6 変身
“シエンナ・アステルが加護の力を失った”
噂が学校中に広まるのはあっという間だった。
「見ました?あの髪」
「前までの美しい赤が見る影もないわね」
「妹をいじめていた方でしょう?いい気味よ」
学生たちのヒソヒソと囁く声は嫌でも耳に入った。噂される通り、今の私の髪は以前の輝きを失い細い針金のように曲がりくねっている。色も墨のように真っ黒だ。私の姿を初めて見た妹は困惑しつつも何か問いかけてくることはなかった。
学生が行き交う廊下で私はターシャを呼びつける。
「ターシャ、今度の学園パーティーの準備は?」
「出来ています」
「ドレスは暗い色にしたんでしょうね?」
「え、ですがこの前は鮮やかな赤のドレスをと……」
「貴方私を馬鹿にしてるの!?」
周りの生徒全員に聞こえるほど声を張り上げた。
「ざまあみろとでも思っているんでしょう!?私が女神の加護を失ったのがそんなに嬉しい?」
「お、お姉様、そんなこと私は……」
久しぶりに見る妹の怯えた顔に胸が痛む。
「もういいわ、自分で用意するから貴方はもう下がりなさい」
冷たく告げ、妹に背を向ける。様子を伺っていた生徒たちが今見たことを誰かに伝えたくて足早に去っていくのが見えた。
自室に戻り、私は用意されていたドレスを取り出した。全て以前までの髪の毛に映えるような鮮やかなドレスだ。本当は今だにこれを着たかったが、ターシャにああ言った以上着ることは叶わない。
「ごめんなさいねターシャ。用意してくれたお母様も」
手早くドレスを箱に詰め込む。後で下町の商人に全て買い取ってもらおう。そのお金で安いドレスを買い直すのだ。ついでに父に貰ったアクセサリー類も売ってしまおう。学園を卒業したらお金が必要になる。
少し遅れて部屋に帰ってきたターシャは両の手を強く握りしめていた。
「お、お姉様」
「なあに?」
「あの、本当に力が無くなってしまったんですか?」
「見て分かる通りよ」
ソファに座りながら嫌味に両手を広げて見せた。瞳の色もルビーではなく燻んだ黒だ。
「お父様とお母様は知っているんですか?」
「もう手紙を出したわ。読んだらびっくりするでしょうね」
「な、なんで……」
問われた真意がわからず縮こまっているターシャを見つめた。私を見る彼女の目は、まるで私を心配しているようだった。そんなわけ無いのに。まるで全てをわかっているみたいな澄んだ瞳。涙の膜で煌めいていて、今にもこぼれ落ちてしまいそうだ。
私はゆっくりと立ち上がり、ターシャの前に立った。
「ターシャ」
名前を呼んだ瞬間、彼女の目から透明な涙が一粒こぼれ落ちた。拭ってやりたくて、抱きしめてあげたくて手を伸ばす。
「やっ……」
ターシャが頭を守るように両手を上げた。ハッとして手を握り締めゆっくりと下す。私は何をしているんだろう。彼女を散々痛めつけた私のことなど、受け入れられるわけがない。そんなの分かりきっていたことだ。知っていたのに、胸が引き裂かれるように痛い。
「ごめ……」
出かけた謝罪を飲み込む。パーティー当日はまた妹に酷いことをするのだ。今更謝ったところで何になる。
「お、お姉様?」
一向に振り下ろされない拳を不思議に思ったターシャが不安げに両手を下ろした。
「貴方もパーティーに出るのよ、準備しておきなさい」
いつも以上に会話少なく、2人はパーティー当日を迎えた。
******
学園で年に一回開かれるパーティーは学年も年齢も関係なし、表向きは無礼講だ。
「見てあの子」
「あんな子この学園にいたかしら?」
「隣にプライアー様が居るわ!どういうご関係?」
女性との嫉妬とやっかみが滲む声がザワザワと広がる。本来プライアー様の隣にいるはずの私は生徒が少ない隅っこで学校が用意してくれた軽食を楽しんでいる。私に近づいてくる生徒はいない。視線は感じるが、わざわざ起爆寸前の危険物に触ろうとする人間はいないわけだ。
プライアー様と歩いているのはもちろん妹のターシャ。きっと彼に贈られたのであろう上品な薄青のドレスを身に纏っている。ターシャの髪色にも似合っていて可愛らしい。やはり彼のセンスは良い。
まるで2人の門出を祝うような気持ちで眺めてしまい、私は自分を叱咤した。これからやる事を考えれば呑気にもしていられない。
手にしていた皿を机に戻し自分の格好をチェックする。元々着るはずだったドレスを売って新しく手に入れたのは黒を基調とした派手なドレス。どう見ても趣味が悪い。しっかり悪役ぽく見えているだろうか。
