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プロローグ

 私たちが生きているこの世界は、一見盤石そうな顔をしていて、でも実は途轍もなくもろく、はかなく、壊れやすい。一人一人が全力で支えて、初めて成り立つものなのだ。支えを失った世界が、いかに脆く儚く、一瞬にして崩れ去るか。

 両親が死んだ十六歳の夏、私は、それを思い知らされた。

 事故の一報を受けたあの時の恐怖を、私は未だに言葉にすることができない。今でも夢でうなされるほどなんだから、言葉になどならない。きっと私はまだ、両親の死を消化できていないのだろう。

 火災を伴ったトンネル事故。慌てて事故現場に駆けつけた私は、その凄惨せいさんさに息を呑んだ。むせかえる黒煙、何かが焦げる嫌な臭い。消防車と救急車が鳴らすサイレンの悲鳴。火勢の激しさに遅々として進まない救助活動。報道ヘリの雑音と勘に障るリポーターの張りきった声。

 何もかもが最悪で、絶望的で、まるで悪夢の中にいるようだった。

 次々に伝えられる救出者心肺停止の報に、私は、両親の安否が確認できないうちから絶望した。泣き崩れ、取り乱した挙げ句、安定剤を投与され昏倒した。

 実に迷惑な話である。自分の事ながら呆れ果ててしまう。何のために駆けつけたんだかと。

 ただ、少しの言い訳を許してもらえるなら、その時の私は、錯乱しても仕方がない状況だった。兄弟姉妹のいない私にとって、両親の死は、天涯孤独になることを意味しており、まだ自分を養う術すらない身には、耐え難いものだったから。

 誤解しないでほしいのだけれど、私がこの不幸な体験を語ったのは、可哀想な子だと同情してもらうためでも、不幸自慢したかったわけでもない。この後私が見た不思議な夢の話をしたかったからだ。私の大切な夢の話。


 事故現場で昏倒した後、私は見知らぬ病院のベッドで目を醒ました。

 両親が駄目だったらしいことを、結局、私は病院の待合室のテレビで知った。

 事態を飲み込めず、これは夢かうつつかと混乱し、途方に暮れ、泣きじゃくる私の前に、翡翠色ひすいいろの瞳をした妖精王が現れた。別に彼が自ら妖精王だと名乗ったわけではない。金色の光を弾く艶髪つやがみに、すらりとした長身、白っぽい服。その佇まいや雰囲気がそのようだったので、私が勝手にそう呼んでいるだけだ。

 涙の理由わけを問う彼に、両親を失った悲しみだの孤独だの不安だのを切々と訴える私に、妖精王はこう言った。

 ――もしあなたが、ここにサインをすれば、私はずっとあなたの傍にいられるし、守ってもやれますよ。嫌なら無理にとは言いませんが……。

 これは契約の一種なのだと、彼は淡々と語った。

 ずっと傍にいて守ってくれる?

 それはとても魅力的な誘惑だった。

 ――あ、ハンコは持ってますか? ないなら拇印ぼいんでも構いません。もし、指が汚れるのが嫌なら私がハンコを用意することも可能です。

 彼の態度はやけに事務的で、見かけは妖精王のようでありながら、ファンタジーというよりもドキュメンタリータッチな存在感を放っていた。その出現の突飛さやファンタジックな姿形の割に妙に信用できる気がしたのは、そのせいだったのだと思う。何よりも、独りぼっちになった恐怖で、わらにもすがる思いだった私は、あまり深く考えず言われるままサインをした。

 北村柚葉きたむらゆずはと。

 屋外では、夕暮れ時の琥珀色の光の中、ヒグラシがもの哀しい声で鳴いていた。ひどく寂しくて、悲しくて、痛いほどの孤独を、私は感じていた。恐ろしく混乱した記憶の中で、妖精王の淡い瞳の色だけが、薄闇に灯った光のようだったのをよく覚えている。

 まぁ、この手の話にはありがちなことだけど、次に目を醒ました時、妖精王などいなかったし、当然のことながら証拠になるような印だって何も残ってなかった。

 拇印にしておけば良かった。そうすれば、指に証拠が残っていたかもしれないのに……。

 いや、いやいや。こんなファンタジー、信じてないよ。だって夢だったんだもの。オーケー、大丈夫。私はちゃんと現実と夢の区別くらいついてる。

 だけど、その夢は私のお守りになった。

 私には妖精王がついている。ちゃんと契約したんだし、独りぼっちじゃないんだ。

 そう思うだけで、不思議に前向きで、強い気持ちになれた。

 ――きっと大丈夫。

 もしかしたらあれは、私を心配した両親が、向こう岸から贈ってくれた夢だったのかもしれない。今ではそう思っている。

 もう五年も前の話だ。

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