消える魔級
お久しぶりでございます。佐乃海テルです。
怪我などをしていて、最近執筆活動をかなり長期にわたって休んでおりました。執筆意欲も回復してきたので、ゆっくり再開していきたいと思います。
というわけで今作は復帰第一作となるわけですが、ホラーのくせして怖くはありません。また今まで書いてきた文章と、いい意味か悪い意味かは分かりませんが、変わっていると思います。しばらく感じていなかった感覚を取り戻せるよう、これからも頑張りたいと思いますのでよろしくお願いします。
「先生」
授業終了後、後ろからの声に呼ばれた私は、すっと振り返った。
「この本、読んでみてください」
そういって、その女子生徒は本を差し出した。ハードカバーで、しっかり製本されており、あまり薄くもない読み応えのありそうな本だった。
「貸してくれるの?」
私の問いかけに、その女子生徒はうなずいてくれた。
「そうか、ありがとう」
私はこのクラスの担任もしており、6限の授業だったのでこれから掃除があるので、その監督をしなければならない。その本を教科書の間に入れて、すばやく私は職員室へ戻った。まだ本のタイトルすら、見ていなかった。
消 え る 魔 級
四月は私の一番好きな季節だ。別に地球が四月を始まりと決めたわけではなく、ただ社会的に、書類的に新しく始まる月。けれども私は十分新鮮味を感じる。
県の中でも割と普通な、私立高校。私はここへ勤めて、この4月に3年目になる。2年間私は国語担当の非常勤講師として、この学校と大学院を行ったり来たりしていたが、この春に晴れて卒業し、アルバイトのつもりで来ていたこの学校に、いつの間にか愛着が湧いていた。そしてこの春から専任となり、専任1年目から2年生の担任を受け持つこととなった。
「こら西川、手を動かせ」
掃除を怠けている生徒を注意する。呆れたものだが、それも今の私にとってはたまらなく嬉しいことだった。
「津田先生、基本情報帳の引継ぎをお願いします」
放課後職員室に戻ってすぐ、私は2年の学年主任である秋津先生にそう言われた。
「基本情報帳?」
「ええ。生徒の情報を集めた、1部7ページほどの冊子ですよ。成績、連絡先、過去の事件から全て、我が校では生徒の全情報がこの情報帳に一元化されています」
「なるほど。で、引継ぎと言いますと?」
「クラス替えでの新しいクラスと出席番号を書いてもらいたいんです。何かとよく使いますので、くれぐれもミスのないようお願いしますね。はい、これが2年E組の分です」
「は、どうも」
なかなか重い。
「まあ急ぎではないので、4月中に終われば十分ですよ」
まだ4月も半分残っている。まあゆっくりやるとするか。
……とはいったものの、割と早めに取り掛かってしまった。かといってさっさとやっているわけでもなく、貼ってある証明写真を見ながら、生徒一人ひとりの顔を覚えるようにしていた。
「菊池ゆり……ん」
か行に差し掛かってすぐのその生徒の写真はなぜか印象が強かった。それは今日、本を貸してくれた生徒だったからだった。
「菊池と言うのか。よし、覚えた」
そして菊池の出席番号を入れようとしたときだった。
「ん?」
何ということか、菊池の2年のクラス・出席番号の欄には、既にE組15番と書かれていた。それは確かに今年のと同じだ。でも何故……。不思議に思ったので、私は秋津先生を呼んだ。
「ああ……彼女は、病気療養で前年度の出席日数が履修に満たなかったんですよ。まあつまり、留年ってことです。出席番号が変わっているなら、上に書くなりすればいいと思いますけど……まあ今年も同じならそのままでいいんじゃないですか」
私は、本を貸してもらった時に普通の生徒として何も感じずに接していた自分が恥ずかしかった。こんな重要な情報を把握できていなかったのは担任としていいとは言えない。
「いや、彼女は普通の生徒です。成績も優秀ですし、去年の病気が災いしただけです。むしろ、彼女は特別扱いされることを望んでなんかいないと思いますよ。どうぞ、みんなと同じ高校2年生として接してあげてください」
秋津先生にそういわれて、私は少しホッとした。
そうはいっても少し気にはなる。
「先生、先日貸した本は読まれましたか?」
