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伯爵令嬢『LOG』を読む ~乙女ゲームの主人公には負けません!~

 見たことのない景色の筈なのに、何故か既に知っていると感じる――。

 強烈な既視感(デジャヴ)に襲われて、シルビア・スカーレットは輝くルビー色の瞳をしばたたかせていた。

 魔法を学ぶ王立魔法学院オデュセイア。その長く続く廊下での出来事であった。


「どうした、シルビア?」


 急に立ち止まったシルビアの顔を、整った顔立ちの青年が覗き込む。

 青年の名前はオリオン・ゴールドロック。

 短く切り揃えられた銀の髪と、透き通る海を溶かしたような碧の瞳の美青年は、シルビアの婚約者でもある。


「……いえ、何でもありませんわ」


 シルビアは肩に掛かった自慢のハニーブロンドを右手でかき上げると、深く息を吸って吐き出した。腰まで伸びた長い髪の毛がふわりと揺れる。

 手にした派手な装飾の施された(おうぎ)を開き、表情の変化を悟られまいと口元を覆い隠した。


「話の続き、よろしくて?」

「ん? ああ、そうだな。先ほどの続きだが、君に今年の生徒会副会長を頼みたい。構わないだろうか」

「えぇ、勿論構いませんわ。喜んでお受けいたします」


 言って、シルビアは内心ひどく衝撃を受けていた。

 オリオンから生徒会副会長の話を振られたのは、今日この瞬間が初めてである。しかしシルビアには、既にこのやり取りが行われているという記憶が存在しているのだ。

 これも既視感(デジャヴ)の一種に違いない。

 そう自身に言い聞かせてみるも、シルビアは次々と繰り広げられる目の前の光景に言葉を失っていく。


 階段の前で出会う、クラスメイトの女子三人。

 別れの言葉を告げて立ち去るオリオン。


(それでは、また放課後に)

「それでは、また放課後に」


(ごきげんよう、シルビア様。聞きまして? 我がクラスに転入生が来るそうですわ)

「ごきげんよう、シルビア様。聞きまして? 我がクラスに転入生が来るそうですわ」


 クラスメイトの少女達に無難な返事をしながら、シルビアは扇の下に隠した唇をきつく結んだ。

 初めて耳にする会話の筈が、記憶の中の会話と重なってしまう。シルビアの戸惑いは最高潮に達しようとしていた。


既視感(デジャヴ)というものはこんなにも長く続くものでして!? 一体、どういうことですの!)


 それでもシルビアが冷静でいられたのは、彼女がスカーレット家の侯爵令嬢だからであろう。

 貴族の娘として幼いころから叩き込まれてきた家訓の一つ、何時如何なる時も冷静沈着であれ。

 故に感情を表に出すことは、はしたない事なのだと言われ続けた結果、シルビアは周囲から鉄仮面の乙女と呼ばれるまでに無表情を貫くに至ったのである。


 そんなシルビアとて、心の中では大いに慌てふためく。

 彼女を混沌の渦に叩き込んだ決定打は、朝のホームルームで姿を現した転入生だった。


 高くもなければ低くもない平均的な身長と、小動物を思わせる大きな瞳。

 髪の毛は顔に掛かるサイドだけ少し伸ばしたショートボブで、柔らかなキャラメル色が目に付いた。


 シルビアから見れば平平凡凡を絵に描いたような容姿である。一目見ただけで忘れてしまうような、記憶にも残らない立ち姿。

 しかしシルビアは愕然とした。

 そんな彼女の姿を知っていたのだ。


(……アリア・ブルーローズ)


 ひっそりと息をのみ、心の中で知る筈のない名前を呟く。

 その答え合わせはすぐの事だった。


「アリア・ブルーローズです。よろしくお願いします!」


 元気よく頭を下げるアリアの姿に、シルビアは倒れてしまいたくなる。

 最早、既視感(デジャヴ)などという言葉では片付けられない異常事態であると認識し、シルビアは原因を考える。しかし何一つ心当たりのないシルビアは、早々に行き詰ってしまった。


(本当にどうなっておりますの!? どなたかが(わたくし)に、記憶が曖昧になる魔法でも掛けたと仰いますの……!?)


 堂々巡りの思考に陥りながらも、表面上は平然とした様子で魔法学の授業を受け、実技をこなし、あっという間に昼食の時間を迎えていた。

 お供しますわといつも通りに付き従うクラスメイトを三名ほど引き連れて、シルビアは食堂へ移動を始める。その足を止めたのは、階段の踊り場に差し掛かった時だった。

 階下で向き合うアリアとオリオンを見掛けたのだ。


「オリオン様! あの、お時間があれば私と一緒に食堂へ参りませんか?」

「……礼儀がなってないな。すまないが、君と話している時間はない」

「そっ、そんな! お待ちください、オリオン様!」


 素っ気ない素振りでアリアとの対話を打ち切るオリオンの姿に、シルビアは内心、胸を撫で下ろす。

 理由は二つ。この光景には既視感(デジャヴ)を覚えないこと、婚約者が他の女性の誘いを断ったことに安堵したのだ。


 取り残されたアリアはその場に立ち尽くし、握り締めた拳をわなわなと震わせていた。その仕草の粗雑さにシルビアが思わず眉根を寄せた、その時。


「……間違えた。システム・オープン、ロード」


 アリアが呪文の様な言葉を唱える。

 シルビアは聞いたこともない言葉に驚くが、この直後、更なる驚愕がシルビアを襲う。




「……は?」


 二度、三度瞬く。

 シルビアは、自身の目の前に広がる光景に愕然とした。

 今まさに、朝のホームルームが始まろうとしていたのだ。


「シルビア様? いかがなさいまして?」


 隣の席に座るクラスメイトに声を掛けられ、シルビアは思わず肩をびくりと震わせた。

 直後、淑女にあるまじき仕草であったと反省し、気付かれないように深く息を吸って吐く。


「少し考え事をしていただけですわ。どうぞお気になさらず」


 いつもの冷静さで返せば、それは失礼致しましたと慌てた様子で返されて事なきを得る。


(どうなっていますの!? 先程まで、既にランチの時間になっていた筈ですわ……どうして朝になっていますの!?)


