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婚約者が私の見舞いには来ず、他の女の茶会に行っていたので――気づいた時には、もう愛は完全に冷めていました

作者: 唯崎りいち
掲載日:2026/05/03

「——私の病の時には来てくれなかったのに」


 口に出してはみたものの、怒りも悲しみもない。


 婚約者のアルフォンス様は私が病で伏せっている間に、「忙しい」と一度も見舞いに来てはくれなかった。


 そんなに「忙しい」彼なのに、公爵令嬢の茶会には出席していたらしい。


 怒ったり、泣いたりすべき出来事に、私の心は揺れ動かなかった。



「そんな婚約者、捨ててやればいいのよ」


 性格の悪い姉と兄が笑った。


「でも、アルフォンス様は侯爵令息だから家の付き合いもあるし、公爵家の誘いは断れなかったんだと思うの」


 私エルナが言うと、姉セシリアは笑う。


「エルナ、断れなかったとしても、あなたのお見舞いに来なかった理由にはならないでしょう?」


「それは……」


「エルナ、俺と姉さんに相談したい事があると言ってきたのは君だ。アルフォンスを信じているなら、こんな相談はしないだろう」


 兄のギルバートが言う。


 ギルバート兄さんの言う通りで、アルフォンス様を疑っていなければ、相談なんてそもそもしないだろう。


 死んだように動かない私の心にもまだ彼への興味が残っているのかしら?



 以前にも私が病に倒れた時にもアルフォンス様はお見舞いに来てくださらなかった。

 理由は忘れてしまったけど些細なことだったと思う。

 その時は、お見舞いに来てくださらないくらいの事が問題だとは思わなかった……。



 今、問題だと思っているのは、やっぱり日頃のアルフォンス様の振る舞いのせいね……。


公爵令嬢のミレニア・ド・アークランド様と、私の婚約者のアルフォンス・ル・グラン様は子供の頃からの幼馴染で婚約されると誰もが思っていたと噂で聞いてしまった。

 それからはアルフォンス様が「忙しい」と言って何かと私との用事を断る時に、公爵令嬢のミレニア様の顔が浮かぶようになった。


 今回もミレニア様の茶会には出席して、私のお見舞いに来なかったのだ。


 アルフォンス様は私と同じ学園の一つ上の三年生で18歳。

 ミレニア様は私より二つ年上の19歳で、学園からは数ヶ月前に卒業している。


 ミレニア様がいないだけで、学園の居心地が良くなった。


 私は相当にミレニア様とアルフォンス様との関係に悩まされていたらしいと、この時に自覚した。

 私は後になってから自分の気持ちに気づく事が多い。


 私は学園の二年生で17歳のエルナだ。

 今は、気持ちを見失ってる。


 少し考えたら学園で会わなくなったからって、別の場所でも会っていないとは限らないのは分かったはず。

 思い至らなかったのは真実を知るのが怖かったからかしら?

 それとも、興味がなくなっていたから?