菊池にこう言われたとき、私は必要以上に動揺してしまった。
「あ、すまん! なるべく早く読んで返すようにするよ」
「別に謝らなくてもいいですよ。暇がある時に、是非読んでみてください」
それから3ヶ月が過ぎ、7月。期末試験も終わり、生徒皆の心に余裕が出来る頃。逆に我々教師は、成績評定に大忙しである。あの本も机のどこへやら、そして記憶のどこへやらへ、行くはずだった。
だが菊池はことごとく読み終わったかどうかを聞いてくる。そのたびそのたびに、適当な答えを返す。ところが聞いてくる間隔も、最初のうちは1〜2週間だったのに、それがだんだんと5日、3日となり、今では2日に1回は聞いてくるようになった。ついこの間は、1日に2回聞かれた。その時はさすがに私も、
「今朝言ったでしょ。まだ読んでないって」
とまるでよれよれの老人を相手するかのような態度を取ってしまった。
そんなこんなの7月のある日、私はとうとうしてはいけないことをしてしまった。
その日は成績提出日で、いつにも増して私は機嫌が悪かった。とはいえいくら機嫌が悪くても、そこは教師である。生徒にあたるようなことはあってはいけない。それを私は、してしまったのである。その日の放課後、掃除の時のことである。
「先生、あの本は……」
「読み終わってない。こっちは忙しいんだ」
いつもと違う反応に、菊池は少し目を見開いたようだった。
「もうすぐ夏休みですから、なるべく早く……」
「うるさいな!」
さすがの私もキレた。キレてすぐに、しまったと思った。そこですぐさま訂正する。
「あ、いや、すまない。早く返して欲しいなら、職員室で待ってたら返すよ?」
「返す前に読んで欲しいんです!」
菊池もなかなか引き下がらない。そこまで私に読んで欲しいものなのだろうか。むしろ彼女の言い方では義務感さえも感じさせた。
「それは……」
私も返答に詰まる。それを見た菊池もとうとう限界が来たのだろうか。
「もう、いいです! 先生なんか大っ嫌い!」
そう言って勢いよく、教室を出てしまった。教室の掃除当番の子たちの目が、私を明らかに責めていた。その視線たちは数秒間私に降り注ぎ、その後各々の仕事に目を向けなおした。
「ほう、そんなことがあったんですか」
秋津先生は、それを聞いても落ち着いた表情をしていた。自分はこういう所を見習わなければならないんだ、と思う。学校で起こる事件というのは、自分が思っているほど重大なことは少ないのだろうし。
「まあ、少しお互い機嫌が悪かったんでしょう。津田先生も仕方ありませんよ。教師は誰しも、この時期は必死こいて成績入力にこきつけているんですし。それが新任ならなおさらです。あなたに責任があるというのは、少し酷過ぎると私は思いますよ。事実、」
秋津先生は微笑み、
「私も今忙しいですからね」
パソコンに姿勢を向きなおした。自分もそれにならって、机の上の名簿と電卓に向かう。
次の日。私は天と地のように、機嫌がよくなっていた。
自分が思っていたよりも、成績評定が楽に終わったのである。残るは終業式までのあと一息と言ったところか。やはり物事は、自分が思っているほど重大ではないのだろう。少しばかり、この何日間かで気が楽になった気がする。菊池からも逃げ出さず、正面から向き合えばきっと許してくれるはず。そう思いながら出席簿を持ち、そして菊池から貸してもらったハードカバーを手にして、教室に向かった。
「……あれ」
私の上機嫌とは裏腹に、教室は最悪の状況になっていた。
「み、みんな遅いな」
教室には誰もいない。喧騒は全て他のクラスのものだった。
「授業の集団ボイコットか? まったくめ、今の高校生はくだらんことばっかり……」
落ち着いて、批評をしている……つもりになっているだけである。心の中には焦りしかない。
「ボイコットなんかして、面白いのか? 何のためになるんだ? 親が一生懸命働いて、お前らをこの高校に行かせているというのに、なんだこの有様は?」
誰もいない教室に向かって、むなしくも私は説教を始めていた。気が狂ってきてしまったのだろうか。そのスピードは速く、語調は強くなっていった。
