ラウンド2:普遍か個別か?~「真理」の射程~
あすか:「いやー、ラウンド1、凄かったですね!それぞれの『真理』の定義、そしてそこへ至る道筋…もう、スタート地点から全く違う方向を向いていることがよーく分かりました!」(興奮冷めやらぬ様子で)
あすか:「さて、続くラウンド2では、さらに一歩踏み込んでみたいと思います!皆さんが先ほど語ってくださったその『真理』、それは果たして、時代や場所、文化や個人の違いを超えて、誰にでも、どこでも通用する『普遍的』なものなのでしょうか?それとも、もっと『個別的』、あるいは状況によって移り変わるものなのでしょうか?…つまり、その『真理』の射程距離は、どこまで届くのか、ということです!」
あすか:「では、今度は先ほどとは逆の順番で…キルケゴールさん、いかがでしょう?あなたの言う『主体性としての真理』は、やはり個人の中に閉じたものなのでしょうか?」
キルケゴール:「(少し考え込むように視線を落とし、やがて顔を上げて)…普遍性、ですか。もしそれが、誰にでも当てはまる客観的な法則や知識という意味ならば、私の言う真理は、それとは異なります。なぜなら、真理とは『なる』ものだからです。この私が、主体的な選択と決断を通して、真理に『なる』のです。それは、他の誰かが代われるものではない、徹頭徹尾、個別的な体験です。」
ヘーゲル:「(やれやれ、というように軽く首を振り)キルケゴール君、それではやはり、単なる個人的な思い込みの域を出ないのではないかね?君の言う『真理』は、他の人間と共有したり、客観的に検証したりすることができないではないか。」
キルケゴール:「共有…!検証…!ヘーゲル先生、真理とは、多数決や客観的な証明によって決まるものではありません!たとえ世界中の人間が違うと言おうとも、この私が神の前に『単独者』として立ち、選び取ったもの、それが私にとっての真理なのです!普遍性という名の『群衆』の中に、真理はありません!」(再び情熱的に語る)
あすか:「おお…!個人の信念の強さ、ですね。たとえ一人でも、それが真理だと。ありがとうございます。では、曹操閣下はいかがでしょう?『結果が全て』という閣下の真理は、どんな状況でも通用するものなのでしょうか?」
曹操:「ふん。俺の言う『結果』とは、その時々の状況において最善の結果を出す、ということだ。普遍的な真理などというものに固執していては、変化に対応できず、結局は敗北するだけだ。」(ピタゴラスとヘーゲルを見ながら)
曹操:「例えば、兵法。基本となる型はある。だが、敵の動き、天候、地形、兵の士気…戦場の状況は刻一刻と変わる。その変化を読み、定石を捨てて奇策を用いる判断力こそが、勝利をもたらすのだ。『孫子の兵法』も読んだが、あれとて状況に合わせて解釈し、応用する知恵がなければ、ただの古い書物に過ぎん。固定された、いつでもどこでも通用する『真理』など、実戦においてはむしろ邪魔になることすらあるわ。」
ピタゴラス:「ほう…定石を捨てると。それはつまり、場当たり的で、一貫性のない行動を是とする、ということかね?そのようなものでは、確固たる秩序は築けまい。」
曹操:「秩序、か。ピタゴラス殿、あなたの言う美しい秩序とやらは、現実の泥にまみれたことがあるのかね?俺は、混沌の中から、力ずくで秩序を『創り出す』のだ。そのためには、杓子定規な『普遍性』などより、状況に応じた『最適解』を見つけ出す現実的な知恵の方が、よほど役に立つ。」
あすか:「なるほど…!曹操さんは、状況に応じた最適解こそが重要で、普遍的な真理は役に立たない、と。キルケゴールさんとはまた違う意味で、『個別性』や『状況性』を重視されるわけですね。」
あすか:「では、対するお二方にお伺いしましょう。ヘーゲル先生、曹操閣下のようなご意見、そしてキルケゴールさんのような個人の内面を重視する考え方について、先生の立場からはどう思われますか?それでもやはり、『真理は普遍的』だとお考えですか?」
