたけど、おそらくオーキさんはその程度じゃなびかないだろう。
「……はぁ。男心っていうより、浅黄はオヤジ心のような気がする……」
「おっと、こいつぁ一本取られたぁ」
なんて言ういつものやり取りをしながら手早く準備を済ませると、浅黄の横をすり抜けて店の中へと向かう。
「そういえば碧ちゃんだけどさぁ、なんかあったぁ? たとえば男連れ込んだりとかぁ?」
突然かけられた言葉に一瞬動きが止まりかける。
もしかして見られた?
……が、友人と言えど妹のプライバシーを話すわけにはいかない。
「特に変わった様子はないよ。碧はいつも通り」
うん、妹に関してはいつも通りだ。ヒイロに関して答えなければいいだけ。ほら、嘘は言っていない。
「ん、そっかぁ。あんたら美人姉妹なのに、いつになったら男が出来るんだかねぇ~」
「余計なお世話っ」
バタンッ
少しムカッと来たからか、更衣室の扉を閉めるのについ力が入ってしまった。それを見かねたのか、オーキさんが苦笑いで声をかけてくれる。
「茜ちゃん、スマイルスマイル。またオーナーに変なこと言われた? 大丈夫、メイド服は止められないけど、丈に関してはなんとか押しとどめてみるから」
ふぅ、こういった気遣いが心に染み渡るんだよねぇ。思わず頬が緩んでしまう。
「ん、いい笑顔だね。それじゃ、今日も一日がんばろっか」
「はいっ」
――――――――――――
「お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした」
時計を見ると、時間は夜の7時過ぎ。このお店の閉店は他のお店より少し早い。
住宅地の中にあるこじんまりとした喫茶店だからだろうか、営業時間は11時~19時で、お客さんが居なければ19時になってなくとも少し早目に閉めることも多い。ちょっと変な客が多いけど、時間に敏感な人が多くて閉店時間を過ぎる事はほとんど無い。
「茜ちゃん、オーナー、今日も助かりました。また明日もお願いしますね」
「はい」
「うむ、くるしゅうない」
「また浅黄ったら……」
「かっかっか」
そんないつものやり取りをして、いつもと同じようにオーキさんに見送られた後、浅黄ととりとめもない話をしながらビルの裏手に止めた自転車を取りに行く。
「アカネ、お疲れ様」
けど……、自転車のそばにヤツが居た。
「ん? 茜ぇ、あの人誰?」
今朝の民族衣装と違い、ラフなTシャツとジーンズの格好だけど、その真っ赤な髪は異様なまでに悪目立ちしていた。
「外国人にしては赤い髪って聞いたこと無いよねぇ? もしかしてロッカーか何かぁ? って、もしかして茜の彼氏っ!?」
「いや、違うし」
あんた私がオーキさんの事好きって知ってるでしょうが……。
わざとらしく驚いた浅黄に軽く否定して、笑顔で私に向かって来るヒイロを半眼で睨む。
「で、一体ぜんたい何しに来たの?」
「うん、この世界は平和と聞いているけど、暗闇の中、婦女子一人で帰らせるのは危ないと思ってね。碧は夕飯の準備をしていたから僕一人で茜の迎えにきてみたよ」
…………っ!?
碧ぃぃぃっ!! 浅黄がここに居るってわかってる上で了承したのかっ? だとしたら後で折檻決っ定!!
「碧には勝手に出歩かないよう、きつく言われたけどね。大切な婚約者に何かあったら一大事だから、今朝のうちにその自転車とやらへ追跡魔法を掛けておいてよかったよ」
あぁ……、うん、碧は悪くないわこれは……。うん、碧は悪くない。……こいつが典型的なストーカーだっただけだ。
「ね、茜ぇ。婚約者って何のことぉ? 彼ってば碧と共通の知り合い? もちろん、説明してくれるよねぇ?」
さっそく浅黄ってば、目を光らせて邪推を始めてる……。うん、これ以上こいつに変なことしゃべられたら、後で弁解のしようすらなくなるっ!!
