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第二十三話 契約書

 目が覚めたとき、柚葉は見知らぬ部屋に寝かされていた。軽くて温かな寝具。意匠の凝ったランプシェード。その柔らかな明かり。

 ここはどこだろう。私は……どうしたんだっけ。サングラスを外してほしいって頼んで、その後。あれ? 記憶がない……。

 おでこには濡れタオル。顔は火照っているのに、寒くてガタガタ震える。熱があるようだ。

「柚葉さん、大丈夫ですか? 私が誰だか分かりますか?」

 顔をのぞき込み、気遣わしげに問うサングラス。

「……陸也さん、私、どうしたんでしょう」

 そう言った途端、布団の中で繋がれていた陸也の手に力がこもった。安堵したようなため息さえつく。

 ――良かった。俺のこと忘れてない。

 そう小さく呟いたように聞こえたのは気のせいだろうか。小さく首を傾げる。

 柚葉の手を握る陸也の手が温かくて心地よい。まだ熱は上がっているらしい。とにかく寒くて仕方がなかった。

 私ってば、熱出して倒れちゃったのかな。

「あのぉ……ここはどこなんでしょうか?」

「後見家の客用寝室です。本当は連れて帰りたかったんですが、あなたは気を失ったままだし、熱もあるようだから泊まって行きなさいと、家族に止められたのです」

 あちゃー。

 まだ後見本家なんだ。どうりで。

 高級そうな部屋、家具、調度品。

 慌てて起きあがろうとすると、やんわりと押しとどめられた。次いでその手が、柚葉の首筋に触れる。

「寝ていなくては駄目ですよ。まだ熱が高いようだ。やはり、昼間一人で居させるのは心配ですね。言葉に甘えて、ここに居させてもらいましょうか」

 え? いやいや、ここに一人でいる方が、私的には居心地悪いんですが……。

 ってか、そんなことよりもサングラスを外してほしいって言った後、外してくれたんだっけ? 陸也さんは妖精王だったの? なんでそんな肝心なところで、気を失っちゃったかな……。

「あの、陸也さん、サングラスを外してくださいとお願いした件なんですが……」

 そう切り出した柚葉の唇は、陸也の人差し指に押さえられた。

「ストップ。その件はまた今度にしてください」「え? でも……」

「あなたは覚えていないかもしれませんが、気を失うのはこれで二度目ですよ。今回はタイミング的なものかもしれませんが、顔を見た途端二度も気を失われると、正直、めげます」

「え? 二度目?」

 瞠目する。

 私、前にも陸也さんの顔を見て気を失った? それ、本当ならすごく失礼な話じゃない?

 だけど、心当たりがない訳じゃなかった。

 私の中の失われた記憶。

 陸也に関する記憶は、両親の葬式の時からだったが、その時にはすでに、彼は柚葉のことを知っている素振りだった。

 たぶん、私は陸也さんと出会ったころの記憶を失っているんだろう。

 私の予想が当たっているなら、彼が妖精王だ。 知りたい。確認したい。だけど、そんな事情なら、無理は言えない。

 妖精王に会った時の私は、両親を失ったショックで、ひどく泣いていた。ひどく取り乱していた。たぶんとってもとっても困らせたと思う。夢だと思っていたから、遠慮などしてなかった。

 一人心の中でうなだれる。

 何やってるの、私。

 考えてみれば、過去も現在も、私は陸也さんに迷惑ばかりかけている。

「ごめんなさい。私、いろいろご迷惑をかけてしまったみたいで……」

 柚葉がしおらしく謝っているのに、陸也は顔をしかめた。

「そうですよ。そもそも、あなたはどうして子供のように簡単に妹に拉致されているんですか。取り乱した様子の中川から連絡は入るし、竹本など、出先まで迎えにくるし、慌てて帰ってみれば、あなたは……あんな格好で……」

 いやぁぁぁ。忘れてた! 私ってばショーツしかはいてなくて……。

 慌てて身に着けているものを確認すると、柔らかな夜着を着せられている。

「妹の寝間着を借りました。今回の騒動の張本人なんですから、それくらいはしてもらわないと」 これ……誰が着せたんだろう。怖くて聞けないよぉぉぉぉ。

 顔が一気に赤くなる。風邪の熱も相まって、目の前がゆらゆら揺れている気がする。

「ふ、服を返してくださいっ。やっぱり私、もう帰りますっ」

 あんな格好のまま気を失って、運ばれたんだと思うと、情けなくて泣きそうだ。恥ずかしい。穴があったら入りたい。もう帰りたい。

 いたたまれなくて再び起き上がった。

「駄目ですよ。寝ていてください」

「私、帰りたいですぅ」

 泣きたい気分で懇願する。

 私は気づいてしまっていた。こんなにも恥ずかしくていたたまれなくて、帰りたいと思う理由。 私は意識していた。

 この家のどこかに、陸也さんの奥さんがいる。 彼女なら、こんな失敗絶対しない。子供みたいに連れ去られたりしない。ましてや、よその家で半裸の状態で気を失うなど……。

 ふがいない自分が恥ずかしい。

「そんなに帰りたいですか? あなたが望むなら、旧後見邸にでも、千葉の実家にでも連れて行ってあげたいのですが、実は明日の仕事の予定が変更できないんです。里見は、今、九州へ出張中だし。熱のあるあなたを一人にするのは心配ですし……」