 たまたま、今回は私の病が少し重く一時は意識が朦朧としていたらしく、婚約者のアルフォンス様がお見舞いに来られなった理由も少し追求されただけだ。

 姉や兄は怒ってくれるけど、両親にとっては公爵令嬢の茶会に出席していたからと言うのはそれほど大事な問題でもないらしく、理由を聞いただけで終わってしまったけれど。




「ゴホッゴホ!」


「あら、エルナ、まだ完全に病が治っていないのね。ギルバート、エルナを部屋まで連れて行ってあげて」


「はい、姉さん」


 私が少し咳をしただけで、姉と兄は大騒ぎだ。

 兄が私を抱えて部屋まで連れて行ってくれる。


 公爵令嬢と同じく2歳年上の、姉セシリア・ヴァンデール。

 私の婚約者と同じく1歳年上の、兄ギルバート・ヴァンデール。


 二人は実は乙女ゲームの悪役令嬢と悪役令息だ。


 私が学園に通うようになった一年生の時に自分が転生者だと気づいた。


 ちょうど、姉が三年生で兄が二年生の時のゲーム期間の一年間が、私が一年生の時だったのだ。


 ヒロインは姉と同じ三年生の平民出身の子だった。


 ゲーム内では理不尽なイジメをしたりする姉だけど、それはシナリオの都合によるところが大きかったと思う。


 ゲーム内でもノーマルエンドに至るシナリオだと理不尽な事はしない。

 嫌味を言ってくる程度で、その嫌味も常識的な正論なだけで、わざわざ言わなくてもいいのにとは思うけど、悪役令嬢と言われるほど悪い事はしていない。


 この世界のヒロインはノーマルエンドを迎え、学園の攻略対象たちとは結ばれずに田舎でひっそり暮らしているらしい。

 悪役令嬢の姉と手紙のやり取りをしていて近況は知れるが、元来明るい性格のヒロインなので、田舎でも楽しく過ごしているらしい。


 そんなわけで、姉はヒロインと仲がいいのだけど、学園での言わなくていい正論の嵐のせいで、悪役令嬢としての地位を確立している。

 その姉にくっついている兄もやはり悪役令息と思われて、性格が悪いなどと言われているのだ。

 ノーマルエンドの場合は兄は本当に何も悪い事をしていないと思う。




「エルナ、ちゃんと寝ているんだよ。明日は学園に一緒に登校して、アルフォンスに直接の文句を言ってやろう。姉さんが言ったように捨ててやるのもいいだろうね」


 兄は妹の肩を抱いて、慰めの言葉を残して部屋を出ていく。


 兄がいなくなると、肩が寒くなって震えた。


 兄さんと姉さんが優しくしてくれるのは嬉しいけど、姉さんは早々に隣国の王太子との結婚を決めているし、我が侯爵家の跡取りは兄さんだから、アルフォンス様と婚約を解消したら私の行く場所がなくなってしまうの。


 すぐに出て行けとは兄さんは言わないでしょうけど、兄さんの奥方や子供がいる中で病に倒れたら、兄さんだって私を後回しにするでしょう?


 何処かでまた別の人と婚約して結婚しなければならないけど、私なんかの面倒を見てくれる人はいないもの。


 だったら、アルフォンス様と結婚していた方が妻と言う地位があるだけマシと言うもの。


 今までの積み重ねで完全になくなっているアルフォンス様への期待。

 ただ、私の居場所というだけで利用価値がある。


 だから、アルフォンス様を本気で捨てるなんて私には出来ないの。


 それでも、傷ついたふりをしてまで、姉と兄に相談したのは、愛のある結婚と言うものへの憧れが捨てきれないから。


 この世界で私は恋をしていたのか、もう思い出せない。


 ただ、前世では悪役とは言え、姉思いの悪役令息だった兄の事は気に入っていたと思う。


◆◇◆

 

 翌日は兄のギルバートと学園へ登校した。


 学園の前で、アルフォンス様にちょうど会ってしまう。


「やあ、エルナ! 忙しくてお見舞いに行けなくてごめんよ」


「ミレニア嬢の茶会には行ったんだろう」


 ギルバート兄さんがストレートに言う。

 こう言うところが悪役令嬢の姉さんゆずりだ。


「ミレニアの公爵家と繋がりが強ければ、病弱な未来の僕の奥方のためにもなる。君は妹をヴァンデール侯爵家で一生面倒見るつもりじゃないんだろう?」


 ふっと笑ってアルフォンス様は兄のギルバートへ言う。


 私の心臓が一瞬だけ止まる。


『妹をヴァンデール侯爵家で一生面倒見るつもりじゃないんだろう?』


 唇が震えた。


 それは——私に向けての言葉じゃない……。


 だからこそ、私がアルフォンス様に抱いていた最後の好意の糸が、ぷつりと切れてしまったような気がする。


 ——最初から、この人には私は要らない物だった。


 待つ意味などなかった——


 兄さんはどんな表情をしている?


 兄に向けるアルフォンス様の笑顔には何も感じない。


 言ってはいけない事をあなたは言ってしまった……。


 私が、ヴァンデール侯爵家にとってもただの厄介者でしかないと言う事実を——。


 兄や姉がいくら優しくしてくれても隠せない事実を、あなたは言ってしまった!


 兄さんは私の手前でアルフォンス様と向き合っていて、表情が見えない。

 妹に対して優しい態度をとっていても、一生の面倒を見るまでの覚悟はないはずよ。


 『酷い男を捨てた後には、新しい男を見つければいい』と思っている。


 ——ここで、なぜあなたが、それを突きつけるの? アルフォンス!

 悪役令嬢と悪役令息に愛される妹という夢を見せ続けてくれたのなら、なんとも思わなかったのに……!