浅黄への説明は明日にすることとして、今は取りあえずこいつをなんとか……、いや、何とかできそうにないし、この場はっ!!
「茜ってば、店長にご執心、って茜?」
「……三十六計、逃げるにしかずっ!!」
近づいてくるヒイロと詰め寄ってくる浅黄を軽く無視して、バックから自転車の鍵を取り出してロックチェーンを手早く外す。そのまま自転車にまたがると全力で漕ぎ出した。
「あっ、待ちなさいよ茜ぇーっ!!」
「一人で帰るのは危ないって、まってっ!!」
二人の声を置き去りにして、全力で自転車を飛ばすとそのまま家に帰り、後ろから着いてこられないよう勢いよく玄関の扉を閉めて鍵を閉じ、ロックを2重に重ねる。
「――ふぅ……」
「お帰り、アカネ」
なのに、玄関から見知った声が聞こえてきて、後ろを振り向くと……。
「っ!! なんであんたがここにいるのよっ!!」
さっき全力でおいてきたはずのヒイロが、なぜか笑顔で、息も切らせずに玄関マットの上に立っていた。
「急いでいたのなら僕の転移魔法で送ってあげたのに。そういう時は気軽に言ってね、なんせ君は僕の……その、妻なんだから」
ヤダもう何このストーカー……。頬を赤らめながら恥ずかしそうに言うんじゃないわよっ!! ……うん、こうなったら碧に言ってさっさと元の世界に強制送還してもらうしかないっ!!
笑顔で手を差し伸べるヒイロを無視し、その脇を通り抜けてリビングへ足音荒く入って行く。
中を確認すると、仕事帰りなのか疲れた顔のお母さんがソファにへたっていて、奥のキッチンでは碧がご飯を作ってくれていた。碧の側へ歩いて行き、右手の人差し指を突きつけ……。
「あ、お帰りなさい。
今日はお姉ちゃんの好きな唐揚げとハンバーグとカレーともずくのお味噌汁だよ」
「マジでっ!?
カレーだけでも疲れが吹き飛ぶほど嬉しかったのにっ、唐揚げとハンバーグと味噌汁までっ!?」
「うん、しかも沖縄産のもずくだよ」
「きゃー、碧さいっっこう!!」
感激のままに碧へ勢いよく抱きつく。
促されるままに人数分のお皿にご飯をよそおい、カレーをかけてもらってる間に大きめのお碗へもずくのお味噌汁をよそう。
みんなの分の味噌汁もよそったところでテーブルへ運ぶと、揚げたほっかほかで湯気が立っている唐揚げが山盛りに、人数分の目玉焼き乗せハンバーグ、ついでに栄養を考えて作られたサラダが乗っていた。
お味噌汁のお碗を並べるついでに、山盛りとなっていた唐揚げの中でもてっぺんに乗っていたちょっと大きめの一個を手づかみでほおばる。
カリッ、ジュワー……
「あつあつあつっ」
外側のカリッとした食感を抜けると、中に閉じ込められた肉汁がジュワーっと溢れ出す。
醤油とみりんと生姜とマヨネーズ、それとほんの少し一味唐辛子で下味がつけられた肉がダイレクトに味蕾を刺激し、口の中いっぱいに幸せがあふれ出してくる。
「お姉ちゃん、つまみ食いはNGよ。
ほら、カレーも用意できたからみんなを呼んできて」
「わふぁった」
リビングへ視線を向けると、さっきまでだらけていたはずの母親が真剣な顔でヒイロと話をしている。
「二人とも、ご飯っ」
声をかけると母さんが真剣な顔で手招きしてきた。
なんだろう? 普段ならきちんと話を聞きに行くところだけど……、揚げたての唐揚げともずくの味噌汁に勝る大事な話など有るわけないっ。
