第七十話 マーシャル来訪
ルークが暗黒湿原で白のアーツを使い、封印する前まで話は少し遡るーー
ロールライト支部長室では、セルビアは追加された書類に目を通していた。
最近のセルビアと言えば、書類を溜め込む事は少なくなっていた。
これはひとえに、アルディスにおかげとも言える。
あの書類の山をもう二度と見たくない、と思っていたアルディスは実に厳しかった。
副支部長だと言うのにアルディスは、毎日のノルマをセルビアに課していた。
いや、半分以上は脅迫とも言えただろう。
アルディスは、ノルマが終わるまで絶対に帰宅を許さなかったのだ。
副支部長の立場だというのに……
そもそも、セルビアは昔っから書類書きは苦手である。それでも着任当時は、それなりに励んでいた。
だが、数年経った頃……
どうしてもセルビア一人では仕事が追いつかないと言う事で、副支部長としてアルディスは任命された。
アルディスは実に優れていた青年だった。
セルビアの倍以上の仕事を平気でこなしていたのだ。
アルディスは当初なんでも俺に任せてくださいと言い、それにセルビアは甘えるに甘えた。
その結果、セルビアは書類整理をしなくなったのである。
そして、アルディスがルークと共に旅立ってしまった後……
セルビアは少ししかやらなかった。
ルークの事は確かに心配ではあったが、セルビアは静かな毎日を堪能していたのである。
……アルディスが帰還したのち、セルビアは地獄に叩き落とされた。
書類の山を前にして、アルディスはセルビアを一切逃がそうとしなかった。
最初は半泣きで、逃げ出そうとしていた事もあった。
だが、セルビアが逃げ出す度に、アルディスはノルマを倍以上にした……
逃げても逃げても諦めずに追いかけてくるアルディスに、セルビアは心が折れてしまった。
逃げるのを諦めたのである。
それ以降セルビアはノルマ達成の為、毎日書類の捺印に明け暮れていたのである。
アルディスのおかげとも言えるが、その甲斐もあったのだろう。
最近のノルマは最大だった頃よりも減り、余裕がある日も何日か生まれるようになったのである。
「お疲れ様です。支部長」
アルディスは、書類の捺印が終わったセルビアに対して労いの言葉をかけていた。
「もうクタクタですわぁ〜」
大した量ではないのに、セルビアは机の上でだらけていた。
そんな姿を見たアルディスは、セルビアにそっと紅茶を差し出していた。
紅茶を受け取ったセルビアは、一口飲み紅茶の葉の匂いにリラックスしていた。
「ん〜……いい匂いですわ」
「これは、ガーゼベルトの商人から手に入れた物なんですが、なんでも『風の街サイクロン』で仕入れたそうですよ」
「そう……」
短く答えたセルビアは、アルディスから『風の街サイクロン』の言葉を聞き、ふと『風の街サイクロン』の今の現状に思いを寄せたいた。
だが、その思いはマーシャルの来訪という形で奥にしまいこんだのである。
「相変わらず、ここは賑やかですわね」
「あら、マーシャルじゃない? どうしたの?」
「セルビアに話があって来たのですが、受付の方で皆に捕まってしまいましたわ」
「あらあら……」
「マーシャル様はアーツハンターたちに人気ですからね」
確かにマーシャルは、その美貌がゆえに人気者だった。
マーシャルが行く所には必ず人が群がる。
マント姿に立派な立ちこなしをし、綺麗な銀髪は腰まで伸び少しウェーブがかかっていた。
そして、貴族の称号を持つ『フォン』を名乗る立場……
民衆を引き入れる立場にあったとしてもマーシャルは、威張り散らす事はなかったのである。
むしろ……
皆の想いを受け止めてくれる、良き理解者であった。
そして、戦闘隊総司令官として的確に指示を出す。
自らも戦場を駆け巡り、いつしかマーシャルについたあだ名は『月光の戦乙女』。
美しく優雅、何よりマーシャルの人と成りのおかげでマーシャルの元には、いつも人が集まるのであった。
「それで、何か用事があってここに来たのかしら? マーシャルが手ぶらでここに来るとは私は到底思えないのですが?」
「流石、察しはいいわね」
マーシャルが客人用の椅子に腰掛けると、アルディスはすかさず紅茶をマーシャルに渡していた。
カップの取っ手を手に取ったが、マーシャルはすぐには口にしなかった。
「実は、私ルーク坊ゃを借りにきたの」
「ルークちゃんを?」
