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第四話

 港町から城下町に移った。相変わらずダメージを受けた家屋が立ち並ぶ。桃園涼明は、静止した時の中を歩いているように感じていた。

「この町、どうしてこうなってしまったんでしょうか」

『元はといえば普通の町だったんだけど、魔王がこの島を拠点にしちゃったからね。いわゆる、見せしめってやつかしら』

「でも、魔王なのに島にこもるって、ちょっと変わってますよね」

『要は、孤独をこじらせちゃったのよね、あなたみたいに。人に裏切られ、関わることを避けるうちに、恨みをつのらせていった』

「なるほど、確かに似てますね」

 基本的に下を見ながら歩いている彼が、珍しく上を向き、立ち止まった。なぜなら、自分の周りが急に影になったからだ。反射的に、とうとう太陽にまで見限られたかと思った。だが、そういうわけではなかった。自分の真上に黒い煙がかたまってできていた。それに気づいた途端、何かが目の前に降ってきた。それは、地面でコンパクトに赤く燃えていた。それから一つ、また一つと、何かが降ってきて、地面に小さな炎という形でとどまった。

「これは、やばいな」

 と言いながら小走りで路地に入った。そこで立ち止まろうと速度を落としたのも束の間、更なる恐怖が彼に襲いかかった。なんと、影がついてきたのだ。上には黒い煙が平然とたたずんでいた。炎の雨は止まない。男はまた走り出した。できるだけ雨に当たらないようにと、家々の隙間の細い道を通った。

 彼はうつ病だ。それゆえ、心が折れるのが早かった。数秒走っただけで路地作戦を諦め、大通りに出ることにした。

 重ねて言うが、彼はうつ病だ。すぐに心が折れてしまう。いや、そもそも心が折れたままの人をうつ病というのかもしれない。それはいいとして、桃園は家の横を通り、大通りに出る直前で急停車した。走ることすら諦めたのだ。そして、鉄でできた傘を生み出し、火の雨を防ぐ方針に切り替えた。

 その瞬間、目の前を三つ首の猛犬がすごい速さで横切っていった。桃園は体で風を感じた。もし鉄の傘を生み出すために立ち止まっていなければ、この獣に飛びつかれていたところだったのである。

「もしかして、犬に狩られてる?」

 傘をさしたまま、顔だけ出して犬の方を確認した。そこには、ちょうどこちらへ振り向こうとするケルベロスの姿があった。そして鉄の傘には、歪んで伸びた自分の鏡像が映っていた。

「なるほど」

 ケルベロスは狩る者の余裕を見せるように、ゆっくりと振り返った。それから、空腹を隠すことなくよだれを垂らしながら歩いていき、路地のところまで来た。横を向くと、獲物が呑気に傘を差しながら立っていた。馬鹿め、諦めの早い奴。猟犬は狙いを定め、全速力で走り出した。愚かな、逃げようともしないなんて。射程距離に入ったので、勢いよく飛びかかった。もう遅い、今から避けることは不可能だ。

「よし、かかった」

 ケルベロスは思い切り衝突した。しかし、それは獲物ではなく、獲物が映った鏡だった。それに気付いた瞬間、自分の体の周りに金属が現れ、あっという間に囲まれた。猛犬は捕らえられてしまった。

「上手くいきましたね、鏡作戦」

『案外騙されるものなのね』

「油断してたんでしょう。頭が三つあっても所詮は畜生です」

 頭上の黒い煙がケルベロスの上に移動した。犬の方は吠える頭もあれば、檻に噛み付く頭もあり、三者三様であった。鉄の傘を差していた小説家は、ゆっくりとそれを地面に置いた。

