第八十六話 晩酌
その日の夜、ギレッドはマーシャルを酒場に呼びつけていた。
だが、マーシャルは仕事を片付けてから行くとの事で、ギレッドは一人で酒を飲みながら待っていたのであった。
カランコロン……
ドアの開く音と共にマーシャルはギレッドの隣に現れたのである。
「申し訳ありません、遅れましたわ……」
「構わぬ」
チラッとマーシャルの顔を見たギレッドは短く答えていた。
ニコリと微笑んだマーシャルは、ギレッドの隣に座る事にしたのであった。
「ご注文は……?」
素っ気ない対応をしてくる酒場のマスターにマーシャルは、ギレッドが飲んでいる物と同じ物を頼む事にしたのであった。
「お酒なんて久しぶりですわ……」
「そうか、ならばもっと時間を作ると良いじゃろて」
「ウフ……そうですわね」
ギレッドとたわいもない会話をしていると、マスターはコップをマーシャルの目の前に置いたのであった。
コップの中には、大きな氷が一つ。
そして、数センチ程の量しか入っていない透き通った琥珀色のお酒。
マーシャルは、それを一気に飲み干した。
「……」
余りにもキツく、一瞬視界はブレた。
マーシャルは思わず言葉を失ってしまうのであった。
それが、返って逆にギレッドを勘違いさせてしまうのである。
「ほぉ……結構いける口じゃの……」
「そっ……それ程でもありませんわ……もう一杯お願いしますわ」
やせ我慢だった……
先程の一気飲みで、酔いは一気にマーシャルを襲いかかってきていた。
だが、ギレッドはそれを軽々と飲み干している。
どんだけ酒豪なんだろう、マーシャルはギレッドの姿を見ながら思ったのであった。
「あっそう言えば、ヴァルディア・フォレルーン覚えておいでですか?」
「勿論、覚えておるわい」
「彼もまた、ギレッド殿に会いたがっておりましたわ」
「おぉ……そうかそうか。あやつには悪い事をしたものじゃ、儂は最後まで教えてやる事が出来んかったからのぉ」
「そんな事ありませんわ。ヴァルディアは今でもルーク坊ゃと同様、ギレッド殿の事を師として慕っておりますわ」
「何も教えてやれんかった言うのに、嬉しい事を言うわい……」
「一度、お会いになればよろしいかと思いますわ」
「あぁ、そうじゃな」
クイッと一気に飲みしたギレッドはそう語っていた。
その姿を見ながらマーシャルは、再びギレッドの凄さを目の当たりするのであった。
自分が来るまでの間にも飲んでいる筈……
酔いと言うものを知らないのだろうか? と思ったのである。
ギレッドの付き合って強いお酒を飲み続けていると、マーシャルも流石に限界に近づいてきた。
「……ギレッド殿ぉぉぉ、本気でルーク坊ゃに闘気を叩き込むおつもりなのですかぁぁ?」
少し口が回らない状態だったが、完全に酔っ払ってはいない。
だから、マーシャルは酔って酒乱になってしまう前に……
そう、記憶がある内にマーシャルはギレッドに問いかけてきたのである。
「あぁ……少しばかり荒療治にはなるがの」
「……」
「マーシャル殿すまないが、回復のアーツ使いを二、三人明日から闘技場に来るように手配してくれんかの」
「それは構いませんけどぉ……荒療治……ヒック。行った所で間に合うのですか?」
「ルーク次第じゃが、間に合わない可能性の方が大きいじゃろうな……」
「もう一つお聞きしたいのですが、仮に間に合ったとして……ルーク坊ゃはぁ〜使い物になるのですかぁ〜?」
「ふぉっふぉっふぉっ流石じゃのぉ。確かにマーシャル殿の言う通り、仮に期間内に闘気を身につけたとしても、使い物にならんじゃろうな……」
「……ならばーー」
闘気を身につけるのではなく、もっと別な方法を……
と言いかけた時、ギレッドはマーシャルの言葉を遮るかのように話しを続けたのである。
「マーシャル殿には悪いが、儂はルークに闘気を身につけてさせてやりたいのじゃ……」
「ヒック……と言いますと?」
「お主、闘気を扱えなくともメシュガロスにルークを連れて行く気じゃっただろ? 戦力として……」
「はい、確かに考えておりましたわぁ。ルーク坊ゃの力は使える力なのでぇ……」
「……これがあいつに教えてやれる、最後やもしれん」
「あら? 随分と弱気ですわね?」
「儂だって、いつまでも若くない。新たな時代の片鱗でもみてから死にたいもんじゃ……」
クィっと酒を飲み干して、ギレッドは遠くの方を見つめ始めた。
マーシャルの中である種の疑惑が生まれ、酔いは吹っ飛んでいった……
