4、ラスボス戦とはジャンケンなりよ
翌日。
オリヴィアは、カイゼクスとカロリーヌとともにガラスで包まれたコンサバトリーでお茶会を楽しんでいた。
コンサバトリーの外には百種もの薔薇が咲き誇っている。風に翻る葉や花びら、たわむ花枝。棘は猛禽の爪に似て鋭いが、花姿は絢爛で豊麗、色彩豊かな花色の薔薇たちが我こそはと美を競い合っていた。
差し込む陽光があたたかい。
サファイアを砕いたみたいな青色のティーカップには、渋みと甘みが調和する濃い琥珀色の紅茶。青と琥珀の鮮やかな色彩のハーモニーから立ちのぼる紅茶の、温かい靄のような湯気と馥郁たる芳香が鼻腔をくすぐる。
「オリヴィア、昨夜[トリモチ結界]に6人が引っかかっていたらしいよ」
愚かだよね、とカイゼクスが呆れたように肩をすくめる。
「もう百人以上も捕獲されているのに、まだ侵入することを諦めていないなんて。昨夜の賊はどこの貴族家の者かな」
公爵邸にはオリヴィアが、透明なドーム型の結界を張っていた。
正規の門以外での、外壁を乗り越えてくる侵入者はオリヴィアの通称[トリモチ結界]の表面にもれなく付着するようになっているのだ。強力な筋肉弛緩を伴う麻痺付きで、しかも魔力制御阻害効果もあったので意識はあっても自害することも魔法を唱えることも出来なくなるエゲツナイ結界であった。
最初は公爵の暗殺を用心してでの結界だったが、今ではオリヴィアの拉致を目的とした計画を阻止するために大活躍をしていた。
「どの貴族家もオリヴィアが欲しいのよ。一度でもラスボス劇場を見てしまえば皆夢中になるもの」
カロリーヌの言葉に周りの侍女たちや護衛たちが同意を示す相槌を打つ。
「このローエングリム公爵家の第二夫人なのよ、なのに誘拐未遂の数々に、もっと許せないことに求婚の申し込みが山ほど! 離縁して当家の第一夫人に、ですって! ローエングリム公爵家に招待して饗してあげたのに図々しいにも程がある! 喧嘩ならば十倍返しで買ってあげるわ!!」
カロリーヌが憤怒で燃え立つ。背後で業火が揺らめく。比喩ではない、カロリーヌは火魔法の使い手なのだ。
「我がローエングリム筆頭公爵家での生活よりも快適で裕福な生活を保障できないくせに! よくも申し込めるものだわっ、誘拐が困難ならば婚姻って安易で浅慮すぎよ! マナーを勉強しなさいよ、他家の夫人への求婚なんて非常識すぎるっ!!」
高位貴族の令嬢なのにダンダンと足を踏み鳴らして灼熱の怒りをみなぎらせる。侍女たちと護衛たちも拳を握って無言で気炎を吐く。心の中では中指を立てて罵っているが下品になるので口を引き結んでいるのだ。
「「オリヴィアはローエングリム公爵家の大事な家族なのに!!」」
怒気を沸騰させたカイゼクスとカロリーヌが声をそろえる。
オリヴィアが嬉しそうに笑顔を咲かせた。
父親を亡くしたけれども、オリヴィアはもう一人ではない。オリヴィアを守ってくれる公爵夫妻、オリヴィアのために怒ってくれるカイゼクスとカロリーヌ。オリヴィアには家族がいて、家族から愛されている。そのことが嬉しくて幸福で心がぽかぽかした。
「今夜のラスボス劇場はアニメにしましょうか? 何がいいかしら?」
オリヴィアの提案にカイゼクスとカロリーヌの瞳が輝く。
「僕、『海賊王の海』の次作が観たい。 えーと、次の11話目!」
「いいえ。『魔法戦士アンジェリカ』よ! あ、でも『後宮物語』もヒロインが他の側妃に虐められる場面で終わっていたからそっちも気になる〜!」
バチン! とカイゼクスとカロリーヌの間で火花が飛ぶ。負けられぬ戦いとばかりにカイゼクスとカロリーヌが鋭く睨み合う。
「よし、ラスボス戦だ!」
「うふふ、絶対に勝つわ!」