「檻を溶かそうとしてるのかも。急ぎましょう」

『休む暇もないわね』

 うつ病患者は早足でその場を後にした。

 荒廃した城下町を進み、城の前に来た。美しい造形でありながらも、それが逆に押し潰されるような圧迫感を生む原因になっていた。

「ここが魔王城ですか」

『なんとか辿り着けたわね。ここまで連戦だったし、一度休んだらどう?』

「いや、このまま行きます。一度休むと動けなくなるので」

『それはうつ病だからなのかしら?』

「どうなんでしょう。仕事帰りにそのままの勢いでお風呂に入るみたいなことは、誰しもやってるんじゃないですかね」

『エンジンをかけ直す方が大変ってことね。』

 大きな二枚扉の前に立った。一度ドアノブに手をかけた桃園だったが、そっと手を離してしまった。

「あの、僕この城の間取りわからないんで、道案内お願いしていいですか?」

『いいけど、必要ないと思うわ』

「どうしてですか?」

『開けてみたらわかるわ』

 言われた通り、男は片方の扉を開けた。扉の重みから全身に緊張感が走った。

「ああ、なるほど」

 城の中は一本の廊下しかなかった。赤いカーペットが奥の扉の前まで敷かれている。外見と間取りが異なるのは、魔法によるものだろう。そして、

「カロンさん、じゃないですよね」

 廊下の中央辺りには、黒い布で覆われ、魂まで切り裂いてしまいそうな鎌を持ち、顔だけが露わになっているガイコツ、いわゆる死神が立っていた。

 桃園はゆっくりと中に踏み込んだ。死神は微動だにしない。音を立てないように距離を詰めていく桃園は、自分の声が相手に届くところで立ち止まった。

「あの、僕は人間の桃園涼明と申します。奥にいらっしゃる方に用があるので、通していただいていいでしょうか」

 返事はなかった。死神は、本当に死んでいるように動かない。沈黙が気まずくなった桃園は、また少しずつ前に歩き始めた。死神に近づくにつれ、右の壁の方に寄っていった。死神が右手に鎌を持っているからだ。そして、敵の横まで来たところで、また一度立ち止まった。

「横、通らせていただきます」

 いつ鎌の刃が飛んできても対応できるように、死神の右半身に意識を向けながら、カニ歩きで素早く通り抜けた。それからは、走って扉の前まで逃げた。

「これで、よかったんですかね」

『いいんじゃない』

「あの方は、どうしてあそこに立ってるんですか?」

『ネタバラシをすると、あの死神は、自分を見た者を眠らせる魔法を持っているの。相手を眠らせてから一方的に攻撃するっていう戦い方だったんだけど、どうしてかあなたにはその魔法が通じなかった』

「そういうことですか。それなら理由はわかりますよ」

『どういうこと?』

「僕が不眠症だからじゃないですかね。不眠症だから、力尽きて気絶するまで眠れないんですよ。一回寝たら結構長く寝れるんですけどね」

『詳しい睡眠事情をどうも。でもまさか不眠症が役に立つとはね』

「そうですね。初めてです、こんな経験」

『でしょうね。じゃあこのまま次の部屋もいっちゃいましょう』

 桃園は静かに頷き、次の部屋の扉を開けた。大理石のタイルが敷き詰められた床、白い壁と天井。広い空間の中央に、男が二人立っていた。

「お邪魔しま〜す」

「のこのこと殺されに来やがったか」

「ほんとだね兄さん」

 兄と思われる方は白の、弟と思われる方は緑のチャイナ服を着ている。桃園は作務衣。世界観などお構いなしだ。作務衣男は様子を見るために少しだけ前に出た。

「あの、僕はその奥の部屋に用があるんですが、通してもらっていいでしょうか」

「いいわけねーだろ。お前はここで死体になって逆戻りだ」

 兄がガンを飛ばしながら言った。そして、威嚇するように、腰に差してあったナイフを抜いた。

「話し合いで解決できませんかね?」

「そんなことする必要もねーよ。どうせお前はもうすぐ死ぬんだから」

「そうだそうだ」

 桃園は静かに唾を飲み込んだ。体の表面を流れる汗を感じた。

 腰巾着弟がぐっと拳を握りしめた。その瞬間、弟の体に火がつき、あっという間に全身が炎に包まれてしまった。

「えっ、大丈夫ですか? 火消しましょうか?」

「うるせーよ。これはこういう魔法なの!」

 弟が怒りながら言った。弟の炎の影響で、部屋の温度がほんの少し上がった。ちょうどいい暖かさで、眠りやすそうな温度だ。まあこの状況で寝ようとする者なんて誰もいないが。