 私は氷のように冷たい瞳でアルフォンスを見た。

 虫を見た時ほどの嫌悪感すら感じない。


 同じ生き物とは思えない、ただのノイズ。


 ——婚約者なんて、私にはいらない。


 私は兄の横を通ってアルフォンスを避けて学園の教室へ向かった。


 兄まで無視する必要はなかったけど——兄の表情こそが、今一番見たくないものだった。


「エルナ!」


 兄の声が遠くで聞こえた。




「お前……エルナになんて事を言うんだ!」


 怒りに任せて一歩足を踏み出して止まる。


 殴って、婚約破棄されるならいい。

 ただ、されなかったら——


 エルナの立場が弱くなるだけだ……。


 握りしめた拳から力が抜ける。


「兄妹はいいよな、誰かに押し付ければいいんだから」


 ギルバートの目が鋭くアルフォンスをにらむ。

 アルフォンスはニッと笑う。


「兄の態度を不問にして、ちゃんと“引き取って”やるんだ、感謝しろよ」


 勝ち誇ったようなアルフォンスの態度。

 奥歯を噛み締めて耐える。

 エルナの婚約者である以上はギルバートには何もできない。


『そんな婚約者、捨ててやればいいのよ』


 早く、捨ててくれ、エルナ。


 ただ、捨てたあとは——?

 

◆◇◆


 学園から戻り姉のいる部屋に向かう。


「お帰りなさい、ちょうどお茶にしようと思っていたのよ」

 姉は優しい顔を私に向けて、メイドにお茶を入れさせる。


 姉と私だけなのにティーカップは3人分。


「エルナ、姉さん!」


 兄のギルバートが息を切らして部屋に入ってくる。


 学園では兄を避けられたけど、家ではそうもいかない。


「どうしたんだ、エルナ」


 私を見つけてホッとした顔をしてから、兄が私に話しかける。

 それを見て、姉は何か面白そうな事が起こったのかと口の端を上げて微笑んだ。


 二人に見つめられて、沈黙する私。


 ——でも、


「……私、アルフォンス様を捨てます……」


 姉に告げる。


 帰ってきてしまったから仕方なく、兄にも伝えることになってしまった。


 ずっと兄の侯爵家で私が厄介者で居続けると言っているようなものだ……。


「そうか! あんな奴と妹が結婚すると思ったら我慢できなかったんだ! よく決断したな、エルナ。これからは妹の婚約者だからとアルフォンスに教室でも気を使ってやる必要はないんだな」


 兄のギルバートが晴れ晴れした顔で言う。


「ふふ、相当嫌いだったものね、ギルバートは、可愛い妹の婚約者の事が」


 姉が笑って言う。

 兄がアルフォンスを好きじゃないのは知っていたけど……含みのある言い方だ


「ふん、あの男を少しでも気にかけているのはミレニア嬢だけなのでは?」


 兄が反応する。


「あら、我が妹のエルナもよ」


「それは……今は気づいたんだからいいでしょう、姉さん」


 こんな風に、二人には私の入れない何かがあった。

 悪役である性格の悪さなのだろうか?


 ……だったら、


 私も性格が悪くなりたい。


 だから、言った。


「……姉さん、ただ婚約を解消するのではつまりません。ちょっとしたお茶会を開きたいと思います」


 アルフォンスの事は、悪役令嬢のエルナ・ヴァンデールお披露目の生贄として使ってあげましょう。

 みんなの前で婚約解消するだけ。

 家同士のつながりを断つだけよ。


 クスッと口角を上げて笑う。


「あら、可愛らしく笑えるようになったのね、エルナ」


 同じく性格の悪そうな笑みを浮かべる姉。


 兄も同じように性格が悪そうに笑っている。


 この日からヴァンデール侯爵家の三姉弟の結束がより深いものになった。


◆◇◆


 侯爵令嬢エルナ・ヴァンデール主催のお茶会は、公爵令嬢ミレニア・ド・アークランドの名前で招集された。


 これは姉のセシリアと同級生だったミレニア嬢が快く引き受けてくれて——などと言う事はない。


 姉の力を借りた。

 姉はミレニアの秘密の弱点を知っていてそれを使ってくれた。


 私にはまだ教えられない秘密の弱点があるらしいけど、なんなんだろう?