公爵邸ではラスボス劇場に関しての勝負事は、ラスボス戦と呼ばれていた。ツツツ、とカイゼクス側とカロリーヌ側に侍女たちと護衛たちが分かれる。両陣営からバチバチと戦場のような熱い空気がほとばしった。
「じゃんけんだ!」
「恨みっこなしよ!」
賑やかなコンサバトリーを二階の窓から公爵夫妻が眺める。
「子どもたちはオリヴィアにすっかり懐いたな」
「オリヴィアは素敵な子ですもの、当然です」
「それよりも例の後始末は完了したのですか?」
「ああ、心配をかけてしまったね。弟があれほど痴れ者だったとは。わたしを暗殺すれば公爵位を継承できると考えていたなんて、本当に短絡的だよ。幼くともカイゼクスとカロリーヌは王家の血を引くのだ、王家が後見となって公爵位を継ぐことは貴族ならば予想できるはずなのに」
「浅はかだったからこそ計画も杜撰で、でも単純ゆえに暗殺が成功しかけてしまった」
「ラスボス男爵は命の恩人だ。男爵の願いだ、オリヴィアを終生に渡って大切にしなければ。そのためには、まず害虫退治だな。オリヴィアには、この公爵邸でのびのびと憂いなく生活を満喫してもらいたい」
「オリヴィアの魔法を見て、欲深い者たちが涎を垂らしておりますものね。今度の王宮夜会で特大の餌を撒いて害虫を駆除いたしましょう。弟に頼んで王宮での根回しをしてもらっていますわ。弟はオリヴィアのファンですから喜んで協力をしてくれるそうです。まったくお忍びとはいえ公爵邸に幾度も訪れるなんて、困った弟ですわ」
「それだけオリヴィアの魔法も料理も魅力的なんだよ」
「この間なんて、オリヴィアの漫画を服に隠して王宮に持ち帰ろうとしておりましたのよ」
「くっくっくっ、わたしもお土産用のお菓子を要求されたよ」
公爵夫妻は顔を見合わせて笑い合う。
公式の場では礼を尽くすが、王国の太陽たる国王もイレーネにかかればオリヴィアのファンの困った弟である。
公爵夫妻は視線を交わして優しくコンサバトリーを見つめるのであった。
勝者の雄叫びと敗者の悲鳴が響き渡る。
「オーホホホッ!」
口元に指先を斜め45度にしてカロリーヌが高笑いをする。最近カロリーヌは、小説で読んだ悪役令嬢のマネがお気に入りなのだ。カロリーヌ陣営の侍女たちも一斉に扇子を開き斜め45度に傾けてヒラリヒラリと動かす。
「次は勝つ!」
ビシッとカイゼクスがカロリーヌを指さして、漫画の悪役ポーズでカッコつけて宣言した。カイゼクス陣営の侍女たちはスナップをきかせてバサリバサリと開いた扇子を振ってカイゼクスを応援する。
カロリーヌは悪役令嬢、カイゼクスは悪役、使用人たちはその背景モブゴッコが公爵邸で流行っているのである。
豪華な屋敷、華麗な衣装、品のよい使用人たち、カイゼクスとカロリーヌは天使のごとき容貌の美しい10歳の双子。前世のコスプレも楽しかったけれども、今世はリアルで素晴らしい、とオリヴィアは荒くなりそうな鼻息をおさえて紅茶を飲む。眼福である。
「オリヴィア様、料理長の新作デザートです」
オリヴィアの専属侍女のアンナが、テーブルの上にシフォンケーキの皿を置く。後ろには料理長が上体をまっすぐ伸ばした直立姿勢で控えていた。料理長にとってオリヴィアは料理の女神のごとき存在なのだ。
「ありがとう。新作なのね、嬉しいわ」
「「わぁ、美味しそう。これもオリヴィアのアイデア?」」
「私はレシピを渡しただけよ。料理長たちが努力をしてくれたのよ」
この世界では煮るか焼くかのほぼ二択の調理方法しかなかったため、常々オリヴィアは不満だった。
ラスボス男爵令嬢時代は、目立つことを警戒していたので大人しくしていたが、漫画も小説も解禁とした公爵家ではドンドンと知識を披露していた。
といってもオリヴィアの知識は好きなことしか覚えていないという重度の偏りがあった。