 チャイナ兄は不敵な笑みを浮かべながら、左手に持ったナイフの刃を右手で握った。そして、あろうことかそれを思い切り引き抜いた。血が勢いよく地面に流れる。

「いきなりリストカットですか? 止血しないと」

「だから余計なお世話だって言ってんだろ」

 兄の感情に呼応するように、足元の血溜まりから血液が上に昇り始めた。そのまま彼の前で剣となり、男はそれを握った。

「俺は自分の血液を自在に操る魔法なんだよ」

 そう言うと、今度は左手の手首に刃を当て、バイオリンを奏でるようにそれを引いた。そこから空中に飛び出た血液は、龍のように空間を移動し始めた。

「さすがに失血死とかするんじゃないですか?」

「しねーよ。俺の体は無限に血液を作り続けることができるからな。覚悟しな」

 チャイナ兄は左腕で血の龍を操り、桃園の方へ向かわしめた。桃園はとっさに鉄の壁を生み出し、龍の猛攻を防いだ。壁に阻まれた龍は、また宙を飛び回り始めた。

 一安心したのも束の間、壁の右側から兄が飛び出してきた。血の刃を振り上げ、桃園に切りかかった。小説家は盾を生み出すことで応戦した。それからしばらく剣と盾の攻防が続いた。が、桃園の方が少しずつ押され、部屋の角まで追い込まれてしまった。

「どうした? そんなもんか?」

「……」

 チャイナ兄は龍を自身の左腕に巻きつけた。それから、剣の先端を桃園に向けた。燃えたままの弟が兄の隣に並び、二人してジリジリと近寄ってきた。

 と、その時、桃園は突然、巨大な血液でできた水滴を空中に生み出した。

「おいおいどうした? 負けを認めて媚びを売り始めたか?」

「無様だね」

「……」

 巨大な血液を、作務衣男はチャイナ兄の方に投げ飛ばした。兄の体に触れた血液は、スライムのようになって兄の体をまとった。

 桃園はそのまま間髪入れず火炎放射器を生み出し、兄に浴びせた。隣で弟が仰天している。しかしすぐに我に返り、兄に向けられた炎を全て吸収した。

「自分兄さん!」

「うまくいったみたいですね」

 怯える弟の隣で、兄は血液の塊の中で動けなくなっていた。桃園は高温で血液を凝固させ、瞬時に固体化させたのだ。そして、誰のものでもない血液を生み出していたので、兄はそれを操ることができない。

「ひ、ひいっ!」

 恐怖で、弟のまとっていた火が消えた。弟は引きつった顔で後退りした。

「しばらく大人しくしててください」

 桃園は右手を弟の方に向けた。すると、弟の周りに光が集まり、瞬く間に檻が彼を囲んだ。

「その檻はタングステンでできてます。融点がとても高い金属なので、あんまり無理しないようにしてください」

「は、はい……」

 弟は檻の中で萎れていった。それを見届けた桃園は、奥の扉の前まで歩いていった。

「この次が魔王の部屋ですか?」

『いいえ、まだ一部屋あるわ。あなたの因縁の相手がお待ちよ』

「因縁の相手? ああ、そういえば……」

 作務衣男は嫌々扉を開けた。扉の先には、この部屋と同じような空間が広がっていた。そして、その中央には、鎧を着ている者が立っていた。小説家は遠慮気味で中に入った。

「お邪魔しま〜す」

「お前が魔王様の領土を荒らしている者か」

 その声を聞いて、驚きと奇妙さを同時に感じた。声の主は女性だった。自分はこの女性に殺されたのか。そして、相手は自分に気付いていない。いちいち殺した相手のことなど覚えていないということか。

「ブラックホールの件ではお世話になりました」

「ブラックホール? なんの話だ」

「……いや、知らないなら大丈夫です」

「お前はどうして魔王様を倒そうとするんだ?」

「幸せになりたいからです。魔王がそれを阻んでいるんですよ」

「幸福……。愚かだな、誰かのせいで自分は不幸になっていると思っているのか」

「なるほど。じゃああなたは今幸せなんですか? 魔王様の下にいて」

「私は幸福なんてものに興味はない」

「そうですか。なら魔王の手下として生きているのはどうしてですか?」

「大した理由はない。ただ弱い者が強い者の下につく。それがこの世界の理だからだ」

「嫌な世界ですね」

「もういい、無駄話はここまでだ。早々に切り伏せてやる」

 そう言うと、女騎士は剣を握り、桃園の方へ走ってきた。

『気をつけて。その剣に触れると彼女に重力を操られてしまうわ』

 間合いに入ったところで、力強く剣を振り上げ、一刀両断する勢いで振り下ろした。桃園はギリギリで盾を生み出し、それを防いだ。しかし、力の差は歴然で、そのまま盾ごと弾き飛ばされてしまった。

