3、ラスボス劇場
オリヴィアが第二夫人となって半年。
常ならば華やかな夜会が開かれる公爵邸のダンスホールは、オリヴィアのための劇場となっていた。オリヴィアはここで映画を上映したのである。ただの映画ではない。効果音に加えて光や風や水などの魔法を色々と組み合わせて臨場感マックスの体験型映画としたのだ。
「ああ! 楽しみだわ、今夜は『豪華客船タイタニーアの悲劇』の後編だもの!」
公爵夫人イレーネがウキウキと声を弾ませる。
「オリヴィアのお話は凄いわ! 妖精の作った船で旅をするなんて! 氷が山となって海に漂っているのも凄い!」
凄い、凄い、とカロリーヌがはしゃぐ。
著作権もなく著作者もいない世界とはいえ良心がズキズキと傷んだオリヴィアは、題名を少し変更していた。ついでに王国の文明水準と違う点は、摩訶不思議な妖精とか外国とか想像力とかなどの好適で便利な言葉を大いに利用しているオリヴィアであった。
「オリヴィアの歌も素晴らしい。オリヴィアは音楽の神の愛し子ではないだろうか」
いえ、それは前世の作曲家と作詞家が偉大なのです、と公爵に言えないオリヴィアはへニャリと笑って誤魔化す。
「オリヴィアは幻影魔法の天才だね!」
だって私はラスボスですもの、とカイゼクスに胸を張るオリヴィアは意気揚々と誇らしげである。何と言っても前世のスペクタクル超大作ですからね、と。
ダンスホールの壁側には、公爵家の使用人たちや護衛たちがギッシリギチギチに詰まって隙間もない。夜番の仕事でダンスホールに来れなかった者たちは本気で泣いたが、ダンスホールに来れた者たちは満面の笑顔である。
「オリヴィア様の劇場、他家でも大評判なのよ」
「先日、訪問された公爵家も侯爵家もマナー違反を承知で当家に宿泊を懇願されていたものね。だって天上のような美味しい食事と娯楽なのですもの」
「うん、うん、あたしローエングリム公爵家に奉公できて毎日神様に感謝しているの」
「あたしも。他家に奉公している友人に羨ましがられて大変なの、もう鼻高々よ」
「わかるわ、オリヴィア様って世界一って思うもの」
「どの作品も心臓がドキドキするほど興奮するものね」
「『円卓の騎士物語』も『人魚姫の涙』も『月の光の姫君』も凄かったわ!」
「『竜玉を求めて』や『ランスの冒険』や『黄金と愛の指輪』や『巨獣キング・ゴーラ』も!」
「あたしは男装の麗人の歌劇『王宮の薔薇』が好き!」
「それよりも今夜の『豪華客船タイタニーアの悲劇』後編よ! 一体どうなるのかしら? 時間の関係で前編と後編にわかれたけど私は両方とも観れてラッキーだわ!」
声を潜めながらも浮き立つ気持ちを抑えられずに胸を躍らせ頬を紅潮させている。
「では、『豪華客船タイタニーアの悲劇』後編の始まりです」
オリヴィアの声がダンスホールに響く。
ジャーン! と音楽が奏でられて、前世の映画館なみの大きな映像が流れた。
潮の匂い。
猛った水が後ろから追いかけてくる。怪物の口が開いて丸く盛りあがった舌が重力を振り切って伸びるみたいに、水が折り重なる。海の指紋を付けるように。海水が獰猛に掴みかかってきた。
ドーンドーンと船が揺れる。夜が揺れる。それは人々にとって世界そのものが揺れる音だった。
モザイクみたいにバラバラに引き千切られて。
どうすればいいのか。
どこに行けば助かるのか。
逃げる、人、人、人。繋いだ夫婦の手が、家族の手が、恋人の手が離れていく。
富める家の子どもはボートに乗り、貧しい家の子どもは子守唄を歌われて母親の胸に深く深く抱かれて眠る。父親から母親から贈られる最後の言葉は「わたしの可愛い子、いつまでも愛している」、どちらの家の子どもも同じ言の葉。
時の砂がわずかな希望を毟りながら容赦なく進む。
幽霊のように彷徨い。
人のなだれに圧され。
助けて。
助けて。
助かってくれ。
せめて貴方だけでも、と手と手が祈るようにゆっくりと離れる。
最期の最後に選ぶのは自分ではなく、自分よりも大切な命。
逃げられない冷たい水に呑み込まれ。
海面に映った幾百幾千幾万の月光にぶつかるように落ちてゆき。
天へと救いを求めるごとく両手を伸ばす。
髪から、指から、身体から、天使の涙のような水泡が海面へと昇っていく。海中では声を無くした人魚のように断末魔の悲鳴は音にすらならず、海の底は闇が堆積したごとく暗く果てない。
エンディングにオリヴィアが歌を歌い始める。魂を鷲掴みにする歌声だった。聞く人の心に歌がひたひたと満ちる。
弦楽器のように甘くせつなく震える声は、貴方の心は私の心とともに生き続けると永遠の愛を乞うように歌う。
メイドたちがすすり泣く。
公爵夫人イレーネのように号泣してハンカチを濡らしている者も多い。
魔法灯の仄白い光を受けて幻想的に照らされたフロアの上で、歌い終わったオリヴィアが静かに頭を下げた。
公爵が椅子から立ち上がり手を叩く。
夢から覚めたようにイレーネも。次々と拍手が連鎖してダンスホールは大喝采となった。嵐のように。興奮の坩堝と化して拍手と歓声が鳴り止まない。
オリヴィアの頬が熟したサクランボみたいに赤みを帯びる。
自分の好きなものを共有して共感してもらえた喜びにオリヴィアの心が舞う。
達成感もあった。
つくづく前世のエンターテイメントと今世の魔法とは最高のマリアージュである、と。
水飛沫あり冷風あり画面から時々飛び出す立体映像など諸々ありで、魔法を惜しみなく使用して盛り上げた満足感で高揚に包まれたオリヴィアであった。
「「オリヴィア、凄いっ!!」」
賛美で柔らな頬を火照らせ、右にカイゼクスがくっつき左にカロリーヌが飛びつき、オリヴィアをギュウと抱きしめる。瞳がトロリと甘い、砂糖の飴玉のようだ。その背後には3人を守護するようにガードドッグたちが油断なく並ぶ。
娯楽を中心に魔法を使うオリヴィアの気持ちを尊重した公爵が、オリヴィアが攻撃魔法を使わずにすむようにと秀でたガードドッグたちを配置したのである。
ガードドッグたちの司令塔のシェパードは少し変わっていて先日は「ニャー」と鳴いてオリヴィアを不安にさせた。喉に異常があるのでは、と。
けれどもカイゼクスが、
「そのシェパードは頭がよくて学習力が高い。だから新しい鳴き方を覚えるみたいなんだ」
と言うので観察していたところ「ごはん」と鳴いてオリヴィアを驚愕させた。
このシェパード。
名前はマイケルといったが、公爵によってニャイケルと改名された。ニャイケル本人(本犬)は不満そうな顔をしていたが、「ニャー」と鳴くのだからニャイケルと公爵一家全員による賛成票で決定されたのであった。
向学心が徒となり、ちょこっと黄昏れたニャイケルだった。
公爵夫妻は約束通りオリヴィアを最大限に守ってくれている。しかもオリヴィアの趣味を理解してくれて目一杯に後押しもしてくれた。
オリヴィアは、しみじみと公爵家の第二夫人となれた幸運を噛みしめるのだった。