記憶力は凄まじいが、興味のないものは欠片も覚えていないのだ。前世では料理も興味のないものの一つであったが、幸いなことに飯テロ小説を読んでいた。
しかし、知識はあっても再現は困難を極めた。
前世の食材は品種改良されて、より美味しい食料となっているものばかりだったからだ。
たとえば、トウモロコシの野生種はつぶつぶの子実数が十数粒しかない。作物栽培のものとて収穫量も味も前世よりも劣る。葉物は硬かったり苦かったり、果物は糖度が少なかったり酸っぱかったり。
スパイスや調味料は種類が少なく、しかも高価である。
便利な調理器具もない。
食に対する習慣も違う。
好む味覚や食感も異なる。
当のオリヴィアは料理の味とレシピの知識はあっても、料理の腕はない。調理に関しては役立たずなのである。
その上で料理人たちは、見たことも聞いたこともない料理を作らねばならないのだから、その苦労たるや千辛万苦を重ねても足らないほどであった。
目茶苦茶に至難の道である。
利点は公爵邸は最高の環境である、ということだけだった。何事も一回で成功することは少ない。この場合スパイスも調味料も高価であったが、大資産家の公爵家では何度でも失敗が許可された。新鮮な食材も珍しい食料も取り寄せることができた。
料理人たちも、オリヴィアが唯一作れたプリンに感動して困難を承知で挑戦を繰り返した。不屈の精神で、くじけず挫折に負けず根気強かった。
結果としてローエングリム公爵家は、美食の聖地となったのである。
ローエングリム公爵家の独占であった。
料理人たちはローエングリム公爵家と魔法契約を結んでいるため、レシピが外部に漏洩することはない。
美食の虜となった貴族たちはローエングリム公爵家の傘下へと流入して、公爵家の権力と財力は増える一方となっていた。
「ごめんなさいね、私が調理をできなくて。レシピだけだと大変でしょう?」
料理長が遠慮がちに首を振る。
「大変など……。もったいないお言葉、感謝いたします。新しいレシピ、美味なる料理、やりがいのある仕事、これ以上はない幸せにございます」
深く頭を垂れる料理長にオリヴィアも頭を下げる。
「こちらこそ、あっ!」
ラスボス男爵家では使用人との垣根が低かったが、今は筆頭公爵家の第二夫人である。あわてて頭を上げたオリヴィアは、やっちゃったと書いた顔でへにゃっと誤魔化すように笑った。
「「オリヴィア〜! お礼はオーケーだけど頭を下げるのはダメ!」」
普段ならば天使から、めっ、を頂戴できるなんてご褒美だわ、と喜ぶオリヴィアだが失態をおかした自覚があるので花が花冠を垂れるように萎れてしょんぼりとする。公爵家の第二夫人として相応しい身の処し方を求められる立場にオリヴィアはいるのだ。子どものような非礼は許されない。オリヴィアの過ちは、すなわち公爵家の体面を損なうことに繋がるのである。
「「屋敷の外では絶対に禁止だよ」」
料理長はオロオロとして、侍女や護衛たちは逸早く顔ごと逸らして見て見ぬふりをしてくれている。
オリヴィアは深呼吸をして、凛と背筋を伸ばした。
「ええ、王宮夜会にも出席が決まったものね。マナーの勉強をもっと頑張らないと」
この半年、公爵邸での映画上映のみであったが、初めて王宮でも映画を上映することとなったのだ。
「王宮は詳しいから任せてよ。いじわるな貴族がいたら蹴散らしてあげるよ」
「本当は子どもは夜会に出席できないけど、国王陛下は叔父様だから融通がきくのよ。ずっと側にいるから安心してね」
頼もしいカイゼクスとカロリーヌがキラキラと眩しい。
やわらかな好意に心がふんわりとしたオリヴィアであった。
読んでいただきありがとうございました。