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(二)


 守護者を送り出した沙織を、あのまま放り出すわけにもいかず、騎道は同行することにした。

 先の二人の主たちと、顔を合わせなければならないかと思うと、気乗りがしなかったのだが、それは杞憂だった。

 すぐ近くだと告げられて、足を止めたのは、予想通り豪勢だが、藤井邸ではなくマンションだった。落ち着いた雰囲気で、贅沢な部屋造りであった。

「あの家は、私には堅苦しすぎて、我が儘をいいましたの。向こうとこちらを好きなような行き来していますわ。

 といっても、ここの場所を知っているのは、香瑠くらいのものですわ」

 藤井家は、他の比肩するもののない、家柄と格式をもっている。その頑強に縛られている生活を、堅苦しいと素直に言える人が、後継者の中に居るとは。親近感と同時に、同情せずにはいられなかった。

「でもいずれは、あなたが家を継ぐのでは?」

 はっきりと、あの一人は『次期総領たる香瑠様』と言った。それでも、沙織の顔を見て腰砕けに引いたのだ。

「いえ。私にその資格はもう……。香瑠が、後を継ぎますわ」

 藤井家の権勢を誇示するものは、この部屋には何一つない。たしか三姉妹にはそれぞれ花紋が贈られているはずだが、その印しも見当たらなかった。

「差し出がましいようですが、あの人が……、その」

 沙織は、大きく目を見開いた。

「ご存知ですの?」

「ええ、……まあ……」

 騎道は叱られた子供のような目でうなずいた。

「それで、あの子とは付き合いたくないと、断ったの?」

「……あ、あの……」

 また末妹のように追及されるかと思うと、騎道は口が重くなった。

「心の決めた方が居られるのは、香瑠から聞いていますわ。

 とっても羨んでいましたわ」

「…………。分が悪くて、かなり望み薄、なんですけど」

「自分に誠実な方ですのね」

 正面切って言われるのも、決まりの悪い言葉だった。

「さあ。そんなに格好のいいものかどうか。逃げているだけかもしれません」

「それは?」

「ずっと昔からの憧れを引き摺っていて、藤井さんのように、自分の感情に素直に従うことから、理由を付けて忘れようとしているのかもしれない。

 はっきりと言われました。そんなに遠くに居る人なのに、縛られていなければならないものなのか、と」

 あの瞬間、自分に対しての答えさえ、空白だった。何を理由に選んでも、言い訳じみたものにしか思えなかった。

「縛られているのかもしれません。けれど、離れられないのは、僕一人じゃない。それほどの人だから、構わない。それに僕は、一つの所に長くいられる身じゃないですから、気持ちを残すようなことはしたくない……。

 やっぱり、逃げてるんだ」

 一人納得して、笑いが零れた。

「他人に対して誠実で、自分には不実な方。残酷な生き方ですわね」

 初対面であるにもかかわらず、沙織は、騎道の弱い部分を読み取っていた。

「……言われてしまった。このキズはかなり深いですよ。

 なら、反論しますが。香瑠さんにもいささか不実な部分を感じます。本命は、僕ではないような気がしますが」

 おとぼけナイトの本性をチラリと見せて、軽くかわした。

「あら。あの子にしては、よくあなたの話題が口に登りますわよ。若いのに、態度の毅然とした、聡明な方だと」

 意外なまでの自分への関心の高さに、騎道は、打ち明けていいものか迷った。

「噂を聞きました。五行思想の使い手なら、付き合える資格を持つのだと」

「あの子が? そんなことを?」

 身を乗り出すように聞き返した。

「ただの噂に過ぎないのかもしれませんが」

「勿論ですわ、きっと。だって、あの子。

 香瑠は、祖父に見込まれていますのよ。ご承知の通り、祖父は九星方位学の一流派『白楼講』の権威ですの。藤井家は、代々その方面への関心も高くて、私たちも幾らかの習練はさせられています。五行思想は、方位学の根底で、思想と布陣術の二面に繋がる、重要な思想ですわ。

 あの子自身が、白楼講においては祖父に次いで、現代で最も優れた使い手のはずですわ。それをわざわざ、香瑠以上の使い手を、あの子が探し出すように真似をするはずが……。まさか、あなたも?」