 しかし内心の動揺は先ほどの比ではない。

 先程まで昼間だったのに、何故か朝に戻されている。

 今が朝であるという事は、教室内の隅に置かれた背の高い柱時計を見れば一目瞭然の事だった。

 何よりも教室内に入ってきた講師が朝のホームルームを開始するというのだから、間違いが無い。問題なのは、その内容だった。


「アリア・ブルーローズです。よろしくお願いします!」

「ッ……!」


 シルビアはついに口から飛び出しそうになった声を必死に飲み込んだ。

 転入生の登場と自己紹介。それは間違いなく、既に今朝終わった出来事である。

 シルビアは自身の心臓がいやに脈打つのを感じていた。こんなにも気持ちの悪さを感じるのは、生まれて初めての事だった。


 呆然としたままホームルームが終了し、一限目の授業が始まりを告げる。同じ授業の内容であることを確認して、シルビアは一人静かに物思いに耽依る。頭の中でいくら考えても、この異様な現象に対する答えは出ない。

 この現象の始まりは何処であったか。思い返して頭に浮かぶのは転校生のアリアの姿だった。アリアがオリオンとの会話の後、口にしていた言葉を思い出す。


「システム、オープン……?」


 アリアが口にしていた言葉を、無意識の内にシルビアの唇が紡ぐ。

 途端、目の前の光景が一変した。

 シルビアの視界一杯に、青白く光る四角いフレームが現れたのだ。

 その中央には同じく青白く光る模様の様なものが並んでいる。


 縦一列に並ぶそれは、『SAVE』『LOAD』『LOG』『EXTRA』と書かれていた。


 それらはこの世界には存在しない文字であり、シルビアには模様の様なものにしか見えていない。意味など分からない筈である。しかしシルビアにはその模様が文字であること、そしてなんと書かれているのかが認識出来てしまっていた。


「えっ、なぁっ……、ど、どういうことですの……っ」


 あまりにも非現実的な光景を前にして、シルビアは顔面蒼白になりながら四方を見渡す。

 首を振ると、動きに合わせて目の前のフレームと文字も移動する。


「なんですのこれは! 邪魔ですわよ!」


 視界を遮る表示物を追い払おうと手を振るも、空を切るばかりで意味がない。


「どなたか! 何が起こっているのか教えていただけませんかしら!?」


 最早なりふり構ってはいられないと、思わず立ち上がって声を張り上げ助けを求める。

 しかしその声に反応を示す者は誰もいない。それどころか、誰一人として身動きをしていないことにシルビアはようやく気が付いた。


「止まっている……? これは時間停止の魔法の類ですの……? そんな高度な魔法がどうして……術者は?」


 ぶつぶつと呟きながら、シルビアは少しずつ冷静さを取り戻す。

 椅子に腰を下ろすと、恐る恐る目の前に表示されたままの文字列に目を向けた。

 よく見れば、『SAVE』『LOAD』は灰色で書かれている事が分かった。

 青白く光っているのは『LOG』『EXTRA』の二つ。シルビアはそろりと伸ばした指先で、『LOG』の文字に触れた。


 ひと際強く文字が光る。

 一瞬、視界が真っ白に染まり、次の瞬間にはフレームの内側一杯に模様の様なものが並んでいた。その全てがシルビアの知らぬ文字であるのだが、これもまた自然と書かれている内容が認識できてしまっていた。


(名前と……これは会話の内容……? そしてこちらは、行動を転入生の主観で記したもの……かしら)


 目を細めて記された内容を読み解いていく。

 書かれている文章の一文を例として示すならば、こう言ったところだ。



※  ※  ※


>周回データ作成

>新規セーブデータを作成しました。


 朝が来た。転入初日、快晴なり。

 楽しみ過ぎてちょっと寝不足なこと以外、特に問題なし!

 いよいよこの王立魔法学院オデュセイアでの生活が始まる。

 大勢のクラスメイトを前にして、私の緊張は最高潮に達した。


【アリア】「アリア・ブルーローズです。よろしくお願いします!」


 なるべく元気に挨拶をしてみたけれど、反応はイマイチだった。

 この魔法学院において、私は異端者であることは間違いない。

 だからこそ、一日でも早くみんなに認めてもらえるように頑張らなくっちゃ!


※  ※  ※



 シルビアは考え込むようにしながら、記された文章に目を通す。

 伸ばしたままの指先で、恐る恐る目の前の文字に触れた。


「アリア・ブルーローズです。よろしくお願いします!」


 突然アリアの声が響き、シルビアは気が動転する。


「きゃぁっ!? しゃべっ、喋りましたわよ!?」

「アリア・ブルーローズです。よろしくお願いします!」

「分かっていますわよ! 何度も仰らなくても結構ですわ!」

「アリア・ブルーローズです。よろしくお願いします!」

「アリア・ブルーローズです。よろしくお願いします!」


 繰り返されるアリアの言葉に、シルビアはまさかと文字から指を離す。

 すると繰り返されていた声はぴたりと止んで、静寂が戻ってきた。

 まさかと確認するように、シルビアは再び文字を押した。


「アリア・ブルーローズです。よろしくお願いします!」


 そこでようやくシルビアは、指先で触れた文字が音声付きで再生されているのだと気が付いた。

 不思議に思いながらも、シルビアは試しにと会話文ではない部分に触れてみる。しかし、何も反応がない。

 どうやら声で再生されるのは誰かの口にした言葉だけだと理解して、シルビアは何げなく指先を上へ向けてつうと滑らせた。指の動きに合わせて、文字列が一気に下へ流れていく。

 またしても知らない動作に目を丸くしていると、シルビアは流れて来たある一文に目を見張った。



※  ※  ※


 廊下に出ると、この学院きっての天才魔導騎士オリオン・ゴールドロック様を見つけた。

 キラキラと光を反射する銀の髪。青空の様な青い瞳がとてもキレイ。

 魔導騎士とは、文字通り魔法と剣技の両方を扱う騎士のことを言う。

 オリオン様はまだ学生だから、正式な騎士ではないのだそう。


>ランチに誘う


 せっかくの機会だから、私はオリオン様をランチに誘ってみた。


【アリア】 「オリオン様! あの、お時間があれば私と一緒に食堂へ参りませんか?」

【オリオン】「……礼儀がなってないな。すまないが、君と話している時間はない」

【アリア】 「そっ、そんな! お待ちください、オリオン様!」


 オリオン様は怒った様子で立ち去ってしまった……。


>セーブデータのロードをします。

>ロードが完了しました。


 朝が来た。転入初日、快晴なり。

 楽しみ過ぎてちょっと寝不足なこと以外、特に問題なし!

 いよいよこの王立魔法学院オデュセイアでの生活が始まる。


※  ※  ※



「これは、どういうことですの……」


 冒頭は、シルビアも目にしたオリオンとのやり取りの様子である事が分かる。

 問題はその下に記された文字だった。

 セーブデータのロード。シルビアにはこの意味が分からない。しかしロードが完了したと書かれた言葉の後に続くのは、朝の出来事なのだということが読み取れた。


(彼女がオリオンと会話をしていたのは間違いなく昼間でしたのに。どうして朝に?)