再度ご飯と強く声をかけると、母さんはため息をつきながら肩をすくめて立ち上がり、ヒイロを顎で促しながらテーブルへと座った。
父さんは今日も帰りが遅くなるだろうから、夕飯は四人で揃ったことになる。四人掛けのテーブルへ私はいつもの場所に座り、その前に妹が座る。隣の父さんの席にはヒイロが座り、その向かい側は母さんが。
ヒイロが何か話しかけて来てるけど、今はそんなことどうでもいい。
「頂きます」
両手を合わせて食前の挨拶をすると、先ほど味を堪能した唐揚げに箸を伸ばす。一口でほおばると先ほど同様にパンチの効いた肉汁が喉を潤し、かきこんだ白米が見事なハーモニーを奏でる。
次にサラダで口の中をリセットしてから目の前のハンバーグへ箸を伸ばす。
ふわっ、ジュワー
これは牛肉100%のパティに牛脂の網をまいて焼いたのか? 牛本来の味わいなのに油がしっかりと絡みついて、これまた美味しさが込み上げてくる。しかも絶妙な力加減で握られているのか、口に入れた途端にふわっとほぐれて、口いっぱいにハンバーグの旨みが伝わってくる。
再度白米をかきこみ、牛と白米のハーモニーを堪能した後、本日のメインディッシュ、もずくのお味噌汁を手に取る。
ふわっと鼻をくすぐる磯の香りを堪能したところでお椀に箸を突っ込み、もずくをひと塊り取り出して口に運ぶ。
ぷちっ、ぷちぷちぷちっ
噛みしめるごとにもずくが口の中で踊るのがわかる。しかもこの弾力、濃厚な味わいは沖縄産だからこそ可能な調和を醸し出す。一口ごとに歯に伝わる食感、鼻に突き抜ける磯の香り、海藻特有のぬるっとした喉越し。その全てを持って一言で表すのならこうだろう。
「美味いっ!!」
唐揚げ、白米、サラダ、ハンバーグ、白米、お味噌汁、唐揚げ、白米、サラダ、ハンバーグ、白米、味噌汁、唐揚げ、白米、ハンバーグ、サラダ、味噌汁、味噌汁、味噌汁、味噌汁、味噌汁、味噌汁、お代わりもらってさらに味噌汁。
「ご馳走様でしたっ!!」
全てを堪能し、至福の中でため息を吐きながらお腹をさする。
今日の腹筋は少し多めにしないといけないけど悔いは無い。余は満足なり、……なんちゃって。
私が一息ついている間にみんなもご飯が終わったのだろうか、手を合わせてご馳走様をしているのが見えた。
「相変わらずミドリの料理は美味しいね。シスイが羨ましい限りだよ」
「ありがと。でも姉さんの料理の方が美味しいよ」
「そうだな。茜の料理は格が違う。あぁ、碧の料理が上手くないと言ってるわけじゃないぞ、碧の料理だって家庭料理としては破格の味だからな」
「そうなんですか、アカネの料理を食べるのが凄く楽しみですね」
「「「あははははっ」」」
食事の余韻に浸ってみんなの会話をぼうっと聞き流す。
フランクに会話する母さんとヒイロ。結構仲いいんだなぁ……。そういや母さん、息子が欲しいって言ってたもんね。そんなノリなのかな?
「と言うわけでヒイロ君、いや、息子よ。うちの娘はかなりの優良物件だ、手放さないよう充分に気をつけるんだぞ」
「はいっ、必ずや幸せにしてみせます」
ほら、もう息子呼ばわりしてるし。アイツもアイツで嬉しそうにしちゃってまぁ……。
ってちょっと待った!! 今、なんて言った? 好物につられてすっかり失念していたけど、今、とんでも無いことさらっと言ってなかったかっ?