 姉妹たちの祖父、藤井一宗朗(いっしゅうろう)は数々の著作で高名な、九星気学の研究実践家だった。一宗朗が極めた『白楼講』は、同じ方位学の中でも、特殊な亜流の存在であり、やや難解な解読法を用いていた。

「いえ。あの人の眼鏡に適うようなものかどうか。五行が土水金火木を示すという区別がつく程度で。藤井師の著作を一読する方が、勝るんじゃないかな」

 騎道の軽い否定も、彼女の耳には遠いもののようだった。

「ただの噂です。きっと、牽制しあっているんですよ。

 なんといっても、全学園生徒の視線の的ですから」

「そうね……」

 一つ、大きく沙織に嘘をついてしまった。心苦しさに、騎道は誰にも話すつもりのなかった、正直な所を口にした。

「もしも、僕が。この街にずっと前から生活していたなら。それか、ああいうことでなければ、断ったりしなかったと思います。初めは、とても眩しい存在でしたから」

 思案から覚め、慰めるように、沙織はくすりと笑った。花のように、愛らしい笑みだった。

「良かった。嫌われていたのではなかったの。

 きっと、弟も喜ぶわ」

『弟』。事実だが、香瑠の容姿と同時に思い浮かべるのが、困難な単語だった。

 藤井家は代々女系であり、珍しく女性上位の風潮を持っていた。姉妹一の美少女と名高い香瑠が、『彼女』として育てられたことにより、表向き三姉妹として通っていた。これも、家を重んずる風潮の歪んだ姿だった。

「あの子が最も相応しいのよ。男であるのに、当然のように家風に溶け込んで。禍々しいまでの美しさ。私にはとても無理。あんな風に、皆を引き付ける力はないわ」

 彼女は静かに、清々しい顔を上げている。

「それに、ある人を愛してしまったわ。そんな資格が欲しい気持ちを失ってしまったの。私、その人さえ居れば、何も必要ないのよ」

 通されたこの部屋は、切花や鉢植え、様々な女性らしい気遣いに装われていた。奥のテラスに面した部屋の壁には、ダーツの的が飾られている。これは沙織の趣味ではないだろう。彼女が大切に想う相手が、使うものなのだ。

 ここは、二人の為だけの、城なのである。

「どうぞ。これにお着替えになったら?」

 真新しいシャツを、騎道の目の前のテーブルに乗せた。

 派手だ。騎道は面を食らった。こういう趣味の男が恋人だとは、物静かな沙織からは想像できなかったのだ。

 動揺をよそに、沙織はお茶をいれると席を立った。

「……なんか、誰かさんを思い出すな」

 騎道は少し懐かしく、目の奥がジンとした。

 派手好きで、目立ちたがり屋。軟派で、いつも女連れ。けど、一本気で、こうと思ったらそれが天性なのか、不可能に近くても、必ず筋を通してしまう男。意地悪で、いつだってからかわれて、置いてきぼりを食らって、勝手に本当に、もう届かないところに逝ってしまった奴。

「ぴったりね。体型が似ているのかしら」

 夜だから、まあいいか。納得して着込んだのだが、しげしげ眺められると気恥ずかしい。運良く別棟の共同物置にあって、焼かれずに残ってくれた誰かさんの衣装箱には、こんなのばっかりで、今日だって着るものを選ぶのに一苦労してきていた。やっと、二、三歩譲歩して着てきた服を切り裂かれ、本当の所困り果てていたのだ。

 ティーセットをテーブルに乗せて、沙織はじっと騎道を見つめた。

「何を探していらしたの?

 学園から、楠一丁目、また学園に戻って、今度は尼園二丁目。みんな、最近誰かが亡くなった現場ばかり」

「そんなところから、後をつけていたんですか?」

「淕峨がね。あの二人が不穏なので、様子を伺っていたのよ」

 彼女の言う通り、二ヶ所とも事故現場と殺人現場だった。尼園町では老婦人が事故死。楠一丁目では、四月に中年サラリーマンが通り魔に殺された。これと同じ事件は六月にも発生し、未だに何一つ手掛かりがつかめていなかった。