「力が強いな。まあ僕が貧弱なのもあるかもしれないけど」

 体勢を立て直そうとした時、突然、盾がひとりでにカタカタと音を立て始めた。そして、女騎士の方へ一直線に飛んでいった。女は飛んできた盾を掴み、自分のものにした。重力を操り、いわば盾を自分の方向に落としたのだ。

「これは強敵ですね」

「次でトドメを刺してやる」

 騎士がまた走り出した。桃園は不安げに立ち上がり、そおっと右手を前に出した。

「なにっ!」

 走る女の前に突然壁が生まれた。女はその壁に激突し、後ろに吹っ飛んだ。しかし、剣を地面に刺してすぐに体勢を立て直した。

「お前の魔法は一体何なんだ!」

「なんでもできる魔法です」

「ふざけたことを」

 女は壁をまわり込み、桃園が見えるところに立った。小説家はとりあえず日本刀を生み出した。一本じゃ不安になったので、念のためにもう一本生み出し、二刀流で戦うことに決めた。ちなみに、彼は二刀流どころか一刀流すら扱うことができない。

「私と剣でやり合おうと。面白い、望むところだ!」

 女は盾を捨て、剣を両手で握りしめて、男に斬りかかった。桃園はなんとなく流の流派で応戦したが、すぐに刀の主導権を奪われ、二本とも手放した。

「どうした、お前の力はそんなものか」

「こんなもんです。でも、あなたの魔法の特徴がわかりましたよ。多分」

「なんだ、言ってみろ」

「一度に一つのものの重力しか操れないんじゃないですか?」

「ほう。まあ、それを知ったからどうにかなる戦力差でもないがな」

「あともう一つ。これは勘ですけど、一度操る対象を変えたら、前の対象の主導権は消滅するんじゃないですか?」

「洞察力だけはあるようだな。だが、そんなことを知ったところで関係ない。これでも食らえ!」

 騎士は自分の左下に剣を移動させると、目の前の空中を斬るように、斜めに刃を振るった。すると、陽炎のように空間を歪める何かが桃園の方へ飛んでいった。あまりの速さに、男はそれを避けることができなかった。少しだけよろめいた。だがそれだけで、どこかを斬られたわけではなかった。

「ん? 何も起きてない」

「これからだよ。とくと味わうがいい」

 桃園は突然強い浮遊感を感じだした。それで察した。敵の術中にはまってしまったことに。男の体が宙に浮いた。

「うっ、そういうことか」

「そうだよ」

 小説家は天井に叩きつけられた。そして、天井から床に落とされた。なんとか床に落ちる寸前にふかふかの敷布団を生み出し、落下の衝撃は軽減できた。

「小賢しい。もうお前に勝ち目はない」

「酔い止め飲んでてよかった……」

 男はまたしても宙にあげられた。

「一気に終わらせてやる」

 それを聞いて焦った桃園は、女騎士の方に右手を伸ばした。

「なんだ? 命乞いか?」

「それはこの作戦次第です」

 女の後ろに大きな光が生じた。次の瞬間、筒状の大型機械が現れた。MRIだ。

「なんだこれは」

「あなたの重力に対抗できる力です」

「なんだと」

 今度は騎士の方がよろめいた。そして、そのまま大きな音を立ててMRIの穴の中に吸い込まれた。その後を盾がフタをするように吸い込まれ、そこに日本刀が張り付いた。MRIは強磁場によって人体の内部を確認する装置だ。そのため、周囲には強い磁場が発生している。それに騎士の鎧や武器が引っ張られたというわけだ。

