助ける資格
テトとレインが出会って五年の月日が流れた。
殆ど毎日のように森へとやって来るレインに、テトが爺やから教わった薬や毒に関する知識を教えてあげる日々。
ただただ穏やかで楽しい時間だった。
しかしその平和も終わりを迎える。
「…………」
……森の動物や植物達が苦しんでる……。
朝七時頃に目を覚ましたテトは、すぐに森の異変を感じ取った。
いつも聞こえて来る動植物のコエがおかしいのだ。
……どうしたんだろ?レインが来る時間までまだあるし、調べてみようかな……。
そうしてテトは小屋の外へと出て、アノコーの低木の垣根を越えた。
* * *
森の中は、いつもよりも何だか薄暗かった……がそれだけだ。
テトには空気の重さも息苦しさも感じない。
……特におかしいところはないと思うけど……でも皆の様子が変だし……。
森の中を散策しながら、テトが辺りを見回す。
とそこで、木々の間から狼が数匹現れた。
「ガルルルル…………」
低い唸り声。
……やっぱり様子がおかしい。俺のこと、認識できてないみたい……。
テトが考え込む……と同時に、狼達が一斉に襲いかかって来た。瞬時に敵意を感じて、その場から駆け出していたテトだが、狼達は牙を剥き出しにして更にテトを追いかけて来る。
……どうしよう……俺の身体能力じゃ、狼達を撒けない……このままアノコーの低木まで行けるかな……。
後ろを振り返って狼の様子を確認しながら、テトが内心焦る。
アノコーの低木まで行けば、いくら様子がおかしくても追ってはこれないだろう。幸い、アノコーの刺激臭が届く範囲まで、それ程距離は離れていない。
後はテトのスピードが足りるかどうかだ。
テトは「ゼェ!ゼェ!」と息を切らしながら、全力で走ったのであった。
* * *
「ゼェ!!ゼェ!!ゼェ!……ハァ!ハァ!……ハァ!……ハァ……」
何とかアノコーの低木まで走りきり、乱れた呼吸を整えること十分弱。
テトはその場でしばらくの間座り込むと、薄暗い森を見回した。
……原因もわからなければ、何がおかしくなったのかもわからない……でも確実に何かが変わった。動物や植物達に影響を与えるナニかが……。
テトは息を短く吐いた。
「…………今日もレイン、来るよね……」
森の異変も気掛かりだが、一番は狼達が凶暴化していることだ。
テトにすら襲いかかるということは、レインも例外ではない。
いつものようにレインが森の奥まで入って来れば、我を忘れた狼達に食い殺されるだろう。
「……良し……」
一人頷いたテトは、ピィと指笛を吹いた。すると、覆い茂る葉っぱを掻い潜って空から小鳥が三羽飛んで来る。鳥達はテトの肩に止まった。
「ピィ!ピィ!」
「……そう。君達もやっぱり森に入ると気分がおかしくなるんだ。今は平気なんだね。お願い聞いて貰っても良い?森の入り口近くで、レインを見かけたら足止めして」
「ピィ!」
「ありがとう」
フッとテトが表情を和らげる。と同時に、三対の翼が空へと羽ばたいた。
その後ろ姿を見送って、早速作業に取り掛かろうと、テトがアノコーの低木へと近寄る。
……森に何が起きてるかを調べる前に……とりあえず、狼達に襲われないようにしないとね……。
念の為常備しているナイフを取り出すと、テトはスライスするように低木の幹に刃を滑らせた。ガッガッと幹の凹凸に引っ掛かりながらも、テトは手を止めない。
そうして、低木から採れた幹の欠片達を慎重に両手で掬うと、採取用に携帯している小袋の中に全て流し込んだ。
……これで良し……。
小袋をベストの裏ポケットに仕舞う。とその時、テトの頭の中に人間のコエが入って来た。
……何だ?今日はやけに息苦しいな……。
……空気が重いし、気分も悪い……。
……やけに薄暗いな。それに何か頭がフラつくような……。
戸惑いに満ちた人間達のコエ。どうやら薬草を採りに来た植物採集家のようである。
コエを聞く限り、植物や動物だけでなく人間にも異変が生じるのかと、テトは事のヤバさを感じた。
……人間にも害があるんだ。俺は特に何も感じないけど……レインにしばらく森に来ないよう伝えなきゃ……。
テトが小鳥達の飛び立った方角を見つめる。
しかし、この日から三週間……レインが森へ来ることはなかった。
* * *
森に異変が現れてから三週間。
小鳥達に頼んで国の人達の様子を見て貰ったテトは、ある程度国の状態を把握していた。
……森に入って倒れた人が昨日で千人を越えた……原因も治療法もわからない……“祟り”って言われるようになったけど……。
テトは小屋の中、窓の外を眺める。