「それはまた、随分とストレートな話ですね。理由を聞いてもよろしいでしょうか?」
「我々幹部の共通目的として『ラッセル』解放作戦が近日中に開始されます」
「!?」
マーシャルの言葉に、セルビアとアルディスは一瞬言葉を失ったのであった。
ラッセルーーー
ラッセルはルークが、奴隷時代に連れて行かれた砦である。
あの当時は、強固な砦を石造りで建設しようと鞭を持った男たちが、ルークを含め奴隷たちを動けなくなるまで毎日のように虐め抜いていた場所だ。
ルークはすぐにいなくなったが、それ以降も奴隷たちは虐げられる仕事を黙々とこなし、つい先日やっと完成をしたのである。
その名も……
『闘技場ラッセル』
として、近々正式に始まるとの事だ。
正式には、己の力の認識……
としてはいるが、実際は生き残った奴隷たち同士の賭け試合が行わられるのだ。
初日から十日間程限定で行わられる式典は、アーツを使う者たちが集まり盛大に盛り上げるらしい。
そして、優勝者にはアーツバスターになれるとの事だ。
マーシャルはその話を聞いた時、別に興味も何もなかった。
アーツバスターの根城が、ヴィンランド領にまた一つ増えてしまった。
ただ、それだけだった。
だが、更なる追加報告にマーシャルは驚きを隠せなかったのである。
『式典の間にアーツバスターの総帥が現れる』
と、正式に公表されたのだ。
総帥が、ヴィンランド領に脚を踏み入れる……
その事だけで、ヴィンランド領を巡り今後どのような事態が巻き起こるのか……
アーツバスター襲撃事件よりも、更なる大きな事件が起きそうでならなかったのである。
総帥はすぐに、ガルガゴス帝国領に帰還するかもしれない。
裏で糸を引く者たちの経過を確認した後に……
不測の事態に備える為にもアーツハンター協会としては、少しでも情報が欲しかったのである。
そして、願わくは闘技場ラッセルを破壊もしくは回収したいと、協会長ローラを含む幹部たちが出した結論であった。
マーシャルの話しを聞き終えたセルビアとアルディスは、黙っていた。
そして、マーシャルは話すぎた喉を癒すかのように、アルディスが用意した紅茶を一口飲んだのであった。
「それで、なぜルークちゃんを連れて行くのですか?」
「セルビアもわかりきった事を聞くのね……」
「……」
「ルーク坊ゃの【黒と白のアーツ】の力……必要なの」
「……」
「これは、この作戦において外せない事よ」
「黒のアーツで消し去るから……そう言う事ね?」
「最悪の場合はね……」
二人の間に、ぎこちない空気が漂い始めた。
セルビアは、はっきり言ってルークをこの作戦に参加などさせたくはなかった。
辛い思い、苦しい思い……
それを乗り越えてやっとアーツハンターとなったと言うのになぜ、再び思い出させるような場所に行かなければならないのか……
セルビアは、声を大にして大反対と叫びたかった。
ーーーだが、それはルークの母としての想いだ。
マーシャルとて、ルークを知らないわけではない。
セルビアとの仲もある。
本心を言えばマーシャルはルークを連れて行きたくはなかった。
今ようやく、アーツハンターとして……
自分の想いで、自分の足で歩んでいるルークに過去の苦い思い出など、今はまだ思い出しては欲しくなかった。
だが、一個人の想いを優先した結果、ヴィンランド領がアーツバスターの手に堕ちたとしたら……
マーシャルは死んでも死に切れない思いにぶち当たってしまう。
考え抜いた末に出した結論は……
セルビアやルークに一生恨まれたとしても、生きていてくれさえいれば幸せは必ず来るはず……
そう思い、マーシャルは心を鬼にした。
一個人の昔ながら戦場を共に駆け抜け、幾多の死線を乗り越えた友人としてではなく、アーツハンター協会戦闘隊総司令官としてマーシャルは、セルビアに命令を出したのである。
「セルビア……悪いんだけど、これは命令なの。あなたにもルーク坊ゃにも拒否権はないわ」
「マーシャル……」
マーシャルが、戦闘隊総司令官として正式に命令を降せばセルビアは、従わなければならない。
それがわかっているだけに二人の中で、納得出来ない思いが攻めぎあっていた。
セルビアは、マーシャルの想いもちゃんと理解していた。
伊達に長い付き合いをしている訳ではない。
マーシャルだって平気で言っている訳ではないのだ。