「ドランゴとの戦い、勝算がないからとルーク坊ゃに闘気を残しておきたい……そう言う事ですか?」
怒鳴り散らされ、出て行かれるかもしれない。
だが、それでもマーシャルはギレッドに問いかけて続けた。
「……」
「ですが、それは余りにもギレッド殿らしくない発言ですわね」
「ドランゴは必ず、儂が仕留める後世の為にもな……」
「……」
「それで儂の役目も終わりじゃ」
「終わりですか?」
「あぁ、そうじゃ。マーシャル殿は、儂が何歳か知っておるか?」
「確か……八十五歳ですわよね?」
「そうじゃ、現役を退いてもいい頃合いじゃろ?」
「……」
八十五歳にして現役……
ギレッドの言うとおり、確かにもうその老体を休ませてもいいとは思う。
だが、ギレッドは武人だ……
マーシャルはギレッドは最後の最後まで武人として逝くと思っていた。
隣で豪快に酒を飲み干しているギレッドだが、妙にらしくない発言の連発にマーシャルの中で妙な不信感が生まれてきたのであった。
そして、その不信感はいつも自信に満ち溢れているギレッドの姿が、小さいようにマーシャルは見えてしまった。
「マーシャル殿……実はの……」
「はい」
「儂はのーーーーだ」
「!?」
その言葉は小さかった。
だが、マーシャルは確かにその言葉を聞き逃す事は出来ずにいた。
告げられた言葉に、ただただ驚きを見せる事しか出来なかったのである。
そして、同時に全ての疑問にも納得出来た。
今までずっと行方が、わからずにいたギレッドの突然の来訪……
ルークに闘気を覚えさせる。
今まで言った事もなかった、弱気な発言。
マーシャルは全て納得したのである。
納得しあえてそれ以上、マーシャルは触れる事が出来なかった。
ただ心残りなのは……友人でもあるセルビアだった。
彼女はこの事を知っているのだろうか?
マーシャルはどうしても、これだけは確認したかったのである。
「……っ、その事をセルビアには?」
「言ってはおらん。すまんが、全てが終わった時……上手く言っておいてくれ」
「……わかりましたわ」
短く答えたマーシャルもまた、ギレッドの代わりにセルビアに告げる……
その辛い責任をなぜ自分が? とも思った。
だが、ギレッドの姿を見て覚悟を決めたのであった。
「飲みましょう。今日はトコトン付き合いますわ」
「無論じゃ!!」
その後、二人は朝まで談笑に、最後の酒を酌み交わすのであった……
◆◇◆◇◆
メシュガロスに向けて出発するまで、後九日間。
その間にギレッドは、俺に闘気を教えてくれると言った。
ドランゴやギレッドが持つ闘気が俺にも……
手の届かない背中に届くかと思うと、嬉しさで一杯だった。
次の日……
闘技場に赴くと、ギレッドは既に俺を待っていてくれた。
そして、何故かいつもはいない、回復のアーツを使う人たちが待機していた。
不思議に思いながらもギレッドの側へと歩み寄って行くのであった。
「来たか……?」
「はい、ギレッド先生よろしくお願いします」
“一体何をやるんだろ!!”
高鳴る胸の音を押さながら、俺はギレッドの話しに耳を傾けていく。
「まず、ハッキリと言っておく事がある」
「はい」
「時間が限られておる。それは、わかっておるな?」
「はい、出発するまで後九日程しかありません」
「うむ……闘気と言うものは、九日で身につけれる事が出来る程、生易しい者ではない」
「……」
「荒療治になるが、お前にそれを耐え切れる覚悟はあるか?」
「はい」
「男に二言はないな?」
「はい、ありません!!」
「わかった。お前の覚悟、儂はしかと受け止めた。いいか、ルーク決して逃げるではないぞ」
「はい!!」
ギレッドは仕切りに俺に逃げるなと言う、一体どれ程の事をしてくるのだろうか……
だが、俺は闘気を身につけたい……
その思いは変わらない。
だから、絶対やり遂げようと思った……
俺の頭の上にギレッドは大きな手を乗せ、呟き始めた。
「我、今から汝に闘気を授ける者也。
ーー我の攻撃は今より全て闘気を纏し物。
黒のアーツの力をもって抵抗せよ」
言い終えると黒のアーツはブゥゥゥゥンと音と共に、光輝き始めた。
「今のは一体?」
「簡単に言えば、闘気を会得する為の契約じゃな」
「へぇぇ……」
「では行くぞ」
そう言ってギレッドは俺との距離を空け、衝撃のアーツを発動させて行く。
「良いな、決して逃げるよ」
「はぃ……?」
“なんか嫌な予感がしてきたのですけど……気のせいだよな?”