 ロード。

 不意に、この文字列には記されていないアリアの言葉を思い出す。

 システム・オープン、ロード。確かにアリアはそう言ったのだ。


(わたくし)がシステムオープンと口にした途端、この妙なものが目の前に現れましたわね。つまり彼女にもこの妙なものが見えている……?)


 シルビアはフレームの下に小さく表記された『LOAD』の文字に目を向ける。

 灰色のままの文字に恐る恐る手を伸ばし、指先で触れてみるが反応はない。

 シルビアは唇に指を宛がい、考え込む。

 朝から感じ続けている強烈な既視感(デジャヴ)。転入生の謎の言動。繰り返された朝。そしてこの異常な状況。

 それらは全て共通する事象からきているものなのではないのだろうか。


(……転入生に話を聞くしかありませんわね)


 何やらひどく面倒なことに巻き込まれているのではないかと、シルビアは深いため息を吐き出した。


「しかし……この邪魔なもの、どうすれば消えますの!? 消えなさい! 戻りなさい!」


 視界を占領するフレームと文字にシルビアは怒りの声を上げる。

 手にした扇をビシッと突き付けながら命令を下しても、目の前の光景が変わる様子は一切無い。


「ええい! システム・クローズ! これでどうですの!?」


 オープンと呟き目の前の光景が変化したのなら、その逆を言えばよい。

 そう考えて叫ぶように口にした直後、シルビアの視界からフレームも文字列も消え去り、世界が動きと音を取り戻した。


「……ッ!」


 シルビアは口から飛び出しかけた叫び声を必死の思いでのみ込んだ。

 戻ってみれば丁度授業の最中であり、ここで声を上げてしまえば注目を浴びることは必須。それはシルビアのプライドが許さない。手にした扇を開き、驚きに微かに震える口元を覆い隠す。

 動揺が周囲に悟られていないことを確認して、それからちらりと横目でアリアに視線を向けた。


 自身の斜め前に座るアリア・ブルーローズ。

 彼女の様子におかしな点は今のところは見られない。


(わたくし)と同じものが見えていたとしても、それを共有している訳ではない……ということかしら?)


 それともアリアもまた自身と同じく平静を装っているだけなのだろうか。

 疑問を解消するためにも、アリアに接触する必要があるとシルビアは決意を固めた。




 授業が終わりを告げて、ランチタイムが始まる。

 アリアの元へ向かおうとするシルビアの元に、クラスメイトの女子三人が集ってきた。


(あぁ、確か転入生とオリオンを見掛けたのは、彼女達と食堂へ向かう途中でしたわね)


 シルビアは三人の誘いを丁重に断ると、急ぎ足で既に教室から消えたアリアの後を追った。


 シルビアがアリアを見つけたのは、やはり階段の下だった。

 アリアはオリオンと向き合い、会話を始めようとしている。

 どうせアリアはオリオンを不快にさせるだけなのだからとシルビアは高を括って踊り場から二人の様子を見下ろしていたが、聞こえてくる会話の内容に思わず目を丸くしてしまった。


「初めまして、オリオン様。私、転入生のアリア・ブルーローズと申します」

「ああ、君が転入生か。私はオリオン・ゴールドロック。この学院の生徒会長を任されている。何か分からない事があれば、生徒会を頼ると良い」

「はい! ありがとうございます。何かあった時にはお言葉に甘えて頼らせてもらいます!」

「フッ、そうするといい。それでは失礼させてもらう」

「はい!」


 先程目撃した会話とは真逆の展開に、シルビアは唖然とする。

 この光景に既視感(デジャヴ)を感じることは無い。それもまた不思議なことだと思いながら、シルビアはオリオンの姿が見えなくなるまで立ち尽くしているアリアに近付いた。


「アリア・ブルーローズさん。少しよろしいかしら」

「えっ、は、はい。何か御用ですか、シルビア様」

「……? 貴女、(わたくし)の名前をご存知ですのね?」


 まだ名乗ってもいないのに、アリアが自身の名前を知っていたことにシルビアは驚き、問いただしてしまう。

 アリアは一瞬表情を硬くするが、すぐに朗らかに笑って答えてみせた。


「学院一の才女、シルビア様のお名前は有名ですから!」


 あからさまに嘘をついていると感じながらも、シルビアは敢えて疑念を飲み込む。


「まぁ、良いでしょう。私が聞きたいことは一つ。貴女、何か特別な魔法の使い手でいらっしゃるのかしら?」

「特別な魔法、ですか? いえ、私はただの風属性魔法の使い手です。そんな特別な事なんてありませんよ~」

「でも貴女、聞きなれない呪文を唱えていましたでしょう?」

「えっ? いつの話ですか?」

「オリオンとの会話の後ですわ。何と言いましょう、今のオリオンとの会話ではなく、以前のと申しますか……」


 言っていて、おかしなことだとシルビアは頭痛を覚える。

 説明に窮するシルビアが不意に息をのんだ。


「ア、アリアさん……?」


 顔面蒼白と言ってもいい程に顔色を悪くしたアリアを前にして、シルビアはつい臆する。

 先ほどまでアリアの顔に浮かんでいた小動物のような愛らしさは消え失せ、限界まで開かれた瞳がアリアが受けた衝撃を物語っている。奥歯をきつく噛み締めているのか、唇が小刻みに戦慄(わなな)いていた。

 体全身を強張らせるアリアに、シルビアは恐怖を感じて後退る。

 アリアは唇を震わせながら犬歯をむき出しにして、突然シルビアに噛み付いた。


「あ、あんたねっ! 私から『LOG』機能を奪ったのは!?」

「なっ、何を仰いますの!?」

「ログで読んだんでしょっ、ロード前のやり取り! なんでよりによってシルビアに……ッ、でもログ機能だけだったら何も出来ないよね、読み返すしか出来ないんだし」


 ぶつぶつと独り言を鬼のような形相で呟きだしたアリアに、シルビアは肝の冷える思いを抱く。

 シルビアには目の前の少女アリア・ブルーローズが、得体の知れない怪物に見えたのだ。


「いいよわ、ログ機能くらいあんたにあげる。どうせ何のことか分かんないでしょう? 特別に私の物語を読ませてあげる……! システム・オープン、セーブ!」


 アリアの掛け声を受けても、シルビアの視界は変化しない。

 アリアの醜態を目の前に冷静さを取り戻したシルビアは、どうやらあの奇妙なフレームは二人の間で共有されている訳では無いことを確信した。


「いい? シルビア・スカーレット。何かしようなんて思わないで。私はこのゲームを終わらせないといけないの……!」


 ふんと大袈裟に鼻を鳴らして顔を逸らすと、アリアはいつの間にか集まった野次馬の生徒達を退けて、足早にシルビアの前から立ち去った。

 一人残されたシルビアはしばし呆けた後、手にした扇の側面を反対の手の平にバチンッと音が鳴る程に激しく叩きつけた。

 集っていた生徒達が思わず肩を震わせる。誰もがシルビア顔色を窺い、そして即座に視線を逸らす。

 シルビアの顔に浮かぶ表情は鉄仮面の乙女の呼び名に相応しく、無であった。




「なんっっっですの!! あの態度! (わたくし)がスカーレット家の娘であるから黙っていられましたが、そうでなければ血の雨が降っていましてよ!?」


 一日の学業を終え、帰宅したシルビアは自室に戻るなり盛大に怒りをぶちまけた。

 侯爵家の令嬢に相応しい品の良い調度品で飾られた一人部屋は、シルビアたっての願いで防音設備完備である。普段、人前で感情を露わにしないシルビアが唯一むき出しの感情を出せる場所がこの部屋なのだった。