「……」

 あぁ、私ってば、また陸也さんを困らせてる。 静かに涙がこぼれた。

 私は、こんなにも陸也さんに寄りかかっていたんだ。細かくて苦手だとか、無表情で何考えてるんだから分からないとか、文句ばかり言っていながら、本当はすごく頼りにしていた。

 実生活で陸也さんに頼り、気持ちでは妖精王にすがり、でも、それが実は同一人物だったらしいという予想に、私はすっかり混乱していた。

 どちらも自分のものではなかったという現実を目の当たりにして、すっかり打ちのめされていた。

 どちらも、私が頼ってはいけない人だった。

「陸也さん、お願いです。もうこれ以上私に優しくするのはやめてください。このままだと、私、いつまで経っても強くなれない。一人で生きていけない。こんなんじゃ、私、駄目になりそうです」

 陸也は柚葉の目を心配そうにのぞき込みながら、涙を指で拭った。

「あなたは駄目になんかなりませんよ。私がついてます。ずっと傍にいて守ってあげます。あなたを一人になどさせません」

 それは妖精王の言葉そのもので、柚葉は堪えきれずに声を上げて泣いた。

「柚葉さん? どうしたんですか? 何か気に障りましたか? 泣いていては分かりませんよ」

 もう限界だった。確認せずにはいられない。

 たとえ、妖精王と陸也さんが同一人物で、自分が頼ってはいけない人だったのだと確定することになるのだとしても、確認せずにはもういられなかった。

「ご、五年前、あなたは私にそう約束してくれましたよね? あの時、私が居た病室に現れたのは、陸也さん、あなただったんですよね?」

 柚葉の言葉に陸也は瞠目した。

「柚葉さん、思い出したんですか? あの時のこと……」

 柚葉は賢明に説明した。妖精王が現れたのは、ずっと夢だと思っていたこと。あの言葉を気持ちの支えにして、ずっと生きてきたこと。千葉の実家に陸也が泊まったときに暗がりで見た陸也の寝顔が、妖精王に似ていると思ったこと。そして、瑠璃の部屋で見た絵で、それが実在の人物であると気づいたこと。

「全部つなげたら、あれは現実のことで、妖精王は陸也さんだという答えしかなくて……」

 涙ながらに語る柚葉を陸也は抱きしめた。

「なんてことだ。思い出したのではなく、覚えていたんですね。私はずっと、忘れられたのだと……勘違いしていました」

 抱きしめたまま、陸也は続ける。

「でも、だとしたら尚更、あなたにはここにいてもらわなければ。風邪が治ったら家族に紹介します」

 え? 家族に紹介? なぜ?

「あの、私はむしろ今すぐにでも帰りたいと思っているのですが……。だって、陸也さんの奥様は具合が悪いのでしょう? 瑠璃さんからそう聞きました。風邪をうつしたら大変ですし、それに……」

 心の支えだった妖精王を失ったら、私には、一人になって気持ちの整理をする時間が必要になるはずなのだ。

 その時こそ、何も考えずに掃除がしたいと思う。

 床を磨き、窓を拭き、玄関の土間さえ塵一つ無いように磨き上げたならば、きっと自信が付くと思う。そうすれば、またひとりで歩き出せる。そんな気がする。

 毅然とした気持ちで顔を上げると、そんな柚葉とは逆に困惑した様子の陸也が、意を決したように切り出した。

「柚葉さん、一つ訊いてもいいですか?」

「なんでしょう?」

「私と交わした契約のことも覚えているんですよね」

 柚葉は自信たっぷりにこっくりと頷く。

「もちろんですよ。でも、あれはもう破棄してくださって構いません。だいたい、ずっと一緒にいて守ってくれるなんて、私なんかにそんなこと約束しちゃいけなかったんですよ。ずっと傍にいて守ってあげなきゃいけないのは奥様でしょ? なのに、私とあんな約束をしたばっかりに、今まですっかり陸也さんを煩わせてしまったんですよね。ほんと、申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げる柚葉にチョップが落ちてきた。

「いたっ。何するんですかぁ」

 ちょっとぉ、それ、心から謝ってる人にすることぉ?

 頭を押さえて不満げに見上げると、眉間にしわを寄せた陸也が見下ろしていた。

「あなたは、あの書面をちゃんと読んだんですか?」

 へ? あの書面? あの契約の紙のことですか?

「いえ、署名欄しか見てませんが? ずっと傍にいて守ってくれるという契約内容の紙だったんですよね。花柄の……」

「花柄? そんな柄ついてませんでしたよ。普通の白い紙でした」

「えぇ? 花柄でしたよぉ。確か百合の花だったと思います」

 確かに花柄だったよぉ。妖精王の差し出す紙は優美だなぁ、さすがだなぁ、と感心したくらいだもの。

「それ、紙ばさみの柄じゃなかったですか?」

「え?」

 あれ? そうだった?

「しかし紙の柄はともかく、契約書と言われたら、普通、サインする前に確認しますよね?」

「まぁ、普通はそうですね。でも、相手が妖精王だったので……」

「妖精王なんかじゃないですよっ!」


 契約書のコピーをとってあるというので、見せてもらった。

 呆然として、穴があくほど見つめる。

 契約書は、婚姻届だった。

 署名欄には「後見陸也」と、柚葉の筆跡で「北村柚葉」と、署名されている。保証人は後見紫乃と北村孝になっていた。北村孝は、葬儀の時に九州から来てくれていた遠い親戚の名だ。

 え!? ってことは、陸也さんの奥様って……。

 えぇぇぇぇぇ!?


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