よし、と気合を入れてプライアー様とターシャに向かってツカツカと歩き始めた。プライアー様の後ろに騎士がついていたが、前見た顔とは違う。人員を変えたのだろうか。
「プライアー様。ご機嫌よう」
投げやりにカーテシーを披露すれば、周りの視線は一気にこちらに集中した。
「お、お姉様」
「やあアステル嬢」
ターシャはバツが悪そうに私とプライアー様を交互に見た。だがプライアー様は私の存在など歯牙にかけていないように堂々としている。私からターシャを守ろうとしているのだろう、彼女を少し後ろに立たせ、騎士と挟むようにしている。
「ターシャ、私の婚約者様とご登場とは、さぞ良い気分でしょうね」
ドレスも似合っていると言いたかったが、それはグッと飲み込んだ。
「私が無理を言ってこのドレスを送ったんだ。一緒にパーティーに出て欲しいと」
私の目線に気づいたプライアー様が私を睨む。
「婚約者にはドレスを贈らず、その妹にドレスを送り、ましてや共にご入場とは。最近の流行りなのですか?私、世間には疎くて存じ上げませんでしたわ」
扇を広げふふふと微笑むとプライアー様が良くぞ聞いてくれたと眉を上げた。
「その件だが、私たちの婚約は白紙に戻そうと思う」
「あら、貴方の一存で決められる事なのですか?」
「こう言いたくはないが、アステル嬢はもう加護の力がないのだろう?それなら双方が結婚するメリットがもう無いと思うのだが」
「加護を持つ乙女を求め、力が無くなったからはいさようなら?それは随分なのでは無いですか?」
イラついたように片眉を上げてみせる。ターシャが怖がるように目を伏せた。母に似たこの顔だから出せる迫力だ。
「私が言いふらすとは思わないのですか?プライアー家ご子息ストルアン様は、一度婚約者と認めたはずの女に力がないと分かったら簡単に捨てる非道なお人だと」
周りの生徒はもうすっかり私の言葉に聞き入っている。
「何も反論はないのですか?」
プライアー様は妹を守ってくれる良いひとだ。他の遠巻きに見ていた生徒とは違い、私にも臆せず発言できるほど強い。だがこのままでは私が言い負かしてしまう。
「ターシャ。あなた、もしかしてプライアー様と幸せになれるとは思っていないでしょうね?」
「アステル嬢!自分の妹をコケにするのはもうよすんだ」
プライアー様が一歩前へ出る。
「何か言ったらどうなの?立派な口が付いているでしょう」
構わず妹に話しかける。ターシャに近づこうとするが、プライアー様が立ちはだかっている。どうしたものか。
「姉の婚約者を奪ってごめんなさいとも言えないの?謝れば許してあげない事もないわよ?」
咄嗟に動けるようにヒールの低い靴を履いてきたが、目の前には男性2人だ。どうやってターシャの元へ近づいたら良いだろう。
「ストルアン様……」
思いがけずプライアー様を脇へ避けたのはターシャだった。未だ私を警戒する彼を妹は大丈夫だ、と目線で訴えた。
「お姉様。本当にごめんなさい」
ターシャが深く頭を下げた。私の母なら良い気味だとほくそ笑む所だろうが、私にしてみれば不快極まりない。謝らせている自分自身が憎い。
「今まで、私……薄々気づいていたんです。だって、あの扇で叩かれた時だって……」
妹を折檻していたのは事実だったのだと、周りの生徒たちがざわついた。
「あら、私が貴方を叩いた事と今と何の関係があるっているの?」
「わ、私……ずっとお姉様に言わなきゃいけなかったこと、が……」
ターシャの瞳が涙でうるみ始めた。ちょっと待て、彼女は何を言おうとしているんだ。このままでは計画が。
「貴方は!!!」
私の大声にターシャがびくりと肩を震わせて目を大きく見開いた。涙がポロリと床に落ちる。
「貴方はいつもそうやって私を一番の悪者にするのよ!!!その私は何も悪くないって顔がムカつくのよ!!!」
私は右手を大きく振り上げ妹の頬を強く打った。渾身の一撃で、ターシャはそのまま床にへたり込んだ。
私が彼女を本気で叩いたのは今が初めてだ。
ターシャも衝撃で呆然としている。
「アステル嬢!!何をしている!!」
怒りと心配がないまぜになった様子でプライアー様がターシャを助け起こす。彼についていた騎士が2人を守るように私の前に立ちはだかった。
「この件はそちらの両親にも伝えさせてもらう」
驚いた。この場で婚約破棄されるものと思ったが、きちんと段階を踏む冷静さはあるらしい。この人ならきっと妹を任せても大丈夫だ。
「どうぞお好きに」
私は痛む右手をさりげなく庇いながら会場を出た。
ありがとうございました!