(しかしこれで彼女がこの一件に関わっている事は確実ですわね。ログ機能、でしたかしら。奪ったなんて失礼極まりないことを口走っていましたけれど、それも元々は彼女の力で何故か私に移った……ということになりますの?)


 もしも真実そうだとしても、シルビアにしてみれば至極迷惑な話だった。

 望んで得た能力ではないのだ。巻き込まれたに過ぎない。

 アリアに一方的に捲し立てられたことを思い返し、シルビアは益々悔しさが湧いてきた。


「システム・オープンですわ!」


 アリアが対話不可能な存在であるのならば、自力でどうにかするしかない。

 シルビアは何か解決策が潜んではいないかと、再び『LOG』の文字に触れた。



※  ※  ※


 廊下に出ると、この学院きっての天才魔導騎士オリオン・ゴールドロック様を見つけた。

 キラキラと光を反射する銀の髪。青空の様な青い瞳がとてもキレイ。

 魔導騎士とは、文字通り魔法と剣技の両方を扱う騎士のことを言う。

 オリオン様はまだ学生だから、正式な騎士ではないのだそう。


>挨拶をする


 せっかくの機会だから、私はオリオン様に挨拶をした。


【アリア】 「初めまして、オリオン様。私、転入生のアリア・ブルーローズと申します」

【オリオン】「ああ、君が転入生か。私はオリオン・ゴールドロック。この学院の生徒会長を任されている。何か分からない事があれば、生徒会を頼ると良い」

【アリア】 「はい! ありがとうございます。何かあった時にはお言葉に甘えて頼らせてもらいます!」

【オリオン】「フッ、そうするといい。それでは失礼させてもらう」

【アリア】 「はい!」


 オリオン様は爽やかな笑みを残して立ち去った。

 生徒会かぁ。きっと頼りになる方達ばかりなんだろうなぁ。

 困った時には生徒会室まで行ってみよう。


>セーブをします。

>セーブが完了しました。


 ランチタイムを過ごした私は、午後の授業を受けるべく教室に戻った。

 午後からもがんばろう!


※  ※  ※



 序盤は以前も目にした文面と同じだか、後半がまるで違うことにシルビアは小さく唸る。


(前回は挨拶も無しに食事に誘い、オリオンの不興を買っていましたが、今回は挨拶をすることでオリオンに不快感を抱かせないようにしている……? 状況をやり直している、とでも言いますの?)


 過去はやり直しが効かず、時は巻き戻らない。

 いかにこの世界が高度に発達した魔法文明社会であるとはいえ、それは絶対のルールであるはずだった。

 時を操る魔法も使い手も、未だに見つかってはいない。存在していたとしても危険すぎると抹消されるのが関の山だろう。

 そんな危険な存在が自分たちの身近にいるのかもしれない。

 その事実にシルビアはゾっとしたものを覚えた。


(前回はロード、でしたわね。……セーブとロード。ロード後は時間が戻ったような表記が続きましたが、セーブ後は普通に時間が流れている……。文字の意味通りに受け取るのならば、ロードは何かを読み込んでいて、セーブはその状況を記憶している。何を読み込んでいるのか……セーブを読み込んでいる? そんなことがあり得ますの?)


 シルビアは指を滑らせ、過去の記録にも目を向けた。

 しかしながら、転入初日よりも前の記録は記されてはなく、シルビアは肩を落とす。

 他に何か手掛かりはないかとあれこれとフレーム内を触っている内に、四つの項目の並ぶ一つ前の状況に戻ってしまった。

 青白く光る『LOG』『EXTRA』の文字。

 そう言えば『EXTRA』にはまだ触れてみたことがなかったと、シルビアはそろりと指を伸ばした。

 『EXTRA』の文字が弾け、目の前が白く染まる。眩しさに目を瞑り恐る恐る開くと、またしてもシルビアは呆然とした。


「なん……ですのこれは……」


 フレーム内には横に長い小さな長方形が並んでいた。縦三個、横五個と並んだ長方形はまるで写真のようにシルビアには見えた。(※この世界の写真とは、魔道具と呼ばれるアイテムを用いて作り出される真に迫る写実的な絵のことを指す)


 しかし次の瞬間には疑問が湧く。そこにはアリアや生徒会メンバーの姿が描かれていて、シルビアは小首を傾げた。転入生であるアリアがこんな写真を撮る機会などない筈なのだ。

 シルビアはこれもまた触れられるのだろうかと手を伸ばす。適当に選んだ長方形に触れた途端、視界一杯にそこに描かれていたものが映し出された。


「転入生とレオンハート様!?」


 ライボルト・レオンハート。

 シルビアと同じく魔法学院に通う、オリオンの親友である。

 筋肉質な分厚い体とライオンの鬣の様な金髪、そして豪快な性格を表す笑顔が特徴的な男である。

 その男がアリアと肩を並べて笑い合っているのだ。


 シルビアは信じられないものを見ている気持になった。

 事実、有り得ないのだ。

 それは何もアリアとライボルトが仲睦まじくしている様子を指して指摘している訳では無い。今の季節は春である。しかし写真の中の二人は、夏用の制服を身に纏っているのだ。

 転入してきたばかりのアリアの、夏服を着た写真が存在している。

 そのこと自体が有り得ないことなのだ。


 じわりと恐怖がシルビアに忍び寄る。いつしか無言になって、緊張に息を飲みながらシルビアは他の写真を見るべく『RETURN』と書かれた文字を押す。目の前に再び大量の写真が表示された。

 一通り全体を見渡すと、最上段の写真列上部には1から15までの数字が並んでいることに気が付いた。数字に触れると表示が切り替わることから、どうやらこれがページ番号の役割を果たしていることを察する。


(それにしても破廉恥ですわ……! どうして転入生は多数の殿方とこんなに写真を撮っておりますの!?)