 探すというのではなく。騎道はたたぼんやりと、花の置かれる現場に、立ち尽くしていただけだった。

「通り魔事件の被害者の一人は、僕の知り合いでした」

「それは、お気の毒に」

「考えていたんです。

 彼のように、あんなふうに不慮の事故で突然亡くなった人の、家族や知人や、関わっていた人たちは、どんなふうに感じているのか」

「それで、あなたは?」

 全てを洗い流すような、穏やかな声に促された。

「怒り、悔しさ、悲しみ、後悔。そんなもので、心は一杯で。なのに、頭の奥の深いところは穴が開いて、冷たく冴えている。

 どうしたって、埋めようがない。どうしても」

 心が乾きすぎて、涙ももう零れることはないのだ。逝った青年が残した想いを拾い上げるまで、それが癒されることのない事実を、騎道はまだ知らない。

「わかりますわ。私も少し前に、大切な人を亡くしましたの。あの日が、まだつい最近のことのよう……」

 騎道は胸を突かれた。沙織に浮かぶ不釣合いなまでの陰りは、彼と同じ種類のものなのだ。

 感情的になりすぎた自分が、新たに沙織を悲しみに落とし込んだようで、騎道は慌てた。

「あの。お礼は、どこに伺えばいいんでしょうか」

「そんな心配は無用ですわ。もう、お返しにならないで。それを受け取る人はおりませんから」

 本当に迂闊だ。騎道は後悔したが、それ以上、何も声を掛けることができなかった。彼女はもう、悲しみを乗り越えたのだ。

 沙織は、やわらかく微笑んでいる。

『私、その人が居れば、何も必要ないのよ』

 最愛の人を胸の内に秘めて、生まれ変わったのだ。

 カップに紅茶を注ぎながら、

「お住まいはどちら? タクシーで送りますわ。

 それとも、他の現場にも、お寄りになる?」

 悪戯っぽく笑った。

「いえ。せっかくですが。タクシーなんかで乗り付けたら、何を言われるかわかりませんから」

「あら、どこかに下宿でも?」

「似たようなものです。引っ越したばかりなのに、アパートが火事にあって。その亡くなった知り合いが住んでいた部屋を、そのまま借りてたんですけど」

「……その方って、久瀬光輝……という?」

 目を伏せたまま、沙織は聞き返した。

「ええ。彼しか知り合いもいなくて、困ってたんですけど。でも、よく知って?」

「新聞で読みましたの。……まだお若いのに、通り魔にあうなんて。

 お気の毒に……」

 彼女は騎道の分だけ注いで、ポットを置いた。カップを差し出して、騎道をなぜか懐かしい視線で包んだ。

「どんな方でしたの? あなたには」

 騎道は一瞬どう説明しようか迷った。お互いに特殊な存在だった。命を預けあったことも何度か。

「大切な、仲間でした。

 僕が年下だから、いつもからかわれていたけど。大切だった。気位が高くて、派手好きで、意地悪で。でも、失いたくなかった。

 性格も雰囲気も光そのものでした。陽気で子供みたいに無邪気で我が儘なところがあって、いつだって、眩しかった。僕、まだ信じられなくて……」

 騎道は顔を上げて、言葉を失った。

 沙織の白い頬を、一筋二筋、涙が伝わっていた。

「ごめんなさい。私が泣くなんて、おかしいわね」

 瞬きに、涙の粒がはらはらと手の甲に落ちていった。

「いいえ。……ありがとうございます」

 騎道は深く、頭を下げていた。

 久瀬光輝の人となりが、彼女の亡くなったらしい恋人に似ているのだろうか。

 マンションを出た帰り道、騎道はもう一度振り返りたい気持ちに駆られた。

 彼女が、感傷的になっているだけだ。服の趣味はまったく同じだが、あんな奔放極まりない男が、そうざらに居て欲しくない。それで何度迷惑をかけられたことか。

 騎道を送り出した笑みは、やはり同じ血筋か。藤井香瑠と変わらない、妖然とした微笑だった。

「時が来たら、いずれどこかでお会いしましょう」

 いずれどこかで……。その時には、もっと相応しい幸福な笑みであってほしい。

 騎道は振り返らずに足を進めた。見下ろす、沙織の憎悪の視線を、そのまま当分、彼は見逃すこととなった。

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