 その直後、宙に浮く桃園にかかっていた魔法が解け、布団の上に落ちた。

「助かった。このまま出てこなければいいんですけど」

 その願いむなしく、女は鎧を着たまま穴から出てきた。

「なかなかやるじゃないか」

「磁力と重力をつり合わせたんですね」

 騎士は鎧を脱いだ。中から藍色の服が出てきた。そして、男勝りな美しい顔。女はその後、自分にかけていた重力を解除した。すると、鎧は瞬く間にMRIの中に吸い込まれていった。それから、剣自体に重力をかけ、鞘から抜くように機械から剣を引き抜いた。

「もう勝負あったと思ったんですけど」

「甘いな。この程度で負ける私ではない」

「ですけど、もうおしまいです」

 小説家は両手を開き、手のひらを女の方に向けた。両手の周りに点々と光が生じた。その小さな光は、相手の方を向いて尖りだした。そして、それは実体化するとともに、ものすごい勢いでグラビティの方に飛んでいった。男は、ネオジム磁石でできた弾丸を生み出していた。

 女は剣でいくつかを防いだが、数発をその身に受けた。そのまま力が抜けたように剣を床に落とし、自身も倒れた。勝者は敗者の元に歩み寄った。

「何を、飛ばしたんだ」

「小さな磁石です」

「くっ、重力は磁力に勝てないということか……」

「まあ技術力も違いますからね」

 桃園は救急セットを生み出した。

「……お前、何をしている……」

「止血しようとしてるんです」

「そんなこと、はするな。私は、このまま、死んでいくことを望む」

「僕はあなたに生きることを望みます。人殺しになりたくないので」

 手早く応急処置を施した。ついでに女の下にふかふかの敷布団と枕を生み出した。

「行くのか、この先の部屋に」

「そのつもりです」

「やめておけ、お前では魔王様は倒せない」

「どんな魔法を使うんですか?」

「あらゆるものを消す魔法だ」

「それは大変ですね」

「それと、部屋に氷の魔法がかかっている」

「部屋が魔法使いなんですか?」

「そうだ。まあどうしても行くというのなら、このことに気をつけろ。同じ場所にとどまり続けるな」

「同じ場所にですか。わかりました、ありがとうございます」

 その言葉を言った直後、女は力尽きて眠ってしまった。女をそのままにして、桃園は扉の方に歩いていった。

 扉の前に立つと、素早く三回ノックした。返事はなく、小説家は音を立てないように、少しだけ扉を開けた。

 その瞬間、凄まじい冷気が外に出てきた。顔や手足など、露出した肌に刺すような冷たさが触れた。桃園はひとまず、静かに扉を閉めた。

「この格好じゃ寒いな」

 男は服を着替えた。熱を閉じ込めるシャツに、内側がモコモコのズボン、厚手の靴下にブーツ、しまいに分厚いダウンジャケットを羽織った。

『今の心境を聞いてもいいかしら』

「魔王を倒したから何なんだろうという疑問から目を逸らすのに必死です」

『あら、勝つことは前提のようね』

「いえ。戦いに向かわしめるものってその先に得られるものだと思うんですもう入りますねこれ以上話すと怖くて動けなくなってしまいそうなので」

『それは、悪かったわね……』

 桃園は恐る恐る扉を開けた。冷気と暗闇とがこちらに流れ込んでくる。崖に飛び込むような気持ちで中に入った。

 部屋の中は薄暗く、左右に立つ柱が奥まで続いていた。その重厚感に、体が重く感じた。そして、

「あなたが魔王、ですか」

 最深部には、明らかに視認できる黒いオーラをまとって玉座に座る魔王の姿があった。魔王は椅子に背中をつけて座るでもなく、足を組んで居丈高に座るでもなく、前傾姿勢で、左右の膝に肘を置き、魂が抜けたように頭を垂れていた。

