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十歳になったら、婚約指輪を廃棄する

作者: ペンのひと.

 メルシャは、ジュエリー工房の一人娘だ。

 お父さんが宝石職人のドワーフだから。

 ゲジゲジなメルシャの眉毛は、お父さんに似たのだ。

 お母さんからは、金髪と白い肌と長耳を受け継いだ。


 お母さんは若くて美人のエルフだったみたいだけど、難しい病気にかかって空のお星さまになった。メルシャが物心つく前のことだ。

 だからメルシャはお父さんと、木造の長屋で暮らしている。

 長屋の一階がお客さんの来る宝飾ギャラリーで、ガラスケースに売り物の首飾りや指輪が並んでいる。でも、そんなに数は多くない。

 二階は三室。狭い階段を上がって左側がメインの工房で、右側にはリビングとメルシャ用の子ども部屋。工房はお父さんの寝室にもなる。


 メルシャのお父さんは、「婚約指輪の廃棄」を請け負う宝石職人ドワーフだ。

 誰かと誰かが婚約を破棄するときは、婚約指輪をちゃんと廃棄しないといけない。そのことを、メルシャはお父さんから教わった。


「いいかい、メルシャ。婚約指輪の宝石にはな、婚約者二人の思い出を守る石精が宿っとるんだ」

「せきせい?」

「そうさ、石の精霊、石精さ。誰かと誰かが婚約を破棄するとな、その婚約指輪の石精も、宝石の中で記憶をため込んだまま弱っちまうんだ。だからな、傷付けないようにちゃんと指輪から宝石をはずして、石精を逃がしてやらなきゃな」

「ふうん」


 聞いただけでは、わかるようなわからないような話だ。

 でもメルシャは実際に、お父さんが請け負った婚約指輪を廃棄するのをこれまでに何度か見せてもらったことがある。

 

 工房のスツールに腰かけて、左目に分厚いルーペを嵌め込んだお父さん。

 作業台に覆いかぶさるように太っちょの身をかがめ、専用の工具を手際よく持ち替えながら、そっとそっと婚約指輪から宝石をはずす。

 

 するとしばらくして、お父さんの太い指につままれた宝石が、ボウッと瞬いて光りだす。

 その瞬きは何百回と続くこともあるし、ものの数回で光を失うこともある。


「記憶だよ。石精が、破棄された婚約の記憶を、婚約者たちの思い出をしゃべっとるんだ。光の瞬きが消えるまで、ちゃんと聞いてやらにゃいかん。この声を聞けるのは、精霊族の末裔であるドワーフかエルフだけだからな」


 婚約指輪の宝石に宿る、記憶。

 その石精さんのおしゃべりを、お父さんは片目にルーペを嵌め込んだままじっと聞き届ける。

 最後の瞬きが途絶えたら、宝石から石精さんが解き放たれた合図。

 空っぽになった宝石にお父さんは柔らかく磨き布を当て、それをガラス蓋のケースに大事そうにしまう。

 

「あたらしい石精が宿るまで、宝石は寝かしとくんだ。次の石精さんがいつ宿るかって? さあな、それは石精にしかわからんよ、メルシャ」


 ガシガシとメルシャの金髪を撫で、お父さんは息をついた。


「本当はな、年中あちこちで婚約破棄を繰り広げとる貴族のご子息ご令嬢がたにひとこと言ってやりたいもんだ。あんたらの婚約が破棄されるたびに、せっかくの婚約指輪も廃棄されにゃならんことを考えてみなさい、なんてな。まあ、お陰で職にあぶれずにすむさ。さあ、そろそろ飯にしよう」


 つまりこれが、メルシャのお父さんの仕事。

 婚約指輪を廃棄する、宝石職人の忙しい毎日だ。


 そしてもうすぐ、メルシャの十歳の誕生日がやって来る。



        ♢



 お母さんはどんな人だったんだろう。

 ときたま、メルシャは空想する。

 非売品の棚からこっそり指輪を取り出して眺めながら。


 その指輪がお母さんとお父さんの婚約指輪であり、結婚指輪でもあることをメルシャは知っている。同じ指輪が、いまもお父さんの左手薬指に嵌まっている。


 お母さんについて、お父さんはあまり多くを語らない。

 隠しているというわけではなくて、うまく話せないからな、と。

 だからお母さんが難しい病気にかかって、メルシャの物心つく前にお星さまになったこと以外、聞かせてもらったことはわずかだ。

 誰だったか、店のお客さんがこう教えてくれたことはあるけれど。

 お母さんもあなたに似て、若くて優しくてとびきり美人のエルフだったのよ、と。


 たしかにその指輪は、その宝石は、店にある他のどのジュエリーよりも美しいもののようにメルシャの瞳には映るのだった。


 