「あなたの為ならなんでも力になりますわ」


 ミレニアが私の前で言う。


 私がアルフォンスの婚約者だと知っているはずですよね?

 私が伏せっている時にアルフォンスを呼び出した事はまるでなかったみたいな態度です。


 姉の知ってるミレニアの弱点って本当に何なのかしら?


 とにかく、アルフォンスを確実におびき出す為に、ミレニアの名前が必要だったから、それは上手く行った。


 みんなが茶会の席に着く。

 アルフォンスにミレニア、私と姉と兄、そして空席が一つ。


 周りには学園の生徒を中心に令嬢や令息が招待されている。


 和やかに話が進む。


 私を前にアルフォンスが上機嫌にミレニアと話している。

 ミレニアの態度が冷たい事には少しも気づいていないようだった。


 婚約者の姉と兄もいるのに、私を無視して一体どう言うつもりなのか?


 令嬢や令息たちもアルフォンスの態度にヒソヒソと眉をひそめている、


 アルフォンスのル・グラン侯爵家と私たちのヴァンデール侯爵家は、同じ侯爵で家格は同じ。

 ただ中央で要職に就いているル・グラン侯爵家から見れば、財政は豊かでも領地経営に専念している我が家は格下なのだろう。


 加えてド・アークランド公爵家の令嬢ミレニアと懇意となれば、病弱な私に払う敬意も持ち合わせてもいなかったのだろう。


 アルフォンスと同じ気持ちであなたを見れば、何処までも馬鹿にした態度を取れる事がよくわかるわ。


 悪役令嬢と令息と呼ばれる、姉と兄の目にはいつもこんな感じで映っていたのね。

 私は姉と兄と目配せして静かに笑った。


 お茶会が最高の盛り上がりに達した時に、私は切り出した。


「アルフォンス、私、今日のお茶会では大事な話があるのよ」


 アルフォンスは冷たい目を向ける。

 ミレニアとの時間を邪魔するなと言いたげだ。


 当のミレニアはアルフォンスには少しも興味がない様子。

 さすがのアルフォンスもミレニアの様子のおかしさに気づいて、もっと気を引く話ができないかと思い始めたところのようだ。


「何のようだ……」

 そんなところに話しかけてしまったから、私に対しての態度が必要以上に悪かった……。


 しかし、ちょうどいい。


「私、あなたとの婚約を解消したいと思っています」


「……そんなことか……解消して行くところがなくて困るのは君だろう。勝手にすればいい」


 アルフォンスは心底面倒そうに言った。


 兄が笑うのが目の端に映る。

 獲物を捉えたような鋭い目が一瞬光った。


「ありがとうございます。では、好きにさせていただきますわ」


 私はただ静かに礼を言った。


 何が起こるのかと聞き耳を立てていた周りが、私の意外な反応に一瞬だけ止まった。

 

 その時、空席の招待客が来る。


「遅れてすまない」


 気品あふれる男性が私に向かって謝罪を口にする。

 一瞬で会場の視線を独占して空気を変えてしまう。


 ミレニアがうっとりと彼を見つめて、アルフォンスの空気がさらに冷たくなった。


「レオナルド様、お待ちしておりました」


 私はすぐに彼の元へ向かった。


 彼は、姉と兄の知り合いで、我が家によく遊びに来る。

 姉から今日の特別ゲストに招待してあげてと言われていた。


 彼に詳しい素性は知らないけれど、姉と兄の妹として昔からとても可愛がって貰っている。


「エルナ嬢、本日は初めての君の主催のお茶会に参加できて光栄だよ。あの小さかった君がこんなに美しく立派な淑女になるなんてね」


 そう言ってレオナルド様は私の手を引くと優雅に抱き寄せる。

 あまりに自然で美しい動作にみんなが息を呑む。


 屋敷でお会いするたびに行ういつもの抱擁だけど、茶会の席でみんなに見せつけるようにするとは思わなかった。

 多分、姉がレオナルド様にお願いしていたのだろう。

 アルフォンスやミレニアが唖然とした顔で凍りついたように固まって動けなくなっている。


 レオナルド様が何者なのか、みんな知っているようだ……。


 私は内心の動揺を隠してただ微笑んで、抱擁するレオナルド様の耳元でお礼を言う。


「お茶会に参加してくださってありがとうございます」


「君に会いたかったのは本心だけど、妹と弟の妹のためだから何を置いても駆けつけるさ」


 レオナルド様が言う。


 妹と弟の妹って……私は、姉と兄の妹だけど……。


「お兄様、妹のエルナの茶会にようこそ」


 そう言って姉のセシリアがレオナルド様と抱擁する。


「兄上」


 兄のギルバートもレオナルド様と抱擁する。


 姉と兄の……兄? レオナルド様が……?