「ってご飯を堪能している場合じゃなくって、二人してなんの話してるのよっ!!」
「ん? 娘婿どのに君の良さを伝えているだけだが?」
「お義母さんからアカネ良いところを沢山教わってる所ですよ?」
「そうじゃなくてっ!! なんで母さんまでそいつを普通に受け入れてるのよっ!!」
立ち上がり、ヒイロへ指を突きつけて宣言すると、妹と母さんが、分かってないなぁ、とばかりにジェスチャーをする。
「碧が連れてきた男だぞ? それだけで信頼するに値する。それに話を聞いてみると、悪いのはお前の方じゃないか」
「お姉ちゃん、私、朝言ったよね? 異世界の恋愛はプラトニックだって。でね、異世界では異性の裸を見ちゃった場合、責任をとらないといけないんだよね。平民の場合はそれほど厳格じゃないんだけど、王公貴族の場合は絶対? みたいな」
「良かったな、茜。
彼はしっかりと責任をとり、君を娶ると言っているそうじゃないか。公序良俗の乱れた昨今、彼のような真っ直ぐな青年はなかなか見ることもできないだろう。
私はいいと思うぞ? 少々、嫁ぎ先が遠くなってしまうが帰ってこれないわけではない。それに、彼は勇者と言う物理的に君を守る力があれば、皇族と言う後ろ楯すらある。聞いてみれば、ゆくゆくは皇帝になる可能性すら高いそうじゃないか。
碧もそっちの世界に嫁ぐ可能性が高いと言うし、姉が皇妃であれば、碧も安心してそちらで生活することができるだろう。それに私達は定年後にでもそちらの世界へ移住すれば、一家が離散するわけにもならない。
なぁに、多少不便はあるかもしれないが、住めば都と言う言葉もあるからな、きっとなんとかなるだろう。はっはっはっはっは」
はっ? ちょっと待って!! このストーカー、異世界の勇者ってだけじゃなくて皇族なのっ!?
「それにお姉ちゃん、私が先に彼氏出来たってがっくりしてたじゃない? ほら、私より先に婚約できたんだからさ、ある意味ラッキー……みたいな?」
妹よ、それ全然ラッキーじゃないから。
二人の言葉を聞いて大体のところは分かってきた。
つまり……、だ。
「ってことはこの男、私の判裸見たってだけで婚約迫ってきただけの最低男っ!?」
「それは違うっ!!」
私が導きだした最低の結論に、即座に反対の声が上がった。
「僕は間違いなくアカネのことを愛している。我が聖剣、クレメンテォルにだって誓って言える。
僕が愛する女性はアカネ、君だけなんだっ!!」
「いきなり虚空から剣を取り出して変なことを抜かすなっ!!
そもそも会ったばかりの癖に何をぬけぬけと抜かすかっ!!」
「そんなことはないっ!!
確かに会ったのは今日が初めてだったけれど、旅の間中ミドリから何度も聞いて、アカネの事はなんだって知っているよっ!!」
茜っ、何を教えたっ!?
視線に込めて睨んだら顔を反らされる。これは後ろめたさMAXの時の態度だ……。
「成績優秀、品行方正でミドリの憧れの人。甘いものが大好きで、今の仕事もケーキが美味しいって理由で始めていたり、歌と躍りが上手でその仕事場では定期的に披露しているそうだね」
……ふむ、まぁ、悪くはないんじゃない、か?
