ホスピス
俺はおじいちゃん、おばあちゃんが好きだ。例え呆けていたって、おむつが
必要だって、寝たきりだって。手に刻まれた皺。それが私達ここまで生きてきました、という誇らしげな勲章のように見えるのだ。
面倒を見てくれていた父方、母方の祖父母も両家とも祖父が亡くなりおばあちゃんだけだ。ぴんぴんしている。ああ、ありがたいなと思う。最近は打って変わったように両家のおばあちゃんは優しい。介護福祉士を取ったら身の回りの世話をしてあげられたらななんて思う。まがりなりにも両親を事故で死なせてしまった俺を育ててくれたおばあちゃん達に恩返しがしたい。そんな心境になったのにはある理由がある。
母の父はガンで死んだ。金はあったからホスピスに入れた。毎日モルヒネを打っていたが最期は意識は混濁し、植物人間みたいなものだった。安らかな死、そう言って良いのだろうか。
ドラマ白い巨塔で財前五郎が肺がんで死ぬ間際、呼吸困難に陥り送管しようとした時、その妻は喋れなくなるなら送管等しなくても良いと言った。里見脩二に宛てた手紙、それはまさに神の手を持つ外科医のガン患者に対する処置のバイブルだった。
ドラマ東京タワー おかんと僕と時々おとんでは、おかんは最期抗がん剤治療があまりにも苦しく息子にもう治療を諦める事を宣言する。それから明るく余生を過ごした。
そういうのを見てると果たして安楽に死ねる事は本当にその人にとって幸せなのか等とがらにもなく考えてしまう。