 ライボルトのみならず、クラスメイトの少年に真面目な下級生、学院一の不良少年にあまつさえ教師とすら写真を撮っているのだという。

 しかしシルビアが殊更に驚愕したのは、数多の写真の中に存在する自身の写真だった。

 悪い顔をしたシルビア、愕然とした顔のシルビア、背を丸め学院を去るシルビア……。

 あまりにも現実離れした写真の数々にシルビアはとうとう憤慨した。


「なんっですのこれは!? このっ、この(わたくし)がこんな辱めを何故受けねばなりませんの!?」


 ついに声に出して絶叫して、シルビア手に持った扇を両手で握り締めた。

 ミシミシと音を立てて扇がしなる。その音が耳について、シルビアはハッとして力を抜いた。


(わたくし)としたことが、なんと無様な……。何時いかなる時も冷静であれ。まさに今こそ、そうあるべき瞬間ですわ)


 ふぅと息を吐いて、シルビアは心を落ち着けるべく軽く目蓋を閉じた。

 視覚からの情報の一切を閉ざし、思考の海を泳ぎ出す。


(落ち着いて状況を整理いたしましょう。まずあの写真の数々。転入生が夏服を着ている写真が存在する時点で、有り得ない写真ですわ。そしてその有り得ない光景は、何故か他の殿方の分も存在している)


 シルビアはゆっくりと目を開けて、改めて目の前に広がる光景に向き合った。

 落ち着いて一つ一つを見ていくと、数多の写真の並びに法則性があることに気が付いた。



 一つ、アリアと特定の誰かとの写真は、一人当たり二ページ分に渡る。

 番号の1、2はライボルト、3、4はクラスメイトの少年、5、6は下級生……と言った具合だ。

 10までは写真が隙間なく列挙されているのだが、11、12は一枚のみ掲示され、残りのページは一部空白があるといった様子だった。

因みに、シルビアが映る写真は13に纏められている。



 一つ、写真は春夏秋冬で時系列が進む並びになっている。

 これは制服のみならず、写真に写り込む自然物などからも判断が出来る。



 一つ、時系列が進むにつれ、アリアと男性陣との関係が親密になっている。

 顔を見合わせる様子から始まって、次第に物理的な距離感が近くなる写真ばかりだった。

 中には何か大きな事件や事故でもあったのだろうか。怪我をしている様子も描かれていた。

 詳細を察することはシルビアには不可能だったが、それでもアリアと男性陣がそれらの出来事を乗り越えて親密な関係になることだけは、後半に並ぶ写真を見れば判断できることだった。



(こんな複数の男性と……破廉恥どころではありませんわ……)


 アリアに対して嫌悪感を抱きながらも、アリアが同時に複数の男性と交際をしていたわけではないという考えに至る。

 五人もの男性と同時に関係を持っていれば、少なからず破綻をきたすものである。しかしそういった様子が描かれた写真は存在しない。これにはシルビアの主観的な考えも含まれるが、魔法学院で学びながら一年間の間に複数の男性と関係性を持つのは肉体的、精神的にも不可能であると断じざるを得なかった。


(同時交際ではないとすれば、並行的に行われている……? い、いえ、そんなことは有り得ませんわ。大魔導師グローリアス様が著書にて並行世界の存在を否定なされていた以上、世界は全て同一時間軸上にしか存在しえませんわ)


 シルビアが脳内で思い出したのは、魔法学最高権威者である大魔導師グローリアスが記した著書の内容だった。

 魔法とは何か。その原理とは。魔法の成り立ちに触れる中で、世界の理にも言及したグローリアスはこう記している。


『世界は一本の糸である。観測者たる神の目は常に一つ。複数の世界が同時に存在することは無い。故に世界は成り立つのだ』


 この世界において、神の存在は公的なものである。しかしながら神が世界を観測しているという事実は、このグローリアスの著書により広められることとなった。

 シルビアは勿論のこと、この世界に住む者であればグローリアスの言葉を疑う者はいない。

 故に、世界は一つなのである。


(神が観測する世界が一つである以上、写真の出来事は全て同一時間軸上で起きていると言いますの? それではやはり、転入生は時間を操れる……あっ!)


 唐突にシルビアの体に衝撃が走る。

 急いた様子でフレーム内に触れてどうにか『LOG』を呼び出すと、不慣れな手つきで一度見た文字列を探してフレーム内をぺたぺたと触った。

一番最初に『LOG』内で目にした文字列を見つけて、シルビアは眉をひそめた。



>周回データ作成

>新規セーブデータを作成しました。



(初めてこの文字列を見たときは、転入生の音声再生に驚いてしまい失念していましたけれど、この文字列……。周回データ、というものの意味は分かりませんが、新規セーブデータ……ここまでの経緯を考えれば、この時点で世界は一度記録をされているといこうになりませんかしら。そして、転入生はロードというものでその記録を呼び出している。つまり誰かとの親密な関係性が達成されるたびに、転入生は最初の日に戻っている……)


 突飛もない考えだとシルビアは自身でも思う。

 しかし、最早その突飛のない思考にこそ答えがある気がしてならなかった。


(転入生により、世界は同じ時間軸を何度も繰り返している。もしかして(わたくし)が強烈な既視感(デジャヴ)を覚えたのはその影響ですの? 何らかの原因で転入生の力の一部が(わたくし)に移ってしまった。その為に本来ならば知覚出来ない筈の、繰り返された世界を既視感(デジャヴ)として知覚してしまっている。……いやですわ。御伽噺(おとぎばなし)でも思いつきませんわよ、こんな非現実的な事は)


 けれども辻褄が合ってしまうことにシルビアは戦慄した。

 時を巻き戻すに等しい力。その力を持って、アリアは手当たり次第に男性を篭絡しているという現実。

 ここにきてシルビアは空白ばかりの写真のページ、11、12の存在が気に掛る。11に唯一、掲示されている写真には、オリオンの顔が写されていたのだ。

 婚約者であるオリオンもまた、同様にアリアと親密になっていくというのだろうか。

 想像して、今までに感じたことのない怒りがシルビアの胸中を満たした。


「……それだけは許しませんわ。絶対に!」


 怒りに震えながらシルビアはシステム・クローズと呟いた。

 目の前の景色が元に戻り、シルビアはため息を一つ吐き出した。

 透かし彫りの施された二人掛けのソファに腰を下ろし、シルビアは考え込む。

 強大な力を持つ相手に自分は何が出来るのか。

 ここまでの経緯を誰かに説明したとしても、信じてもらうことは不可能だろう。


既視感(デジャヴ)を持ち、『LOG』により状況の全てを把握できるのは(わたくし)のみ。つまり、オリオンを転入生の魔の手から守護出来るのは(わたくし)のみ――)


