ふと思いついたネタ;その三 「普通」の基準
普通ってなんじゃろな。
普通にしてていいとか、普通はそう考えるよねっていう言葉がよーわからん。
何で普通がわからないのかって妄想ふくらませたお話です。
他のネタと混ざった感あるので後でちょい改訂するかも。
「ねえ、シンちゃん。どれを選べば普通なのかな?」
その日、両親が渡した書類を持った私の姉はそう言って困ったふうに笑った。
今まで大きな苦労をいうものを経験したことがない。
そんな私の姉には「普通」という基準が今ひとつわからないものだった。
生活の中で社会の中で、誰もが時折口にする言葉がある。
「普通そうだろう」「普通は違うだろ」「おいおい、普通にかんがろよ」「普通にやればいいんだよ」「普通そんなことするか?」「あいつ普通じゃないよな」
『普通』
それが当然だと。わざわざ説明するまでもない。生きてきた中で当然持っている。
そんな風に誰もが言う言葉が私にはわからなかった。
正確には「どれが」普通なのか。
それが姉には分からなかったのだ。
生きてきた中で何かを間違えたわけではない。変な病気にかかったわけでもない。
親がおかしかったわけでも兄弟が変だったわけでもない。倫理観が歪んでいたわけでもない。
ただ一つ違ったことといえば姉は少しばかり、周囲と比べ要領が良かったことだ。
小学校に入ってすぐ、姉は学習塾に入れられた。
同い年の子供たちを見ればそれは早いことだったが当時の姉にそれを判断する能力はなかった。それをおかしいとも思わず特に反抗することもなく従い姉は塾に通った。
当時、臆病で人見知りな性格だったこともあるだろう。友人との深い関わりもなかった姉は他にすることもなく塾に力を入れた。拠り所だったのかもしれない。それだけしかすることがなかったと、そう言っていた。
塾の時間内は出された問題のページを勧め、出された宿題も直ぐに終わらせた。回を追うごとに一回の塾の時間で進めるページは増えどんどん冊子も次へと進んでいった。内容も複雑になり、出される宿題も増えていった。姉はその全てを終わらせていった。
塾の効果もあってか姉は勉強が出来た。
小学校時代は勉強で分からないところはなかった。けれどそれが鼻についたのか、或いは人見知りな性格が災いしたのだろう。一部の相手からは心無い言葉をかけられたこともあった。
けれど高学年になるにつれ同じ地域の子供と仲良くなり、少しずつその性格は前向きになっていった。
中学生になると姉は本を読むという趣味も覚えた。友人との交流も拙いながら行われ、塾へ行く時間が減っていった。塾の宿題は中学になると同時に無くなっていた。勉強をする、という行為が減り始めていった。学校の宿題をすることも減っていった。
けれど姉は特にそれを気にすることもなかった。小さな頃から塾通いで思考の基盤は出来ていたのだろう。勉強で苦労することは余りなかったのだ。
先生の話を聞けば理解は出来たし、教科書を読めば覚えられた。暗記なら何度も読んでノートに書けば頭に入った。期末テストも前三日ほどやれば平均点は85を問題なく超えた。
勉強が出来るというプライドがあったのもあるだろう。分からない数式があれば先生に聞かず、姉はひたすらに自分で考えた。
誰かに教えてもらわなければ解けない。クラスの誰かは解けているのに自分は解けない。そんなのは嫌だ。どうしようもなく恥ずかしく、嫌だ。誰にも知られたくない。
そんな臆病なプライドが姉を突き動かした。恐怖に追い詰められ、時間内に解けなければその後も考え続ける。姉はそんな行為を繰り返した。
『あなたの点数ならここの学校に行けると思いますよ』
テストの点数は良かった姉は先生から近くの進学校を勧められた。親もそれに同調した。
遠くに行く気はなかったし、何かやりたいことがあるわけでもなかった。親や教師に反抗する理由もなかった。
そこが妥当ならそこに行く。そうして姉はその進学校を決めた。
勉強は辛くないほどにほどほどに。そして姉はさして苦労もせずその受験に受かりその高校に進学した。
同じくらいのレベルが来ているだけあり、高校に入学した姉はその中では飛び抜けて優秀なわけではなかった。
テストはいつも平均辺り。次第に勉強ができるというプライドも消えていった。
部活にも入り友人が出来、勉学からはまた手が遠のいていった。
テストの順位は少しずつ下がっていき、受験を意識する時期になった。
このままではまずいかもしれない。そう思った姉は学校で出された問題集を少し解くようになった。その結果、順位は直ぐさま跳ね上がった。
ああ、こんなものなのか。こんな簡単に上がるのか。なぜ皆、この程度ができないのだ。
この時初めてそう、姉は思ったのだという。
そのまま姉は問題なく、上がって点数で勧められたそこそこ有名大学へと、さして苦労もせずに進学していった。
中学と高校の生活の中で姉が抱いた思いがあった。