 さすがに私も動揺が隠せなかった。


「隠している訳ではないからご存知だと思いますけど、私と弟のギルバートはヴァンデール侯爵家の養子なんですのよ。第二王子のレオナルド・フォン・ウィルヘルムは私達の実の兄ですの」


 姉が宣言すると、驚きの声が広がる。


 私も初めて知る事実に驚いた。


 姉と兄が……養子……!?


 ざわめきが広がった。


 知っている人たちが驚いている人たちに説明をしている席があちこちにあった。


 一部では噂になっており周知の事実だったらしいけど、いつも姉が強烈な正論で周りを論破していて、その噂で持ち切りで、王家とのつながりまでは大きく話題にする暇がなかったらしい。


 姉の悪役令嬢としての個性がこんなところまで影響しているなんて……。


 この事を知らなかったらしいアルフォンスとミレニアも、私と同じくらい動揺している。


 兄のギルバートに目を向けると、落ち着いた微笑みが返ってくる。



「レオナルド様……」


 ミレニアはすぐに気持ちを切り替えたらしく、またうっとりとレオナルドを見つめている。


 その様子を姉が勝ち誇ったように見ていて、「ああ、これがミレニアの秘密の弱点か」と知った。

 ミレニアは第二王子のレオナルド様が好きなのね。


 姉はレオナルド様に会えると言ってミレニアを動かしたのだ。


 私はミレニアにはアルフォンス以外に本命がいる事しか知らなかった。

 アルフォンスが私との婚約解消を喜んでいる所をみんなに見せて、誰にも相手にされなくなった、私の格が自然に上がると思っていたけど……。


 姉にかかるととんでもないことになるのね。

 微笑む姉はただ、人を動かしただけなのに……。



 アルフォンスがミレニアの様子にさらに動揺を深めている。


 兄が鋭い目でアルフォンスを見ている。


「アルフォンス、王家とのつながりが強いヴァンデール侯爵家と縁を深めて欲しいと、君の両親が強引にエルナとの婚約を取り付けたらしいけど、息子の君が乗り気じゃないなら仕方ないな。

 今、エルナとアルフォンスの婚約解消が成立したところだったんですよ、兄上」


 兄がレオナルド様に向かって話す。

 アルフォンスの顔は青ざめている。


「それは本当か? 僕は君に婚約者がいるから諦めていたんだよ」


 レオナルド様は私を見つめる。


「まあ、レオナルド様ったら、ご冗談ばかり」


 私はレオナルド様に合わせて答えた。

 屋敷に遊びに来た時も、そんな話をしていたけど……冗談よね?


「兄の王太子フィリップとも君の話をしていたんだ。婚約解消する事があれば、どちらが君に選ばれるかってね。王太子は待ちきれずに結婚してしまったけれど」


 王太子の名前が出て、アルフォンスの顔は青を通り越して、真っ白になっている。


 でも、私も同じように驚いている。


 王太子のフィリップ……って、フィリップ様の事かしら?