「それにもずくが好きで好きでたまらなく、近所のスーパーには採算を考えさせずに沖縄のもずくを入荷させていたり、意見の相違からコンビニを一件破産に追い込んだとか有名だそうだね。
そのくせ実は小学二年生までおねしょが直らなかったり、青蛙を見ると悲鳴をあげながら500mは全力で逃げるような可愛いところがあったりと、旅の間中ミドリが色々教えてくれたからね、僕はアカネの事なら何だって知っているよ」
いや、全っ然悪かった。
「あっ、バカっ……」
慌ててヒイロの口を塞ごうとしたミドリをキッと睨む。蛇に睨まれたアレの如く、大量に脂汗を流しながら動きが止まったということは、間違いなく黒だ。……後で事情聴取の上で折檻は決定だな。
「それに……、アカネは信じられないかもしれないけどさ、初めて君を見たときに、その、女神様みたいだって思ったんだ。特にそのまっ平らな胸に。……ひとめぼれって言うのかな……、僕はこの気持ちに嘘がつけないっ!!」
ヒイロの言葉が右から左に抜けて行くのを感じる。
取り敢えず、いきなり求婚してきやがった理由は分かった。
はんっ!! その程度で結婚しなきゃいけないんだったら、その世界は一夫多妻や一妻多夫、重婚なんて当たり前の腐った世界なんだろう。けど、それが常識なんだろうから私が何をいっても仕方がない。
「それにミドリはああ言っていたけどさ、実際には皇族でも今はそれほど厳格じゃないんだ。女性の裸を見たのは、確かにアカネが初めてだったけれど、万が一同じことがあったとしても僕はアカネ以外の女性に求婚しないことを誓うよ」
となれば残る方法は、いかにこの件をうやむやにして、穏便に、かつ後腐れなくコイツを元の世界に叩き返すかだよね。
「もちろんアカネの気持ちを大切にしたい。君が望むのなら、僕は全てを捨ててこの世界で生きて行くことだって検討するっ!!
ただ、魔王を滅ぼすことだけは、どうしても許してもらわなければならない」
あぁ、もうっ、耳元でピーチクパーチクうるさいなぁ。
「魔王を「ちょっと黙っててっ!!」あ、はい……」
……んっ? 魔王?
そうだっ!! さっさとその魔王とやらを倒させて、ミドリには個人情報の暴露を許す代わりにコイツを無理矢理送還させればっ!!
「ね、その魔王ってこの世界に来てるのよね?」
「あぁ、ミドリを召喚した時に、この辺りにゲートが繋がったことを考えれば、この近くに来たと思われるが」
「そう……」
「大丈夫、アカネとミドリ、それに無辜の人々は僕が必ず守って見せる」
「あっ、それはいいから」
目を爛々と輝かせているけど、今はそんなのどうでもいい。
「僕の身を心配してくれるのかい。大丈夫、ぼ」
「そういうのはいいから、それより魔王って一目で分かるものなの?」
「あっ……、うむ。特徴である角と羽を仕舞ってしまえば人族とそう変わりがないからな。後は……、腰までの長い金髪に、紫色……いや、青に近かったか? の瞳くらいか。他に特徴はと言うと……」
ふんふん、金の長髪に紫に見える青い瞳ね、うんうん。……ん?
ちょっと待って……、なんか凄くその特徴的な瞳には心当たりがあるんですけど……。
「身長はヒイロより高かったんじゃない? ヒイロが180でそれよりも頭一つ分高かったから195ぐらい?」
「そうそう、ミドリの言う通りだ。それと部下に呼ばれてる呼称も思い出したよ。
確か魔王オーキと呼ばれていたね」
決定っ!? それ間違いなく決定ですかっ!?
「おそらく魔力を失い、回復に専念して潜伏してるはずだからすぐには危険はないと思うけど。万が一見かけたら絶対に近寄らず、僕に知らせるんだよ。
……見つけ次第、絶対に滅ぼしてやるから」
ちょっ!? 待って!! これどうすんのっ!?
間違いなくマスターのことだしっ!!
しかも最後のくだりでめっちゃ獰猛に笑ってたよっ!?
「うっ……、うん。分かった。見つけたら……、必ず教えるね」
どうしよっ、どうしよう。
私の好きな人が実は異世界の魔王とやらで? 私に求婚してきてるのは異世界の勇者っ!?
穏便に、しかも素早く帰ってもらうには、魔王を倒してもらうしか手がないのにっ!! これ、私ってばどうすれば良いわけっ!?
「くくくっ、魔王め。次こそは絶対にそのはらわたをえぐりだして、その腐った脳天に聖剣を突き刺してやる」
……うん、取り敢えずお味噌汁もう一杯だけ貰ってから考えることにしよう。
こうして私をめぐる、異世界の勇者と魔王の物語が幕を開ける感じなんだけど……、一つだけ言うことがあるとすれば、やっぱりもずくは沖縄産に限るって言うことかな。うん、もずく美味しい。