他人が考えていることがわからないということだ。
同級生との会話である話題が出たとき、姉はよく考えてから言葉を発した。けれど時折、それは周囲と食い違うことがあった。Aという環境下でBという話題が出された。Bを考えるとCという事が考えられる。だがAを踏まえるとCではなくDになる。しかしEという可能性もある。考えた末に姉がDを話すと皆はCを話した。考えが一段階ズレたのだ。
何故それを考えないのか。少し考えれば分かることじゃないか。そう告げる姉に周囲は言った。
『普通そこまで考えないよ』
当然のようにある事実。それを考慮せずに話すなど友人に馬鹿にされると思っていた姉に告げられた言葉。
CからDへと話が移っていく中、その言葉は姉の中に残っていった。
そしてそれは時折、姉の周囲で発される様になっていた。
『普通はこれを選ぶよね』
『普通は違うだろ』
『普通に動かしてくれればいいから』
『普通に』
当然のように友人たちの中にある価値観。それが姉にはわからなかったのだ。
状況を考慮するといくつもの可能性が出る。その中の適切な行為の基準が姉の中にはなかった。
会話をしているのだ。本来はその一つずつを話して進めていくのに、姉は頭の中で一人だけ進めてしまう。そんなちぐはぐさが起こった。
姉はそんな不安を友人に漏らしたことがあった。笑いながら帰ってきた言葉は酷く簡潔なものだった。
『考えすぎだよ。気にせずもっと普通に考えなって』
その「普通」が姉にはわからなかった。
その基準はきっと、色んな苦労の中で見つけるものなのだ。
挑戦し、努力し、挫折し、苦労を重ね正解に至る。
そういった積み重ねの中で正解を元に幾つもの選択肢の中の一つを、普通という基準を育んでいくのだ。
恵まれた環境で育ち、要領が良かった姉は大きな苦労をしたことがなかった。
高校受験、大学受験でさえ周囲の進めるままに来て、そしてなあなあで通ってしまった。
だから姉には普通という基準がいまいち分からなかった。
これは気にする。これは気にしなくていい。これは話す。これは話さなくていい。
きっとこれなのだという自分の考えに、確信が持てないようになってしまったのだ。
姉は友人達との会話で積極的な発言を控えるようになった。出た発言に追随することが多くなった。
そうでなければ普通の意見が分からないから。奇異の目で見られずに済むから。
積み上げてきたものが崩れずに済むから。
きっとこれからも自分は大きな苦労をせずに進んでいくのだろう。それが怖い。
きっと大きな苦労なく進めてしまうのだろう。それが怖い。
きっと自分は大きな挫折を出来ない。それが怖い。
ずっと問題なく来てしまったから。来れてしまったから。挫折をして耐えられるかわからない。だから怖い。
一度、どこかで挫折をしたかった。
でも臆病な自分は、折れるかもしれない行動が出来なくなってしまった。
ねえ、普通ってなんなの。どこで考えを止めればいいの。私一人しかいないなら気にしなくていいのに。
間違ったことを言って今までが崩れるのが怖い。どうすれば普通になれるの。
そう言って私に悩みを聞かせてくれた姉は、自分の程度ならこのあたりだろうと選んだ職に応募し、そして就職した。
そうして私は、姉の選択を手伝うようになった。
姉は何をすればいい決まっていることならば優秀だ。効率化なども得意だ。マニュアルがあり基準がはっきりしていれば迷うこともなくこなせる。
そういった仕事場を選んだから、姉は仕事場では優秀だ。
だけど仕事を離れ一般生活になると、姉は選択が出来なくなる。
やらなければいけない家事。炊事や洗濯などを除いた日常生活で、姉は普通が分からない。困ると私に助けを求めてくる。
だからその時、私は姉の代わりに選ぶのだ。
「こっちがいいと思うよ」
指さした方を姉が見る。
「そっか、こっちかあ」
姉が緩んだ顔でそれを見る。
世間一般ではきっと、姉は優柔不断というやつなのだろう。姉の迷いはそう多くに理解されるものではない。
迷うようがない所でも姉は私に視線で助けを求めてくる。
そういったことへの煩わしさが零だといえば嘘になる。少しは自分で選んで欲しいと辟易することもある。
疲れることはあっても、けれど私はそれをおかしなことだと思ったことはない。
「ありがとシンちゃん」
「いいよ姉さん」
なぜなら姉を助けることは「普通」なのだから。
簡単に言うと場が読めない、っていうのが普通がわからないっていうことだとは思います。
けど選択肢の中にちゃんとその普通があって、けど選択肢の中でどれが普通なのかわからない。このお話の趣向はそんなあれでした。
結論としては単に経験不足なのが理由だと思います。パターンを知っときゃいいのさー。
若い時の苦労は買ってでもしろ。しないと後で苦労する。
理屈がある物って助かります。
こんな可愛い姉さん欲しいのう。