新たなムシ
違うの、ハナちゃん。
あのね、あのね、お姉ちゃんは言われた通り、しゃんとして歩いていたのよ。
それだけでね、彼───葵くんに話し掛けられてしまったの。
ちゃ、ちゃんと、ちゃんとフラグへし折ろうと頑張ったんだよ。
だけど、だけどねぇ、その、うん、ついうっかり、絆されてしまって。
だっ、だって葵くん、年下だよ? 年上として、冷たくあしらうのはどうかと思ったの。
も、もちろん、色々とお断りしたんだよ?
だけどその、自分で言うのもあれだけど、丸め込まれちゃって。えへ。
「えへ、じゃないから!」
「あ、あぁ、うん。そうだよねぇ」
「のんびり納得しない。姉さん、行かないとバス、間に合わないよ」
家の前の黒塗り車はこの際無視。
構うから姉さんがフラグ立てちゃうんだ。
それにしても、
「姉さん、1つ質問。うちの住所、口にした?」
「え? ううん。いくらわたしが抜けてるからって初対面の人に住所は───」
「前科があるから聞いてるの」
「はぅ」
しゅん、と肩を落とす姉さんに小さくため息を吐いて、それからその背をぽんっと叩いた。
それから姉さんを「迎えに来た」と言った輩を見る。
学ランではなくブレザーの制服。どこかで見たことがある、と思ったら、超進学校の制服だ。
私には縁のない学校で制服だ、と思った覚えがある。
さて、このアオイとやら。
無視されているにも関わらず標準装備らしい笑顔を貼り付けて姉さんを見ていた。
………ふむ。
どうやら度胸と忍耐力はあるらしい。が、しかし、ほぼ初対面の人間の家に朝から押し掛けるなんていう非常識をやらかした人間だ。
ここはこれ以上迷惑を掛けられる前にご退散願うべきだね。
「桜さん、学校まで送りますよ。もちろん、妹君も」
ぞわっ。
背筋に悪寒が走る。妹君ってなんだ、妹君って。
気持ち悪いな、と思いつつ、彼からそっと視線を外して姉さんの手を引いた。
「姉さん、私との約束は?」
「『フラグはへし折るべし』」
「宜しい。行くよ」
「───待って下さい!」
ぱし、と私が繋いでいる手とは反対の手を彼が掴んだ。
挟まれた姉さんがオロオロするのは目に見えていたので、足を止めて彼を見る。
ハニーブロンドの前髪が僅かに掛かった瞳の色は緑に近く、ハーフ辺りか、と予想を付けた。
「何故僕を無視するんですか?」
「………………ハナちゃん!」
助けて、とこちらを見た姉さんにため息を吐き、それから彼を見る。
「朝から他人の家に押し掛ける非常識な輩を視界に入れてあげる理由がない。姉さんの手を離して」
「そうでもしなきゃ、桜さんに会えないと思ったんです! 桜さん、僕の気持ち、わかって下さい………!!」
視界を姉さんに戻した彼の判断はきっと正しい。
「街中で会えたんだから、また会えたかもよ………?」
「!!」
「いや、自らフラグおっ立ててどうすんだ、アンタ!」
思わず背中を叩く。
これだから姉さんは!!
思わず舌打ちしてから彼を睨む。
彼はにこにこしたまま、私の視線を受け止めた。
ご機嫌な理由は簡単だ。姉さんがフラグ立てたから。
あぁ、もう、面倒だな!
「アンタ、これ以上、姉さんに迷惑掛けたくないなら手を離しな」
「ですから、大学まで送っていくと」
「押し付けの親切はお節介だって言ってんの!」
「そうよね、それに葵くんが運転するわけじゃあないものね」
にこ、と微笑みながら呟いた姉さんの言葉に、彼が食い付いた。
「じゃあ、僕が免許取ったら僕の車に乗ってくれますか、桜さん!」
「え、えぇ、それなら」
「だからフラグ回収すんなっ!!」
ぽややんとした姉さんの台詞にツッコミを入れつつ、深い深いため息を吐いた。
とにかく私はもう行かなくっちゃいけない。これ以上付き合ってると、学校に間に合わない。
まだ中学生の私にとって、遅刻は最大の敵。
姉さんの手を改めて掴んで引いた。すると姉さんの身体はすんなりこちらに来る。
「諦めて頂けたようでサイワイです。行こう、姉さん」
「うん」
駅までの道のりは姉さんに惚れた輩を千切っては投げ千切っては投げを繰り返す。
姉さんが早く独り立ちしたらこんな心配はしないのだが、一人暮らしした途端にストーカー被害に遭うとか色々あったのでそれはもう望めない。
───私がしっかりしなきゃ。
両親が海外出張中の今、姉さんを守るのは私しか居ないんだから。
今日も今日とて、私は満月桜の守護神として頑張っていた。