 シルビアの中に静かな決意の火が灯る。

 婚約者として。そして一人の恋する少女としての矜持がシルビアを奮い立たせた。




 翌朝。まずはオリオンに進言をすべく、シルビアは早朝の生徒会室に向かった。

 オリオンという男は真面目を絵に描いたような男である。

 生徒会会長という職務に真摯に向き合い、朝一番に必ず生徒会室に立ち寄ることをシルビアは知っていた。


 生徒会室の扉をノックして、シルビアは戸を開けた。

 中にはやはりオリオンが居て安堵する。しかしオリオンの他にもう一人居ることに気が付いて、顔色を変えた。


「アリア・ブルーローズ……!? 何故、貴女がここに……っ」


 思わず驚きが声に出る。

 生徒会室の長机に向かい合って座っていたオリオンとアリアがシルビアを見た。

 オリオンは顔に笑みを浮かべると、立ち上がり、シルビアの前へ移動した。


「おはよう、シルビア。今日も良い朝だね」

「ぇ、ええ、おはようございます。あの、彼女は……?」


 シルビアの視線がアリアへ向いていることに気が付いて、オリオンは小さく頷いた。


「あぁ、校門の前で出会ってね。学校の事をより詳しく知る為に、早朝から登校をしたそうだ。意欲のある学生を放っておくことは出来ない。少しばかり校内の説明をしていたところだよ」

「そう、ですの」


 シルビアの声が上擦る。

 会話が途切れるのを待って、アリアは立ち上がり声を上げた。


「おはようございます! シルビア様」


 アリアの明るく元気な後輩然とした態度に、シルビア苛立ちを隠せなくなった


「……えぇ、おはよう。アリアさん、貴女、一体どういうおつもりなのかしら?」

「え?」


 明らかに険のあるシルビアの物言いに、アリアはたじろいだ様子を見せる。

 シルビアにはアリアの態度が演技であること分かっているだけに、余計に苛立ちが募った。

 胸元で腕を組んだシルビアは、見下すような高圧的な視線をアリアへ向けた。


「婚約者のいる殿方と同じ空間に二人きりというのは、いささか節度に欠けるのではなくて?」

「それはっ、……すみません。私、そんなつもりはなくて……」


 しゅんと肩を落として気落ちした様子を見せるアリアに、シルビアは思わず歯噛みをする。彼女の本質がそんな柔なものではない事を目の当たりにしているからだ。


「止すんだ、シルビア。彼女を生徒会室へ案内したのは私だ。だから彼女を責めるのは筋違いというものだ」

「オ、オリオン……!?」


 オリオンに咎められ、シルビアは思わず目を丸くした。同時にしまったと内心で焦る。

 何も事情を知らないオリオンから見れば、今のシルビアの言い草は無知な転入生に対してひどく意地が悪く聞こえた事だろう。事実、オリオンは少しばかり困ったような顔をしている。

 狼狽えるシルビアを横に、オリオンがアリアへ向き直る。


「すまない、気を悪くしないで欲しい」

「いえっ、シルビア様のお気持ちも考えず、軽率な私がいけなかったんです。すみませんでした」

「いや、私の落ち度でもある。君は気にしないでくれ。これからも気がねなく生徒会を、そして生徒会長の私を頼ってくれ」

「! はい! ありがとうございます! それでは、私、失礼しますっ」


 勢いよく頭を下げて、アリアは生徒会室を小走りに飛び出していた。

 しんと静まり返った室内に、オリオンのため息が響く。


「どうしたんだ、シルビア。君らしくないな」

「それは……その、申し訳ありませんでしたわ……」


 腕を握る指先に力を込めて、シルビアが呻くように呟く。

 震える声色に、オリオンは不安そうな面持ちでシルビアの顔を覗きこんだ。


「何か、あったのか?」


 オリオンの顔が間近に迫り、シルビアの胸が高鳴る。

 シルビアとオリオン。

 幼いころから親同士の決めた婚約関係にある二人だが、シルビアは純粋にオリオンを好いていた。

 オリオンの真面目さ、優しさ。そして騎士として日々鍛錬を積むその実直さが、シルビアにとっては愛おしくてたまらないものになっていた。


 ――自分はオリオンと添い遂げる。


 そう信じて止まなかったところに現れた、アリア・ブルーローズという脅威を前にしてシルビアが平静さを失ってしまうのも、また無理もない話なのだった。


(そう、転入生はオリオンを(わたくし)から奪おうとしている。(わたくし)の、(わたくし)の……)

(わたくし)の、オリオン……ですわ」


 ぼそりと呟かれた言葉にオリオンは我が耳を疑った。

 スカーレット家の家訓はオリオンも良く知っていた。シルビアがそれを重んじていることも知っている。

 だからこそ、シルビアの唇から感情のこもる……しかも嫉妬という感情の込められた言葉が飛び出したことに驚きを隠せなかったのだ。

 戸惑いながらもオリオンは笑んだ。それは親しい人にのみ見せる、特別な笑みだった。


 当のシルビアは、どこからともなく扇を取り出すと慌てて自身の口元を覆い隠した。その顔は扇でも隠し切れないほどに真っ赤に染まっている。


「シルビア、君が心配することはなにも無いさ。けれど……嬉しいものだな」

「嬉しい?」

「ああ。普段、感情を隠す君が感情的になってくれた。婚約者として特別なものを感じてしまうのも、無理のない話だろう?」

「まぁ……!」


 オリオンの口説き文句に、シルビアは気恥ずかしさで頭の中がいっぱいになる。

 顔の熱を逃す様に顔を扇であおぎながら、シルビアは密かに胸を撫で下ろした。


 何時からだろうか。シルビアが家訓を重んじるばかりに、オリオンに対しても感情を隠す様になっていたのは。

 シルビアは自身が鉄仮面の乙女と揶揄されている事を知っていた。知っていたからこそ不安だったのだ。鉄仮面と呼ばれる程に表情の変わらない今の自分を、オリオンは果たして好いてくれているのだろうかと。


 その不安が杞憂に過ぎなかった事実がシルビアの心を満たしていた。



 柔らかな空気が満ちる生徒会室の外で、人知れずアリアが歯軋りをしていた。


「何イチャついてんのよっ……! まぁ、いいわ。ルートには入れてるはずなんだし。間違ったとしても、何度だってやり直してやる……!」


 ふんっと鼻を鳴らして顔を背け、アリアはその場を後にした。

 まだ登校時間には早い。教室には誰の姿もなく、考え事をするには好都合だとアリアは席に着いた。


「システム・オープン」


 呟くと同時にアリアの目の前に大きなフレームが現れる。

 縦に並び青白く光る『SAVE』『LOAD』『EXTRA』の文字列。そして灰色の『LOG』を見て、アリアはため息を吐き出した。おもむろに伸ばした指先で『EXTRA』の文字に触れる。

 一瞬、目の前が白濁に染まり、すぐに大量の写真の羅列が現れた。無感動な様子で11と書かれた数字に触れると、フレームの中は空白ばかりになる。表示されているのは二枚の写真のみだった。


(スチル増えてる。アリアとしての行動は間違ってない。ちゃんと進んでる)


 慣れた手つきでフレーム内を弄り、『SAVE』の文字に触れる。

 セーブしました。とフレームの下部に表示され、アリアはようやくホッと一息ついた。


(相手は生真面目生徒会長か。まずは生徒会に入るイベント、これはライボルトの時に条件分かったからいい。……周回させるならステータスの引継ぎもしろってのに……!)