だが、それでも……
セルビアは納得したくなかった。
そもそも解放作戦は、防衛作戦とは違い一番危険を伴う……
アーツハンター事態が危険のあるものと言ってしまえばそうなるが、セルビアは解放作戦に幾度も参加し何人もの仲間が目の前で死んで行った事を今でも鮮明に覚えていた。
そんな所にルークが行く……
心配で夜も寝れない日が続きそうかと思うと、胃が痛くなっていた。
「マーシャル様、ルークはその解放作戦に直接参加するのですか?」
セルビアの考えを手に取るかのようにアルディスは、マーシャルに質問してきたのであった。
「作戦に参加しない者に対してあまり詳しい事は申せませんが、ただ一つ言える事はルーク坊ゃには単独行動してもらおうと思っています」
「単独行動……ですか?」
「これ以上言えませんわ」
マーシャルはハッキリとそう言い切った。
ルークが単独行動と言うだけでも、極秘事項である。
一つの情報が漏れば、それはどのような形となってアーツバスターたちの耳に入るのかわからないのである。
そうなれば、少なからず今後の作戦遂行に支障をきたすかもしれない。
だが、それを覚悟でマーシャルはセルビアとアルディスに対して質問の答えを言った……
そんなマーシャルの思いとは裏腹に、セルビアは更にどうすればいいのか更に頭を抱えてしまうのであった。
ルークの母としてか……
マーシャルの友としてか……
それともロールライト支部長としてか……
結論の出ない考えにセルビアは髪の毛を無造作に掻き毟り考えを辞めた。
「あぁ〜もうっ!!!」
元々セルビアは、考えるのは苦手だ。
特に結論の出ない案件に対しては、いつもアルディスに任せっきりだ。
故にセルビアは、ルークに一任させようと思った。
「マーシャル……ルークちゃんを死なせないで。私の願いはそれだけよ」
「心に刻んでおくわ」
そんな事セルビアに言われなくても、マーシャルはわかっていた。
だが、マーシャルは敢えて声に出しセルビアを納得させようとしたのだ。
「後、私はこの戦いも留守番なのよね?」
「えぇ、ロールライトの支部長と副支部長は留守番よ」
「わかったわ。マーシャル、私は止めません」
「セルビアっ!?」
アルディスはセルビアが最後まで反対すると思っていた。
しかし、セルビアが出した結論にこの場でアルディスは反対する事は許されないのである。
アルディスは自分の立場をわきまえ、自らの意思を封じたのであった。
「ただし、ルークちゃんにはこの話、ちゃんとしてから行くか行かないか決めさせてあげて」
拒否権はないと言われたのにセルビアは、そう言い切った。
セルビアにとってこれが最大限の譲歩なのだろう。
「……わかったわ」
セルビアの中でルークの出すであろう結論は、既に心の中にあった。
だが、それはそうなって欲しくないとセルビアは思うので心の底から願っていた。
「所で、その肝心のルーク坊ゃは?」
「あぁ今、Aランク体験と言う事で南の暗黒湿原にいます。間も無く戻るかと思いますけど……」
「そう、分かったわ。それまでの間、セルビアの家にお邪魔してもいいかしら?」
「いいわよ。でもここで、書類整理手伝って頂いても一向に構いません事よ?」
「ごめんこうむりますわ」
そう言ってマーシャルは、支部長室を後にしようかと思った時……
受付のシュエが青ざめた顔で現れたのである。
「シュエ? どうしかしたの?」
「まっ……マーシャル様、お久しぶりでございます」
「えぇ、久しぶりね。それよりも顔色悪いわよ?」
「じっ……実は……あっ暗黒湿原が、消滅しました……」
「!!」
シュエのもたらした報告に、三人は驚きが隠せなかった。
「シュエ、それは本当か?」
アルディスの質問にシュエは何も語らず、只々頷く事でしか表現出来なかったのである。
そして、それと同時にセルビアとアルディスの中に共通の人物が浮かび上がる。
消し去ったのはルークだと……
そして、マーシャルの勘づきさりげなく一言聞いてきた……
「先程、ルーク坊ゃは暗黒湿原にいると話ししていましたわよね?」
「えぇ……」
「まさか……?」
「予想通りですよ。マーシャル様………あの馬鹿! ったくとんでもない事をやりやがりましたよっ!!」
怒るアルディスに、何も言えなくなってしまったセルビアとマーシャルの姿が、そこにあったのであった。