すっかり元の爽やかさもなくなり、不気味な森へとその姿を変えてしまったシーナフォレスト。昼だろうが薄暗く、肌寒い森の中は、理性を失って凶暴化した狼達が所構わず徘徊するようになった。植物達も元々の毒性が上がり、本来なら人間に害のない植物さえ猛毒を持つようになってしまった。
……一体何が起こってるんだろ……。
不安げに眉根を寄せるテト。
その時だった。
……テト!……テト!!……。
聞こえて来たコエに、ガバッとテトが椅子から立ち上がる。
間違いない。レインのコエだ。
コエが聞こえるということは、レインとの距離は近い。少なくとも、森の中に入って来ているということになる。
慌ててテトは小屋から飛び出した。
* * *
「……テト!……テト!……ッ!」
森の入り口近く、大きな鞄を大事そうに両腕で抱き抱えながら、レインが森の奥へと駆けている。
足が少しフラついており、顔色も悪いが、それでもテトの名を必死に呼び続けていた。
そんなレインを狼達が見逃す筈もなく……。
「グルルルルル……!」
「ッ!?」
レインを取り囲むように木々の間から現れた狼達に、思わずレインは立ち止まる。
レインは知らないのだ。森だけではない。狼達の様子さえおかしくなってしまったことを……。
「ハァ!ハァ!……何で……まだ奥まで入ってないのに……皆、ごめんなさい!そこを退いて!テトに大切な話があるの!!」
「グルルルル……ガウッ!!」
「ッ!!!」
レインの言葉も虚しく、一匹の狼が飛び掛かろうと……して、ピタリと動きを止めた。
「??」
困惑するレイン。
しかし狼達は焦ったように、一目散にその場から逃げ出してしまう。
一人取り残されたレインは肩で息をしながら、狼達が去って行った方向を見つめた。
「……レイン!!」
「テト!!」
その数分後、狼が逃げた方とは逆方向からテトが走って来た。
すぐ側まで駆け寄ったテトは、「ダメだよ」とレインの肩を抱く。
「森は今危険なんだ。早く帰らないと……」
「テト!テト、聞いて!」
テトの言葉を遮って、レインが持っていた鞄をテトへと差し出す。
「三週間前、森に来れなくてごめんなさい!待っててくれてたよね!?お父様の監視が厳しくて……」
「ううん、良いよ。狼達の様子もずっとおかしいし、むしろ来なくて安心してた。でも……何で今来たの?“祟り”のこと、知ってるよね?もしレインが倒れたら……」
テトが心配から眉を下げる。
森に入った者に例外はない。ほんの少しでも滞在すれば、“祟り”に罹ってしまうのだ。
治療法も見つかっていないのに、レインが“祟り”に倒れてしまえば救う手立てがない。
しかし、レインもソレは覚悟の上だ。
フルフルとレインが首を横に振る。
「ごめんなさい。実は三週間前、私も森に入ってるの……」
そうしてレインの話が始まった。
三週間前、いつものように森へと来ていたレインは「さあ入ろう」と、森の入り口に片足だけ入れたところで、近くに倒れてる採集家の人達を見つけた。すぐに街へと医者を呼びに帰ったが、その日から森に入った人達がどんどん倒れるようになった。過保護の国王はレインが城を抜け出さないよう、部屋に見張りを付けるようになったが、レインはその時、既に“祟り”に罹ってしまっていた。完全に森に入った訳ではないので、他の人達のように昏倒することもなく、国王にもまだバレていないが、それでもずっと体調が良くないらしい。それどころか段々と症状が悪化してきているようだ。
「今日森に来なくても、きっと近々倒れてた。だから、動けなくなる前にテトに会いに来たの」
レインの話に、テトが「そんな」と顔を歪める。
「“祟り”に罹ってるって……なら尚更、安静にしてなきゃ!歩ける?気休めにしかならないかもだけど、薬を……小屋までおぶろうか?」
テトが提案すれば、レインは首を振ってソレを否定した。そして「コレ……」と再度テトの胸に鞄を押し付ける。
テトが受け取って鞄のチャックを開ければ、中には厚い紙束と真空パックに入れられた赤い液体が数十個入っていた。
「“祟り”に罹った人の検査結果と、その血液よ。血は全員分無理だったけど、検査結果はちゃんと全員分あるわ。勿論、私のモノもある……」
レインがテトの瞳を見据える。
レインの切実な願いがテトの頭を満たしていた。
……お願い、テト……。
「お願い、テト」
コエと声が重なる。
「この国を救って!」
レインのバイオレットの瞳から、涙が一筋零れ落ちた。
その肩は、手は、酷く震えている。それでも、目に宿った意志はいつものように強く気高かった。
「“祟り”を治す薬を作って!お願い!」
「む、無理だよ!俺、俺は……爺やの真似事をしてるだけで……自分で新しい薬を調合したことなんてない……レインを助けたい……助けたいけど、俺は……」
