かびたブドウを見かけたら
「クソ、カビだらけだ」
湿潤なこの地方に住む農夫の声だ。収穫を目の前にして野菜や果実がカビだらけになってしまった。
しかも、困ったことにこの農夫アレンは領主にワインを献上する仕事も行っている。
今年の分はいいのだが、この状態では来年以降には厳しい物がある。
その為、アレンはやけくそになった。
そもそも大事に育てたこの葡萄は我が子のようなものだ。第一子を流産でなくしている事もあって、アレンは何かを捨てるということに、ひどくためらいを覚える性格をしている。
ワインを作る、このカビにまみれたブドウで。
それで、死のうとアレンは考えていた。
せめて、我が子の手にかかって、と作ったカビワインを飲み干して死んでしまおうと、アレンは思った。
しかし、農夫がこのワインを作っているのを意地悪な農夫が見かけた。
この意地悪な農夫イワンはアレンが結婚した女性に思いを抱いていたこともあって、それを奪っていったアレンを憎んでいた。
領主に告げる。
「アレンは今年のワインはとびきり美味しい物になると自慢しておりました」
イワンの言葉に領主はそれは楽しみだと、アレンの農場に足繁く通う事になりました。
困ったのはアレンです。なんと領主は家臣や同輩らを招いたパーティーにアレンのカビブドウを使ったワインを使いたいと言ってきたのです。
これでは領主の顔に泥を塗る。きっぱり断ろう、と思い行動に移すが、イワンが口添えしたとしてアレンは出さざるを得なくなりました。
アレンはどうにか断ろうとしてある晩領主の家に訪れ、カビワインを持ってきたのです。
「領主様、これは実はカビにまみれたブドウで作ったワインなのです」
領主は冗談を言っているのだと思って取り合いません、それは織り込み済みでアレンはこの場でワインを飲んで諫死しようと思っていたのです。
グビリと飲みます。
すると鼻孔に芳醇な香りが襲い、ついで舌先に強烈なまでの甘みを感じるではありませんか。
喉越しも絡むようではあるが、悪くない。
嘘から出た真、という言葉があるが、真から出た真ということだろうか。
後にこれが貴腐ワインと呼ばれるワインの誕生であった。
神は一週間で世界を作ったと言われるが、その一週間がどれほど緻密であったかはこの奇跡の偶然によって生まれた至高の味を見ても頷かざるをえないだろう。