余り手の家
眩暈の夏
どこか懐かしい夏の風情と、足元から忍び寄る奇妙な異彩。
当たり前の日常がほんの少しの狂気によって崩れ去っていく、ゾッとするような一夜の体験をお届けします。
静まり返った部屋の中で、あなたも自らの「手」をお確かめください。
「これ、私の手じゃない」
セミの大合唱が響く真夏の畳の上で、彼女は呟いた。
彼女の赤いスカートが畳を擦る、しゅうしゅう、という音がする。
風鈴がチリンと冷たく鳴る。だが、風が吹いている様子はない。
影の中から伸びるその白い手首には、私のものにはない大きな黒子があった。驚いて振り払おうとした瞬間、耳元で衣擦れの音がした。
「じゃあ、あたしの手はどれ?」
艶を帯びた女の声であった。どこか哀しげでもあった。
背後から聞こえたその声とともに、ミーンミーンと鳴いていた蝉の声が、ピタリと止んだ。
彼女はそのまま徐々に、恐ろしい程に徐々に、意識を失っていった。、
【了】
本作『眩暈の夏』をお読みいただき、ありがとうございました。
幼い頃に感じた夏の夕暮れのどこか不気味な空気感や、日常がほんのわずかな歪みで非日常へと変貌する恐ろしさを描いてみました。
当たり前のようにそこにある自分の体や身の回りの景色。それらが本当に「いつも通り」なのか、ふと不安になる瞬間は誰にでもあるのかもしれません。
次に部屋の明かりを消すとき、どうぞご自分の手のひらを、もう一度よく確かめてみてくださいね。




