この道を行けばどうなるものか
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なでしこ女子プロレス(NWP)は、日本で最大手の女子プロレス団体だった。
しかし、そのNWPですら、プロレス人気低迷の中で団体を維持し続けることは難しく、突然の経営破綻をフロントから通告された。
かつてはプロレスがゴールデンタイムにTV放送され、かの有名ドラマより高い視聴率を誇っていたなんて、プロレスラーの私にすらまるで信じられない話だ。
通達によって、NWPの所属レスラーたちはそれぞれの進路を決断せざるを得なくなった。
トップレスラーたちは新団体を設立したり、フリーのレスラーとして他団体の興行に参戦を表明したり、海外に戦いの舞台を移していったりした。
また、別の道を考え、引退していく選手もいた。
プロレスラーになって5年目。若手と言われる時期を抜けるかどうかというところ。
今の実力は、女子プロレスラーの中では、中の上程度だと思われる。
そんな私、秋山祐子の選んだ道は、新団体の旗揚げだった。
――それも、自身をエースとして――
*
後楽園ホールでのNWPの最終興行から一週間後、私は慣れないスーツに身を包んで、池袋にあるオフィスビルの前に立っていた。慣れないスーツのせいなのか緊張感からなのか、軽いサブミッションをかけられたような窮屈さを感じる。
大きく深呼吸して、新団体のオーナーが待つビルの中へと歩を進めた。
私、秋山祐子は現在22歳。中学生の時に見た女子プロレスの興行を見て、プロレスにのめりこみ、高校卒業と同時にNWPに入門。得意技は蹴り技などの打撃技。172cm62kgは女子プロレスでは少し背が高く、細目という印象だろう。ロングの茶髪が多かったNWPの中で、黒髪のショートカットは珍しい部類だと言われていた。
ファンの間では「赤いカリスマ」などと呼ばれていたらしい。リングコスチュームが赤中心だからだろうと思ったが、経緯としては、とあるタッグマッチで流血試合となり、タッグパートナーが失神状態にある中で、格上の先輩レスラー二人を叩きのめした試合からそう呼ばれ出したそうだ。
ちなみに、その試合の記憶はあまり残っていない。後でVTRを見るとその試合の私は凶悪に強かった。
エレベーターが23Fで止まる。何だかビクビクしてきた。怪力無双と思われているプロレスラーでも、場面が変われば普通の人である。
「森弁護士事務所」と看板のあるドアを抜け、受付で「森所長をお願いします」と美人の受付嬢にお願いする。これが巷で言うシューカツってやつかなぁと思いながら、待合室のイスに座っていると、受付嬢が再び戻ってきた。
「大変お待たせいたしました。所長室に通すように言われましたので、ご案内いたします」
いくつかのデスクが並んだオフィスらしいスペースを抜けて、所長室と書かれた部屋の前に立つ。軽くノックをして、受付嬢がドアを開けた。
「失礼します」と頭を下げて、室内に入ると、受付嬢は軽く会釈してドアを閉めた。
目の前には、この事務所の所長である森和良が機嫌よさそうに座っていた。
「秋山さん、楽にして下さい。先日の最終戦は残念でしたね」
「ありがとうございます。あの試合は・・・思うところはありますが、私の力不足です」
これからエースとして団体を作っていくのに、最終戦がしょっぱい負けだと思うと恥ずかしくてたまらない。あの時傷めた肋骨はヒビが入ったものが2本あり、全治一ヶ月を見込まれた。
「さて、早速ですが、話を本題に移しましょう。出資の条件である選手についての状況はいかがですか?」
森は、NWPの債務整理に関わった弁護士の一人である。元々プロレス好きであり、債務整理の傍ら、私に新団体を作らないかと話を持ちかけてきた。人気も実力もあるレスラーが他にもいる中で、どうして私に声をかけてきたのかわからない。
しかし、自分で事務所も持っているようなやり手の弁護士だ。もちろんタダで融資をしてくれるわけはなかった。
森の提示した融資の条件は「団体に入団してくれる選手を数人引き抜き、興行がすぐに打てる状況を作ること」だった。当然といえば当然だろう。
「はい、NWPの所属選手だった、ラニーニャ遠藤と、バッファロー山倉から入団の意思を確認しました。後はフリーの選手に声をかけたり、他団体と提携したり、新人を確保していけば、何とか興行が打てるようになると思います」
「ほうほう、中堅どころの面白い選手たちですね。将来が楽しみじゃないですか。さすがは『赤いカリスマ」ですね。選手3人というのはまあ物足りない気はしますが、良いでしょう。」
物足りないのは事実だが、フリーの選手というのは実際多いので何とかなるものだ。要は興行ができるかどうかなので、そういう意味では最低ラインの条件クリアである。
「では、融資を引き受けていただけるのですね?」
「ええ、そういう契約ですから。弁護士は約守らないとね」
ニコニコしている姿を見ると、本当にプロレスファンとして面白がっているようだ。
ラニーニャ遠藤はNWP時代に最も仲の良かった同期だ。クールだが曲がったことが嫌いでストイックな、昔のサムライのようなキャラクターで、人気実力とも若手ではトップクラスのレスラーだ。
一方でバッファロー山倉は声をかけた私が言うのも何だが、意外にも入団を承諾してくれた。ちょっと性格的に難があるのだが、ヒールらしいヒールとして、団体にバラエディを出す上では重宝しそうだ。
「では、これから忙しくなりますね。登記とか、契約とか、法律関係はこちらで引き受けますから、設立に際して必要なものを見繕って、まとめてご連絡ください。よろしくお願いしますね、『秋山社長』」
森は食えない顔で笑った。何考えているんだろう。
そう、私は森との契約の中では、選手兼社長になることになっていたのだ。たかだか22歳の小娘が社長であり、団体のエースになるのだ。一般的にも業界的にもとんでもない話である。もちろん、経営顧問や会長としては森和良となることで対外的には顔を立てようということだ。
億とは言わないまでも、数千万円の融資をこんな小娘にしてくれるのだから、何かしら勝算もしくは下心があるのではと思うのだが、こちらにはこちらで夢も野望もある。チャンスは二度と来ないかもしれない。利用できるものは利用してやろう。
*
とにもかくにも、進む道は開かれた。
この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ。その一足が道となる。行けばわかるさ。
2ヶ月後、私は、新団体「スター女子プロレス(通称SWP)」を発足させた。