        ♢



「お誕生日おめでとう、メルシャ」

「ありがとう、お父さん」


 父娘水入らずのささやかな晩餐。

 メルシャ十歳の誕生日を祝う宴だ。

 燭台の灯が、テーブルに並ぶつつましくもあたたかな料理を照らしている。

 お父さんがプレゼントしてくれた手作りの髪飾りを付け、メルシャは少し大人になった気分でウキウキした。


 お父さんは珍しくお酒を少しチビリチビリと飲み、ずっとおだやかな目でメルシャを見ている。

 メルシャがタルトの最後のひとかけを食べ終えるまで、ほとんどしゃべらなかった。

 食事が終わると、お父さんがポツリとひとりごとをつぶやいた。


「――……そうだな、約束は守らなきゃいかんな」

「?」

「ん? ああ、食べ終わったかい、メルシャ。さあ、湯冷めしないうちにもう寝よう。あらためて、お誕生日おめでとう。ゆっくりおやすみ」


 

        ♢



 その誕生日の夜ふけ。

 ふだんより気がたかぶっていたせいか、メルシャはベッドで目を覚ました。

 プレゼントにもらった髪飾りを、眠る前にリビングへ置き忘れた気がする。

 取りに行かなきゃ。

 寝ぼけながら子ども部屋を出ると、廊下の向かいでお父さんの工房にまだ灯が入っているのに気付いた。

 

 まだ寝ないの、お父さん?

 そう声をかけようとドアを開けかけ、目に映る光景にメルシャはわれを忘れて静かに息をのんだ。

 ドアのすきま越しに、婚約指輪を廃棄するお父さんの横顔が見えた。

 いつものようにスツールに腰かけて、左目に分厚いルーペを嵌め込んでいる。


 作業台に覆いかぶさるように太っちょの身をかがめ、専用の工具を手際よく持ち替えながら。

 そっとそっと、ペアの婚約指輪から宝石をはずす――。

 お父さんとお母さんの婚約指輪から。


 するとしばらくして、お父さんの太い指につままれた二つの宝石が、身を寄せ合うようにボウッと瞬いて光りだす。

 その瞬きが、精霊の声で語りはじめる。

 石精。指輪の宝石に宿った精霊の、そのおしゃべり。


(約束を守るんだね)

(うん、守るんだね)


 二つの宝石から放たれる問いかけに、お父さんが答える。


「まあ……、約束だからな」


(娘が十歳になったら、指輪とともに過去への恋慕を断ち切り、新たな人生をちゃんと生きること)

(それが、亡き妻が君に約束させたこと)


「そうさ。信じられんが、メルシャももう十歳だ。精霊の声がいつ完全に聞けるようになっても、おかしくない年だな……」


(君の妻はこう言った。あの子が十歳になったら、ちゃんと約束を守って指輪を廃棄するのよ。石精が最後の記憶を語り終えたら、私のことはもう忘れて、あなたはあなたの人生をちゃんと生きて――)

(そう、ちゃんと生きて――)


「わかっとるよ……。前置きはよしだ、はじめてくれ」


 指輪からはずされた宝石が、ひときわ鮮やかに瞬きはじめる。

 石精が語りはじめる。

 その内にため込まれた、記憶を。

 宝石の中いっぱいに詰まった、物語を。


(――……、――――……――……。――――……――――……) 

(――――……)


 それはお父さんとお母さんの、二人だけの記憶だ。

 メルシャにはまだ、すべてをうまく聞きとることができない。

 だからただじっと息をひそめ、宝石から放たれる光を、その瞬きを見守る。

 見届けたいと、思う。


 何度もなんども、宝石は瞬く。

 鮮やかに、あたたかく、時に痛いくらい鋭く、そしてまた柔らかに。

 瞬きの数と同じだけ、ルーペをはずしたお父さんの目から涙がこぼれる。

 太っちょのほっぺをつたい、あごをしたたって、その涙の雫が作業台の上にポタポタ落ちる。

 声にならない声を、言葉にならない言葉を、石精が物語に変えていく。


 どれくらいのあいだ、それは続いただろうか。

 やがて最後の瞬きが、フッと消える。

 すべての記憶が石精とともに解き放たれた合図。

 

 光りを失った二つの宝石を、お父さんはギュッと胸に包み込んだ。


 そして、ささやいたのだ。


「ありがとう、本当にありがとう」と。




 後に王都でも評判の宝石職人となるメルシャが、自分の将来を決めたのはその時からである。

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