「だいたい、お前ら生徒は教師のことなんか考えたことあるのか! うざい! 消えろ! 死ねだのと! 自分が嫌だと思ったら、深く考えずにすぐそうやって、汚い言葉ばかりを投げかけ、教師のことなど考えていないんだ! いいか! 考えてもみろ! 教師に、もっと言えば俺に! 悪い点はあったのか! 俺はそんなに、そんなにお前らのことを考えなかった教師なのか! 俺が悪いのか! 俺にはそんな、そんな心当たりなど……!」
普段から大声を出さないのに、それも連続して出してしまったせいか、私はむせて咳き込んでしまった。咳が収まったので、顔を上げた。視線に入ったのは……皮肉なことに菊池の机だった。私はつばを飲んだ。「ない」とは続けられなくなってしまった。その机が、私をまっすぐ見つめているようだった。
「畜生め!」
私は菊池の机までずかずかと近づき、思い切りそれを蹴倒した。教卓に戻り、出席簿とハードカバーを持ち、ドアを乱暴に開けて教室を出て行った。
「秋津先生!」
私は職員室で叫んだ。皆が驚いてこっちを向いたが、興奮状態の私はそんなことに気が付かない。秋津先生のところまでまっすぐ早歩きする。
「ん? どうかしましたか?」
「私のクラスの生徒が一人もいません!」
「は?」
「いやですから、私のクラスの生徒が、一人も来ていないんです! きっとボイコットですよ! どうしましょう?」
「津田先生。何を言っているのか分かりませんが、落ち着いてください。ほら、座って」
何を言っているのか分からない? 何を言っているんだ、秋津先生こそ。そうは言われても年長者である。しぶしぶ椅子に座った。
「あなたは国語の先生ですね?」
「はい」
「今まで2年間、この学校に非常勤講師として勤め、今年から専任になりました」
「そうです」
「あなたは高2の国語と……高2の副担任を務めていますね?」
「……え?」
「どうしたんですか。あなたは今年クラス担任をなさってなんかいないはずですよ。だいたい専任1年目にクラス担任を押し付けるほど、うちの高校は残虐非道じゃありませんよ」
「いや、しかしですね、」
「だいたい、何組ですか?」
「E組です!」
さっきまでのざわめきが、一気に静まり返った。
「津田先生。今日は早くお帰りになった方が……」
「秋津先生まで、私をバカにするんですか!」
またさっきの興奮が、ぶり返してくる。
「バカにしてるのはどっちですか、津田先生!」
「わが高校には各学年A・B・C・D、4クラスしかありません。 E組なんて……もう10年以上前、あなたが来るずっと前から廃止されていましたよ。そんな出席簿、どこから持ってきたんですか。戻してきてください」
「何を言っているんですか! 私は確かにE組を担任していました! その証拠に!」
私はE組の出席簿を開いた。しかし、何も出席簿には書いていなかった。生徒の名前も、担任であるはずの私の名前も。何も言葉が返せない。秋津先生が呆れたように言う。
「だからないって言ったでしょう。バカなこと言ってないで、早くそれ戻してきてくださいよ」
そんな現実、受け止められるはずがない。
「年が少しばかり上だからって、ふざけやがって!」
私は2年生の教室の方へ戻ることにした。
廊下を歩きながら、自分が持っていたハードカバーを見てみる。本のタイトルすら見ていなかったことに、少し罪悪感を感じた。背表紙を見返すとそこには、
『消える魔級』
というタイトルが書かれていた。
私はドキッとした。すぐさまパラパラめくってみた。病気療養で留年になっている少女、そしてその担任のふれあい。それがとてもほほえましげに書かれていた。4月を思い出させてくれる。E組の担任であるという誇りを、私は再確認できたように思えた。
ところがあるページを境に、その本は少女の怒りの言葉が並び始めていた。それはやがて、割合が大きくなり……。
「まずい」
私は生理的な本能でそれを感じ、本を閉じた。エンディングまで見ている場合ではないと思ったのだ。廊下を走った。自分のクラスが近づく。開けっ放しになっていたはずのドアは閉まっていた。E組を示す札もない。もしかしたら、もしかしたらE組など存在しないのかもしれない。だがそんなことは関係ない。私は、確かにE組を担任していたのだ……!