 レオナルド様ほど頻繁ではないけれど、姉と兄の知り合いだと言われて会った事がある……。

 昔から、小さな私に目線を合わせて話しかけてくれる優しい方だった。


 周りが王太子の名前にざわつく……さすがにやりすぎなきがする……。

 私を王子様二人が取り合っていたなんて、現実感がなさすぎるし、フィリップ様と結婚された方にも失礼だわ。


「ふふ、姉と兄の妹として、レオナルド様とフィリップ様には実の妹のように可愛がっていただきましたわ」


 ただ、私を見つめるレオナルド様の瞳が熱を帯びていて、ドキドキする。


「レ、レオナルド様」


 ミレニアがレオナルドに話しかける。


「公爵令嬢と言えども、無礼だぞ。今は、エルナと話しているんだ」


 レオナルド様が一喝する。


 主催者の私を無視して話に割り込んでくる事が礼儀に反するとわからない公爵令嬢ではないでしょうに……相当にあせっていたのね。


 茶会の席での失態は今後の社交界へも影響する。

 第二王子にも振られて、社交界での立場も弱くなったミレニアは下を向いて震えていた。


「ミレニア様はずっとアルフォンス様になど興味がなくて、レオナルド様だけをご覧になっていたんですね」


「他の男の影が見えた時点で一途とは言えないだろう」


 ミレニアはますます暗く俯いた。


 そんな公爵令嬢の姿にアルフォンスは見切りをつけたように私の方を向いた。


 私はレオナルド様と話すのに“忙しい”。


 和やかなお茶会の間、アルフォンスとミレニアだけが青ざめて暗く震えていた。




 けれど、私とレオナルド様の間に割って入れる人がいた。


「兄上、それ以上は俺のエルナに近づかないでください」


 兄のギルバートだった。


 俺のエルナって……。


「そうだな、君が一番近くでエルナを守っていてくれたんだ、婚約解消した彼女に一番先にプロポーズする権利はギルバートにある」


 レオナルド様が言うけれど……何を言っているの……?


 兄さんは私の兄で……養子だったと、今、聞かされたばかりだけど……。


「エルナ、君の婚約が解消されたら、俺も養子を解消するつもりだったんだ。……兄ではなく、第三王子に戻って、君にプロポーズする」


 兄——ギルバートが膝をつく。


「エルナ、君はこれからヴァンデール侯爵家の当主になるんだ。俺に一人の男としてその重責を一生かけて支えさせてくれ……!」


 熱い眼差しで私を見る兄が、差し出したのは王家の紋章が入った指輪だった。


 これはただの愛ではない。


 王家とヴァンデール侯爵家の結束を固めて、国をより強くしていこうと言うメッセージだ。


 周りが息を潜めて見守っている。


 国の運命、自分たちの行方を決める重大なイベントにいつの間にか巻き込まれていた。


 私は少しだけ息を吐いた。


 アルフォンスと婚約したままなら、こんな重責は背負う事はなかった。


 兄のギルバートがヴァンデール侯爵家を継いで、王家とのつながりを盤石なものにしただろう。

 アルフォンスに嫁いだ私は蚊帳の外。


 でも、今は全てが私の返答次第。


 私がギルバートを拒絶すれば、王家さえ傾ける事が出来る。


 それを分かっていて、ギルバートはみんなの前であえてプロポーズしている。


 私の意思を確認するために——!

 

 そして、姉のセシリアと第二王子のレオナルド様は知っていて、私たちを見守ってくれている……。


 胸に暖かいものが込み上げてくる。


 こんなに大事にされていたのに、どうして自分を厄介者だなんて思えたのだろう?


 私はギルバートに向かって言う。


「喜んでお受けします、ギルバート」


 兄の緊張していた顔が緩んで微笑みが浮かぶ。


 周りから祝福の声が上がって、私が指輪をギルバートからはめてもらうと、最高潮に達した。


 ギルバートに肩を抱かれて目に映るもの、全てが完璧だと思った。


 ——たった一組の男女を除いて。


 椅子に小さく張り付いて震えて揺れているのは、アルフォンスとミレニアだ。


 私はすっかり存在を忘れていたので、目の端に映った二つのノイズに声を上げそうになった。


 ただ青ざめて何もできない彼らにも、祝福があるように祈って、目を逸らした。


 ギルバートの顔があって、私の頬にキスする。


「まだ、正式に養子を解消できてないから、今日はここまでだ、エルナ」


 耳元で囁かれて、顔が熱くなる。

 せっかくここまで悪役の顔を保てたのに。


「お父様とお母様に報告するのが恥ずかしいわ……兄さん。アルフォンス様との結婚を望まれていたのに……」


「それは違うよ。エルナが俺を完全に兄だと思っていたから、お父様とお母様も言い出せなかったんだ。姉さんも含めて、ヴァンデール侯爵家は全員、エルナが当主になることを望んでいるいたんだ」


 思いがけない事だった。


「だって、アルフォンス様が見舞いに来なくても怒って下さらなかったのに……」


「両親は、まだ君が小さすぎるうちに婚約者を決めてしまった事を後悔していて、なにも言えなかったんだよ。俺や姉には『エルナが婚約解消を申し出てくれれば』と言っていたんだ」


 そうだったの……。


「君の婚約解消はみんなの望みだったんだよ」


◆◇◆


 私の元婚約者とその仲のいい幼馴染の公爵令嬢の醜態は、茶会の参加者全員の知るところになり、彼らの口から社交界全体へ広がっていった。


 それでも、公爵家と侯爵家だ、一気に没落などしない。


 ミレニアが第二王子レオナルド様への執着を捨てられず、周りから婚姻を忌避されるようになった。

 すでに忌避されていたアルフォンスしか頼るものがいなくなり、二人は結ばれる。


 二つの家系は急速に影響力を失っていったけど、元婚約者の望みは叶ったのでしょう?