 心の中で悪態を吐いて、アリアは再びおもむろに『EXTRA』に触れる。


(もう試験に必要な内容覚えちゃったけど、システム上、勉強しないとステータス上がんないの本当クソゲーだわ。問題はその後か。夏の合宿でオリオンイベントを発生させる……要求ステータス値、絶対高いだろうね。余計な事してらんない。こまめなセーブで慎重に行こ。……今度は、一回で決める)


 アリアは鬼の形相で目の前に表示された写真群を睨みつけた。

 表示番号は14。

 血まみれになったアリア。剣に貫かれ絶命するアリア。魔法の炎で身を焼かれたアリア。全てを失い虚無に堕ちるアリア――。

 絶望に塗れた自分自身の写真を前に、アリアの目には強い怒りの焔が宿っていた。

 

(こんなクソバッドエンド用意してるゲームなんて……さっさと終わらせてやる!)




 それからシルビアとアリアは互いに表面上は平静を装いつつも、内面では激しい火花を散らしあいながら日々を過ごしている。

 春の終わり際には魔法試験が行われる。技術と学力、両方が試されるというものだ。

 アリアはこの日の為に勉学に身を費やしていた。

 この試験で成績優秀者と認められれば、生徒会役員として招かれる仕組みとなっている。オリオンを篭絡する為には、まずは生徒会役員にならなければならない。

 死に物狂いの勉強が実を結んだのか、アリアの成績は学年一位という目覚ましいものだった。

 ただし、シルビアと同率一位である。


(何でよ!! 今までのルートで、シルビアが一位になることなんてなかったじゃない! ログを読んで、私が猛勉強してるの知ったから!?)


 今までにない展開にアリアはぎりと歯噛みする。

 対するシルビアは平然とした顔で、当然の結果だと受け止めていた。

 アリアの事もあるのだが、シルビアにしてみればこれもまたスカーレット家の家訓が一つ、『淑女たる者、文武両道であれ』という言葉の体現に過ぎなかった。


 試験の結果を受けてアリアが生徒会役員の一因となり、シルビアもまた副会長として本格的に生徒会に関わる様になっていく。

 オリオンを巡り水面下で互いにけん制し合っていた二人だが、事態が大きく動いたのは夏のことだった。生徒会主催による全生徒参加型夏の合宿イベントにて、アリアとオリオンの関係性が大きく動いたのだ。

 合宿の最終日、海で楽しく遊ぶ一同の前に突如として現れた巨大海洋生物クラーケン。

 混乱渦巻く中、アリアとオリオンは魔法と知恵を用いてクラーケンの撃退に成功したのだった。


「ありがとう、君のお陰でこの窮地を乗り越えられた」

「いえ、私はオリオン様のお力になりたい一心で動いただけです。オリオン様がいて下さったからこそなんです」


 そうかと頷き、オリオンは優しさのこもった瞳でアリアを見つめる。

 アリアもまたオリオンを熱のこもる視線で見つめていた。



 他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出す二人を、シルビアは木の陰に隠れて呆然と見つめるしか出来なかった。

 逃げ惑う生徒の誘導をアリアに指示され、シルビアも緊急事態だからとそれに従ったのが間違いだった。


「……どうして。どうしてですの……オリオン!」


 わっと声を上げて泣きたい。しかしシルビアのプライドがそれを邪魔する。


「システム……オープン」


 震える声で呟き、『LOG』を表示する。


「……っ!」


※  ※  ※



 風魔法で海を割いて道を作る作戦、成功してよかった。

 私の魔法で現れた海底を駆け抜けるオリオン様、とっともカッコよかったなぁ。


【オリオン】「ありがとう、君のお陰でこの窮地を乗り越えられた」

【アリア】 「いえ、私はオリオン様のお力になりたい一心で動いただけです。オリオン様がいて下さったからこそなんです」


 オリオン様が優しく微笑む。

 始めてみた、心からの笑顔。

 とても優しいものだから、目が離せなくてしまう。

 あぁ、私。オリオン様の事が好きなんだ――。


>データのセーブをします。

>セーブが完了しました。



※  ※  ※


「止めて頂戴! オリオンはっ、オリオンは(わたくし)の婚約者ですのよ!」


 耐えていたものを吐き出すようにシルビアが声を荒げた。


「何かが出来るわけでもない! こんなっ、こんなものを読まされるだけなんて! 屈辱ですわ! (わたくし)が何をしたと仰いますの……っ!」


 ぼろぼろと両目から大粒の涙を流しながら、握り締めた両手で目の前に表示された文字列を叩く。

 空を切るかと思われた拳が見えない壁に当たり、ガンガンと二度叩かれる。


「こんなっ、こんなものっ……え?」


 シルビアの動きが止まった。

 目をぱちくりとさせ、涙が頬を伝う。流れる涙を拭うこともせずに、シルビアは新たに表示された文字列にくぎ付けになる。


「これ、は……」



>選択したメッセージにジャンプしますか?