私がドアを開けると、その音は2年生の廊下中に響き渡った。
菊池が、いた。
確かにそこに菊池がいた。それだけで私は安心した。E組は存在していたのだ。彼女がそれを、何よりも証明してくれるのだ!
「菊池!」
私は希望に満ちた笑顔で、彼女を呼んだ。
「先生、遅いよ」
菊池は悲しそうな顔をした。
「ああ、すまなかった。許してくれ」
「遅い……遅すぎるよ。私は、ずっとここで先生待ってたのに」
「本当に申し訳ないと思っている」
「あの本……読んでくれた?」
「少し目は通した。結構怖いホラーだったな。遅くなってすまなかった。これ、返すよ」
「いいよ、返さなくて」
菊池は私を睨んだ。
「自分の結末でも見たら?」
「は?」
「私はここで、先生をずっと待ってた。10年以上もね」
「何を言っているんだ……」
私は彼女をなだめようとした。
「私がこの高校に来たのは3年前だぞ? 10年も前からどう面識があったっていうんだ、菊池」
「私はこのクラスの担任が誰なのか分かっている。去年の担任も分かっていたし、今年の担任があなただってことも分かっていた。そして来年の担任も分かっている」
正直、彼女が何を言っているのか、私にも分からなかった。だが興奮状態にいた私は、なんだか共感を覚えたのだろうか、正気の沙汰とは思えない質問を彼女にぶつけた。
「このクラスは存在するのだろうか?」
すると……答えはあっけなく返ってきた。
「分からないんだ。じゃあ自分で出席簿見て、確かめてきたら?」
「わかった」
私は出席簿を手に取った。そしてゆっくりと、開いた。
「これは……」
名簿には誰の名前も……いや菊池の名前だけが15番に書かれていた。
「このクラスの生徒は、お前しかいないのか?」
「そう」
「そうか」
私はホッとした。
「良かったよ。他の先生はE組なんかないとか言い出すんだ。これで胸を張って職員室に戻れる……」
「戻れないよ」
彼女は笑っていた。笑い声は次第に大きくなる。狂気に満ちている。何が起こっているのか、わからない。
「出席簿をよく見なよ、担任の名前もないよ」
「そんな!」
私は身を翻して彼女から離れようとする。だが彼女もそれに負けない速さで素早くつきまとう。
「2年E組は私のクラス。10年以上も前から、私のクラス。担任なんかいない。毎年私が作って、毎年私が消すの。今年もその時期が来ただけよ。さああなたも」
手に抱えていた本をめくり、私はようやく自分のエンディングを見てしまった。そこに書かれていた文章を見て、私は腰を抜かした。そして彼女は私の真上に立ち、そこに書かれていたのと全く同じ言葉を発した。
その日臨時休校となった学校には、サイレンの音がひっきりなしに聞こえてきていた。
「じゃあ、捜査が進み次第またご連絡しますので。では」
「どうも」
秋津は警察を見送ると、周りの高2の担任たちを見回した。
「物騒な世の中ですな。空き教室から遺体とは」
そして秋津は首をかしげて言った。
「だいたいあの男、津田とかいうらしいが、どこからこの学校に入ってきたんだか……」
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