全身を闘気で纏ったギレッドは、その高ぶった闘気を掌に一点に集中させて行く。
「むんっ!!」
腰を捻るように突き出された掌から繰り出される衝撃波が俺を襲う。
「!!」
“死!?”
一瞬その言葉が脳裏に刻まれ、俺は避けた……
と言うより逃げた……
「こらぁぁぁ!! なぜ逃げるんじゃぁ!!」
ギレッドの怒鳴り声が響き渡る。
ゴクリと生唾を飲みながら、ギレッドが放った衝撃波の通った道を確認すると、地面は渦を巻いたかのように抉れていた。
ゾワゾワ!!
逃げるなって言うのが無理な注文であった。
「ルーク!! 儂は逃げるなと言った筈じゃ!!」
「そっそんなの無理ですよ!! 俺、死んじゃいますって!?」
「闘気を会得せん限り、どの道近い将来殺されるのが落ちじゃぞ!?」
「むっ」
「どうする、怖気付いてやめるか?」
「……」
「お主、逃げないと約束したじゃろうが」
「もっもう一度お願いします」
その言葉にギレッドは黙って頷き、再び衝撃波は俺に放ってきた。
ギレッドの放った衝撃波は、螺旋を描くように地面を抉るかのように真っ直ぐに俺目掛けていた。
逃げない?
逃げたらダメ?
……
…………
無理っ!!
向き合おうとした。
受け止めようと覚悟もした。
でも、どうしても駄目だった。
怖い、恐ろしい、耐え切れる筈がないっと分かり切っている物を、何故正面から受け止めなければならない!?
「はぁはぁ……」
逃げた……
二発目の衝撃波も俺は避けた。
「ルーク!!」
再びギレッドの叫び声が木霊する……
“だって怖いものは怖いよっ!?”
「この臆病者がぁぁぁぁ!!」
そんな俺とギレッドのやりとりをマーシャルは観覧席で眺めていた。
因みに本日のマーシャルは二日酔いである。
極度の頭痛と吐き気に本来の仕事に全く手がつかずに、風に当たりながらその酔いを覚ましていた。
「流石に昨晩は、飲みすぎましたわ……」
なのに、元気に闘気を扱っているギレッドの姿は、感心さえしてしまう程だった。
「ふぅ……全く、元気な事ですわね……」
溢れんばかりのギレッドの力を見ながら、マーシャルは呆れながらもそう呟いていた。
「何故逃げるんじゃ!!」
「だって……」
「だってもくそもあるかぁ!! 言い訳するなっ!!」
ギレッドは怒っていた。
それは俺が逃げないと約束したのに、守らなかったからだ。
だが、ギレッドの放つ衝撃波は闘気を纏っている。
それを受け止めるなど、無理な注文なのだ。
「はぁ〜」
ギレッドは深いため息を尽きながら、俺を睨みつけてくる。
俺は知っている闘気を、受けた後どうなるのか……
あんなの二度と味わいたくないと思っていた。
「これで最後だ、ルーク。次、逃げたら儂はもう知らん」
「ぬっ」
“そんな事言われても……怖いものは怖いよ”
「儂は闘気を教えてやりたいと思う者は数多くおる。例えば……ヴァルディア」
「!!」
「お前に教えるのは辞めて、儂はヴァルディアに闘気を教えるぞっ」
ただでさえ俺とヴァルディアとの間に、大きなランクと言う名の差がある。
なのに、更にヴァルディアが闘気を覚えてしまえば、俺はもう二度と追いつく事は出来なくなってしまう。
そんなのは嫌だ……
「よいなルークよ、儂は有言実行する。次逃げたら、もう儂はお前に二度と闘気は教えん!!」
「……はい」
三度ギレッドから衝撃波が放たれ、俺に襲いかかってくる。
螺旋状に地面を抉り取り 、音波の波動が物体を突き破る。
ドゴォォォォォォォォン!!
無防備状態で衝撃波は直撃……
吹き飛ばされるかのように、空高く投げされた俺の視界に入ってきたのは綺麗な青空。
“あぁ……今日は、いい天気だな”
と思いながら意識はなくなり、地面へと落下して行った。
ドサリ……
静かに横たわるその姿に最早、動きはなかった。
「あら? 流石にあれはやばいのでは?」
酔いを覚ましていたマーシャルは、他人事のように一連の流れを見ていたのだが流石にやり過ぎ感は否めなかった。と後で俺にこっそりと教えてくれた。