ヘーゲル:「ウム、もちろんだ。」(きっぱりと)「曹操君の言う状況判断や、キルケゴール君の言う個人の内面も、それ自体は否定しない。だが、それらは全て、より大きな『普遍的な理性の運動』の中に位置づけられるのだよ。」
あすか:「大きな運動の中に…?」
ヘーゲル:「そうだ。例えば、様々な文化や時代の違いも、一見バラバラに見えるかもしれないが、それは絶対精神が多様な形で自己を展開している段階に過ぎないのだ。歴史を大きな視点で見れば、例えば『自由の意識』が次第に拡大していくという、明確な普遍的傾向が見て取れるだろう?個別の状況や個人の選択も、結局はこの大きな歴史的、普遍的な法則性の『中で』起こっていることに変わりはないのだ。」
キルケゴール:「(小声で反論するように)…その法則性の前では、個人の涙や喜びは、統計上の数字のようなものに過ぎない、と…」
ヘーゲル:「(キルケゴールを一瞥し)いや、個人の情熱や選択も、歴史を動かす『原動力』となりうる。だが、それすらも、より大きな理性が自己を実現するための、いわば『道具』として機能している側面があるのだ。個人の主体性と普遍的な理性は、対立するものではなく、弁証法的に統合されるべきものなのだよ。」
あすか:「うーん、ヘーゲル先生の理論、やっぱり壮大で…全てを包み込もうとしますね!では、最後にピタゴラスさん。ヘーゲル先生ともまた違う意味で、真理の普遍性を信じていらっしゃると思いますが、曹操さんやキルケゴールさんのようなご意見を聞いて、いかがですか?」
ピタゴラス:(しばし黙考し、静かに語り始める)「…状況によって変わるもの、個人の感情に左右されるもの、それは『真理』の名に値しない。真理とは、時を超え、場所を超え、文化を超えて、常に変わらず存在するものでなければならない。」
あすか:「常に変わらないもの…」
ピタゴラス:「そうだ。例えば、円の直径に対する円周の比率(円周率)や、直角三角形の辺の関係(ピタゴラスの定理)は、誰が、いつ、どこで発見しようとも、常に同じである。エジプトのピラミッドにも、遥か東方の建築物にも、その比率(黄金比など)が見られることがある。これらは、人間が作り出した規則ではなく、宇宙の根源に刻まれた普遍的な法則なのだ。」
曹操:「ほう。その定理とやらで、人心を掴めますかな?」
ピタゴラス:「(曹操を無視するように続け)あるいは、魂の輪廻転生。これもまた、特定の民族や文化に限られた考えではない。目に見える肉体は滅びても、魂は不滅であり、浄化の旅を続ける。これもまた、宇宙の普遍的な法則なのだ。移ろいやすい現世の出来事や、個人の主観的な思い込みに目を奪われていては、このような永遠の真理に到達することはできぬ。」
キルケゴール:「しかしピタゴラスさん、その『魂』とやらも、この『私』という個別的な存在として感じ、悩み、選択するからこそ意味があるのでは?普遍的な法則の中に回収されてしまう魂に、私は興味がありません。」
ピタゴラス:「個別的な感情は、魂を曇らせるものだ。浄化とは、そのような個別性から離れ、普遍的な調和と一体となることなのだ。」
あすか:「なるほど…!ピタゴラスさんとヘーゲル先生は、真理は『普遍的』であると強く主張され、曹操さんとキルケゴールさんは、それでは捉えきれない『個別性』や『状況性』こそが重要だとお考えなのですね…。うーん、これは見事に意見が真っ二つに割れましたね!」
あすか:「つまり、ざっくり言うと、ピタゴラスさんとヘーゲル先生は『時代や場所を超えて、真理は一つ!ドン!』派、そして曹操さんとキルケゴールさんは『いやいや、状況とか、この私とか、そういうのが大事でしょ!ケースバイケース!』派、という感じでしょうか?」(少しおどけて言う)
あすか:「でも、こうなってくると、次の疑問が湧いてきますよね?それぞれの信じる『真理』、それは一体、私たちに何をもたらしてくれるのか?何のために、そんなに真剣に追い求める必要があるのか…?ラウンド3では、その『真理の価値』について、さらに激しくぶつかっていただきましょう!」(次のラウンドへの期待感を煽る)