 小説家は魔王の顔を見ようと近寄った。だが、その歩幅も徐々に狭くなり、立ち止まってしまった。そして、気を紛らわすために聞いた。

「あの、あなたはどうして魔王をやっているんですか?」

 その言葉に、魔王はほんの少しだけ頭を持ち上げ、ここで初めて桃園の姿を見た。かろうじて冷たい眼光だけが桃園に届いた。そして、重たい声で答えた。

「……動機。そんなものはない。ただ我の座る席が、ここしか空いていなかっただけだ」

「それはお気の毒に」

「貴様はなぜ我に歯向かう」

「僕も、ただ自分の居場所を探しているだけです」

「……面白い。ここが貴様の居場所たりうるかどうか、我を退けて確かめるがいい」

 そう言うと、魔王は右手を桃園の方に伸ばした。桃園は身構えた。その時にようやく気付いた、自分の両足が氷に捕らえられていることに。魔王の周囲を取り囲んでいたオーラが消えた。その反応を見て桃園は、防衛のためにダイヤモンドの壁を三重に張った。しかし、右手を前に出したことでバランスを崩し、尻もちをついてしまった。

 その瞬間、魔王の右手から、死を連想する黒い光線が放たれた。光線は、ダイヤモンドの壁などはじめからなかったかのように貫通し、新たに靴を生み出して履き替えようとしている桃園の頭上を通り抜けた。

「……消し、てるのか」

 靴を履き替え、急いで魔王から距離をとった。その頃には、また魔王の周りに黒いオーラが充満し始めていた。

 桃園は次の作戦に移った。入り口付近にジャングルジムを生み出し、上まで登った。

「まさか、この年齢でジャングルジムに登ることになるなんて」

 そして拳銃を生み出し、魔王に向けて発砲した。わからない。弾が外れたのか、命中しているが弾を消されたのか。

 死の光線第二弾が飛んできた。おかげで、ジャングルジムの一辺が失われた。桃園も反撃第二弾として、ロケットランチャ―を生み出した。これなら着弾したのか消されたのかを知ることができる。

 まるで戦車から上半身だけ出しているように、ジャングルジムの最上段の中央マスから上半身だけ出し、背中を後ろにつけて反動で飛んでいかないようにした。そして照準を定め、発射した。

 弾は、文字通りロケットのように後ろから炎を出しながら、魔王の方に飛んでいった。シュー、という音が遠ざかっていく。しかし、それは魔王の近くに来たところで突然消滅した。

「遠距離攻撃は使えないのか」

 死の光線を警戒し、桃園はジャングルジムの頂上に上がった。寒さと恐怖で体も頭も動かしづらい。もう光線を避けることしか考えられなくなっていた。

 またしても魔王の周りのオーラが消えた。光線が飛んでくる。桃園は身構えた。

 魔王は光線を発射した。光線は少し左に飛んできた。桃園は運良く右に避けていた。ひとまず避けられたと思った。

 だが、光線はなぜかジャングルジムに届く直前で止まった。あろうことかそのまま空中でその状態を維持した。真ん中に戻った桃園は困惑した。が、それもまもなく終わった。光線が細くなっていき、完全に見えなくなった。

 その瞬間、いきなり桃園がジャングルジムの前方に、引っ張られるように飛んでいってしまった。なんとかとっさに、着地点にYogi坊を生み出し、クッションで怪我は免れた。

 体勢を立て直そうとした桃園だったが、またしても足が氷に捕まってしまっていた。そこに死の光線が飛んできて、

「ここまでか……」

 全身に浴びてしまった。

               *

「おかえりなさい」

「……ただいま戻りました」

 桃園涼明は死んだ。なので、女神の間に強制送還された。

「あなたにしてはなかなかやった方なんじゃない?」

「あの、さっきは何があったんでしょうか」

「突然前に吹っ飛ばされちゃったところね。あれは魔王が光線で二人の間の空間を消滅させたの。そしたら周りの空間が無くなった部分を補うように移動するわけ。お店の開店と同時に人がなだれ込むようなものね」

「……なるほど。それに対応できていたとしても、どのみちでした」

 モヤモヤが取れた桃園だったが、また新たな疑問が生まれた。

「そういえば、魔王の魔法はあらゆるものを消す魔法でしたよね。それを浴びた僕は、完全に消えてなくなるわけではないんですか?」

「あらゆるものっていっても、モノだけだからね。あなたはモノだけでできてるわけじゃないでしょ?」

「魂みたいな感じですか」

「そうそう。それじゃあ、気を改めて、次いきましょうか。次は何をしたい?」

「……そうですね。次は魔王になりたいです」

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