 婚約者の病の見舞いよりも優先するほど、公爵令嬢のお茶会がお好きだったのだから——。




 ギルバートはアルフォンスを教室で正論で痛めつける。

 今まで私の婚約者だったからずっと我慢していたらしいけど……。


「……あ、ああ……」


 何を言ってもこの調子で覇気がなく、何を言っても響いている様子がないらしい。


「君を失うとああなってしまうのか」


 そう言って、ギルバートもアルフォンスに興味を失った。


 でも、アルフォンスは一度だけ私の前に現れた。

 私に手を伸ばして来たけど、私は視線を逸らした。


 アルフォンスは倒れ込むように膝をついた。

 暗い瞳が地面に張り付いた自分の手を映す。


 何を失ったのか、理解してももう遅い。


 私のあなたへの興味はもっと前からなくなっている。


 ヴァンデール侯爵家の当主である私とギルバートの視界から消えたアルフォンスのル・グラン侯爵家とミレニアのド・アークランド公爵家。

 誰からも興味を失われた後に、没落し爵位が返上されたが、そのことに誰も気付かなかった。

 ただ王家と繋がる私たちの耳には入ってきただけ。




 兄ギルバートが養子を解消する話は、ヴァンデール侯爵家も王家も歓迎した。


 ただ、兄の学園の卒業の日まで待つことになって、今も私たちは兄妹だった。


 姉はヴァンデール侯爵家の養子のまま隣国の王太子に嫁いで行ったけど、ヴァンデール侯爵家と王家の地固めがされて抜かりが無い。


 ヴァンデール侯爵家の当主として、私は姉のような事ができるかしら?


 お茶会の出来事は広まっていて、ギルバートが第三王子でヴァンデール侯爵家の養子だと言うことはみんな知っている。


 ヴァンデール侯爵家は私が継いで、王子に戻ったギルバートが婿入りする事も確定事項として知られている。


 だから、まだ兄のギルバートと一緒に学園を歩いているとこれが兄妹としての感覚なのか恋人に抱く気持ちなのかわからなくなってしまう……。


 ふいに兄が立ち止まって私の顔を見る。


 私は真っ赤になっていて、今はもう兄妹じゃないんだと思う。


 ずっと昔、私がこの世界が乙女ゲームで姉が悪役令嬢で、兄が悪役令息だと知る前。


 ずっと兄を好きだったけど、それは家族としてだったと思っていた。


 姉と姉弟のように仲がいい兄を自分だけのものにしたいって思った小さな頃。


 あれは独占欲だったの?


 ここが乙女ゲームの世界だと気づいて、前世で悪役令息を気に入っていた記憶が私の気持ちを隠してしまった。

 私は後になってから自分の気持ちに気づく事が多い……。


「エルナ……」


 誰も見ていない場所で、兄が私を呼ぶ。


 兄ではない顔にドキッとする。


「ギルバート……」


 多分、私も妹の顔はしていない。


 人目を忍んで軽くキスした。


 少しでも長くギルバートに触れていたい。


 多分、ずっと私は兄に恋してた。


【終わり】


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― 新着の感想 ―
>兄は妹の肩を抱いて、慰めの言葉を残して部屋を出ていく。 ずっとエルナの一人称視点なのに、ここだけ唐突に三人称なのだけ気になっちゃう… 前世の記憶を思い出すまでは、兄への無自覚な恋慕があったんでしょ…
病弱でしょっちゅう倒れて寝込むような体質なら 後継者を産むのはかなりリスキーですよね また養子を取るのが前提なのかな?
>誰からも興味を失われた後に、没落し爵位が返上されたが、そのことに誰も気付かなかった。 公・侯爵が1代で爵位返上っってどうしてそうなった? 王家が財政難だったみたいだで、こいつらも財政的な物なのか?
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