レインの眼差しから逃げるように、視線を逸らすテト。
レインはテトの頬を両手で包み込んだ。
「無茶な願いなのはわかってるの。自分勝手で、我儘で……でも、私はこの国の王女だから。どれだけ身勝手でも、どんな手を使っても!何に変えたとしても、この国を!国民達を!護る使命がある!!」
「!!……『護る使命』…………」
テトの目が切なげに細められる。
ボソリと繰り返された言葉にレインは気付かないまま、「お願い、テト」と更に言葉を続けた。
「私はもう、いつ倒れてもおかしくない!そうなれば、きっとお父様は国中の医者を呼ぶわ!でも……“祟り”の治療法は見つかっていない。既存の薬は効かない。私を治せなかった医者がどうなるか……テトもわかるでしょ?医者が居なくなって、森の薬草も採れなくなって……この国は終わりよ。ううん。最近、街で革命団の噂を聞くの。もし国民達が触発されて武器を手にすれば……たった一夜にしてシーナ国は滅びるわ!国民皆が“神の遣い”の手によって殺されてしまう!!」
悲痛な声で語られるのは、紛れもなくこの先起こるであろう現実だ。
自身の腕の中、国の末路を憂いで涙を流す王女に、テトは「でも……」と奥歯を噛み締める。
「俺は……レインの国を背負えるような奴じゃないよ。そんな資格もない。俺……俺は、自分の国を捨てたから。レインみたいに、自国を救おうなんて気持ち、全く持ってなかった。何もかも捨てて、国から逃げて……そして今も人の目が怖くって、こんな森の奥でヒッソリと暮らしてる。こんな俺に、レインの大切な宝物を護る資格も、自信もないよ。ある訳ないんだ……」
瞼を固く閉ざして、テトは俯く。
そんなテトに、レインは「そう」と優しく微笑みかけた。
レインの笑みは見えなくても、コエでわかる。
幻滅されていない。
テトはソッと瞳を開けた。
「やっと自分のこと、話してくれた!」
そう言って笑うレインの何と嬉しそうなことか。
……何でガッカリしないの……?
テトは思わず惚けて固まる。
テトの心情など露知らず、レインは「ねぇ、テト」と柔らかく話しかけて来た。
「私のこと、好き?」
「……好きだよ」
戸惑いながらも迷わず答える。
好きじゃない訳がない。生まれて初めてできた、人間の友達だ。
テトの答えに、レインは幸せそうにはにかんだ。
「そっか。私も好きだよ。テトは唯一、私のことを対等に見てくれるから。だからこそ私は……貴方にこの国を預けることができる。誰よりも信頼してるから!」
「……『信頼』……俺を?」
「ええ!貴方が人を怖がっているのを知っているわ。森から絶対に出ないのも、ソレが理由よね?でも……それでも貴方は、五年前……見ず知らずの私を助けてくれた!貴方の勇気も優しさも!私は知ってる!勉強熱心で!実は私と同じくらい好奇心旺盛なことも知ってる!!」
五年の月日で、レインはテトの様々な姿を見た。
森の動物達と戯れている姿。植物に触れている優しい手付き。新薬を開発しようと奮闘する真剣で、それでいて楽しそうな表情。
普段は無表情で口数も少なくて、何を考えているのかわからない。それでも、その声はいつだって落ち着くような、温かな声音だった。
「テト、私は信じてる。貴方の事を、私の見る目を。それにね……誰かを助けるのに、『資格』なんて必要ないのよ!もし貴方が少しでもこの国を想ってくれるなら……それだけで充分。だから、どうか私の願いを聞いて!」
「…………」
テトは黙り込む。
未だ俯けられた顔は表情が読めない。
……許されるのかな……自分の国を捨てた癖に、今更……しかもよりにもよってシーナ国を助けるなんて……怒られるよね……でも、それでも俺は……この国が嫌いじゃない……嫌いじゃないよ……。
テトは顔を上げて、真っ直ぐとレインの目を見つめた。
「……うん、わかった。やってみるよ。ここは爺やが愛した国で、友達と出会えた国だから」
「テトッ……ありがとう!!」
感極まったのか、レインが思いきりテトに抱き付いた。支え切れず、テトは背中から後ろに倒れ込む。少し潰されて「ウェッ」と小さな悲鳴が上がれば、レインが「ごめんなさい」と慌ててテトの上から退いた。
数秒の沈黙の後、二人は同時に互いの小指を前に出す。
「約束……きっとレインの国を助けるから」
「ええ!信じてる!」
……その日、森から出た直後にレインは倒れた。後はレインの予想通り、国王の乱心が始まる。高まる国民達の不安と不満。
しかしテトとレインは諦めない。
だが約束を交わしてから一週間。未だ手掛かりは見つけられずにいる――。