『YES』『CANCEL』



 震える指先で、『YES』に触れた。



 次の瞬間、システムが強制的に閉じられ現実が動き出す。

 真夏の海。煌めく砂浜。轟く生徒たちの悲鳴。

 オリオンにより倒されたはずのクラーケンが海から現れ、その巨体を蠢かせていたのだ。


「は? え? なんで?」


 驚愕の声を上げたのはアリアだった。

 シルビアの隣に立つアリアは、目の前の光景に両目を大きく見開き震えていた。

 クラーケンへの恐怖ではない。

 世界が巻き戻されるという、未知の現象を前にした恐怖だった。


「ど、どうして? え? さっき倒したよね? オリオンと一緒に倒して、いい雰囲気になったよね?」

「夢でも見ていらしたのでは?」

「ッ! シルビア! あんたッ! 何かした!?」

「貴女に呼び捨てにされる覚えはありませんわ。生徒会役員たる者、品性の無い姿を晒すのはおやめなさい」

「~~っ! うるっさい! システム・オープン! ロード!」


 アリアの絶叫に似た掛け声とともに、世界が揺らぐ。

 目の前のクラーケンが消え失せ、眼前にはオリオンのシルエットが浮かび上がり……消えた。

 再びクラーケンの姿が明確になり、アリアは怒りに震え上がる。


「はぁ!? なんでっ!? ふざけんなよ!! システム・オープン、ロードォッ!」


 世界が揺らぎ、戻る。

 変わらずクラーケンが目の前に居て、アリアは愕然とするばかりだった。


「あんた……本当に何、したのよ……?」

「……その反応。ご存じなかったみたいね」

「なにがっ!」

「『LOG』の魔法ですわ」

「魔法ですって!?」


 淡々としたシルビアの言葉に、アリアは急に体中が冷えていくのを感じた。

 元々は『LOG』もアリアのものである。しかしアリアは『LOG』を見返す事が少なかったのだ。

 出来事を読み返すだけの機能。その認識が覆されている。

 アリアの足が震えた。


「知らない……ログなんて、ただの記録じゃないの!?」

「ええ、記録ですわ。ただし、再現が可能な記録でしてよ」

「再現……、まさか!? 読み込みなおせるっていうの!? ログを!!」


 シルビアの唇が弧を描く。

 優雅で気品に溢れた笑みに、アリアは言葉を失った。


「アリアさん。いくらでもロードなさい。その度に(わたくし)はこの時点に戻しますわ。いいえ、何でしたらもっと前……そうですわね、貴女が転入してきた日に戻っても構いませんのよ」

「システムオープンッ! ロード!」


 世界が揺らぎ、戻る。


「ロード!」


 世界が揺らぎ、戻る。


「ロードぉ! ロード、ロード、ロードぉぉおっ!」


 世界が揺らぎ、戻る。

 転入初日の朝、アリアはクラスメイトを前にして立ち尽くす。


「う、うあぁぁああぁぁあっ!!」

「ブルーローズさん!?」


 驚きを露わにする講師の腕を振り払い、アリアは発狂して教室を飛び出した。

 騒然とする教室の中、シルビアが静かに席を立つ。


(わたくし)が追いかけます。皆さま、どうかそのままで。授業も進めてくださって構いませんわ」


 流石シルビア様と称賛の声を背にしながら、シルビアはアリアの後を追った。




 アリアの姿は学院の離れにある礼拝堂にあった。

 礼拝堂の全面を囲むように張られた巨大なステンドグラスから陽が差し込む。

 幻想的ですらある雰囲気にそぐわぬ荒い息遣いで、アリアは祭壇の前で膝を折って身を丸めていた。


「何で……何で邪魔するのよぉ……」


 独り言に近しい嘆きを耳にして、シルビアはゆっくりとアリアに近付く。


「将来の伴侶に手を出そうとする不届き者を追い払うのは、婚約者として当然の務めですわ」

「うぅぅ……っ、分かってるっ、分かってるよ! 私だってね、好きで人の男取ろうとしてンじゃないの、やらなきゃ帰れないからやってんのぉ……っ!」

「帰れない? どういう意味ですの」


 怪訝な顔をしたシルビアは、床に突っ伏し震える震えるアリアに問う。


「そのまんまの意味……。私はねっ、本当の世界から来てんの! こんな乙女ゲームの世界じゃないっ、リアルの世界! 全員攻略しないと帰れないのッ!!」


 ワッと声を上げて泣き出したアリアに、シルビアはただただ困惑するばかりだった。

 アリアの言う言葉の意味の九割も分からない。かろうじて分かるのは、帰れなくて困っているという部分だけだった。


「貴女の言う言葉は全く理解できませんが、困っていらっしゃることだけは理解しましたわ」

「何よ……困ってたらオリオン貸してくれんの……」

「馬鹿を仰らないで。オリオンは物ではありませんわ」

「ハッ、じゃあどうしようも無いじゃない……っ、帰れないっ、終わらないっ、もう嫌だぁ……!」


 体を戦慄かせて嘆くアリアに、シルビアはため息を吐きながら近寄る。すぐ真横で膝を折り、小さく丸まったアリアの背をそっと撫でた。

 アリアの体が大きく震え、肩が小刻みに揺れる。


「貴女にオリオンを渡すわけにはいかない。しかしそうなれば、貴女は貴女のいた場所へ帰ることが出来ない。そうですわね?」


 アリアが無言でうなずく。


「でしたら貴女の新たな居場所を(わたくし)が用意いたしますわ。貴女、魔法の才能はおありの様子だから、学院を卒業後に良い奉公先を紹介いたしましょう」

「それじゃあさ……、こんなっ、こんなゲームの世界で……っ、一生、生きていけっていうの……!?」

「貴女にとってはゲームかもしれませんが、(わたくし)達にとってはこの世界こそが現実ですわ。それに――生きていくという意味では、どんな世界であったとしても変わりはないと思いませんこと?」


 シルビアの言葉にアリアは息をのみ、それから嗚咽を上げて涙を流した。

 嗚咽に混じるごめんなさいという言葉に耳を傾けながら、シルビアはアリアが泣き止むまでその背中を優しく撫で続けた。


 それか暫くして、ようやく泣き止んだアリアが身を起こした。

 泣き腫らした目をしたアリアから離れて、シルビアが立ち上がる。


「そう言えば……一つ聞いておきたかったのですが。貴女のその力。一体、どいうい経緯で授かったものですの?」

「……言っても信じてもらえないだろうけど。神サマが……面白そうだからって。私にこの世界の攻略して帰って来いって命令してきたんだよ。この力と一緒にね」

「まぁ……貴方の世界の神は酷いものですわね」


 醜悪な神を想像し、シルビアは思わず眉尻を下げた。


「この世界の神サマはマシなもんなの?」

「ええ。いつでも世界を温かな眼差しで観測されていますわ。……あぁ、きっと『LOG』が(わたくし)に移ったのも、この世界の神の御意思かもしれませんわね」

「神の御意思、ね……」


 自虐的に笑いながら、アリアものっそりと身を起こす。

 長く深く息を吐き出して、それからシルビアの顔をまっすぐに見た。シルビアの顔を見つめるアリアの顔付からはすっかり険が取れて、年相応の少女らしいさっぱりとした表情が浮かんでいた。


「じゃあ、私もそっちの神様に乗り換えるわ。大分マシみたいだし」

「この世界は、いつでも貴女を歓迎いたしますわ」


 差し出されたシルビアの右手を、アリアはそろりと伸ばした手で握った。

 ステンドグラスから差し込む陽射しが二人の輪郭をやわく照らし出していた。

 シルビアもアリアも、空中に青白いフレームを見ることはもうない。

 


 それから数年後。シルビアとオリオンの結婚式に友人としてアリアが招かれることとなるのだが、それはまた別のお話ということで。

 めでたし、めでたし。



 終

ここまでお読みくださり、ありがとうございました!

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